何冊か筆者の本を取り寄せて読みました。
この一冊が集約されていて、
コレを読めばご本人の言いたいことは理解できる気がします。
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癒されて生きる: 女性生命科学者の心の旅路 (岩波現代文庫 社会 90) 文庫 – 2004/3/16
柳澤 桂子
(著)
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激しい痛み,入院の繰り返し,そしてついに失職.そんな悲しみの淵で遭遇した神秘体験.30年近い年月を原因不明の病気とともに生き,今なお病床にある著者は,いかにして癒され,生きがいを持つことができるようになったのか.医師や看護婦との出会い,音楽や絵画の楽しみ,思索の軌跡を静かに語り,苦しみの中にある人々に勇気と共感を与える.
- 本の長さ180ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2004/3/16
- ISBN-104006030908
- ISBN-13978-4006030902
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2004/3/16)
- 発売日 : 2004/3/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 180ページ
- ISBN-10 : 4006030908
- ISBN-13 : 978-4006030902
- Amazon 売れ筋ランキング: - 322,075位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 466位岩波現代文庫
- - 5,481位近現代日本のエッセー・随筆
- - 13,729位評論・文学研究 (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年7月16日に日本でレビュー済み
原因不明であるが故に、医者達が「心因性」と決めつけ治療を諦めた病気によって壮年期に職を失い、今日も身体の自由を半ば失いながら(普通の人間から見れば)過酷な人生を送る女性生命科学者。それが本書の著者である。おのれの運命を呪い、ライバルや周囲の健康な人間を呪って然るべき境遇の筈だが、驚くのは、そんな著者からあふれ出て来る言葉は、まことに純粋で、穏やかで、それでいて、気品があり、揺るぎなく、前向きである。凝縮された簡潔な言葉は無駄がなく適確で(須賀敦子さんを彷彿とさせる)、それが読み手の心に染み入り、時として大きく心を揺さぶる。驚くべき大きなご人格と言葉の力を持った方である。
「病気をしたことで、私が学んだことがあったとすれば、何の価値もない自分であることを肯(うべな)い、何の意味もない人生を生きることを喜びとすることを学んだことであろう」と著者は仰るが、そこにあるのは、ただの諦観とは異なる。なんと言えば良いのか、自我を超越して宇宙と混然一体となった人間のみが得られる「達観」、或いは「悟り」のようなご境地だろうか(実際に神秘体験をされたことを告白されている)。夥しい量の読書と思索(著者は科学者である)の先に著者が到達されたのは「聖(ひじり)の世界」とでもいうべきところだろう。著者の言葉や、歌に何か穏やかな光を感じるのである。
生きるという悲しいことを我はする草木も鳥も虫もするなり
苦しみに在り果つもまた一瞬(ひととき)の遊びならずや雪の音聴く
わがゆくて闇ゆえ冴ゆる一筋の道ほのとして灯るがごとし
