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「坂の上の雲」と日本人 単行本 – 2006/3/31
関川 夏央
(著)
- 本の長さ291ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2006/3/31
- ISBN-104163680004
- ISBN-13978-4163680002
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2006/3/31)
- 発売日 : 2006/3/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 291ページ
- ISBN-10 : 4163680004
- ISBN-13 : 978-4163680002
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,075,748位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 174,386位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年3月18日に日本でレビュー済み
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関川夏央さんによる、『坂の上の雲』解説書。この小説の時代背景や周辺情報を掘り下げる作業が淡々と続いていきます。特筆すべきは、『坂の上の雲』に描かれた明治二十年代、三十年代のオプティミズムの時代と、昭和戦後の一時期が、「軽い国家」という点で似ている、という指摘です。前者は、日露戦争を境に、国家が「耐えがたいほどの重さ」となって破滅に至る道を滑落していくのですが、「明るい明治」と同じく司馬遼太郎が愛した戦後民主主義の時代の精神も、また賞味期限切れとなるのでしょうか? その危機感が『坂の上の雲』執筆(戦後23年から28年にかけて書かれた)の動機のひとつであったといいます。
2010年2月22日に日本でレビュー済み
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関川夏央氏の「『坂の上の雲』と日本人」(文春文庫)を読むと、関川氏が無類の「鉄ちゃん」、つまり鉄道好きだということがよく分かる。日露戦争当時の日本の鉄道網について薀蓄を披露し、「坂の上の雲」の中の記述に不可解な点があると指摘している。一般読者にしてみれば、あまり本筋とは関係のない、どうでもいいことなのだが、鉄道オタクにしてみると、看過できないことなのだろうな、とほほえましく思う。
と同時に、関川氏はかなりの軍事オタクでもある。日露戦争のディテールになると、「坂の上の雲」を超えて、やたらと詳しい記述が登場する。それはさておき、同書で一番啓発されたのは次のような一文だった。
<司馬遼太郎は日露戦争までの日本を、若い健康な日本と考えました。若くて健康な日本の受難とその克服を、「坂の上の雲」にえがききったわけです。しかし、その健康であったはずの明治の四十年がその後、昭和二十年に至る不健康な四十年をなぜ生んだのかと考え続けたのでもありました。彼はそれを(・・・・・)「奇胎の四十年」としるしています。>(P301)
それに続けて、関川氏は、「では、太平洋戦争後の40年間はどうだったか」と問う。明治維新後の40年が上り坂であり、その後、今次大戦に突入するまでの40年が下り坂であったとするならば、戦後の40年間はどうなのかと。そして、そのことを説明するために、船曳建夫氏の「『日本人論』再考」からこう引用する。
<・・・・個々の人間が自由にその人生を過ごし、個性のあふれた生活をすること。民主主義の下、社会から階層的な較差を廃し、平等を社会の中に、また男女の間に実現すること。そして、平和を専一として、それを至上の価値とすること。
これらが戦後を担った、戦前から戦後にかけて活動し、戦前の反省を胸に刻んだ第一世代と、戦後の回復と高揚の実働部隊となった第二世代が、実現しようとしたことがらであった。これからの数十年を担う日本人は、そうした戦後の四十年に生まれ、その理念で育てられ、教えられた人々のことである。>(P304)
