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吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫) 文庫 – 2002/9/10
古川 薫
(著)
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切々と愛弟子に訴える最後の訓戒
炎の教師、松蔭の遺書
読みやすい大文字版
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂
志高く維新を先駆した炎の思想家吉田松陰が安政の大獄に連座し、牢獄で執筆した『留魂録』。
愛弟子へ切々と訴えかける最後の訓戒で、死に直面した人間が悟り得た死生観を書き記した格調高い遺書文学の傑作を味読・精読する。
炎の教師、松蔭の遺書
読みやすい大文字版
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂
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愛弟子へ切々と訴えかける最後の訓戒で、死に直面した人間が悟り得た死生観を書き記した格調高い遺書文学の傑作を味読・精読する。
- ISBN-104061595652
- ISBN-13978-4061595651
- 出版社講談社
- 発売日2002/9/10
- 言語日本語
- 寸法10.8 x 0.9 x 14.8 cm
- 本の長さ224ページ
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商品の説明
著者について
■古川薫(ふるかわかおる)
1925年、下関生まれ。山口大学教育学部卒。教員、新聞記者を経て、1970年から文筆活動にはいる。1993年、直木賞受賞。著書に『長州歴史散策』(創元社)、『異聞岩倉使節団』(新潮社)、『漂泊者のアリア』(文芸春秋)、『吉田松陰とその門下』(PHP研究所)、『留魂の翼』(中央公論新社)、『暗殺の森』(講談社)など多数。
1925年、下関生まれ。山口大学教育学部卒。教員、新聞記者を経て、1970年から文筆活動にはいる。1993年、直木賞受賞。著書に『長州歴史散策』(創元社)、『異聞岩倉使節団』(新潮社)、『漂泊者のアリア』(文芸春秋)、『吉田松陰とその門下』(PHP研究所)、『留魂の翼』(中央公論新社)、『暗殺の森』(講談社)など多数。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2002/9/10)
- 発売日 : 2002/9/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 224ページ
- ISBN-10 : 4061595652
- ISBN-13 : 978-4061595651
- 寸法 : 10.8 x 0.9 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 17,907位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4位明治維新
- - 21位講談社学術文庫
- - 34位日本の思想(一般)関連書籍
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年4月12日に日本でレビュー済み
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とにかく読んでください
2022年7月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
吉田松陰の遺書として、現代文への翻訳もしっかりしていて読みやすかったです。しかし、自分が読んだ後に中学1年生の子供に読ませようと思っていましたが、内容が中学生には少しわかりにくく解釈等の理解が出来ず、読むのを諦めるかな・・・と思いました。個人的には読みごたえがありましたが、少し難しい内容が多く注釈も分かりにくかった(原文に注釈がついてて現代文についてないため)ため、お子さんはなかなかわからない内容と思います。まあ、大人向けの遺書ですから、当然ですが・・・贅沢ですね私(笑)
2016年5月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大河ドラマ「花燃ゆ」で、留魂録の存在を知りました。
