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音楽を「考える」 (ちくまプリマー新書 58) 新書 – 2007/5/1
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- 本の長さ191ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2007/5/1
- ISBN-104480687602
- ISBN-13978-4480687609
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2007/5/1)
- 発売日 : 2007/5/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 191ページ
- ISBN-10 : 4480687602
- ISBN-13 : 978-4480687609
- Amazon 売れ筋ランキング: - 64,043位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1962年、東京生まれ。脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、慶應義塾大学特別研究教授。東京大学理学部、法学部卒業後、 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。専門は脳科学、認知科学。2005年、『脳と仮 想』で、第4回小林秀雄賞を受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 15歳の寺子屋 ひとり遊びのススメ (ISBN-13: 978-4062162678 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年5月27日に日本でレビュー済み
対談ですから、遊びの言葉がたくさんあって、意見が出てくるまでまどろっこしい感じで、せっかちな人には向かないかも。茂木氏が聞き手という立場なら、江村氏を先に書いた方がいいと思います。江村氏の発言の中の、耳を澄ます授業をするとクラスが一体化する話が一番心に残りました。
2009年6月9日に日本でレビュー済み
面白い部分もたくさんありましたが、それはほかの皆さんが書いてくださっているのとほぼ同じです。
この二人は、本当に西洋のクラシック音楽が大好きなんだということがよ〜く伝わってきました。わたしもクラシック音楽は好きですが、はっきりいってクラシック音楽賛美すぎて、不快に思う部分も多々ありました。
「音楽」を考えるのなら、西洋だけでなく、アジアやアフリカなどの音楽についても考えて欲しかったし、一神教と多神教について触れるのだったら、非キリスト教文化圏の音楽についても触れてほしかったです。
似た者同士が対談するとこうなるんですね。考え方が合わないので、とにかく読後感が悪い。また、お二人とも、本当にクラシック音楽を普及させたがってるわけではないのだと感じてしまいした。
この二人は、本当に西洋のクラシック音楽が大好きなんだということがよ〜く伝わってきました。わたしもクラシック音楽は好きですが、はっきりいってクラシック音楽賛美すぎて、不快に思う部分も多々ありました。
「音楽」を考えるのなら、西洋だけでなく、アジアやアフリカなどの音楽についても考えて欲しかったし、一神教と多神教について触れるのだったら、非キリスト教文化圏の音楽についても触れてほしかったです。
似た者同士が対談するとこうなるんですね。考え方が合わないので、とにかく読後感が悪い。また、お二人とも、本当にクラシック音楽を普及させたがってるわけではないのだと感じてしまいした。
2008年7月9日に日本でレビュー済み
何故こんなに衒学的な物言いをし、衒学を肯定するのだろう?
音楽に耽溺する者の、音楽への空虚な理想論が多めなのがとても残念。
音楽と生命活動が根源的な繋がりを持つことや
「いま自分の聴いている音は、私だけが聴いている音」というような
音楽好きには頷ける部分や、なんとなく感じていたことを
明文化してくれて嬉しい部分もあるにはあるのだが・・・。
特に聴覚が人間性の第一義のような物言いは承服しかねる。
では、耳の聞こえない人はどうなるのだ?
五感はそれぞれ助け合って作用しているだろうし、どれかが失われれば
他の器官がそれを補うだろう。
所詮は、挫折どころか人としての尊厳の危機に陥ったことの無い
エリート学者の上っ面な机上の空論である。
むしろ、人間性の危機に陥った時音楽は最もよく人を助ける
力のあるものであり、泥臭く、血のにおいのする
我々の血となり肉となるものだと私は考える。
音楽に耽溺する者の、音楽への空虚な理想論が多めなのがとても残念。
音楽と生命活動が根源的な繋がりを持つことや
「いま自分の聴いている音は、私だけが聴いている音」というような
音楽好きには頷ける部分や、なんとなく感じていたことを
明文化してくれて嬉しい部分もあるにはあるのだが・・・。
特に聴覚が人間性の第一義のような物言いは承服しかねる。
では、耳の聞こえない人はどうなるのだ?