戦後の四十年間がそのような「坂の上の雲」であったなら、その後の40年間(そこには現在も含まれるが)は「坂の下のドブ」、あるいは「奇胎の四十年」と変わり果てる蓋然性は、これまでの国民的性向を鑑みればかなり確度の高いものだと思わざるを得ない。そして関川氏は、嘆息でもつくようにこう書き記すのである。長くなる。
<昭和戦後の第三世代は明治の第三世代よりも、はるかに経済的に恵まれていました。親は彼らを徹底して守りながら、個性をのばせといいつづけました。その結果、音楽やスポーツなども得意で、「人が人の上に立つことを嫌い、男女が平等であることを」自然に受け入れ、「平和ということがいかによいことか、争いと摩擦は極力避けなければならない」と信じる日本人が多数出現しました。先行世代の「戦後の夢」はかなえられました。
そんな彼らが、自由が制約との緊張関係のあいだに成立することを理解せず、また、ただ好きなことだけをして生きて行くことが「個性的生活」であると短絡し、人の上に立つことを「平等」のエクスキューズのもとに異常に恐れ、また「平和」を個人的レベルで実現するために他者との関係を、摩擦も融和もひっくるめて拒絶した「引きこもり」となったとしても、育てられ教えられたようにふるまっているだけなのだと考えることができる、と船曳さんはいいます。戦後の四十年には明治の四十年ほどの緊張感はありませんでしたし、その「平和」の理念にはあなたまかせのところが少なくありませんでしたが、おしなべてよい時代だったでしょう。しかしよい時代がよいものを次代に引き継ぐとは限らないのです。>(P306)
痛ましい指摘だが、われわれはその痛ましい時代の渦中を喘ぎながら生きているのである。
と同時に、関川氏はかなりの軍事オタクでもある。日露戦争のディテールになると、「坂の上の雲」を超えて、やたらと詳しい記述が登場する。それはさておき、同書で一番啓発されたのは次のような一文だった。
<司馬遼太郎は日露戦争までの日本を、若い健康な日本と考えました。若くて健康な日本の受難とその克服を、「坂の上の雲」にえがききったわけです。しかし、その健康であったはずの明治の四十年がその後、昭和二十年に至る不健康な四十年をなぜ生んだのかと考え続けたのでもありました。彼はそれを(・・・・・)「奇胎の四十年」としるしています。>(P301)
それに続けて、関川氏は、「では、太平洋戦争後の40年間はどうだったか」と問う。明治維新後の40年が上り坂であり、その後、今次大戦に突入するまでの40年が下り坂であったとするならば、戦後の40年間はどうなのかと。そして、そのことを説明するために、船曳建夫氏の「『日本人論』再考」からこう引用する。
<・・・・個々の人間が自由にその人生を過ごし、個性のあふれた生活をすること。民主主義の下、社会から階層的な較差を廃し、平等を社会の中に、また男女の間に実現すること。そして、平和を専一として、それを至上の価値とすること。
これらが戦後を担った、戦前から戦後にかけて活動し、戦前の反省を胸に刻んだ第一世代と、戦後の回復と高揚の実働部隊となった第二世代が、実現しようとしたことがらであった。これからの数十年を担う日本人は、そうした戦後の四十年に生まれ、その理念で育てられ、教えられた人々のことである。>(P304)
戦後の四十年間がそのような「坂の上の雲」であったなら、その後の40年間(そこには現在も含まれるが)は「坂の下のドブ」、あるいは「奇胎の四十年」と変わり果てる蓋然性は、これまでの国民的性向を鑑みればかなり確度の高いものだと思わざるを得ない。そして関川氏は、嘆息でもつくようにこう書き記すのである。長くなる。
<昭和戦後の第三世代は明治の第三世代よりも、はるかに経済的に恵まれていました。親は彼らを徹底して守りながら、個性をのばせといいつづけました。その結果、音楽やスポーツなども得意で、「人が人の上に立つことを嫌い、男女が平等であることを」自然に受け入れ、「平和ということがいかによいことか、争いと摩擦は極力避けなければならない」と信じる日本人が多数出現しました。先行世代の「戦後の夢」はかなえられました。
そんな彼らが、自由が制約との緊張関係のあいだに成立することを理解せず、また、ただ好きなことだけをして生きて行くことが「個性的生活」であると短絡し、人の上に立つことを「平等」のエクスキューズのもとに異常に恐れ、また「平和」を個人的レベルで実現するために他者との関係を、摩擦も融和もひっくるめて拒絶した「引きこもり」となったとしても、育てられ教えられたようにふるまっているだけなのだと考えることができる、と船曳さんはいいます。戦後の四十年には明治の四十年ほどの緊張感はありませんでしたし、その「平和」の理念にはあなたまかせのところが少なくありませんでしたが、おしなべてよい時代だったでしょう。しかしよい時代がよいものを次代に引き継ぐとは限らないのです。>(P306)