人の生涯を「四季」になぞらえ、自分の蒔いた種を次の世代に託す考え、大いに共感しました。
頻繁に目を通すわけではありませんが、心が行き詰まったときにふと見開く一冊です。
人の生涯を「四季」になぞらえ、自分の蒔いた種を次の世代に託す考え、大いに共感しました。
頻繁に目を通すわけではありませんが、心が行き詰まったときにふと見開く一冊です。
2018年6月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2018年は明治維新150年の節目であり、残念ながら古川薫さんのご逝去された年ともなってしまった。古川さんへの深い追悼と敬愛の念を込め、本書をレビューさせていただく。
本書は、まず「留魂録」が世に出るまでの経緯、松陰先生の執筆の意図などを解き明かす若干のイントロ、次に「留魂録」の原文と現代語訳、最後に松陰先生の生涯を辿る「史伝 吉田松陰」の3部構成である。
この全体を読むことで、松陰先生がなぜ門下生らに多大な影響を与え、ひいては日本の歴史を動かすに至ったのか、よくわかる。それは第一に松陰先生の深い教養、第二に先生のたぐいまれな実行力、第三に先生の人格の深みから発せられる人を感化する力、が可能ならしめたものである。
まず門下生を心服させるに足る松陰先生の教養の深さについて。その教養の深さを支えたのは猛烈なまでの読書だ。本書によれば、松陰先生は安政元年からの三年間だけでも約1500冊の本を読んだという。量も凄いが、内容も多岐にわたっていて、その視野の広さを養うのに役立ったようである。
例えば、松陰先生は、若き日に九州遊歴の旅に出て平戸の葉山佐内から「聖武記附録」を借りて読んでいる。この本は、清国の兵学者の書いたもので、清国の、アヘン戦争敗北の原因について、西洋と中国の兵力の差であるとし、「外敵を抑えるためには先ずその外敵の実情を知らねばならない」との指摘があり、松陰先生もこの本を筆写し、手元に残した筆写本の当該箇所に「よい指摘である」と附記している。
松陰先生のことをコチコチの攘夷主義者のように思っている人は多いが、上に指摘したように、「敵からも学ぶべきことがある」と早くから気づいていた松陰先生が、そんな石頭であったはずはない。
(※ ちなみに長州藩は、下関で外国の商船に攘夷を実行したまさにその時に、イギリスに5人の秘密の留学生を送っていた。これは、西洋列強の侮りを受けないよう必要とあらばいつでも戦う、という姿勢を見せつつ、先進的な産業やインフラの技術は西洋から積極的に取り入れる、という複眼的、戦略的思考の現れであり、そこには明確に松陰先生の見識の影響がみてとれる)
第二に、松陰先生の影響力は、その実行力に由来している。頭の回転が早く弁も立つ者は往々にして口舌の徒で終わるが、松陰先生はそういう口先だけの人間になってはならないと強く自戒していたこともあって、自らの考えを親しく接する人間に語るだけでなく実行に移した。その実行力たるや半端ではなかった。
何しろ、若き日に自らのものとした「外敵を抑えるためには先ずその外敵の実情を知らねばならない」との考えを実行すべく、来航したペリーの黒船に乗り込み、アメリカに渡ろうとしたのだから…。言うまでもないが、当時異国に渡航することは鎖国の定めに反する行為であり、下手をすれば死罪もあり得た。
そういうリスクを敢えて冒して行動する人だったからこそ、久坂や高杉も松陰先生に関心を抱き松下村塾の門を叩いたのだろう。
また松陰先生の、安政の大獄による刑死の理由となった老中間部暗殺計画も、口舌の徒が口にできる類いの話ではない。西洋列強に対し、不当な要求には断固応じない、という姿勢を一切見せず、膝を屈して不平等条約を結んだ井伊直弼(そしてその手足となって動いた間部)に断固異を唱え、翻意を迫ると共に、もしかかる異論を強権的に押さえつけるならば武力をもってでもこれを倒すことが必要だ、と天下に知らしめる目的があった。
松陰先生の取り調べにあたった幕府の役人は、先生のこの目論見について察知しておらず、黙っていれば発覚することはなかった。にもかかわらず、先生は処刑されることを承知で、暗殺計画を自ら自白した。自分がここで処刑されることで門下生らが自分の志について考えてくれるのではないか、そしてその志を継いで世を変える行動を起こしてくれるのではないか、と考えたのだ。まさに自分の命を投げ出しての主張がそこにある。この命懸けの訴えが門下生らの魂に響かないわけはない。
最後に、松陰先生の影響力は、その人格、風韻といったものに由来することもみてとれる。
