圧倒された。読書歴40年になるが、これほど
自分の心をわしずかみにされた本はなかった。
フロイトの魂に、圧倒された。
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モ-セと一神教 (ちくま学芸文庫 フ 4-3) 文庫 – 2003/9/10
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- ISBN-104480087931
- ISBN-13978-4480087935
- 出版社筑摩書房
- 発売日2003/9/10
- 言語日本語
- 本の長さ279ページ
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対象商品: モ-セと一神教 (ちくま学芸文庫 フ 4-3)
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2003/9/10)
- 発売日 : 2003/9/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 279ページ
- ISBN-10 : 4480087931
- ISBN-13 : 978-4480087935
- Amazon 売れ筋ランキング: - 214,517位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年10月19日に日本でレビュー済み
まだ読了にはほど遠いが
フロイトの全体的な姿勢に対する感想として
それはとても仏教的(仏陀の態度の流れを汲んでいる)と言えるところがある。
今回は、まずモーセに挑んでいるが
この世界で価値があり、現実であると捉えられていることに対して
価値を引きづり下ろし、たいして意味のないものにしてしまうのである。
仏陀は、美しい女性も中身は汚ないものでいっぱいであり、人間の体はうんこの入れ物に過ぎない、と分析した。そうして、外界に見えるものに権威や真実性を与えず、内面の安らぎに落ち着いたとも言える。(かなおおざっぱな説明であるし、より深い部分を無視して言説を進めることは遺憾であるが、とりあえずはそういうことにしてフロイトの態度の前置きにします)
フロイトが一生懸命に、モーセエジプト人説を追求する一つの理由は、ユダヤ教という精神的な権威の力を無くすための試みである。外界に見えるあらゆる権威を落とし、そして自己の思想からも(そしてイエスが証明したように肉体の生命という概念からも)権威を落とす。
その時に見えてくるのが、永遠の安らぎの内面世界である。
フロイトが目指していた精神分析学の目的地、、、つまり世界に囚われた精神を解放する旅の終着点への足がかりは、イエスの存在にある。
フロイト学派の学者達が、イエスとの関わりのなかで書き留めた「奇跡講座」への繋がりも興味深い。
フロイトの全体的な姿勢に対する感想として
それはとても仏教的(仏陀の態度の流れを汲んでいる)と言えるところがある。
今回は、まずモーセに挑んでいるが
この世界で価値があり、現実であると捉えられていることに対して
価値を引きづり下ろし、たいして意味のないものにしてしまうのである。
仏陀は、美しい女性も中身は汚ないものでいっぱいであり、人間の体はうんこの入れ物に過ぎない、と分析した。そうして、外界に見えるものに権威や真実性を与えず、内面の安らぎに落ち着いたとも言える。(かなおおざっぱな説明であるし、より深い部分を無視して言説を進めることは遺憾であるが、とりあえずはそういうことにしてフロイトの態度の前置きにします)
フロイトが一生懸命に、モーセエジプト人説を追求する一つの理由は、ユダヤ教という精神的な権威の力を無くすための試みである。外界に見えるあらゆる権威を落とし、そして自己の思想からも(そしてイエスが証明したように肉体の生命という概念からも)権威を落とす。
その時に見えてくるのが、永遠の安らぎの内面世界である。
フロイトが目指していた精神分析学の目的地、、、つまり世界に囚われた精神を解放する旅の終着点への足がかりは、イエスの存在にある。
フロイト学派の学者達が、イエスとの関わりのなかで書き留めた「奇跡講座」への繋がりも興味深い。
2008年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
フロイトの遺書とも言っても過言では無いような、フロイトが鬼籍に入られる直前に書かれた論文が収められている本。
精神分析的な視点から、宗教や歴史について言明されているのだけど、苦しい感じが文面から伝わってくるので、彼はこれを書くときにかなりの葛藤があったと思う。
文体かなりアグレッシブな印象がある。
同時に、最後の最後になって「あかんかった」と自身のエス論を覆す様な推論をしている所が、めちゃ格好良いと思えた。
今までの積年の自分の理論(フロイトの、多くの人を震撼させた大きな価値のある理論)と、この論文中での精密な推論との矛盾を明示した所に、フロイトの誠実さが表れている。
