「経済はナショナリズムで動く」というタイトルに違和感を覚えたならば本書を読み進むことでその誤解が払拭されるであろう。
著者は丁寧にその時々の具体的事例を挙げてグローバル化された世界経済が実は各国の「経済ナショナリズム」よって動いてきた事実を解き明かしており、アメリカの政治状況がブッシュ共和党政権からオバマ民主党政権に変わるにあたり、今後のアメリカの経済戦略に大きな影響を与えるであろう「ハミルトン・プロジェクト」にも言及している。
中野剛志氏は混迷する世界情勢にあって迷走を続ける日本がいま一番必要としている書き手であろう。

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経済はナショナリズムで動く 単行本 – 2008/10/25
中野 剛志
(著)
ここ数十年、日本はグローバリズムという「幻想」のもと、構造改革を進めてきた。
しかし、それこそが「亡国への道」であった――
アメリカ発金融恐慌の様相をみせるなか、ジャーナリズムや論壇では、
「グローバル化は終わる」という論調が出はじめた。しかし、実は「グローバル化」自体が
ナショナリズムから生まれたものであり、ナショナリズムこそが
経済発展に欠かせない要素なのである。日本において「ナショナリズム」という語は、
偏見や誤解に満ちている。しかし、「ナショナリズム」で世界が動いているのが現実である以上、
日本はいち早く「ナショナリズム」を正しくとらえなおさねばならない。
現役経済産業省官僚である著者が、現場での実体験と、従来から
蓄積し続けた知識によって、日本ではいまだ馴染みのない「経済ナショナリズム」を提唱!
これ以上国力を失わないため、さらに国家繁栄のために、
日本の根底に据えるべき基本概念はこれである!!
しかし、それこそが「亡国への道」であった――
アメリカ発金融恐慌の様相をみせるなか、ジャーナリズムや論壇では、
「グローバル化は終わる」という論調が出はじめた。しかし、実は「グローバル化」自体が
ナショナリズムから生まれたものであり、ナショナリズムこそが
経済発展に欠かせない要素なのである。日本において「ナショナリズム」という語は、
偏見や誤解に満ちている。しかし、「ナショナリズム」で世界が動いているのが現実である以上、
日本はいち早く「ナショナリズム」を正しくとらえなおさねばならない。
現役経済産業省官僚である著者が、現場での実体験と、従来から
蓄積し続けた知識によって、日本ではいまだ馴染みのない「経済ナショナリズム」を提唱!
これ以上国力を失わないため、さらに国家繁栄のために、
日本の根底に据えるべき基本概念はこれである!!
- 本の長さ207ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2008/10/25
- ISBN-104569703186
- ISBN-13978-4569703183
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登録情報
- 出版社 : PHP研究所 (2008/10/25)
- 発売日 : 2008/10/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 207ページ
- ISBN-10 : 4569703186
- ISBN-13 : 978-4569703183
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,018,926位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,425位経済学 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年11月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2008年11月29日に日本でレビュー済み
経済産業省中枢で働く、稀代の天才の渾身の書。
経済思想史の系譜を縦糸に、日本を取り巻く「現実」
を横糸に織りなす、緻密な絢爛の世界。
福澤諭吉が、あの時代背景と当時の日本社会の中
で、libertaを「自由」と翻訳したことや、民法の
大家 来栖三郎博士が、晩年、すべての雑事を拒否
して「法とフィクション(擬制)」の研究に没頭さ
れたことを想起させる。
最先端の技術開発競争という現実にも深く示唆を与
えている。(半導体露光装置のASMLや、新エネ、
蓄電池開発競争は圧巻)