人は、日常、自己の欲望や目標といった「生きがい」に執着しながら生きているが、「生きがい」から離れても「癒される」ことで生きることができる。本書の論点のひとつはそこにある。人間は老いるに従って「生きがい」を失っていくものであり、「癒されて生きる」ことに喜びを見出すことが必要になる。そこに人間としての熟成がある。ただ、そこで怖いのは孤独であろう。老年を迎えるまでに、本書で著者に教えられた二つの旅、すなわち自分の心の奥底への旅と、読書、音楽、絵画の世界(これは私も含め多くの人の趣味でもある)の旅を深めていきたい。所詮、著者のような「聖(ひじり)」にはなれないだろうが、自分を研ぎ澄ますことで、著者が孤独を癒し、心を震わせた世界の片鱗でも知りえたら、と願うからである。
「病気をしたことで、私が学んだことがあったとすれば、何の価値もない自分であることを肯(うべな)い、何の意味もない人生を生きることを喜びとすることを学んだことであろう」と著者は仰るが、そこにあるのは、ただの諦観とは異なる。なんと言えば良いのか、自我を超越して宇宙と混然一体となった人間のみが得られる「達観」、或いは「悟り」のようなご境地だろうか(実際に神秘体験をされたことを告白されている)。夥しい量の読書と思索(著者は科学者である)の先に著者が到達されたのは「聖(ひじり)の世界」とでもいうべきところだろう。著者の言葉や、歌に何か穏やかな光を感じるのである。
生きるという悲しいことを我はする草木も鳥も虫もするなり
苦しみに在り果つもまた一瞬(ひととき)の遊びならずや雪の音聴く
わがゆくて闇ゆえ冴ゆる一筋の道ほのとして灯るがごとし
人は、日常、自己の欲望や目標といった「生きがい」に執着しながら生きているが、「生きがい」から離れても「癒される」ことで生きることができる。本書の論点のひとつはそこにある。人間は老いるに従って「生きがい」を失っていくものであり、「癒されて生きる」ことに喜びを見出すことが必要になる。そこに人間としての熟成がある。ただ、そこで怖いのは孤独であろう。老年を迎えるまでに、本書で著者に教えられた二つの旅、すなわち自分の心の奥底への旅と、読書、音楽、絵画の世界(これは私も含め多くの人の趣味でもある)の旅を深めていきたい。所詮、著者のような「聖(ひじり)」にはなれないだろうが、自分を研ぎ澄ますことで、著者が孤独を癒し、心を震わせた世界の片鱗でも知りえたら、と願うからである。
2013年9月7日に日本でレビュー済み
周期性嘔吐症を中心に、パーキンソン病や脳脊髄液減少症など、30年以上にわたって診断のつかない難病に苦しめられてきた生命科学者が、体調の最悪期に記されたのが本書です。
著者には及ぶべくもありませんが、軽くも短くもない闘病の支えにしようと、手に取ってからその世界にはまり込み、著作の8割方は読み終えたでしょうか。
そんな中で、最も感じ入ったのが本書です。
病を通じて得られた信仰や神秘の体験と、人間の意識や生きがいに対する思索の跡が、極限の体調のためでしょうか、表現をそぎ落とした真髄だけで迫ってきて、凄みさえ感じさせます。
繰り返し読み込む度に新たな発見があり、言葉の一つひとつが、頭で理解するのではなく、心の深奥までしみこんでゆくのを感じます。
「生きがいを求める心も執着の結果である」「執着心は二元的認識の結果生じるものである」「大脳新皮質は細かく価値を問い意味を問う脳である」等々、雷に打たれたように感じた箇所多数。
毎秒毎秒この身体から抜け出したいとまで願わずにはおれない、極限の、呻くことすらできない自分の病苦が、器質的疾患ではおそらく無いはずなのに、なぜ延々と続くのか。
自分自身と同一視するほどに、最も大切にしていたものを、運命は、なぜねらい打ちにするのか。
何を成し遂げる事もできず、厄介者でしかない自分を、どう受け入れるのか。
そして、究極の問いとして、自我への執着を、最後のひとかけらまで、どう断ち切るのか。
これらの難問は、成人期までに完成された「自我」につぐ、次の成熟段階へと意識を進めるために、何としてでも今、解いておかなければならない、与えられた人生の課題なのだと、本書は気づかせてくれました。
また、意識の成熟をもたらす価値観は、脳の神経回路の再編という形で、自我自身の日々の自助努力だけでなく、努力を放棄したその先の大いなる瞬時の力によって、神秘体験としてもたらされるという著者の体験談には、私自身の実体験からも、深く納得できるものでした。
