突出した軍事力を有する大国は何を目指すか.
覇権だ.
中共しかり,ロシアしかり,アメリカしかり.
中共は考える.東アジアの覇権はどうすれば握れるか.
答えは簡単.日本を押さえることだ.
そこで中共が思い描く戦略とは何か.
一つは日米同盟を破棄に追い込み米軍を追い出すこと.
日本の反米感情をくすぐり,基地問題をこじらせるのだ.
一つは日本に軍事力を整備させないこと.
反戦平和主義に凝り固まった政治家,評論家,
己の美学に沿った国のあり方にしか関心のない漫才師を利用するのだ.
一つは日本を分割統治し易いように解体すること.
革命という言葉や権力欲,名誉欲にからきし弱いボンボンの政治家や
弁護士上がりの政治家,マイノリティの選挙権獲得欲を利用するのだ.
そんな工作の進む日本をロシアはじっと観察しつつ
いざという瞬間のタイミングをうかがっている.
アメリカは覇権争いの主導権が握れるならば,
場合によっては中共,ロシアと日本を分割することも視野に入れる.
国を亡くさぬためには,冷静に大国の思惑を読み解き,
現実的な対処法を模索せねばならない.
大多数の日本人はそういう作業が下手だ.それは戦前から変わらない.
いわゆる島国根性というやつだ.状況を的確に分析できない人々の考えが
世論の中心となってしまう工作がうまく行って戦争に巻き込まれ,あげくに惨敗.
今回は戦争する必要すらないほどの弱体化が進行中だ.
対策は国防の問題をまじめに考えること.
軍事的な話だけではなく,思想的な対策も大事だ.
それには理論武装が必要で,これはそのための本.
学校では教えてくれないことが書いてある.
みんなで勉強しましょう.
自らを自らの力で守ることを放棄した国は遠からず滅ぶのが
歴史の教訓なのだから.

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日本国家の神髄 単行本 – 2009/12/23
佐藤 優
(著)
- 本の長さ305ページ
- 言語日本語
- 出版社扶桑社
- 発売日2009/12/23
- ISBN-104594061230
- ISBN-13978-4594061234
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登録情報
- 出版社 : 扶桑社 (2009/12/23)
- 発売日 : 2009/12/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 305ページ
- ISBN-10 : 4594061230
- ISBN-13 : 978-4594061234
- Amazon 売れ筋ランキング: - 367,009位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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元外交官で文筆家。ロシア情報収集・解析のエキスパート。魚住昭/ジャーナリスト。ノンフィクションに著作多数。青木理/ジャーナリスト。元共同通信記者。『日本の公安警察』『絞首刑』など著作多数。植草一秀/経済学者。日本経済、金融論が専門。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 誰が日本を支配するのか!?政治とメディアの巻 (ISBN-13:978-4838721566)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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2018年6月12日に日本でレビュー済み
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「国体の本義」(以下、「本義」)は、日本国の特徴(国柄/くにがら)を説明するため、文部省教学局が、右翼系の学者達を結集して編纂させ、1937(昭和12)年に発行し、2年前の国体明徴声明(政府が天皇機関説を排撃し、天皇主体説を公認した声明)を、理論強化するための書物です。
当時は、満州事変(1931年)、五・一五事件(1932年)、国際連盟の脱退(1933年)、国体明徴声明(1935年)、二・二六事件(1936年)と、軍部が暴走、政府が追随する格好になっていました。
「本義」発行の約3ヶ月後に、日中戦争が勃発し(1937年~)、国民精神総動員運動で滅私奉公を推進(1937年~)、大政翼賛会が組織化され(1940年~)、アジア太平洋戦争へと突入しており(1941年~)、大戦が本格化する直前での発行です。
それらを前提とし、本書で、気になることを、書き留めます。
○記紀神話(「古事記」「日本書紀」)について
筆者は、左翼を、理想の社会・国家を構築するため、誰にも等しく備わった人間の理性を、すべての領域に適用しようとしていると定義、右翼を、各人には偏見があるので、人間の理性で確実に把握できる領域には、限界があると認識していると定義し、その限界を、日本国内に設定しています。
近代以降には、まず、個人の自由・平等のもと、左翼思想が先行し、社会に浸透しますが、国家・民族を超越した抽象的な世界観で行き詰まり、危機が到来すると、つぎに、右翼思想が台頭するとし、左右の思想が、共存・対立することで、両者が切磋琢磨するのを期待しています。
また、筆者は、国家を強化するには、個人と国家の中間団体を充実させるべきだと主張し、近年は、日本民族の同朋意識が希薄化しているので、日本古来の記紀神話を回復しようとしており、その際に、神話は、左翼的な理性で批判せず、右翼的な感性で理解せよといっており、一種の信仰の対象です。