ユダヤ人にとっては「父」とも呼べるようなモーセの出自を分析しこの宗教性を批判している事、モーセの掟自体、それこそがエディプス葛藤から逃れられなかったという事だろうか。
神経症的と捉えた宗教現象自体がフロイトの精神分析学のまさかの源泉であった、と。
とても考えさせて貰い、読み応えがあった。
これからも一生の中で何回か繰り返して読んでみたい本です。
精神分析的な視点から、宗教や歴史について言明されているのだけど、苦しい感じが文面から伝わってくるので、彼はこれを書くときにかなりの葛藤があったと思う。
文体かなりアグレッシブな印象がある。
同時に、最後の最後になって「あかんかった」と自身のエス論を覆す様な推論をしている所が、めちゃ格好良いと思えた。
今までの積年の自分の理論(フロイトの、多くの人を震撼させた大きな価値のある理論)と、この論文中での精密な推論との矛盾を明示した所に、フロイトの誠実さが表れている。
ユダヤ人にとっては「父」とも呼べるようなモーセの出自を分析しこの宗教性を批判している事、モーセの掟自体、それこそがエディプス葛藤から逃れられなかったという事だろうか。
神経症的と捉えた宗教現象自体がフロイトの精神分析学のまさかの源泉であった、と。
とても考えさせて貰い、読み応えがあった。
これからも一生の中で何回か繰り返して読んでみたい本です。
2014年9月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
精神分析を作り出したフロイトが、絶対唯一神とモーセとユダヤ民族の精神について分析する。
無神論者のフロイトが、「心の動きとしての神」を語る。
私も無神論者です。しかし、「心の動きとしての神」ならば、興味があり、理解できると思いました。
日本の同盟国には、神を信じる人たちは多数いるのです。
彼らの神を信じることはできなくても、「心の動きとしての神」を理解できれば、彼らを理解できるかもしれない。
そう思って、読みました。とても面白かったです。
しかし、そもそもこの本を本当に理解するためには、紀元以来(モーセのエジプト脱出以来?)の世界史を理解する必要があるでしょう。
その意味では、まだまだ理解不足でしょうが・・・。
無神論者のフロイトが、「心の動きとしての神」を語る。
私も無神論者です。しかし、「心の動きとしての神」ならば、興味があり、理解できると思いました。
日本の同盟国には、神を信じる人たちは多数いるのです。
彼らの神を信じることはできなくても、「心の動きとしての神」を理解できれば、彼らを理解できるかもしれない。
そう思って、読みました。とても面白かったです。
しかし、そもそもこの本を本当に理解するためには、紀元以来(モーセのエジプト脱出以来?)の世界史を理解する必要があるでしょう。
その意味では、まだまだ理解不足でしょうが・・・。
2014年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
そこそこ色んな本を読んでいて、それなりに理解力も読解力もあるほうだと思っていたが、途中からわけわからんw
ある程度、ユダヤ教の知識がないといけないかな、と思って読んでいたが、それでも最初のほうは意味がとおってその仮説の壮大さに「おお!」などと思ったが、途中からあれれれ・・・・。
独特な精神心理学?の解説になってしまった。
たとえば
「母性というものが感覚による目撃証言によって明示されるのに対して、父性というものは、推論と論理的前提で打ち立てられた仮定的承認だからである」
???????????????
あるいはフロイトによくなじんでいる人なら分かるのかもしれないが、一般人にはとても読解不可能ww
難解というよりは、晦渋な文章で、はっきりいって100人読んで何人理解できる人がいるのか。。。
問題提起しておいて結論がでていなかったり、矛盾していたり、突拍子もない転換があったり、明らかな主観を客観的結論のようにしるしたり。これを一般書を読むように読んだら、とても読めるものじゃないだろう。
ただフロイトという人の思考の流れを読む、という意味ではすごく面白かった。よくもこんな様々なことを考えることができるものだ。歴史、宗教、心理学、哲学的思考が重複してからみあって、とりとめなく延々とつづいてゆく。まさしく悪文(もちろん訳文なわけだが)なのだが、それも悪い意味ではなく、癖の強い文章ということで文学的でさえある。
だから一般人的には、フロイトというケッタイナ人物の思考の流れを追う、一風変わった文学。そう思って読むのが一番面白く読めるのではないか。
ある程度、ユダヤ教の知識がないといけないかな、と思って読んでいたが、それでも最初のほうは意味がとおってその仮説の壮大さに「おお!」などと思ったが、途中からあれれれ・・・・。
独特な精神心理学?の解説になってしまった。
たとえば
「母性というものが感覚による目撃証言によって明示されるのに対して、父性というものは、推論と論理的前提で打ち立てられた仮定的承認だからである」
???????????????