例えば、松陰先生は、黒船に乗り込もうとして失敗した後、国許の野山獄に入れられた。そこでも松陰先生は天下国家を論じ、「孟子」の講義を行った。
囚人というのは、世を恨み自らの不運を呪って性格がいじけている者が少なくない。松陰先生が熱弁をふるっても、天下国家など知ったことか、自分には関係のないことだ、というのが当初の反応だったろう。
だが、しばらくするうちに、松陰先生はそういう手合いをすっかり変えた。自分も無為徒食の日々を送っていてはいけない、何か学ばなくてはならない、獄を出たら有意義に人生を送りたい…。同じ牢屋にいた囚人全員がそういう方向を向くようになった。これは凄いことではないだろうか。
松陰先生が、上から目線でご託を述べるような人だったら絶対そうはならなかっただろう。これは想像だが、松陰先生は、たとえ相手が囚人であっても同じ目線で物を言い、なるほどと思わせる説得的な話をし、かつまた聞く者の心を思わず熱くするような語り口をする人だったに違いない。だからこそ囚人たちもいつの間にか感化されていったのだと思う。
松陰先生の人としてのたたずまい、人格の深みから醸し出される雰囲気のようなものが、話を聞くものを感奮させたのだ。
本書は、まず「留魂録」が世に出るまでの経緯、松陰先生の執筆の意図などを解き明かす若干のイントロ、次に「留魂録」の原文と現代語訳、最後に松陰先生の生涯を辿る「史伝 吉田松陰」の3部構成である。
この全体を読むことで、松陰先生がなぜ門下生らに多大な影響を与え、ひいては日本の歴史を動かすに至ったのか、よくわかる。それは第一に松陰先生の深い教養、第二に先生のたぐいまれな実行力、第三に先生の人格の深みから発せられる人を感化する力、が可能ならしめたものである。
まず門下生を心服させるに足る松陰先生の教養の深さについて。その教養の深さを支えたのは猛烈なまでの読書だ。本書によれば、松陰先生は安政元年からの三年間だけでも約1500冊の本を読んだという。量も凄いが、内容も多岐にわたっていて、その視野の広さを養うのに役立ったようである。
例えば、松陰先生は、若き日に九州遊歴の旅に出て平戸の葉山佐内から「聖武記附録」を借りて読んでいる。この本は、清国の兵学者の書いたもので、清国の、アヘン戦争敗北の原因について、西洋と中国の兵力の差であるとし、「外敵を抑えるためには先ずその外敵の実情を知らねばならない」との指摘があり、松陰先生もこの本を筆写し、手元に残した筆写本の当該箇所に「よい指摘である」と附記している。
松陰先生のことをコチコチの攘夷主義者のように思っている人は多いが、上に指摘したように、「敵からも学ぶべきことがある」と早くから気づいていた松陰先生が、そんな石頭であったはずはない。
(※ ちなみに長州藩は、下関で外国の商船に攘夷を実行したまさにその時に、イギリスに5人の秘密の留学生を送っていた。これは、西洋列強の侮りを受けないよう必要とあらばいつでも戦う、という姿勢を見せつつ、先進的な産業やインフラの技術は西洋から積極的に取り入れる、という複眼的、戦略的思考の現れであり、そこには明確に松陰先生の見識の影響がみてとれる)
第二に、松陰先生の影響力は、その実行力に由来している。頭の回転が早く弁も立つ者は往々にして口舌の徒で終わるが、松陰先生はそういう口先だけの人間になってはならないと強く自戒していたこともあって、自らの考えを親しく接する人間に語るだけでなく実行に移した。その実行力たるや半端ではなかった。
何しろ、若き日に自らのものとした「外敵を抑えるためには先ずその外敵の実情を知らねばならない」との考えを実行すべく、来航したペリーの黒船に乗り込み、アメリカに渡ろうとしたのだから…。言うまでもないが、当時異国に渡航することは鎖国の定めに反する行為であり、下手をすれば死罪もあり得た。
そういうリスクを敢えて冒して行動する人だったからこそ、久坂や高杉も松陰先生に関心を抱き松下村塾の門を叩いたのだろう。
また松陰先生の、安政の大獄による刑死の理由となった老中間部暗殺計画も、口舌の徒が口にできる類いの話ではない。西洋列強に対し、不当な要求には断固応じない、という姿勢を一切見せず、膝を屈して不平等条約を結んだ井伊直弼(そしてその手足となって動いた間部)に断固異を唱え、翻意を迫ると共に、もしかかる異論を強権的に押さえつけるならば武力をもってでもこれを倒すことが必要だ、と天下に知らしめる目的があった。