私はこれから老いや死に向かっていかねばなりませんが、精神を枯らしてゆくために、本書はこれまで以上に、最上のテキストになってくれそうです。
本書に出会えたことに、心から感謝いたします。
長い苦しみを抜けられた著者に穏やかな日々が続きますように、そして、同じ立場にある方々の手に本書が今後も長く届けられますように、祈りたいと思います。
著者には及ぶべくもありませんが、軽くも短くもない闘病の支えにしようと、手に取ってからその世界にはまり込み、著作の8割方は読み終えたでしょうか。
そんな中で、最も感じ入ったのが本書です。
病を通じて得られた信仰や神秘の体験と、人間の意識や生きがいに対する思索の跡が、極限の体調のためでしょうか、表現をそぎ落とした真髄だけで迫ってきて、凄みさえ感じさせます。
繰り返し読み込む度に新たな発見があり、言葉の一つひとつが、頭で理解するのではなく、心の深奥までしみこんでゆくのを感じます。
「生きがいを求める心も執着の結果である」「執着心は二元的認識の結果生じるものである」「大脳新皮質は細かく価値を問い意味を問う脳である」等々、雷に打たれたように感じた箇所多数。
毎秒毎秒この身体から抜け出したいとまで願わずにはおれない、極限の、呻くことすらできない自分の病苦が、器質的疾患ではおそらく無いはずなのに、なぜ延々と続くのか。
自分自身と同一視するほどに、最も大切にしていたものを、運命は、なぜねらい打ちにするのか。
何を成し遂げる事もできず、厄介者でしかない自分を、どう受け入れるのか。
そして、究極の問いとして、自我への執着を、最後のひとかけらまで、どう断ち切るのか。
これらの難問は、成人期までに完成された「自我」につぐ、次の成熟段階へと意識を進めるために、何としてでも今、解いておかなければならない、与えられた人生の課題なのだと、本書は気づかせてくれました。
また、意識の成熟をもたらす価値観は、脳の神経回路の再編という形で、自我自身の日々の自助努力だけでなく、努力を放棄したその先の大いなる瞬時の力によって、神秘体験としてもたらされるという著者の体験談には、私自身の実体験からも、深く納得できるものでした。
私はこれから老いや死に向かっていかねばなりませんが、精神を枯らしてゆくために、本書はこれまで以上に、最上のテキストになってくれそうです。
本書に出会えたことに、心から感謝いたします。
長い苦しみを抜けられた著者に穏やかな日々が続きますように、そして、同じ立場にある方々の手に本書が今後も長く届けられますように、祈りたいと思います。
2002年7月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者が、このような「病気」に苦しんだ人とは知らなかった。症状は膠原病に酷似し非常に重いが、どんな医者も検査もその原因を突き止められず、そのため心因性の病ではないかと、病人としても扱ってもらえない。その間にも症状は進み歩くことも難しくなる。
症状の苦しみと、それにも増して病気と認められないという精神的な苦痛や孤独に耐えて、著者の魂は余計なものを削ぎ落として美しく輝いていく。抑制のきいた文章に、彼女の魂の清澄さがにじみ出ている。
症状の苦しみと、それにも増して病気と認められないという精神的な苦痛や孤独に耐えて、著者の魂は余計なものを削ぎ落として美しく輝いていく。抑制のきいた文章に、彼女の魂の清澄さがにじみ出ている。
2011年12月1日に日本でレビュー済み
普通の人間が感じる死と心と宗教との関わりを自然科学的に、他人事ではなく自らの苦しみをもって真摯に思索し、分かり易く語っている素晴らしい本
2016年4月24日に日本でレビュー済み
本書は30年もの年月を原因不明の病気と共に生きてきた女性生命科学者の心の旅路を綴ったものです。
そのような苦しみのなかで、私が到達した結論は、
「医師はそのひとの人格以上の医療はできないものである」ということ・・・