記紀神話は、大和政権を樹立した天皇家や有力豪族が、日本を統治するのに、都合のいい物語で、飛鳥後期・天武天皇(40代)の命令で、編纂が開始され、「古事記」は奈良前期・元明天皇(43代)、「日本書紀」は奈良前期・元正天皇(44代)の時代に完成し、当時は律令制で、中央集権が本格化しました。
本書で筆者は、日本の視座による首尾一貫した歴史を、構築するのを当然としていますが、「本義」でも、当時の政府の方針に、都合のいい箇所だけを、記紀神話から取り上げました。
記紀神話は、多様な神々が登場し、天皇は、出自・血筋のみが、皇位継承の正統性の根拠なので、事績には善行も悪行も記載され、過度に神聖視されておらず、むしろ人間らしく描き出されていますが、「本義」では、アマテラスだけが特化され、ごくわずかな天皇の徳行を抜き出しています。
つまり、記紀神話には、筆者のいう、多元的・寛容な精神が、まだありますが、「本義」には、それが一元的・厳格な精神へと、故意に変容させていることに、充分注意すべきで、有徳な天皇を強調したいのは、天皇と臣民の関係を、儒教道徳で堅固に結び付けるためです。
そのようにしたのは、当時は戦時下といってよく、政府が国力を結集するには、中央集権が必須だからですが、日本は、古来より、地方分権が大半でした。
天皇中心の中央集権が実質機能したのは、古墳後期・継体天皇(26代)から江戸末期・孝明天皇(121代)までの1360年間中、最長でも古代の飛鳥中期・天智天皇(38代)から平安前期・平安中期・醍醐天皇(60代)までの262年と、後醍醐天皇(96代)の建武の新政の3年間の、265年間・約19%です。
本書だと、鎌倉幕府の成立から江戸幕府の消滅までを武家政治とし、それ以外を天皇親政としているので、687年間・約51%ですが、それだと分権的な飛鳥期以前・平安中期以後も含まれ、入れすぎです。
このように、古代後半・中世・近世は、地方分権が主流で、中央集権が全体の1/5以下なのに、「本義」では、その事実を除外し(明治天皇が武家政治を心外だと言及)、近代には、政府が神祇官や社格の再興等、古代前半の中央集権と重ね合わせたうえで、徐々に超中央集権化していきました。
ちなみに、宮中で「日本書紀」の講義・研究があったのは、古代前半・平安前期までと、中央集権の時代と一致し、近代の超中央集権の時代は、明治維新から戦中までの77年で、継体天皇から戦中までは1438年なので約5%、天智天皇から醍醐天皇までの間も、完全な中央集権とは、とてもいえません。
ここまでみると、日本史上で特殊だった中央集権の時代を一般化し、記紀神話を回復するのには、最初から無理があり、地方分権の時代にも通用する思想を打ち立てないと、なかなか普及しないでしょう。
記紀神話は、日本建国の物語ですが、それよりも日本人は、天皇制が、継体天皇からみても、1500年以上も存続してきたという史実のほうが、伝統として、はるかに重要視しているのではないでしょうか。
○儒教道徳について
中国の儒教では、忠(忠義)と孝(孝行)、臣(臣下)と民(人民)が区別され、忠や臣は君臣関係で、主君には有徳、臣下には忠義が要求、孝は親子関係で、親には養育、子には孝行が要求、民は国王と人民の関係で、国王には保護、人民には納税が要求され、いずれも双務性が大前提です。
そのうえで、忠義よりも孝行を優先すべきだとし、忠義は、契約的関係で、有徳でつながり、王朝を樹立した一方(不徳なら王朝交代・易姓革命)、孝行は、宿命的関係で、血筋でつながり、家族を形成しましたが、一般家族は、王朝への忠義は不要、納税のみ必要で、国家への依存も信用もありません。
一方、日本の儒教では、孝行よりも忠義を優先すべきだとしたり、忠孝一致や臣民のように、2つを結合させがちですが、忠孝一致が適用できるのは、官僚・武士等、主君への忠義が、一家・一族の存続・繁栄での孝行へと、つながる場合のみに限定され、それ以外の人民には対象外です。
個人は、必死必滅なので、それを一家・一族で乗り越えようと、祖先を崇拝、父母を敬愛し、子孫を誕生させ、この3つが孝行で、祖先→父母→自分→子孫と家系を継承することで、一家・一族の永久不死不滅を希求し、武士は、自分の戦死が功績になり、一家・一族が厚遇されるのが、究極の目標です。
よって、中世(戦国期)までの武士は、主君の御恩と臣下の奉公の、双務的・契約的関係に同意できなかったり、合戦で一家・一族の存続・繁栄の危機が差し迫れば、離反・謀反も横行しました。
しかし、近世には、戦乱が終息し、身分・地位が固定化され、大名が世襲化・武士が役人化したため、主君が受動的・無能な場合には、臣下が能動的・有能にならなければいけないと、思考を逆転させる必要があるので、臣下の忠義が重要視され、それが極端化し、絶対忠誠での死も美化されました(武士道)。
近代には、ほとんどの武士が、百姓(農民)・町人(商人・職人)等と同様、平民になり、徴兵制が導入され、やがて国民皆兵が義務化されると、国民(臣民)には、納税の負担とともに、武士限定だった忠義が適用されます。
また、一大家族国家観で、天皇は国の父、皇后は国の母、臣民は国の子とし、忠孝一致になれば、忠義は、契約的関係なので、主君が有徳でなければ、契約解消できますが、孝行は、宿命的関係なので、家長が不徳でも、無条件に絶対服従しなければならず、天皇の命令で、臣民を統制しました。
「本義」では、忠孝一致と一大家族国家観で、天皇と臣民は一体だとし、歴代天皇の有徳が列挙され、臣民に天皇への奉仕・絶対随順と、神々・祖先への崇敬や愛国が要求されていますが、それらは、双務的・契約的関係ではないとしています。
ですが、帝国憲法では、天皇に国会・内閣(国務大臣の集合)・裁判所+陸軍・海軍の権限があり、一大家族国家観だと、天皇と臣民が直結するので、戦時下では、軍部の命令も、軍人の上から下への命令も、天皇の命令となるので、天皇を利用でき、戦争責任も曖昧で、最終的に天皇に集中します。