松陰先生の取り調べにあたった幕府の役人は、先生のこの目論見について察知しておらず、黙っていれば発覚することはなかった。にもかかわらず、先生は処刑されることを承知で、暗殺計画を自ら自白した。自分がここで処刑されることで門下生らが自分の志について考えてくれるのではないか、そしてその志を継いで世を変える行動を起こしてくれるのではないか、と考えたのだ。まさに自分の命を投げ出しての主張がそこにある。この命懸けの訴えが門下生らの魂に響かないわけはない。
最後に、松陰先生の影響力は、その人格、風韻といったものに由来することもみてとれる。
例えば、松陰先生は、黒船に乗り込もうとして失敗した後、国許の野山獄に入れられた。そこでも松陰先生は天下国家を論じ、「孟子」の講義を行った。
囚人というのは、世を恨み自らの不運を呪って性格がいじけている者が少なくない。松陰先生が熱弁をふるっても、天下国家など知ったことか、自分には関係のないことだ、というのが当初の反応だったろう。
だが、しばらくするうちに、松陰先生はそういう手合いをすっかり変えた。自分も無為徒食の日々を送っていてはいけない、何か学ばなくてはならない、獄を出たら有意義に人生を送りたい…。同じ牢屋にいた囚人全員がそういう方向を向くようになった。これは凄いことではないだろうか。
松陰先生が、上から目線でご託を述べるような人だったら絶対そうはならなかっただろう。これは想像だが、松陰先生は、たとえ相手が囚人であっても同じ目線で物を言い、なるほどと思わせる説得的な話をし、かつまた聞く者の心を思わず熱くするような語り口をする人だったに違いない。だからこそ囚人たちもいつの間にか感化されていったのだと思う。
松陰先生の人としてのたたずまい、人格の深みから醸し出される雰囲気のようなものが、話を聞くものを感奮させたのだ。
2015年9月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書では松陰直筆の留魂録から冒頭の部分と第八章と第九章が収録されているが、この直筆の書がいかにして世に出たかという話が、
本書の解題の冒頭の部分に記されているが、その話がまさに奇跡としか言いようがなく、
そこに吉田松陰の天才教育者としての姿が凝縮しているように僕には感じられた。
当然だが、留魂録が書かれたのが獄中であったために、獄中にいるものが協力しないと書は外に出ない。
牢名主、沼沢吉五郎は、牢の中で吉田松陰の孫子、孟子などの講義を受け、感化され、松陰の死後、
留魂録を松陰の遺品とともに、遺品を取りに来た飯田正伯に引き渡しをしている。
この留魂録が、高杉晋作に渡され、弟子たちに回覧され、若者たちを大いに鼓舞することになるのは、良く知られているところではあるが、
実は、弟子たちによって書かれた写本は存在しているが、現物は所在不明となっている。
それでは、吉田の直筆の留魂録はどうして現存するのか?
実は、幕府の手による没収を恐れた松陰はもう一部原稿を用意していて、沼沢吉五郎に渡していたのである。
沼沢は獄中にいる間、これを守りぬき、三宅島に流されたときも肌身はださずに持ち続け、
明治9年になり神奈川県権令野村靖のもとに届ける。
このために、沼沢に託された留魂録は小さく折りたたんだ後が痛々しく、垢じみて変色しており、流刑地生活も含めた10数年、
囚人として隠し歩いた苦心が刻印されている。
沼沢が大切に保管し続けた留魂録のおかげで、後世の我々は、吉田松陰のその思いを、本という形で今日読むことができるのである。
このエピソードだけでも松陰の好きな言葉、「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」という孟子の言葉の意味と価値、
松陰の人を教育する力が相手の社会的な地位や立場によらないこと、そして日本人の誠実さ等々様々なことを感じさせる。
この奇跡を知ると、僕はさらに涙なくして、留魂録を読むことができない。
本書の解題の冒頭の部分に記されているが、その話がまさに奇跡としか言いようがなく、
そこに吉田松陰の天才教育者としての姿が凝縮しているように僕には感じられた。
当然だが、留魂録が書かれたのが獄中であったために、獄中にいるものが協力しないと書は外に出ない。
牢名主、沼沢吉五郎は、牢の中で吉田松陰の孫子、孟子などの講義を受け、感化され、松陰の死後、
留魂録を松陰の遺品とともに、遺品を取りに来た飯田正伯に引き渡しをしている。
この留魂録が、高杉晋作に渡され、弟子たちに回覧され、若者たちを大いに鼓舞することになるのは、良く知られているところではあるが、
実は、弟子たちによって書かれた写本は存在しているが、現物は所在不明となっている。
それでは、吉田の直筆の留魂録はどうして現存するのか?