痛ましい指摘だが、われわれはその痛ましい時代の渦中を喘ぎながら生きているのである。
2009年10月30日に日本でレビュー済み
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題名からして、司馬史観や「坂の上の雲」が日本人に与えた影響を考察した本だと思ったら、そうではなく「坂の上の雲」の解題を通して、司馬文学を礼賛した本だった。私は司馬史観や思想作家化した以降の司馬作品を全く評価していないので、肩透かしを食った感じ。関川氏が述べている通り、「坂の上の雲」自体、小説らしくない体裁を持った小説(雑感を集めた様)なのだが、関川氏はこれを司馬氏の「反骨精神」と称している。
子規は登場するのに、何故同年代で友人の漱石は登場しないのか。描かれる将校や作戦の評価は史実に則したものなのか。これらの疑問に対し、関川氏は史料に丹念に当たり、司馬氏の胸中を推し量りつつ、それこそ懇切丁寧に解題してくれるのだが、基本的見解が異なるので今一つ胸に響かない。却って登場人物の姿が、司馬史観と言うレンズを通して映し出された虚像だと言う点が浮き彫りになるだけである。明治の精神は明るく健全で(そのために子規は登場させ、近代に暗雲を見た漱石は登場させない)、昭和初期は暗かったと言う、紋切り型の発想には馴染めない。例え、司馬氏が戦車将校として太平洋戦争に従軍し、間近で軍部の愚かさを嫌と言う程味わったとしても。「時代」が重かったとか軽かったとかは、それこそ個人の思い込みで、実際には「時代」に軽重など存在しないだろう。昭和の学生運動まで「時代の軽さ」のせいにするの牽強付会に過ぎる。何でも「時代」のせいにするのは一種の思考停止と言える。
本作自体は良く出来ていて、「坂の上の雲」を通じて司馬史観・作品の応援歌として機能しているが、視点を裏返せば、その欠陥を露呈しているとも言える。司馬ファンの方も、そうでない方も一読の価値がある本。
子規は登場するのに、何故同年代で友人の漱石は登場しないのか。描かれる将校や作戦の評価は史実に則したものなのか。これらの疑問に対し、関川氏は史料に丹念に当たり、司馬氏の胸中を推し量りつつ、それこそ懇切丁寧に解題してくれるのだが、基本的見解が異なるので今一つ胸に響かない。却って登場人物の姿が、司馬史観と言うレンズを通して映し出された虚像だと言う点が浮き彫りになるだけである。明治の精神は明るく健全で(そのために子規は登場させ、近代に暗雲を見た漱石は登場させない)、昭和初期は暗かったと言う、紋切り型の発想には馴染めない。例え、司馬氏が戦車将校として太平洋戦争に従軍し、間近で軍部の愚かさを嫌と言う程味わったとしても。「時代」が重かったとか軽かったとかは、それこそ個人の思い込みで、実際には「時代」に軽重など存在しないだろう。昭和の学生運動まで「時代の軽さ」のせいにするの牽強付会に過ぎる。何でも「時代」のせいにするのは一種の思考停止と言える。
本作自体は良く出来ていて、「坂の上の雲」を通じて司馬史観・作品の応援歌として機能しているが、視点を裏返せば、その欠陥を露呈しているとも言える。司馬ファンの方も、そうでない方も一読の価値がある本。
2015年3月7日に日本でレビュー済み
遼太郎さんは、昔親父が週刊朝日を毎号購入していて、街道をゆくのイメージが凄く良くて小説は一切読んでないのですが、エッセイや対談を随分読みました。中国・韓国に悪い印象が無いのはそのためです。日露戦争には色々な論考がありますが、最大のものは乃木大将愚将論と連合艦隊の勝因でしょう。この本では乃木論にかなりのページを費やしており、公平な捉え方だと感じました。連合艦隊については幸運だったとごく短い記載のみ。全体として明治日本は貧乏だったのだな、としみじみします。ところでp.233に突然ディクスン・カーが登場して驚きましたが、日系のミスター・モトが探偵として登場するのはJ・P・マーカンドの1930年代のSaturday Evening Postの連載長編で、翻訳も出ていますね… 明石元二郎さんが由来とは知りませんでした。なのでカーとは全く関係がありません… 遼太郎さんの本が間違ってたのかな?