あるいはフロイトによくなじんでいる人なら分かるのかもしれないが、一般人にはとても読解不可能ww
難解というよりは、晦渋な文章で、はっきりいって100人読んで何人理解できる人がいるのか。。。
問題提起しておいて結論がでていなかったり、矛盾していたり、突拍子もない転換があったり、明らかな主観を客観的結論のようにしるしたり。これを一般書を読むように読んだら、とても読めるものじゃないだろう。
ただフロイトという人の思考の流れを読む、という意味ではすごく面白かった。よくもこんな様々なことを考えることができるものだ。歴史、宗教、心理学、哲学的思考が重複してからみあって、とりとめなく延々とつづいてゆく。まさしく悪文(もちろん訳文なわけだが)なのだが、それも悪い意味ではなく、癖の強い文章ということで文学的でさえある。
だから一般人的には、フロイトというケッタイナ人物の思考の流れを追う、一風変わった文学。そう思って読むのが一番面白く読めるのではないか。
2019年11月30日に日本でレビュー済み
本書は、精神分析学の創始者と言われるジークムント・フロイト(1856~1939年)が、死の直前に発表した作品である。
松岡正剛氏は、「千夜千冊895夜」(2003年11月)で本書を取り上げ、「これは恐ろしい本である。引き裂かれた書である。しかも、これはフロイトの遺書なのだ。人生の最後にフロイトが全身全霊をかけて立ち向かった著作だった。」と述べているが、ユダヤ教をはじめとするアブラハムの宗教に関わる人びとにとっては、衝撃の書であろう。
モーセは、アブラハムの宗教において、最重要な預言者の一人とされ、伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされている。その中の一つ『出エジプト記』によれば、モーセはエジプトにいる“ヘブライ人”家族の子として生まれたが、ファラオがヘブライ人の新生児を殺すことを命じたので、それから逃れるためにナイル川に流され、王女に拾われて育てられたという。長じて、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受け、エジプトからヘブライ人を連れて脱出し、40年に亘り荒野を彷徨った末、「約束の地」にたどり着いた(モーセは約束の地に入れずに死んだ)とされる。そして、そこでユダヤ教が生まれた。。。聖書の伝承はこうである。
ところが、フロイトは本書で、モーセはエジプトの高貴な家(王家?)に生まれた“エジプト人”であり、モーセがヘブライ人に伝えた宗教は、紀元前14世紀にエジプト第18王朝のアメンホーテプ4世(イクナートンと改名)が、エジプト古来の多神教を全面否定して作った、世界史上最初の一神教と言われるイクナートンの宗教(アートン教)であるとする、恐るべき仮説を提起するのである。
そして、「モーセ」という名前がエジプト語由来のものであること、世の神話の大多数に登場する英雄は極めて高貴な家の出身である(そして、夢・神託で危険を告げられた父親がその息子を棄てるが、息子は身分の卑しい人に救われ、成人するに至って父親に復讐を遂げ、他方真の素性を認められて、権力と栄光を得るのである)こと、ユダヤ教が、当時はエジプト以外では見られなかった割礼という掟を取り入れていること、エジプトでは、イクナートンの死後、守旧派により多神教が復活し、イクナートンの側近がイクナートンの一神教を携えてエジプト外へ脱出する動機があったこと、モーセは口下手だったとされるが、それはモーセがエジプト人で(少なくとも当初は)ヘブライ人の言語を解さなかったからと考えられることなど、その根拠を次々と挙げる。
モーセが祖国を去るにあたって連れ出したユダヤ人は、祖国に残してきたエジプト人の、より優れた代理人でなくてはならず、ひとつの「聖化された民」をこそ、モーセはユダヤ人から創り出そうと欲したのであり、これは聖書の文章にもはっきり表現されているのだ!