実は、幕府の手による没収を恐れた松陰はもう一部原稿を用意していて、沼沢吉五郎に渡していたのである。
沼沢は獄中にいる間、これを守りぬき、三宅島に流されたときも肌身はださずに持ち続け、
明治9年になり神奈川県権令野村靖のもとに届ける。
このために、沼沢に託された留魂録は小さく折りたたんだ後が痛々しく、垢じみて変色しており、流刑地生活も含めた10数年、
囚人として隠し歩いた苦心が刻印されている。
沼沢が大切に保管し続けた留魂録のおかげで、後世の我々は、吉田松陰のその思いを、本という形で今日読むことができるのである。
このエピソードだけでも松陰の好きな言葉、「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」という孟子の言葉の意味と価値、
松陰の人を教育する力が相手の社会的な地位や立場によらないこと、そして日本人の誠実さ等々様々なことを感じさせる。
この奇跡を知ると、僕はさらに涙なくして、留魂録を読むことができない。
2018年10月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書き遺された環境とその後の来歴、大天才が残した奇跡の書といえるでしょう。
日本を知るためにいつの時代も必読の書に違いありません。
日本を知るためにいつの時代も必読の書に違いありません。
2016年12月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
留魂録そのものより、解説のほうが面白かった。いや面白い面白くないの問題ではないのかもしれないが、
留魂録自体は何が言いたいのかよくわからなかった。と言うか留魂録の何が凄いのかよくわからなかった。こう言っちゃ何だがそんなに大したことが書いてあるとは思えなかった。人間、死の直前にそんなに重要なことを書けるとも思えんし。そのとき思っていたことを淡々と書き連ねたって感じの文。まぁ遺書だけど。
内容としてわかったのは人生には四季があり、それは人それぞれであるという部分と、あとは牢屋でお世話になった人にお礼をしてほしいという部分くらい。でも現在の留魂録の原本を持っていた人が明治になってから落ちぶれた姿で、それなりの地位に就いていた松陰の弟子の前に現れたとき、弟子がその人に何もしてやってないのを見ると、留魂録の内容なんか弟子もよくわかってなかったんじゃねえかと。
吉田松陰という人は、感情的な人物だとつくづく思った。全てにおいて感情が優先してる。いつも感情に任せて突っ走り何かをしでかし、強制的に身動きが取れない状態に陥ってから考え出すようなパターン。
だから最後の刑死に至る過程とか自滅としか思えない。よく考えない人だよね、どう考えても。しかしアジテーターとしての才能はあったと思う。死せる松陰生ける塾生を走らす。これは松陰自身が損得度外視してる人間だったから、説得力があったんだと思う。狂的な人間しか世の中を変えることはできない。
留魂録自体は何が言いたいのかよくわからなかった。と言うか留魂録の何が凄いのかよくわからなかった。こう言っちゃ何だがそんなに大したことが書いてあるとは思えなかった。人間、死の直前にそんなに重要なことを書けるとも思えんし。そのとき思っていたことを淡々と書き連ねたって感じの文。まぁ遺書だけど。
内容としてわかったのは人生には四季があり、それは人それぞれであるという部分と、あとは牢屋でお世話になった人にお礼をしてほしいという部分くらい。でも現在の留魂録の原本を持っていた人が明治になってから落ちぶれた姿で、それなりの地位に就いていた松陰の弟子の前に現れたとき、弟子がその人に何もしてやってないのを見ると、留魂録の内容なんか弟子もよくわかってなかったんじゃねえかと。
吉田松陰という人は、感情的な人物だとつくづく思った。全てにおいて感情が優先してる。いつも感情に任せて突っ走り何かをしでかし、強制的に身動きが取れない状態に陥ってから考え出すようなパターン。
だから最後の刑死に至る過程とか自滅としか思えない。よく考えない人だよね、どう考えても。しかしアジテーターとしての才能はあったと思う。死せる松陰生ける塾生を走らす。これは松陰自身が損得度外視してる人間だったから、説得力があったんだと思う。狂的な人間しか世の中を変えることはできない。