ポランニイを引きながら、市場とプレイヤーについ
て論じた部分96Pは圧巻で、この10年、ベンチ
ャー振興のためにほぼ完璧な制度枠組みが出来上が
ってきたもかかわらず、新興市場が拝金主義者たち
によって壊されてしまったことを想起させ、それは
現在の国際的金融危機と同根であることを見事に喝
破している。
100年残る優れたクラシック(古典)と言える。
たった200ページの中に智慧が凝縮されており、
霞ヶ関の雑務と雑踏の中で、これだけ本格的な思索
の書を上梓したのには脱帽する。
西部邁翁が絶賛するのも肯ける。読者の国家観、経
済観が一変するかもしれない、ある意味危険な書。
経済政策に関わる者すべてが読んでおくべき必読書
である。
経済思想史の系譜を縦糸に、日本を取り巻く「現実」
を横糸に織りなす、緻密な絢爛の世界。
福澤諭吉が、あの時代背景と当時の日本社会の中
で、libertaを「自由」と翻訳したことや、民法の
大家 来栖三郎博士が、晩年、すべての雑事を拒否
して「法とフィクション(擬制)」の研究に没頭さ
れたことを想起させる。
最先端の技術開発競争という現実にも深く示唆を与
えている。(半導体露光装置のASMLや、新エネ、
蓄電池開発競争は圧巻)
ポランニイを引きながら、市場とプレイヤーについ
て論じた部分96Pは圧巻で、この10年、ベンチ
ャー振興のためにほぼ完璧な制度枠組みが出来上が
ってきたもかかわらず、新興市場が拝金主義者たち
によって壊されてしまったことを想起させ、それは
現在の国際的金融危機と同根であることを見事に喝
破している。
100年残る優れたクラシック(古典)と言える。
たった200ページの中に智慧が凝縮されており、
霞ヶ関の雑務と雑踏の中で、これだけ本格的な思索
の書を上梓したのには脱帽する。
西部邁翁が絶賛するのも肯ける。読者の国家観、経
済観が一変するかもしれない、ある意味危険な書。
経済政策に関わる者すべてが読んでおくべき必読書
である。
2010年3月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
西部先生による解説は、学のない私でも納得のいく、素晴らしい文章でした。
率直に申し上げると、私は本文ではなく解説に感銘を受けました。
中野さんはまだお若いので、いずれは先生の域に達するものと期待しております。
率直に申し上げると、私は本文ではなく解説に感銘を受けました。
中野さんはまだお若いので、いずれは先生の域に達するものと期待しております。
2009年7月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者があとがきで述べるように「当たり前のことが書かれているだけ」なのです。何にも目新しいことや過激な発言はありません。つまり「狂気の世界において正気であろうとすると」西部氏が解説で述べるように、官僚が国家破壊の処方箋を書き始めるという過激な行為になってしまうのです。そういう意味では、著者がこの著作の中で展開するのは、西欧の思想風土の中で一つの大きな底流として流れる路線の解説にしか過ぎないのです。国力なる分析も、hans morgenthauがpolitics among nationsの中で取り上げられているほどです。中間組織の重要性の強調も英国の政治思想の伝統にのっとった穏健なものです。というわけで、オリジナルな議論は何もありません。しいて言えば、逆説とパラドックスの強調といったところぐらいでしょうか?ここで展開されるのは、余りにも当たり前のことなので、西欧では表立って議論の前面に出てくることはありません。そして日本人の西欧理解はいつも皮相的なものです。ヤヌスの両面を見ることなく、基本的な西欧政治思想史の潮流に触れることもなく、役所に就職してアメリカへ一種のfadで留学して、技術論としての経済学をその特殊アメリカ的なイデオロギーや強烈な文化同調圧力を意識せずに学んでしまえば、そこに存在するのは洗脳されてしまったagent of influenceの候補生です。ところで通産省にはこの種の伝統があるのでしょうかね。特振法へのイデオローグ
官僚たちの夏 (新潮文庫)
となったのもフランスに駐在してle defi americain
American Challenge
に触れた通産官僚ではなかったでしょうか。
2011年9月12日に日本でレビュー済み