現在の日本国民には、徴兵制がなく、法令でのみ規制され(法治)、負担は、納税・勤労・子供に教育を受けさせる義務の3つですが、政治家・役人等は、法令遵守が大前提で、かれらは、権力を行使し、自分の都合のいいように、法制化・施策化できてしまうので、有徳であるかも必要です(徳治)。
筆者は、元・外務官僚で、現在も日本国に奉仕したいといっており、忠孝一致と一大家族国家観の心境から、「本義」を読み解いていることに、充分注意すべきで、中国の官僚が、科挙で儒教を勉強して登用されたように、政治家・役人等は道徳を、国民は法令を、もっと習得すべきです。
なので、日本国のために、命を投げ出す覚悟をするのは、政治家・官僚・自衛隊員等に限定され(そこが右翼のいう、理性の限界)、国民は、儒教道徳の適用範囲を、充分意識しておくべきで、右翼は、各人には偏見があるとし、大人の偏見は改変困難なので、偏見のない子供の道徳教育を強化するのです。
○全体(和)と個体(まこと)について
聖書では、神が、天・地等や人を創ったとされている一方、記紀神話では、天上の神が、日本の国土、天皇家の祖先神、天皇家に奉仕する諸豪族の祖先神を生んだとされていますが、天皇家・諸豪族の私有民等の人民は、起源不明で、いつのまにか登場するので、記紀神話は、国民全員の物語とはいえません。
ですが、帝国憲法で、日本国の主権は、天皇にあると規定されているので、その根拠として、天皇の祖先神が、日本国土を誕生させ、天皇の祖先が代々、日本国土を統治してきたとの記述がある、記紀神話を持ち出すのです。
「本義」では、人民は、記紀神話の時代から、天皇に奉仕してきたので、引き続き献身するのも当然で、天皇と人民(臣民)の間には、和(親和→大和/やまと・倭/わ)の精神があるとされています。
それは、記紀神話で、まず神が誕生し、つぎに国が形成され、さらに国が全体で、その部分として、特質ある個人の集合である人民がいたからで、欧米諸国のように、個人の寄せ集めで、国が形成されたのではないため、日本特有だとしています。
日本人の和の精神は、万物融合のうえに成り立ち、武力による平和、創造神・ムスビ由来の生産での相和、自然との調和、夫婦・親子や役所・会社等の集団の融和等にも、現れ出ているとしています。
一方、個人は、没我・無私で、穢れを祓った後のような清明心(まこと)で、自己の特質を、純粋に発揮・切磋琢磨し、国を発展させるよう、献身・奉仕せよと主張しています。
そして、当時の政府が、楠木正成を特別視したのは、かれが出自不明の武士で、後醍醐天皇(96代)に忠誠して大活躍・大出世し、最期は足利尊氏に敗北・自害し、記紀神話に登場しない祖先の人達の手本となるからです。
正成が持ち上げられたのは、江戸末期に、知識人達が、勤皇の下級武士を発奮させるためと、明治中期から、国民皆兵が義務化されたので、国民(臣民)に境遇を重ね合わせるための今回の、2回あります。
ちなみに、皇室以外で政権主導した、公家の藤原(中臣)氏の祖先神はアメノコヤネ、武家の平氏は桓武天皇(50代)の子孫、源氏は清和天皇(56代)の子孫、北条氏は桓武平氏の子孫、足利氏は清和源氏の子孫、徳川氏は自称・清和源氏か藤原氏の子孫と、いずれも祖先神が記紀神話に登場します。
しかし、和の精神の欠点のひとつは、全体(右翼のいう、理性の限界)を日本国内に設定すれば、結局は、下(個人)にも上(世界)にも、日本国に都合がいいよう、国益を追求するだけになることで、今度は日本国が、自己中心的な個体になり、他国との利害衝突・調整することになるだけです。
特に、「本義」発行の時期には、軍部の暴走で侵攻した満州事変で、国際連盟を脱退しており、世界の和を拒絶、そこから全体を東~東南アジアに設定し(大東亜共栄圏)、神武天皇(初代)由来の八紘一宇(全世界はひとつの家)を提唱、共存共栄を標榜しましたが、実際は植民地化でした。
個人に信教の自由が保障され、大勢の人々が、神仏信仰(教義面)ではなく、寺社参拝(儀礼面)のみが、さかんな現在(参拝は気分転換)、歴史物語の記紀神話を受け入れる人達は、おそらく少数なので、理性の限界は日本国内にならず、右翼集団内になり、他の中間団体との利害衝突となるでしょう。
こうして、右翼集団は、人間の理性の限界で、内外の境界ができ、外に強がって見せて攻撃するか、内に引き籠もって孤立するかの、両極端になります。
和の精神の欠点のもうひとつは、既成のものとは、まったく異なる新しい、創造性のあるものは、個人の自由な発想・欲望・衝動からしか、産出されないことで、資本主義の終焉といわれながらも、ほとんどの国々で、資本主義を取り入れているのは、個人の発見・発明による発展に期待しているからです。
日本独自といえる文化は、古代前半や近代の、集権的で、海外との交流が活発な時代よりも、古代後半・中世・近世の、分権的で、海外との交流が限定的な時代のほうが、多数創出されており、むしろ天皇とは無関係に発達しました。
外圧で、古代には、中国大陸・朝鮮半島、近代には、欧米列強から、様々な制度・技術・文化等を摂取しましたが、そのほとんどが、真似・模倣か、その改善・改良か、和漢・和洋折衷で、「本義」では、個人に期待できないため、先進的なものは、すべて海外依存のようですが、それだと大変脆弱です。
個人よりも国家を優先した戦前・戦中で、進んだ文化を移入しても、到着・吸収した時点で、すでに遅れており、日本の軍艦・戦闘機等の最新兵器も、しょせん多少の改善・改良にすぎない一方、国家よりも個人を優先した戦後には、超中央集権から解放された反動で、様々な先進的なものが出現しました。