しかし、なぜ“精神分析学者”のフロイトがこのような奇抜とも言える発想をし、文書に残したのか。。。?それは、フロイトが更に進める大胆な仮説が答となる。フロイトは言うまでもなくユダヤ人である。そして、自らの民族・宗教・歴史が持つ特性を明らかにしようとし、辿り着いたのが、モーセは(はじめは)厳格な一神教を受け入れられなかったユダヤ人に殺され、それがユダヤ人の「エディプス・コンプレックス」(ユダヤ民族にとっての父殺し)となったとする説なのだ。
精神分析学に興味がないと後半は少々読み難いが、前半の仮説部分だけでも極めてスリリングである。アブラハムの宗教に「if」を突き付ける、興味深い書。
(2019年11月了)
松岡正剛氏は、「千夜千冊895夜」(2003年11月)で本書を取り上げ、「これは恐ろしい本である。引き裂かれた書である。しかも、これはフロイトの遺書なのだ。人生の最後にフロイトが全身全霊をかけて立ち向かった著作だった。」と述べているが、ユダヤ教をはじめとするアブラハムの宗教に関わる人びとにとっては、衝撃の書であろう。
モーセは、アブラハムの宗教において、最重要な預言者の一人とされ、伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされている。その中の一つ『出エジプト記』によれば、モーセはエジプトにいる“ヘブライ人”家族の子として生まれたが、ファラオがヘブライ人の新生児を殺すことを命じたので、それから逃れるためにナイル川に流され、王女に拾われて育てられたという。長じて、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受け、エジプトからヘブライ人を連れて脱出し、40年に亘り荒野を彷徨った末、「約束の地」にたどり着いた(モーセは約束の地に入れずに死んだ)とされる。そして、そこでユダヤ教が生まれた。。。聖書の伝承はこうである。
ところが、フロイトは本書で、モーセはエジプトの高貴な家(王家?)に生まれた“エジプト人”であり、モーセがヘブライ人に伝えた宗教は、紀元前14世紀にエジプト第18王朝のアメンホーテプ4世(イクナートンと改名)が、エジプト古来の多神教を全面否定して作った、世界史上最初の一神教と言われるイクナートンの宗教(アートン教)であるとする、恐るべき仮説を提起するのである。
そして、「モーセ」という名前がエジプト語由来のものであること、世の神話の大多数に登場する英雄は極めて高貴な家の出身である(そして、夢・神託で危険を告げられた父親がその息子を棄てるが、息子は身分の卑しい人に救われ、成人するに至って父親に復讐を遂げ、他方真の素性を認められて、権力と栄光を得るのである)こと、ユダヤ教が、当時はエジプト以外では見られなかった割礼という掟を取り入れていること、エジプトでは、イクナートンの死後、守旧派により多神教が復活し、イクナートンの側近がイクナートンの一神教を携えてエジプト外へ脱出する動機があったこと、モーセは口下手だったとされるが、それはモーセがエジプト人で(少なくとも当初は)ヘブライ人の言語を解さなかったからと考えられることなど、その根拠を次々と挙げる。
モーセが祖国を去るにあたって連れ出したユダヤ人は、祖国に残してきたエジプト人の、より優れた代理人でなくてはならず、ひとつの「聖化された民」をこそ、モーセはユダヤ人から創り出そうと欲したのであり、これは聖書の文章にもはっきり表現されているのだ!