五感はそれぞれ助け合って作用しているだろうし、どれかが失われれば
他の器官がそれを補うだろう。
所詮は、挫折どころか人としての尊厳の危機に陥ったことの無い
エリート学者の上っ面な机上の空論である。
むしろ、人間性の危機に陥った時音楽は最もよく人を助ける
力のあるものであり、泥臭く、血のにおいのする
我々の血となり肉となるものだと私は考える。
2016年4月13日に日本でレビュー済み
故・江村哲二(作曲家)と茂木健一郎の対談本。
クラシック音楽を中心とした雑多な話題が扱われている。茂木健一郎や養老孟司のような知識人が専門家と対談すると、専門的な事柄が普遍的なものに接続していく点が面白い。
以下は私の印象に残った部分を簡素化したもの(カッコ内は私のコメント)。
・江村 雪は吸音体なので、音が消える。雪が積もると、いままで聞こえていた横断歩道の信号の音や車の音が突然消えてしまう。そうすると、小さな音に耳を澄ますようになると同時に、心の内なる音にも耳を傾けるようになるのです。
(「雪の鳴るような静けさ(『雪国(川端康成著)』)は、雪が吸音体だからなのか)
・茂木 科学の世界で、「将来ものになるやつ」を見分ける方法を、見つけました。大学院の入試面接官を数年やったら分かったのです。「いまの科学の問題で、将来に向けて大事な問題であると思って、君が興味をもっているものは何か」という質問に対して、生き生きとした言葉で語れないやつはダメなんです。
・茂木 若いときには自分の使える技法と、夢見ている世界との間に大きすぎるギャップがある。それくらいアンバランスなやつじゃないと、表現者としては大成しないということが経験で分かりました。これはほとんど例外がない。
・江村 結局は、自分に何ができるかではなく、何がしたいかなんですよ。
・江村 作曲は、技法ばかりを追いかける方向に向かいがちですが、基本的には「聴く」営みです。「聴く」とは、自分の心の中を切り裂いていくような面があるから、そればかりやっていると、本当に狂気の世界に入ってしまい、社会から孤立する方向に行ってしまう危険性もあります。
・茂木 いま科学者は忙しすぎて、だんだん小粒になる傾向がある。横からきた情報を加工することを「研究」と称してやっている人はたくさんいるけど、表現者としての独創性をもつ科学者は本当に少ない。
(茂木健一郎の2005年の日記にこう書いてある。「科学は、本当はものすごいものなのであって、素人がちょっと聞いただけで”あーそういうことね”と判るようなことをやっているやつらなんて、本当はクズなのだ。しかし、NatureとかScienceレベルの学術誌にも、そのようなクズ論文が出て”これが科学でござい”とのさばっているのが現代なのである。本当にアッタマに来る」 )
・茂木 物理学者ファインマンが、重力に関する学会に出かけたんですけど、空港についたら北と南のキャンパスのどちらが会場なのか分からなくて困った。そこでタクシーの運ちゃんに「心ここにあらずって感じでぼーっとした人たちがどこかのキャンパスに向かってなかった?」と尋ねたら、ちゃんと目的地についた(笑。
・茂木 アインシュタインが相対性理論を構築したとき、彼は台所でバイオリンを弾きながら考えていたといいます。
・江村 なるほど、音楽というのは、やはり基本的には抽象的なものだと思います。
(抽象思考は、「悟り」すなわち「抽象思考がクライマックスに達したときに生じる体験」に通じる。アインシュタインは、音楽で思考の抽象度を高めつつ、物理学のブレイクスルーに至る道を「悟った」ということなのだろう)
・茂木 人間とサルの脳を比べると、視覚が占める部分の働きはほとんど同じです。聴覚野における違いが顕著なのです。人間の音声言語の発達と関係していると言われています。聴覚は、もっとも人間らしい脳の働きでもあるのです。
・江村 それ、おもしろいね。
・江村 流行歌はコード進行もメロディの歌い方も、ある一定の型でほとんど決まっています。日本のテレビでやっているような普通の歌謡曲はコンピューターでもできる。
・茂木 思い切って断言しますね!
・江村 いわゆるポピュラーというジャンルは、大量生産大量消費の時代だから、一曲一曲書くのにいちいちコストをかけられない。だからある程度データベースを作って切り張りしてやらないと追いつかない。
(小説における物語のパターンはかなり限られていると言われるが、音楽も同様なのだろう。このことがあまり話題にならないのは、ある意味、これが人間精神の恐るべき「貧しさ」を物語っているからかもしれない)
・茂木 現代音楽が無調になった必然性は何ですか?