日本文化・精神の特徴は、「風雅」と「滑稽」、「簡素」と「豪華」、「勤め」と「遊び」等、両面が並存し、その間を自由に行き来できることといえますが(分権的)、「本義」では、「風雅」「簡素」「勤め」等の片面のみしかないので(集権的)、単調で閉塞したのでしょう。
○祭祀・政治・教育・軍事について
記紀神話で、日本は、もともと天上の神が、国土を形成したので、その子孫の天皇が、統治するのは当然で、人民は、国土に付随していたうえ、天皇が有徳なので、天皇への服従も当然とし、孝徳天皇(36代)の時代には、蘇我石川麻呂(蘇我氏分家)が、先に祭事、後に政事を執り行うべきと奏上しました。
「本義」では、政治は、中国渡来の律令制、祭祀は、日本土着の天神地祇で、律令制の導入前の祭祀は、その中に政治も内在しているとし(祭政一致)、天皇の日本統治を、上の天皇家の祖先神・歴代天皇には、子孫としての祭祀、下の人民には、現人神(あらひとがみ)としての政治と、区分しています。
なので、古代には、大化の改新・律令制で、政治担当の太政官と祭祀担当の神祇官に二分され、近代には、それを当初は、踏襲したうえで、政治面の帝国憲法と祭祀面の皇室典範を並立させています。
律令制が形骸化し、天皇親政・祭政一致が実質機能しなくなって以降、天皇には権威(国体)、為政者には権力(政体)があると区別され、政体は、政権交代で変更しますが、国体(天皇制)は、永遠に護持されると解釈するようになり、天皇の仕事は、祭祀と、その時々の政権の公認になりました。
祭祀(神事)は、不浄な状態から清浄な状態へと転換する行為ですが(穢れを祓う、罪・祟りを清める、禊)、政治(人事)は、清浄な状態から不浄な状態になることがあるので、両者が並存していれば、不即不離の補完関係になります。
教育については、記紀神話で、神武天皇(初代)の大和平定から取り組み、崇神天皇(10代)の4将軍派遣の際に、教化で服従しないと、征討・平定を命令したとの記述があるので、それを根拠に、「本義」では、古代の祭政一致を近代の祭政教一致へと発展させ、明治天皇の教育勅語につなげています。
軍事については、「本義」では、神の霊魂は、和魂(にぎみたま、柔和な面)と荒魂(あらみたま、勇猛な面)の両面に大別でき、和魂は、政事面(平時)、荒魂は、軍事面(戦時)を表現しているともいえます。
そして、皇軍は、教化で服従しない者達を、武力で征討・平定するとし、明治初期に徴兵制を導入、明治中期に国民皆兵を義務化、明治天皇の軍人勅諭と帝国憲法で、天皇が軍隊を統率するとし、その根拠を、国外侵略もあるので、記紀神話で日本統治を委託した天上の神や、歴代天皇の御恩としました。
崇神天皇の4将軍派遣、景行天皇(12代)のヤマトタケルの西方・東方平定、神功皇后の新羅出陣、桓武天皇(50代)の坂上田村麻呂の蝦夷征討、日清・日露戦争、韓国併合・満州国の建国は、記紀神話で、出雲大社の祭神・オオクニヌシが国を譲り渡したように、円滑に服従したとしています。
それらは、実際には、武力で制圧したのに、天皇が有徳なので、天皇に服従したとする等、主要な箇所での、日本に都合のいい、こじつけ的な解釈が散見されます(中世・近世神道の思想も、こじつけが大半です)。
当時は、満州事変(1931年)、五・一五事件(1932年)、国際連盟の脱退(1933年)、国体明徴声明(1935年)、二・二六事件(1936年)と、軍部が暴走、政府が追随する格好になっていました。
「本義」発行の約3ヶ月後に、日中戦争が勃発し(1937年~)、国民精神総動員運動で滅私奉公を推進(1937年~)、大政翼賛会が組織化され(1940年~)、アジア太平洋戦争へと突入しており(1941年~)、大戦が本格化する直前での発行です。
それらを前提とし、本書で、気になることを、書き留めます。
○記紀神話(「古事記」「日本書紀」)について
筆者は、左翼を、理想の社会・国家を構築するため、誰にも等しく備わった人間の理性を、すべての領域に適用しようとしていると定義、右翼を、各人には偏見があるので、人間の理性で確実に把握できる領域には、限界があると認識していると定義し、その限界を、日本国内に設定しています。
近代以降には、まず、個人の自由・平等のもと、左翼思想が先行し、社会に浸透しますが、国家・民族を超越した抽象的な世界観で行き詰まり、危機が到来すると、つぎに、右翼思想が台頭するとし、左右の思想が、共存・対立することで、両者が切磋琢磨するのを期待しています。
また、筆者は、国家を強化するには、個人と国家の中間団体を充実させるべきだと主張し、近年は、日本民族の同朋意識が希薄化しているので、日本古来の記紀神話を回復しようとしており、その際に、神話は、左翼的な理性で批判せず、右翼的な感性で理解せよといっており、一種の信仰の対象です。
記紀神話は、大和政権を樹立した天皇家や有力豪族が、日本を統治するのに、都合のいい物語で、飛鳥後期・天武天皇(40代)の命令で、編纂が開始され、「古事記」は奈良前期・元明天皇(43代)、「日本書紀」は奈良前期・元正天皇(44代)の時代に完成し、当時は律令制で、中央集権が本格化しました。
本書で筆者は、日本の視座による首尾一貫した歴史を、構築するのを当然としていますが、「本義」でも、当時の政府の方針に、都合のいい箇所だけを、記紀神話から取り上げました。
記紀神話は、多様な神々が登場し、天皇は、出自・血筋のみが、皇位継承の正統性の根拠なので、事績には善行も悪行も記載され、過度に神聖視されておらず、むしろ人間らしく描き出されていますが、「本義」では、アマテラスだけが特化され、ごくわずかな天皇の徳行を抜き出しています。
つまり、記紀神話には、筆者のいう、多元的・寛容な精神が、まだありますが、「本義」には、それが一元的・厳格な精神へと、故意に変容させていることに、充分注意すべきで、有徳な天皇を強調したいのは、天皇と臣民の関係を、儒教道徳で堅固に結び付けるためです。