しかし、なぜ“精神分析学者”のフロイトがこのような奇抜とも言える発想をし、文書に残したのか。。。?それは、フロイトが更に進める大胆な仮説が答となる。フロイトは言うまでもなくユダヤ人である。そして、自らの民族・宗教・歴史が持つ特性を明らかにしようとし、辿り着いたのが、モーセは(はじめは)厳格な一神教を受け入れられなかったユダヤ人に殺され、それがユダヤ人の「エディプス・コンプレックス」(ユダヤ民族にとっての父殺し)となったとする説なのだ。
精神分析学に興味がないと後半は少々読み難いが、前半の仮説部分だけでも極めてスリリングである。アブラハムの宗教に「if」を突き付ける、興味深い書。
(2019年11月了)
2015年9月13日に日本でレビュー済み
よく出来た歴史ミステリーみたいで、非常に興奮しながら読んだ。この著者がフロイトであることを考えると驚きである。モーセはユダヤ人ではなく、エジプト人であったと考えるべき根拠を示しつつ、フロイトが人生の最後に何かを総括しようという迫力がある。そこには意地や欺瞞みたいなものも感じられ、かえってフロイトが入れ込み具合の強さを感じる。ニーチェの領域に踏み込んだような狂気一歩手前の危うさも感じる歪みのある熱い本。こんな知的な興奮は久しぶりでした。
2022年6月26日に日本でレビュー済み
ユダヤ人が割礼を行う習慣で他の民族との違いを明示的に表しているが、原始キリスト教においてそのことが論争となり、ユダヤ人以外にも割礼を強要する必要があるとするヤコブ、ペテロに対し、その習慣を排除した方が良いとしたパウロとの間に対立があったことは良く知られている。
しかし驚いたことに、本書によると、割礼の習慣はエジプトにあったもので、もともとユダヤ人にはなかった習慣だとしている。そこからモーセがエジプト人だという仮説論文が書かている。
最晩年の著作である本書のテーマは、なぜヨーロッパでユダヤ人が迫害されたりしなければならなかったかをまとめている。ユダヤ人は怖い父親を倒して母親を自分のものにしたいという願望をもっており、父親への恐怖心も強くなるエディプス・コンプレクスそのままの状態で、ユダヤ社会はそうした近親相姦的な血縁のきずなと、それに伴うエディプス的な罪悪感に成り立っている。キリストが父親に対して反抗する息子、あるいは母親を父親からとってしまうような息子の代表として磔になる。それにより、旧約聖書的なユダヤ人のもっていたエディプス・コンプレクス的な家族的、血縁的なきずなから抜け出し、普遍的な人間愛とか倫理性に到達できた、としている。
ドイツにおいてユダヤ人が嫌われる理由は、「選ばれた民族」と信じているユダヤ人に嫉妬を感じていることと、さらに面白い仮説は、ゲルマンの民族は土俗的な宗教を捨てて、キリスト教を押し付けられたことをいまだに無意識のうちに恨んでいるが、今となってはその恨みをキリスト教に向けることができず、キリスト教の源泉であるユダヤ教を目の敵にしているのだという。この説はヒトラーを北欧神話のヴォータンに見立てたことがゲルマン民族の元型(ユング)だという説と一致する部分があり面白い。
いずれにしても、ユダヤ教は化石のようなもので、キリスト教は宗教的な意味でも「一つの進歩」としたユダヤ人であるフロイトの最晩年の意識が読み取れる。
しかし驚いたことに、本書によると、割礼の習慣はエジプトにあったもので、もともとユダヤ人にはなかった習慣だとしている。そこからモーセがエジプト人だという仮説論文が書かている。
最晩年の著作である本書のテーマは、なぜヨーロッパでユダヤ人が迫害されたりしなければならなかったかをまとめている。ユダヤ人は怖い父親を倒して母親を自分のものにしたいという願望をもっており、父親への恐怖心も強くなるエディプス・コンプレクスそのままの状態で、ユダヤ社会はそうした近親相姦的な血縁のきずなと、それに伴うエディプス的な罪悪感に成り立っている。キリストが父親に対して反抗する息子、あるいは母親を父親からとってしまうような息子の代表として磔になる。それにより、旧約聖書的なユダヤ人のもっていたエディプス・コンプレクス的な家族的、血縁的なきずなから抜け出し、普遍的な人間愛とか倫理性に到達できた、としている。
ドイツにおいてユダヤ人が嫌われる理由は、「選ばれた民族」と信じているユダヤ人に嫉妬を感じていることと、さらに面白い仮説は、ゲルマンの民族は土俗的な宗教を捨てて、キリスト教を押し付けられたことをいまだに無意識のうちに恨んでいるが、今となってはその恨みをキリスト教に向けることができず、キリスト教の源泉であるユダヤ教を目の敵にしているのだという。この説はヒトラーを北欧神話のヴォータンに見立てたことがゲルマン民族の元型(ユング)だという説と一致する部分があり面白い。
いずれにしても、ユダヤ教は化石のようなもので、キリスト教は宗教的な意味でも「一つの進歩」としたユダヤ人であるフロイトの最晩年の意識が読み取れる。