・江村 まず1865年に発表されたトリスタンとイゾルデ第一幕前奏曲冒頭のトリスタン和声で、調性が崩壊しています。そのあと20世紀にシェーンベルクが出てきて、音楽技法的に無調的な音楽を作ろう、という流れになった。1900年前後のウィーンに特有の、微妙な心のひだを表現するために、それが必要だったのです。シェーンベルクは、それまでの原則だった調性を放棄して、12音技法を生み出したことで無調というものに到達しました。
・江村 音楽は、やはりライブです。欧州に行くと、音楽はライブでしか聴かないという方がまだたくさんいます。
・江村 クラシック音楽でコンサートをやるとなれば、オーケストラの楽員全員にギャラを払って、その他もろもろ一晩におよそ1000万円かかる。現代の社会ではそもそもビジネス的に成り立たない。十九世紀の貴族社会で成立した形態を現代も同じように続けているんだから、当然です。
・茂木 バブル以来の日本では、みんなでバカになろう、という流れがある。テレビや新聞でも「こんなに難しいこと書いたら視聴者は理解できない」と、どんどんレベルを下げている。僕は、この逆を流行らせたい。たとえば大学生どうしが「ベルグソン、何冊読んだ?」「二冊」「まさか日本語で読んでないよね?」といった会話を日常的にする。
・江村 心から賛成します。
クラシック音楽を中心とした雑多な話題が扱われている。茂木健一郎や養老孟司のような知識人が専門家と対談すると、専門的な事柄が普遍的なものに接続していく点が面白い。
以下は私の印象に残った部分を簡素化したもの(カッコ内は私のコメント)。
・江村 雪は吸音体なので、音が消える。雪が積もると、いままで聞こえていた横断歩道の信号の音や車の音が突然消えてしまう。そうすると、小さな音に耳を澄ますようになると同時に、心の内なる音にも耳を傾けるようになるのです。
(「雪の鳴るような静けさ(『雪国(川端康成著)』)は、雪が吸音体だからなのか)
・茂木 科学の世界で、「将来ものになるやつ」を見分ける方法を、見つけました。大学院の入試面接官を数年やったら分かったのです。「いまの科学の問題で、将来に向けて大事な問題であると思って、君が興味をもっているものは何か」という質問に対して、生き生きとした言葉で語れないやつはダメなんです。
・茂木 若いときには自分の使える技法と、夢見ている世界との間に大きすぎるギャップがある。それくらいアンバランスなやつじゃないと、表現者としては大成しないということが経験で分かりました。これはほとんど例外がない。
・江村 結局は、自分に何ができるかではなく、何がしたいかなんですよ。
・江村 作曲は、技法ばかりを追いかける方向に向かいがちですが、基本的には「聴く」営みです。「聴く」とは、自分の心の中を切り裂いていくような面があるから、そればかりやっていると、本当に狂気の世界に入ってしまい、社会から孤立する方向に行ってしまう危険性もあります。
・茂木 いま科学者は忙しすぎて、だんだん小粒になる傾向がある。横からきた情報を加工することを「研究」と称してやっている人はたくさんいるけど、表現者としての独創性をもつ科学者は本当に少ない。
(茂木健一郎の2005年の日記にこう書いてある。「科学は、本当はものすごいものなのであって、素人がちょっと聞いただけで”あーそういうことね”と判るようなことをやっているやつらなんて、本当はクズなのだ。しかし、NatureとかScienceレベルの学術誌にも、そのようなクズ論文が出て”これが科学でござい”とのさばっているのが現代なのである。本当にアッタマに来る」 )
・茂木 物理学者ファインマンが、重力に関する学会に出かけたんですけど、空港についたら北と南のキャンパスのどちらが会場なのか分からなくて困った。そこでタクシーの運ちゃんに「心ここにあらずって感じでぼーっとした人たちがどこかのキャンパスに向かってなかった?」と尋ねたら、ちゃんと目的地についた(笑。
・茂木 アインシュタインが相対性理論を構築したとき、彼は台所でバイオリンを弾きながら考えていたといいます。
・江村 なるほど、音楽というのは、やはり基本的には抽象的なものだと思います。
(抽象思考は、「悟り」すなわち「抽象思考がクライマックスに達したときに生じる体験」に通じる。アインシュタインは、音楽で思考の抽象度を高めつつ、物理学のブレイクスルーに至る道を「悟った」ということなのだろう)
・茂木 人間とサルの脳を比べると、視覚が占める部分の働きはほとんど同じです。聴覚野における違いが顕著なのです。人間の音声言語の発達と関係していると言われています。聴覚は、もっとも人間らしい脳の働きでもあるのです。
・江村 それ、おもしろいね。
・江村 流行歌はコード進行もメロディの歌い方も、ある一定の型でほとんど決まっています。日本のテレビでやっているような普通の歌謡曲はコンピューターでもできる。
・茂木 思い切って断言しますね!