そのようにしたのは、当時は戦時下といってよく、政府が国力を結集するには、中央集権が必須だからですが、日本は、古来より、地方分権が大半でした。
天皇中心の中央集権が実質機能したのは、古墳後期・継体天皇(26代)から江戸末期・孝明天皇(121代)までの1360年間中、最長でも古代の飛鳥中期・天智天皇(38代)から平安前期・平安中期・醍醐天皇(60代)までの262年と、後醍醐天皇(96代)の建武の新政の3年間の、265年間・約19%です。
本書だと、鎌倉幕府の成立から江戸幕府の消滅までを武家政治とし、それ以外を天皇親政としているので、687年間・約51%ですが、それだと分権的な飛鳥期以前・平安中期以後も含まれ、入れすぎです。
このように、古代後半・中世・近世は、地方分権が主流で、中央集権が全体の1/5以下なのに、「本義」では、その事実を除外し(明治天皇が武家政治を心外だと言及)、近代には、政府が神祇官や社格の再興等、古代前半の中央集権と重ね合わせたうえで、徐々に超中央集権化していきました。
ちなみに、宮中で「日本書紀」の講義・研究があったのは、古代前半・平安前期までと、中央集権の時代と一致し、近代の超中央集権の時代は、明治維新から戦中までの77年で、継体天皇から戦中までは1438年なので約5%、天智天皇から醍醐天皇までの間も、完全な中央集権とは、とてもいえません。
ここまでみると、日本史上で特殊だった中央集権の時代を一般化し、記紀神話を回復するのには、最初から無理があり、地方分権の時代にも通用する思想を打ち立てないと、なかなか普及しないでしょう。
記紀神話は、日本建国の物語ですが、それよりも日本人は、天皇制が、継体天皇からみても、1500年以上も存続してきたという史実のほうが、伝統として、はるかに重要視しているのではないでしょうか。
○儒教道徳について
中国の儒教では、忠(忠義)と孝(孝行)、臣(臣下)と民(人民)が区別され、忠や臣は君臣関係で、主君には有徳、臣下には忠義が要求、孝は親子関係で、親には養育、子には孝行が要求、民は国王と人民の関係で、国王には保護、人民には納税が要求され、いずれも双務性が大前提です。
そのうえで、忠義よりも孝行を優先すべきだとし、忠義は、契約的関係で、有徳でつながり、王朝を樹立した一方(不徳なら王朝交代・易姓革命)、孝行は、宿命的関係で、血筋でつながり、家族を形成しましたが、一般家族は、王朝への忠義は不要、納税のみ必要で、国家への依存も信用もありません。
一方、日本の儒教では、孝行よりも忠義を優先すべきだとしたり、忠孝一致や臣民のように、2つを結合させがちですが、忠孝一致が適用できるのは、官僚・武士等、主君への忠義が、一家・一族の存続・繁栄での孝行へと、つながる場合のみに限定され、それ以外の人民には対象外です。
個人は、必死必滅なので、それを一家・一族で乗り越えようと、祖先を崇拝、父母を敬愛し、子孫を誕生させ、この3つが孝行で、祖先→父母→自分→子孫と家系を継承することで、一家・一族の永久不死不滅を希求し、武士は、自分の戦死が功績になり、一家・一族が厚遇されるのが、究極の目標です。
よって、中世(戦国期)までの武士は、主君の御恩と臣下の奉公の、双務的・契約的関係に同意できなかったり、合戦で一家・一族の存続・繁栄の危機が差し迫れば、離反・謀反も横行しました。
しかし、近世には、戦乱が終息し、身分・地位が固定化され、大名が世襲化・武士が役人化したため、主君が受動的・無能な場合には、臣下が能動的・有能にならなければいけないと、思考を逆転させる必要があるので、臣下の忠義が重要視され、それが極端化し、絶対忠誠での死も美化されました(武士道)。
近代には、ほとんどの武士が、百姓(農民)・町人(商人・職人)等と同様、平民になり、徴兵制が導入され、やがて国民皆兵が義務化されると、国民(臣民)には、納税の負担とともに、武士限定だった忠義が適用されます。
また、一大家族国家観で、天皇は国の父、皇后は国の母、臣民は国の子とし、忠孝一致になれば、忠義は、契約的関係なので、主君が有徳でなければ、契約解消できますが、孝行は、宿命的関係なので、家長が不徳でも、無条件に絶対服従しなければならず、天皇の命令で、臣民を統制しました。
「本義」では、忠孝一致と一大家族国家観で、天皇と臣民は一体だとし、歴代天皇の有徳が列挙され、臣民に天皇への奉仕・絶対随順と、神々・祖先への崇敬や愛国が要求されていますが、それらは、双務的・契約的関係ではないとしています。
ですが、帝国憲法では、天皇に国会・内閣(国務大臣の集合)・裁判所+陸軍・海軍の権限があり、一大家族国家観だと、天皇と臣民が直結するので、戦時下では、軍部の命令も、軍人の上から下への命令も、天皇の命令となるので、天皇を利用でき、戦争責任も曖昧で、最終的に天皇に集中します。
現在の日本国民には、徴兵制がなく、法令でのみ規制され(法治)、負担は、納税・勤労・子供に教育を受けさせる義務の3つですが、政治家・役人等は、法令遵守が大前提で、かれらは、権力を行使し、自分の都合のいいように、法制化・施策化できてしまうので、有徳であるかも必要です(徳治)。
筆者は、元・外務官僚で、現在も日本国に奉仕したいといっており、忠孝一致と一大家族国家観の心境から、「本義」を読み解いていることに、充分注意すべきで、中国の官僚が、科挙で儒教を勉強して登用されたように、政治家・役人等は道徳を、国民は法令を、もっと習得すべきです。
なので、日本国のために、命を投げ出す覚悟をするのは、政治家・官僚・自衛隊員等に限定され(そこが右翼のいう、理性の限界)、国民は、儒教道徳の適用範囲を、充分意識しておくべきで、右翼は、各人には偏見があるとし、大人の偏見は改変困難なので、偏見のない子供の道徳教育を強化するのです。