謎というのは答えが分かると簡単なものだ。しかし、解かれるまでは何とも実体が掴めないものだ。本書を読むまでは分からなかった「国家」という存在そのものが、一読後、実に明確に判った思いがする。理解するには、「国」という言葉が表すモノを「国家機構(ステート)」と「帰属意識(ネイション)」にわける事が一つの鍵になる。その中で、例えば、明治維新は、古い共同体のしがらみを破壊して近代的な自由をステートたる国家が与えてくれた。このようにステートが新しいネイションを付与してくれることもある。第三章で語られるこの指摘は目から鱗が落ちるようだった。
国民国家がその両者を統合する事で巨大なエネルギーを作り出し、悲惨な戦争を戦った事でアインシュタインが「ナショナリズムこそ戦争の原因である。」と評した事をご存じだろうか。結構、多くの人が直接、間接にこの言葉を聞き、反戦=平和=反ナショナリズムという構図を描いているのではないか?戦争が悲惨で避けなければならない事柄である事に異論はない。しかし、それを恐れるあまりにナショナリズムの巨大なエネルギーを封印しようとして「小さな政府」を指向して、グローバルな経済体制の中で生きてゆこうとすると結局我々はネイションを失い不幸になってゆくのではないか。ならば、いっそナショナリズムの危険を熟知して向き合いながらそのエネルギーを有効活用することこそ大事なのではないのか。
ステートたる国家機構が信用できない人は是非、本書を読んで反論を考えていただきたい。
国民国家がその両者を統合する事で巨大なエネルギーを作り出し、悲惨な戦争を戦った事でアインシュタインが「ナショナリズムこそ戦争の原因である。」と評した事をご存じだろうか。結構、多くの人が直接、間接にこの言葉を聞き、反戦=平和=反ナショナリズムという構図を描いているのではないか?戦争が悲惨で避けなければならない事柄である事に異論はない。しかし、それを恐れるあまりにナショナリズムの巨大なエネルギーを封印しようとして「小さな政府」を指向して、グローバルな経済体制の中で生きてゆこうとすると結局我々はネイションを失い不幸になってゆくのではないか。ならば、いっそナショナリズムの危険を熟知して向き合いながらそのエネルギーを有効活用することこそ大事なのではないのか。
ステートたる国家機構が信用できない人は是非、本書を読んで反論を考えていただきたい。
2009年5月8日に日本でレビュー済み
経済ナショナリズムについて淡々と事実を述べているのが画期的だという不思議な本である。グローバリズムとはアメリカ方式を他国に押しつける米国ナショナリズムに他ならないと喝破している。
暴走したグローバリズムによる金融危機へ対応するため、米国は金融・保険業界を国有化している。そのうちGMまで国有化するかもしれない。これも米国の経済ナショナリズムなのだろう。
経済の健全な発達のためには十分に教育されて、文化的、伝統的に共同体意識を持つネイションが必要である。ネイションとは国民であり、その国民が作る企業や政党、NGOまでをも含む共同体である。経済ナショナリストは、ネイションのための経済政策を執るべきと述べている。何かを成し遂げるネイションの力こそがお金より大事な国力なのだ。
日本が過去10年に渡って実施してきた構造改革は、新経済自由主義者が唱えるグローバリズムを推し進め、日本のネイションを解体し、国力を弱めるものでしかなかったと現役官僚が述べているのである。日本人の潜在的能力を信頼し、日本の伝統的共同体を守る経済政策が必要だという主張が、この国のナショナルに当然のこととして受け止められることを私も願う。
暴走したグローバリズムによる金融危機へ対応するため、米国は金融・保険業界を国有化している。そのうちGMまで国有化するかもしれない。これも米国の経済ナショナリズムなのだろう。
経済の健全な発達のためには十分に教育されて、文化的、伝統的に共同体意識を持つネイションが必要である。ネイションとは国民であり、その国民が作る企業や政党、NGOまでをも含む共同体である。経済ナショナリストは、ネイションのための経済政策を執るべきと述べている。何かを成し遂げるネイションの力こそがお金より大事な国力なのだ。
日本が過去10年に渡って実施してきた構造改革は、新経済自由主義者が唱えるグローバリズムを推し進め、日本のネイションを解体し、国力を弱めるものでしかなかったと現役官僚が述べているのである。日本人の潜在的能力を信頼し、日本の伝統的共同体を守る経済政策が必要だという主張が、この国のナショナルに当然のこととして受け止められることを私も願う。
2009年5月15日に日本でレビュー済み
文句なしに★5つ。 たった15分しか読まなかったってことは、その程度の頭なんでしょう。内容に対する批判はなし。 著者の他の著書に★一つつけているやつと同一人物でしょう。