2011年3月20日に日本でレビュー済み
日露戦争100周年の際に、文芸春秋の若い編集者たちへの講義というカタチで企画された書き物です。
「坂の上の雲」とその舞台となった明治後期、日露戦争を題材にしながらも、どちらかといえば
「司馬遼太郎(司馬文学)論」ともいったほうがいいような内容です。
昭和の安保闘争激しい時期に発表された意味合い、それまで歴史に埋もれていた事実や人物を
掘り出した功績などを語りつつ、「坂の上の雲」にまつわるサイドストーリーも紹介しています。
「坂の上の雲」の副読本としては読みやすく、特に司馬ファンには受け入れられる評論と思います。
「坂の上の雲」とその舞台となった明治後期、日露戦争を題材にしながらも、どちらかといえば
「司馬遼太郎(司馬文学)論」ともいったほうがいいような内容です。
昭和の安保闘争激しい時期に発表された意味合い、それまで歴史に埋もれていた事実や人物を
掘り出した功績などを語りつつ、「坂の上の雲」にまつわるサイドストーリーも紹介しています。
「坂の上の雲」の副読本としては読みやすく、特に司馬ファンには受け入れられる評論と思います。
2015年2月21日に日本でレビュー済み
文芸春秋の月刊誌『文學界』に2005年1~10月に連載された『『坂の上の雲』を読む』を書籍化したもの。
『坂の上の雲』については、2009~2011年に3年に亘ってNHKのスペシャルドラマで放映され、強烈な印象を残したことも記憶に新しい。
本書で著者は、この作品が1968~1972年に(産経新聞の連載として)発表されたことに注目し、司馬遼太郎は、この作品に描かれた明治維新から日露戦争までの若くて健康的な日本が、その後昭和20年に至る40年間になぜ不健康な日本に変わってしまったのかに問題意識を持ち、それを、戦後20年経ち、高度成長が進むとともに反体制色の強まった時代に改めて提示した、と分析している。
また、なぜ秋山兄弟と共に主人公として登場する文人が夏目漱石ではなくて正岡子規だったのか、なぜ乃木希典が極めて無能な司令官として描かれているのかなど、司馬遼太郎がこの作品に込めたメッセージを様々な角度から解き明かしている。
(2012年1月了)
『坂の上の雲』については、2009~2011年に3年に亘ってNHKのスペシャルドラマで放映され、強烈な印象を残したことも記憶に新しい。
本書で著者は、この作品が1968~1972年に(産経新聞の連載として)発表されたことに注目し、司馬遼太郎は、この作品に描かれた明治維新から日露戦争までの若くて健康的な日本が、その後昭和20年に至る40年間になぜ不健康な日本に変わってしまったのかに問題意識を持ち、それを、戦後20年経ち、高度成長が進むとともに反体制色の強まった時代に改めて提示した、と分析している。
また、なぜ秋山兄弟と共に主人公として登場する文人が夏目漱石ではなくて正岡子規だったのか、なぜ乃木希典が極めて無能な司令官として描かれているのかなど、司馬遼太郎がこの作品に込めたメッセージを様々な角度から解き明かしている。
(2012年1月了)
2010年1月3日に日本でレビュー済み
司馬が夏目漱石のことを詳しく書いていない理由は?
司馬にとって日本人の"アイデンティティー"とは?
司馬が乃木希典に冷たい視線を注ぐ理由は?
さらに日露戦争開戦前夜の御前会議「封緘命令」はいかにして届けられたのか?
話は変わるが、司馬が"辺境"を中心に「街道を行く」理由は?