○全体(和)と個体(まこと)について
聖書では、神が、天・地等や人を創ったとされている一方、記紀神話では、天上の神が、日本の国土、天皇家の祖先神、天皇家に奉仕する諸豪族の祖先神を生んだとされていますが、天皇家・諸豪族の私有民等の人民は、起源不明で、いつのまにか登場するので、記紀神話は、国民全員の物語とはいえません。
ですが、帝国憲法で、日本国の主権は、天皇にあると規定されているので、その根拠として、天皇の祖先神が、日本国土を誕生させ、天皇の祖先が代々、日本国土を統治してきたとの記述がある、記紀神話を持ち出すのです。
「本義」では、人民は、記紀神話の時代から、天皇に奉仕してきたので、引き続き献身するのも当然で、天皇と人民(臣民)の間には、和(親和→大和/やまと・倭/わ)の精神があるとされています。
それは、記紀神話で、まず神が誕生し、つぎに国が形成され、さらに国が全体で、その部分として、特質ある個人の集合である人民がいたからで、欧米諸国のように、個人の寄せ集めで、国が形成されたのではないため、日本特有だとしています。
日本人の和の精神は、万物融合のうえに成り立ち、武力による平和、創造神・ムスビ由来の生産での相和、自然との調和、夫婦・親子や役所・会社等の集団の融和等にも、現れ出ているとしています。
一方、個人は、没我・無私で、穢れを祓った後のような清明心(まこと)で、自己の特質を、純粋に発揮・切磋琢磨し、国を発展させるよう、献身・奉仕せよと主張しています。
そして、当時の政府が、楠木正成を特別視したのは、かれが出自不明の武士で、後醍醐天皇(96代)に忠誠して大活躍・大出世し、最期は足利尊氏に敗北・自害し、記紀神話に登場しない祖先の人達の手本となるからです。
正成が持ち上げられたのは、江戸末期に、知識人達が、勤皇の下級武士を発奮させるためと、明治中期から、国民皆兵が義務化されたので、国民(臣民)に境遇を重ね合わせるための今回の、2回あります。
ちなみに、皇室以外で政権主導した、公家の藤原(中臣)氏の祖先神はアメノコヤネ、武家の平氏は桓武天皇(50代)の子孫、源氏は清和天皇(56代)の子孫、北条氏は桓武平氏の子孫、足利氏は清和源氏の子孫、徳川氏は自称・清和源氏か藤原氏の子孫と、いずれも祖先神が記紀神話に登場します。
しかし、和の精神の欠点のひとつは、全体(右翼のいう、理性の限界)を日本国内に設定すれば、結局は、下(個人)にも上(世界)にも、日本国に都合がいいよう、国益を追求するだけになることで、今度は日本国が、自己中心的な個体になり、他国との利害衝突・調整することになるだけです。
特に、「本義」発行の時期には、軍部の暴走で侵攻した満州事変で、国際連盟を脱退しており、世界の和を拒絶、そこから全体を東~東南アジアに設定し(大東亜共栄圏)、神武天皇(初代)由来の八紘一宇(全世界はひとつの家)を提唱、共存共栄を標榜しましたが、実際は植民地化でした。
個人に信教の自由が保障され、大勢の人々が、神仏信仰(教義面)ではなく、寺社参拝(儀礼面)のみが、さかんな現在(参拝は気分転換)、歴史物語の記紀神話を受け入れる人達は、おそらく少数なので、理性の限界は日本国内にならず、右翼集団内になり、他の中間団体との利害衝突となるでしょう。
こうして、右翼集団は、人間の理性の限界で、内外の境界ができ、外に強がって見せて攻撃するか、内に引き籠もって孤立するかの、両極端になります。
和の精神の欠点のもうひとつは、既成のものとは、まったく異なる新しい、創造性のあるものは、個人の自由な発想・欲望・衝動からしか、産出されないことで、資本主義の終焉といわれながらも、ほとんどの国々で、資本主義を取り入れているのは、個人の発見・発明による発展に期待しているからです。
日本独自といえる文化は、古代前半や近代の、集権的で、海外との交流が活発な時代よりも、古代後半・中世・近世の、分権的で、海外との交流が限定的な時代のほうが、多数創出されており、むしろ天皇とは無関係に発達しました。
外圧で、古代には、中国大陸・朝鮮半島、近代には、欧米列強から、様々な制度・技術・文化等を摂取しましたが、そのほとんどが、真似・模倣か、その改善・改良か、和漢・和洋折衷で、「本義」では、個人に期待できないため、先進的なものは、すべて海外依存のようですが、それだと大変脆弱です。
個人よりも国家を優先した戦前・戦中で、進んだ文化を移入しても、到着・吸収した時点で、すでに遅れており、日本の軍艦・戦闘機等の最新兵器も、しょせん多少の改善・改良にすぎない一方、国家よりも個人を優先した戦後には、超中央集権から解放された反動で、様々な先進的なものが出現しました。
日本文化・精神の特徴は、「風雅」と「滑稽」、「簡素」と「豪華」、「勤め」と「遊び」等、両面が並存し、その間を自由に行き来できることといえますが(分権的)、「本義」では、「風雅」「簡素」「勤め」等の片面のみしかないので(集権的)、単調で閉塞したのでしょう。
○祭祀・政治・教育・軍事について
記紀神話で、日本は、もともと天上の神が、国土を形成したので、その子孫の天皇が、統治するのは当然で、人民は、国土に付随していたうえ、天皇が有徳なので、天皇への服従も当然とし、孝徳天皇(36代)の時代には、蘇我石川麻呂(蘇我氏分家)が、先に祭事、後に政事を執り行うべきと奏上しました。
「本義」では、政治は、中国渡来の律令制、祭祀は、日本土着の天神地祇で、律令制の導入前の祭祀は、その中に政治も内在しているとし(祭政一致)、天皇の日本統治を、上の天皇家の祖先神・歴代天皇には、子孫としての祭祀、下の人民には、現人神(あらひとがみ)としての政治と、区分しています。
なので、古代には、大化の改新・律令制で、政治担当の太政官と祭祀担当の神祇官に二分され、近代には、それを当初は、踏襲したうえで、政治面の帝国憲法と祭祀面の皇室典範を並立させています。