・江村 いわゆるポピュラーというジャンルは、大量生産大量消費の時代だから、一曲一曲書くのにいちいちコストをかけられない。だからある程度データベースを作って切り張りしてやらないと追いつかない。
(小説における物語のパターンはかなり限られていると言われるが、音楽も同様なのだろう。このことがあまり話題にならないのは、ある意味、これが人間精神の恐るべき「貧しさ」を物語っているからかもしれない)
・茂木 現代音楽が無調になった必然性は何ですか?
・江村 まず1865年に発表されたトリスタンとイゾルデ第一幕前奏曲冒頭のトリスタン和声で、調性が崩壊しています。そのあと20世紀にシェーンベルクが出てきて、音楽技法的に無調的な音楽を作ろう、という流れになった。1900年前後のウィーンに特有の、微妙な心のひだを表現するために、それが必要だったのです。シェーンベルクは、それまでの原則だった調性を放棄して、12音技法を生み出したことで無調というものに到達しました。
・江村 音楽は、やはりライブです。欧州に行くと、音楽はライブでしか聴かないという方がまだたくさんいます。
・江村 クラシック音楽でコンサートをやるとなれば、オーケストラの楽員全員にギャラを払って、その他もろもろ一晩におよそ1000万円かかる。現代の社会ではそもそもビジネス的に成り立たない。十九世紀の貴族社会で成立した形態を現代も同じように続けているんだから、当然です。
・茂木 バブル以来の日本では、みんなでバカになろう、という流れがある。テレビや新聞でも「こんなに難しいこと書いたら視聴者は理解できない」と、どんどんレベルを下げている。僕は、この逆を流行らせたい。たとえば大学生どうしが「ベルグソン、何冊読んだ?」「二冊」「まさか日本語で読んでないよね?」といった会話を日常的にする。
・江村 心から賛成します。
2007年7月16日に日本でレビュー済み
言い得て妙な本だと感じた一冊。
虚心坦懐に聴くことの重要性や経験値の積み重ねから自身というブラックボックスを通して
自ずから生み出される音楽こそが天から与えられた音楽であるとの見解には
首肯することしきりであった。現在の状況について手厳しく切り込んだ言論もあり
読みようによってはかなり挑戦的な側面もありで、なかなかに読み応えがあった。
お二人の対談の部分でもう少し深く突っ込んで欲しかった部分もあったが
言外のニュアンスでそれは自ら会得することを求められているのかも知れない。
☆☆☆☆+☆/2は付けて良いのでは? 好き好みはあるにしても。
虚心坦懐に聴くことの重要性や経験値の積み重ねから自身というブラックボックスを通して
自ずから生み出される音楽こそが天から与えられた音楽であるとの見解には
首肯することしきりであった。現在の状況について手厳しく切り込んだ言論もあり
読みようによってはかなり挑戦的な側面もありで、なかなかに読み応えがあった。
お二人の対談の部分でもう少し深く突っ込んで欲しかった部分もあったが
言外のニュアンスでそれは自ら会得することを求められているのかも知れない。
☆☆☆☆+☆/2は付けて良いのでは? 好き好みはあるにしても。
2008年10月13日に日本でレビュー済み
タイトルは「音楽を『考える』」となっているが、音楽をスタート地点にした対談集である。
西洋で音楽とはどういう位置づけの学問であるか、音を意識する教育とはどういうものか、という話から「創造は未来へつながるもの」ではなく「起源に遡るもの」なのではないかという考え方は面白かった。また「転送されたり、拝借してきた情報ではなく、自分の内なる情報が重要」という話は、一般的ではあるがインターネット世代には耳が痛いところだろう。
ただ「クラシックは楽譜を解釈する部分に音楽家の創造性が発揮されているが、ポップスは同じことの繰り返しなのでクラシックの方が高尚である」というような観点はやはりクラシック畑の人だなと思い苦笑させられた。クラシックこそ、拡大再生産なのではないだろうか?