司馬が、赤穂浪士の討ち入りに興味がない理由は?
「坂の上の雲」と司馬史観について、関川氏は筆者独特の視点から、さらにまた他の評論からの引用文を駆使して興味深く論じています。
また、オリジナル本をより深く詳しく読みたい読者のために、司馬の他の作品をも含め、関連図書・参考文献を盛り沢山紹介しています。
漱石が「永日小品」の「下宿」「クレイグ先生」を書いた経緯とか、文庫本の解説を書いている島田謹二氏の著作、ソフィア・フォン・タイル女史の「ロシア人捕虜の妻の日記」(As the Hague Ordains)とか興味が尽きません。また推理小説の大家ディクスン・カーが明石元二郎大佐から名前を拝借した探偵を設定しているのも日本人として興味深いところです。
「坂の上の雲」は、関川氏の表現をそのまま使わせてもらえば、「反体制色に満ちた印象の時代である」1968年に産経新聞紙上に連載が始まり、「青年層の反体制的心情が急激に萎縮した」1972年に連載が終了しているということ、これまた印象深いことです。
司馬の言葉を借りれば、「カキ殻をとって」「電池を入れ替えれば」、時代精神であれ会社であれ変貌し延命できるということでしょうか。
司馬にとって日本人の"アイデンティティー"とは?
司馬が乃木希典に冷たい視線を注ぐ理由は?
さらに日露戦争開戦前夜の御前会議「封緘命令」はいかにして届けられたのか?
話は変わるが、司馬が"辺境"を中心に「街道を行く」理由は?
司馬が、赤穂浪士の討ち入りに興味がない理由は?
「坂の上の雲」と司馬史観について、関川氏は筆者独特の視点から、さらにまた他の評論からの引用文を駆使して興味深く論じています。
また、オリジナル本をより深く詳しく読みたい読者のために、司馬の他の作品をも含め、関連図書・参考文献を盛り沢山紹介しています。
漱石が「永日小品」の「下宿」「クレイグ先生」を書いた経緯とか、文庫本の解説を書いている島田謹二氏の著作、ソフィア・フォン・タイル女史の「ロシア人捕虜の妻の日記」(As the Hague Ordains)とか興味が尽きません。また推理小説の大家ディクスン・カーが明石元二郎大佐から名前を拝借した探偵を設定しているのも日本人として興味深いところです。
「坂の上の雲」は、関川氏の表現をそのまま使わせてもらえば、「反体制色に満ちた印象の時代である」1968年に産経新聞紙上に連載が始まり、「青年層の反体制的心情が急激に萎縮した」1972年に連載が終了しているということ、これまた印象深いことです。
司馬の言葉を借りれば、「カキ殻をとって」「電池を入れ替えれば」、時代精神であれ会社であれ変貌し延命できるということでしょうか。
2010年2月4日に日本でレビュー済み
だいぶ昔、司馬さんの「坂の上の雲」と「翔ぶがごとく」を続けさまに読んだことがあり、その折に受けた感銘を再確認させてくれる大振りのエッセイ、という読み方で読了した。少なくとも「坂の上の雲」本編を読んでいないと飲み込みにくい内容で、巻末には文庫8冊分のあらすじが入ってはいるものの、それはあまり足しにならないように思った。著者は司馬さんの原作に対し、「小説としての完成度は低い」(10頁)と言いながら、原作の解説とはかなり手触りの違う世界で自在に明治以降の日本の近代史を読み解こうとし、いわば原作をだしにしてご自身の歴史の読み方を披歴する、といった手際。夏目漱石は「坂の上の雲」に出てはくるものの、なぜ主要登場人物にならなかったのか、など、原作を読んでいた時に感じた戸惑いも、著者の鮮やかな分析で納得がいった。内田樹さんの解説もなかなかのもので、ポーツマス講和条約に反発する日比谷公園での群衆の騒ぎが、昭和陸軍に象徴される日本近代史の「奇胎」の萌芽ではなかったか、という解析など、目からウロコ。