律令制が形骸化し、天皇親政・祭政一致が実質機能しなくなって以降、天皇には権威(国体)、為政者には権力(政体)があると区別され、政体は、政権交代で変更しますが、国体(天皇制)は、永遠に護持されると解釈するようになり、天皇の仕事は、祭祀と、その時々の政権の公認になりました。
祭祀(神事)は、不浄な状態から清浄な状態へと転換する行為ですが(穢れを祓う、罪・祟りを清める、禊)、政治(人事)は、清浄な状態から不浄な状態になることがあるので、両者が並存していれば、不即不離の補完関係になります。
教育については、記紀神話で、神武天皇(初代)の大和平定から取り組み、崇神天皇(10代)の4将軍派遣の際に、教化で服従しないと、征討・平定を命令したとの記述があるので、それを根拠に、「本義」では、古代の祭政一致を近代の祭政教一致へと発展させ、明治天皇の教育勅語につなげています。
軍事については、「本義」では、神の霊魂は、和魂(にぎみたま、柔和な面)と荒魂(あらみたま、勇猛な面)の両面に大別でき、和魂は、政事面(平時)、荒魂は、軍事面(戦時)を表現しているともいえます。
そして、皇軍は、教化で服従しない者達を、武力で征討・平定するとし、明治初期に徴兵制を導入、明治中期に国民皆兵を義務化、明治天皇の軍人勅諭と帝国憲法で、天皇が軍隊を統率するとし、その根拠を、国外侵略もあるので、記紀神話で日本統治を委託した天上の神や、歴代天皇の御恩としました。
崇神天皇の4将軍派遣、景行天皇(12代)のヤマトタケルの西方・東方平定、神功皇后の新羅出陣、桓武天皇(50代)の坂上田村麻呂の蝦夷征討、日清・日露戦争、韓国併合・満州国の建国は、記紀神話で、出雲大社の祭神・オオクニヌシが国を譲り渡したように、円滑に服従したとしています。
それらは、実際には、武力で制圧したのに、天皇が有徳なので、天皇に服従したとする等、主要な箇所での、日本に都合のいい、こじつけ的な解釈が散見されます(中世・近世神道の思想も、こじつけが大半です)。
2020年10月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2年ほど前にタイトルに興味を持って購入したものの、取っつきづらさがあり
全く読んでおらず、ひょんなことがきっかけで一気読みしました。
この本は、太平洋戦争時代に作られた「国体の本義」を現代の言葉で
分かりやすく解説したものですが、大前提として、本書を読むに当たり
「佐藤優はあくまで本の解説を行っているだけだ」ということを
踏まえておく必要があるかと思います。
本書を読み進めて行くと、人によっては
「『国体の本義』って、ものすごく思想的にキツい(極端)だなあ」
と感じることがあると思います。
まあ、『国体』が、太平洋戦争に向けて
国民を一体的に動かそう(=「想像の共同体」を作りあげよう)という
目的で作られたものなので、
そういう「思想的に極端なもの」であるのは不可避的なことなのですが、
問題は、本書を読み進める上で、
「書かれている内容は『国体』の内容なのか、あるいは佐藤氏の見解なのか?」
というのが、分かりづらい部分が非常に多いことです。
(丹念に読み解けばわかりますが、佐藤氏は本のなかで
~~~である、と『国体』に書かれている、という風に、
文章ごとに最後に書いています。日本語の構造上、最初は分かりづらいのです)
で、この本を読むに当たって大切なのは
「『国体の本義』には、こういうことが書かれていた」
ということを、単なる「事実」として受け止めることではないかと思います。
書かれている内容は、上にも書いたように
思想的に極端ですし、違和感を覚える方もいると思います。
が、そういう風に「こう感じる」ということをまず排除して、
「当時、こういう内容のものが作られたのだ」ということを
色のない事実として受け止める必要があるかと思うんですね。
まあ、佐藤氏の解説には、氏の立場や思考が入っているので
全体的に、解説自体が「『国体』を肯定する」という毛色になっているのも事実です。
が、その解説(=ポジショントーク)が何であれ、
「日本という想像の共同体を作るために、どういう言説があったのか」
ということを理解するのが、本書の真の活用法ではないかと思います。
『国体』が書かれたことと、佐藤氏による解説(解釈)については
読者それぞれの考えがあっていいと思いますが、
それは読者個々人に委ねられるものであり、それよりメタ的な視点から
「こういうことが行われていたのだ」
「こういうことが書かれていたのだ」ということを知るきっかけとしては
最適の本ではないかと思います。
全く読んでおらず、ひょんなことがきっかけで一気読みしました。
この本は、太平洋戦争時代に作られた「国体の本義」を現代の言葉で
分かりやすく解説したものですが、大前提として、本書を読むに当たり
「佐藤優はあくまで本の解説を行っているだけだ」ということを
踏まえておく必要があるかと思います。
本書を読み進めて行くと、人によっては
「『国体の本義』って、ものすごく思想的にキツい(極端)だなあ」
と感じることがあると思います。
まあ、『国体』が、太平洋戦争に向けて
国民を一体的に動かそう(=「想像の共同体」を作りあげよう)という
目的で作られたものなので、
そういう「思想的に極端なもの」であるのは不可避的なことなのですが、
問題は、本書を読み進める上で、
「書かれている内容は『国体』の内容なのか、あるいは佐藤氏の見解なのか?」
というのが、分かりづらい部分が非常に多いことです。
(丹念に読み解けばわかりますが、佐藤氏は本のなかで
~~~である、と『国体』に書かれている、という風に、
文章ごとに最後に書いています。日本語の構造上、最初は分かりづらいのです)
で、この本を読むに当たって大切なのは