最後に、なぜ日本がクラシックの発信中心にならないかという話題で、海外コンプレックスや国内音楽界の閉鎖性を挙げているが、先の「クラシック=高尚な音楽」というような根性がそのように土壌を生んでいるのではないか、自家撞着なのではないかと思えた。
なお、茂木健一郎ってもっと前に出てきて主張するようなタイプかと思っていたが、結構うまい聞き役であったことが発見だった。
西洋で音楽とはどういう位置づけの学問であるか、音を意識する教育とはどういうものか、という話から「創造は未来へつながるもの」ではなく「起源に遡るもの」なのではないかという考え方は面白かった。また「転送されたり、拝借してきた情報ではなく、自分の内なる情報が重要」という話は、一般的ではあるがインターネット世代には耳が痛いところだろう。
ただ「クラシックは楽譜を解釈する部分に音楽家の創造性が発揮されているが、ポップスは同じことの繰り返しなのでクラシックの方が高尚である」というような観点はやはりクラシック畑の人だなと思い苦笑させられた。クラシックこそ、拡大再生産なのではないだろうか?
最後に、なぜ日本がクラシックの発信中心にならないかという話題で、海外コンプレックスや国内音楽界の閉鎖性を挙げているが、先の「クラシック=高尚な音楽」というような根性がそのように土壌を生んでいるのではないか、自家撞着なのではないかと思えた。
なお、茂木健一郎ってもっと前に出てきて主張するようなタイプかと思っていたが、結構うまい聞き役であったことが発見だった。
2007年5月21日に日本でレビュー済み
熟読までいたらず、文字どおり一読しての感想です。
この「ちくまプリマー新書」は新書としては若年層ターゲットなのですが、良い意味で生意気盛りの中高生にはむしろもう少し背伸びして欲しいと思います。むしろアタマの硬くなりかけた大人に良いのかなと思います。
平易にかみ砕いていますし、まとめ的にだめを押すような茂木氏の発言が判り易さを増していて、ともすればピントのあわないことも散見される対談本なのですが、さらりとまとまりよく読める気がします。
当たり前ですが、茂木氏がNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でのチョッとクサい語り口そのまま。しゃべりや人としての印象になじみがあるというのは、話している状況が目に浮かぶようで、お名前すらはじめてきく江村氏のほうまでその落ち着いて話す思い描けて読みやすいものです。
何となくクラシック音楽ファンというかたが、気軽にちょっと手に取ってみようというに好適な本と思いました。内容的にも今更ながらハッとする箇所がいくつかあって個人的には有益なひとときを過ごせた気分です。
この「ちくまプリマー新書」は新書としては若年層ターゲットなのですが、良い意味で生意気盛りの中高生にはむしろもう少し背伸びして欲しいと思います。むしろアタマの硬くなりかけた大人に良いのかなと思います。
平易にかみ砕いていますし、まとめ的にだめを押すような茂木氏の発言が判り易さを増していて、ともすればピントのあわないことも散見される対談本なのですが、さらりとまとまりよく読める気がします。
当たり前ですが、茂木氏がNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でのチョッとクサい語り口そのまま。しゃべりや人としての印象になじみがあるというのは、話している状況が目に浮かぶようで、お名前すらはじめてきく江村氏のほうまでその落ち着いて話す思い描けて読みやすいものです。
何となくクラシック音楽ファンというかたが、気軽にちょっと手に取ってみようというに好適な本と思いました。内容的にも今更ながらハッとする箇所がいくつかあって個人的には有益なひとときを過ごせた気分です。
2007年11月17日に日本でレビュー済み
「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」でもおなじみの脳科学者茂木健一郎氏と工学部出身の作曲家江村氏の対談。茂木氏の幅広い知識をフル活用した発言が面白いのは分かっていたこととしても、対談相手の江村氏の発言までもが理系と文系の知識の行ったり来たりなのは非常に面白い。江村氏は工学部でニューラルネットワークという人工知能の一分野を勉強されていたそうで、バックボーンが脳分野だとこんなにユニークな作曲家が生まれるのだな〜と非常に参考になった。梅田望夫氏との対談集にも出てきたが、この本でも談合社会に対するアンチな意見がちらほら出てきており、こういう強い個人が社会を変革していく様をリアルタイムで見ることができるのは非常に楽しいことですよね。