この言葉には、頭をガツーンと殴られたような衝撃を受けました。身を持って現代医療を体験されてきた人の言葉だけに重みがあります。どんなに医学の知識や技術に優れようとも、それだけでは立派な医療を行うことは出来ません。医学教育では知識、技術に偏重するあまり、医療者の人格陶冶にはあまり目が向けられませんでした。医療にはサイエンスとアートの両面がなければならないと言われますが、このアートの面は明文化しにくく、そのための教育法も確立されていません。暗黙知や身体知とも言えるのかもしれません。昔から、師弟関係によって伝承されてきた世界なのだと思います。自分への反省も含めて、心から尊敬できる師匠と呼べるような医師が少なくなったように思います。本来、医師の師は「師匠」の意味のはずですが、現代では意味合いが変化してしまったようです。
最近の医師はサイエンスに比重を置きすぎていると思われますが、一方、ハートが大事といっても、アート一辺倒で知識やスキルがないのでは医療者としては失格でしょう。サイエンスとアートの両方を兼ね備えてこそ、師匠といえます。幸い私は、師と言えるような素晴らしい先輩医師(私が勝手に私淑しているだけですが・・・。)に出会うことができました。師にはとうてい及ばない私ですが、それだけに頑張り甲斐があるというものです。
科学者である著者からの「ひとは、その人格以上の医療はできないものである」との言葉を胸に、今後、理想の医療を目指し続けたいと思います。
そのような苦しみのなかで、私が到達した結論は、
「医師はそのひとの人格以上の医療はできないものである」ということ・・・
この言葉には、頭をガツーンと殴られたような衝撃を受けました。身を持って現代医療を体験されてきた人の言葉だけに重みがあります。どんなに医学の知識や技術に優れようとも、それだけでは立派な医療を行うことは出来ません。医学教育では知識、技術に偏重するあまり、医療者の人格陶冶にはあまり目が向けられませんでした。医療にはサイエンスとアートの両面がなければならないと言われますが、このアートの面は明文化しにくく、そのための教育法も確立されていません。暗黙知や身体知とも言えるのかもしれません。昔から、師弟関係によって伝承されてきた世界なのだと思います。自分への反省も含めて、心から尊敬できる師匠と呼べるような医師が少なくなったように思います。本来、医師の師は「師匠」の意味のはずですが、現代では意味合いが変化してしまったようです。
最近の医師はサイエンスに比重を置きすぎていると思われますが、一方、ハートが大事といっても、アート一辺倒で知識やスキルがないのでは医療者としては失格でしょう。サイエンスとアートの両方を兼ね備えてこそ、師匠といえます。幸い私は、師と言えるような素晴らしい先輩医師(私が勝手に私淑しているだけですが・・・。)に出会うことができました。師にはとうてい及ばない私ですが、それだけに頑張り甲斐があるというものです。
科学者である著者からの「ひとは、その人格以上の医療はできないものである」との言葉を胸に、今後、理想の医療を目指し続けたいと思います。
2005年11月5日に日本でレビュー済み
ひとつひとつの言葉から真実の響きが伝わってくる。病名のつかない症状に、
心因性と片付けられ、孤独と不安、葛藤を潜り抜け、小さな自己を放棄した時に、初めて本当の癒しが訪れる。身内を亡くしたばかりの私にとって、「同じ無力な人間となって、人間の限界に涙する時に両方の心の中に通い合うものがある・・・そのときにはじめて、苦しむ人、死に向かう人の孤独を癒す力があたえられる。」というくだりは心に染みる言葉であった。根底に流れる歓びと共に、柳沢さんの言葉は多くの人を癒し、勇気付けることだろう。
心因性と片付けられ、孤独と不安、葛藤を潜り抜け、小さな自己を放棄した時に、初めて本当の癒しが訪れる。身内を亡くしたばかりの私にとって、「同じ無力な人間となって、人間の限界に涙する時に両方の心の中に通い合うものがある・・・そのときにはじめて、苦しむ人、死に向かう人の孤独を癒す力があたえられる。」というくだりは心に染みる言葉であった。根底に流れる歓びと共に、柳沢さんの言葉は多くの人を癒し、勇気付けることだろう。