「『国体の本義』には、こういうことが書かれていた」
ということを、単なる「事実」として受け止めることではないかと思います。
書かれている内容は、上にも書いたように
思想的に極端ですし、違和感を覚える方もいると思います。
が、そういう風に「こう感じる」ということをまず排除して、
「当時、こういう内容のものが作られたのだ」ということを
色のない事実として受け止める必要があるかと思うんですね。
まあ、佐藤氏の解説には、氏の立場や思考が入っているので
全体的に、解説自体が「『国体』を肯定する」という毛色になっているのも事実です。
が、その解説(=ポジショントーク)が何であれ、
「日本という想像の共同体を作るために、どういう言説があったのか」
ということを理解するのが、本書の真の活用法ではないかと思います。
『国体』が書かれたことと、佐藤氏による解説(解釈)については
読者それぞれの考えがあっていいと思いますが、
それは読者個々人に委ねられるものであり、それよりメタ的な視点から
「こういうことが行われていたのだ」
「こういうことが書かれていたのだ」ということを知るきっかけとしては
最適の本ではないかと思います。
2018年2月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は、「国体の本義」がいかに重要なものであるかを不勉強にも認識していなかった。戦前、当時の国家の中心となる思想を具体的に記述、国民に示したという点で、全然の日本の思想の根底を示した重要資料である。「国体の本義」と、「教育勅語」「軍人勅語」などの資料とともに読むことで、当時の思想的状況が立体的に理解されると考える。その意味で、本書「日本国家の神髄」と原典「国体の本義」をともに並べ合わせて読み、さらに参考資料・研究論文へと進んでゆくと、現代の政治事情、国際政治へのさらに深い洞察をもたらす一冊になると確信する。この本が今出版されることの意義を改めて考えさせられた。
2017年6月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
佐藤さん。いい切り口で分かりやすく教えてくれています。佐藤さんのご活躍を期待いたします。
2017年4月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本の国体について語られている本です。
同時進行で、立花隆さんの『天皇と東大』を読んでいたので、そちらを読み終えてからの方が良いかなと感じましたが、頭の部分を読んでみて、こちらを先に呼んだほうが良いと判断しました。
佐藤さんお得意の、内在的論理本なので、「言いたいことはわかるけど、なんか変」という感じはぬぐえませんが、こういった思考で国を捉えている人が、一定数いるのだということは、大変勉強になりました。
同時進行で、立花隆さんの『天皇と東大』を読んでいたので、そちらを読み終えてからの方が良いかなと感じましたが、頭の部分を読んでみて、こちらを先に呼んだほうが良いと判断しました。
佐藤さんお得意の、内在的論理本なので、「言いたいことはわかるけど、なんか変」という感じはぬぐえませんが、こういった思考で国を捉えている人が、一定数いるのだということは、大変勉強になりました。
2016年3月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
月刊誌『正論』の2008年10月号から2009年9号までに連載され
たものの、単行本化の後の新書化です。
1937年に文部省が刊行した『国体の本義』を全文掲載し、その
内容を読み解いて行きます。
著者は、極めてストレートに、『国体の本義』を礼賛していま
す。
異を挟むのは、君民共治が否定されている箇所くらいです。
その主意は、国体明徴運動の結果生まれかねない非合理を阻止
するための、当時の日本の英知の結集という点にあります。
しかしながら、『国体の本義』テキストそのものには、強い違
和感を感じました。
それは、皇統が露骨に近代国家主義に収斂されていることにあ
ります。
また国史における流れも、天地開闢、天孫降臨、大化の改新、
建武の中興、明治維新となっていて、天皇親政主義と言えます。
一君万民論に基づく象徴天皇による皇統の継続こそが、国体の
本質であると考えている下名にとっては、同意できるものでは
ありませんでした。
著者の主張される高天原信仰に連なる国体を再考するためには、
『国体の本義』の再読よりも、神話に始まる国史の再提示が必
要になると考えます。
それが、象徴天皇への国民の尊崇の念の高まりに、繋がって行
くと思います。
たものの、単行本化の後の新書化です。
1937年に文部省が刊行した『国体の本義』を全文掲載し、その
内容を読み解いて行きます。
著者は、極めてストレートに、『国体の本義』を礼賛していま
す。
異を挟むのは、君民共治が否定されている箇所くらいです。
その主意は、国体明徴運動の結果生まれかねない非合理を阻止
するための、当時の日本の英知の結集という点にあります。
しかしながら、『国体の本義』テキストそのものには、強い違
和感を感じました。
それは、皇統が露骨に近代国家主義に収斂されていることにあ
ります。
また国史における流れも、天地開闢、天孫降臨、大化の改新、
建武の中興、明治維新となっていて、天皇親政主義と言えます。
一君万民論に基づく象徴天皇による皇統の継続こそが、国体の
本質であると考えている下名にとっては、同意できるものでは
ありませんでした。
著者の主張される高天原信仰に連なる国体を再考するためには、
『国体の本義』の再読よりも、神話に始まる国史の再提示が必
要になると考えます。
それが、象徴天皇への国民の尊崇の念の高まりに、繋がって行
くと思います。