著者はあとがきで、自分は別に特別なことは何一つ書いていない。読者が、なに当たり前のことを書いてるんだ?と思ってくれたら嬉しいという趣旨のことを書いている。
批判のための批判に終始している★一つ人間は悲しく哀れですね。(別に喧嘩を売ってるわけではありませんよ。)
著者はあとがきで、自分は別に特別なことは何一つ書いていない。読者が、なに当たり前のことを書いてるんだ?と思ってくれたら嬉しいという趣旨のことを書いている。
批判のための批判に終始している★一つ人間は悲しく哀れですね。(別に喧嘩を売ってるわけではありませんよ。)
2009年6月29日に日本でレビュー済み
この本の全体的主張は、グローバル化した経済の潜在的動因は、実はナショナリズムであった、というものであった。
・・・ここで、ナショナリズムについて考察をすると、現在、ナショナリズムの理念に応じて国家が存立しているのは、民族内における、種族的親和性があるからに他ならない、と言える。それが元となる問題は、その民族内の利己的エゴイズムが先鋭化した場合に生じる。ある民族が利己的に拡大するならば、その必然的な相関関係として、他の民族に苦しみが生ずる。このことは、他のことにも応用され得る。一方が抑圧されるならば、そこには不満が生じ、問題は尽きない。・・・つまり、全体的調和こそが優先されるべきことなのである。
そもそも、この世界を動かす根源的なものは何かと言えば、それは、人間的意志と言うに尽きる。であれば、最も重要なものは何か?、といえば、それは「善き意志」であると言える。
・・・科学技術の問題についても、問題は、それを使用する人間の心である、と言える。問題なのは、世界で技術化が過度に進行することにより、人間の心が摩滅し、正常な判断を下すことが困難になり、それにより、ますます世界的に精神的、物質的環境が悪化するということである。幸福というものが何であるかということが、もはや分からなくなってしまっている者も増えているのかもしれない。(この点は、考えを要すると言えるだろう。)
人間的幸福に向けての問題解決のための根源的素因は、「善き意志」と「心」であると言える。これは、子供のうちからその種子を育てるべきである。しかし、道徳的教育のみによってでは、効果は十分であるとは言えない。それは、概念によってだけではなく、現代においては世界的な生活環境、つまりは世界内部の高度な親和性の実現による、生活環境の進展と共になされていくことが必要であると言えるであろう。
・・・さて、では以上のことについて、具体的にどうしていくべきか?、ということなのであるが、それについては、この良書の読者諸賢の思弁におまかせすることに致したい、と思うのである。
・・・ここで、ナショナリズムについて考察をすると、現在、ナショナリズムの理念に応じて国家が存立しているのは、民族内における、種族的親和性があるからに他ならない、と言える。それが元となる問題は、その民族内の利己的エゴイズムが先鋭化した場合に生じる。ある民族が利己的に拡大するならば、その必然的な相関関係として、他の民族に苦しみが生ずる。このことは、他のことにも応用され得る。一方が抑圧されるならば、そこには不満が生じ、問題は尽きない。・・・つまり、全体的調和こそが優先されるべきことなのである。
そもそも、この世界を動かす根源的なものは何かと言えば、それは、人間的意志と言うに尽きる。であれば、最も重要なものは何か?、といえば、それは「善き意志」であると言える。
・・・科学技術の問題についても、問題は、それを使用する人間の心である、と言える。問題なのは、世界で技術化が過度に進行することにより、人間の心が摩滅し、正常な判断を下すことが困難になり、それにより、ますます世界的に精神的、物質的環境が悪化するということである。幸福というものが何であるかということが、もはや分からなくなってしまっている者も増えているのかもしれない。(この点は、考えを要すると言えるだろう。)
人間的幸福に向けての問題解決のための根源的素因は、「善き意志」と「心」であると言える。これは、子供のうちからその種子を育てるべきである。しかし、道徳的教育のみによってでは、効果は十分であるとは言えない。それは、概念によってだけではなく、現代においては世界的な生活環境、つまりは世界内部の高度な親和性の実現による、生活環境の進展と共になされていくことが必要であると言えるであろう。
・・・さて、では以上のことについて、具体的にどうしていくべきか?、ということなのであるが、それについては、この良書の読者諸賢の思弁におまかせすることに致したい、と思うのである。