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ウィーン・フィル 音と響きの秘密 (文春新書 279) 新書 – 2002/10/21
中野 雄
(著)
ヨーロッパの伝統を世界で唯一保ち数々の神話を持つ楽団の歴史と、古今の名指揮者たちとの葛藤を追い、夢の響きを生む秘密を探る
- 本の長さ276ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2002/10/21
- ISBN-104166602799
- ISBN-13978-4166602797
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2002/10/21)
- 発売日 : 2002/10/21
- 言語 : 日本語
- 新書 : 276ページ
- ISBN-10 : 4166602799
- ISBN-13 : 978-4166602797
- Amazon 売れ筋ランキング: - 226,056位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 60位クラシック音楽論・理論
- - 436位文春新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年9月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
指揮者とのエピソードがとても面白い。
2024年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
常任指揮者を持たないウィーンフィルの奏者の眼で、フルトヴェングラー、
カール・ベーム、カラヤン、小澤征爾ら大指揮者を評価しておられる。
面白く読みました。ややヨーロッパ音楽至上主義的で、地元出身者による
音以外は認めないといった書き方が鼻に付きましたが。
ウィーンフィルの標準音は445Hzであることを初めて知りました。
あの明るい音色の理由はそんなところにもあったのかと興味深かった
カール・ベーム、カラヤン、小澤征爾ら大指揮者を評価しておられる。
面白く読みました。ややヨーロッパ音楽至上主義的で、地元出身者による
音以外は認めないといった書き方が鼻に付きましたが。
ウィーンフィルの標準音は445Hzであることを初めて知りました。
あの明るい音色の理由はそんなところにもあったのかと興味深かった
2022年3月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ウィーンは伝統がある、楽器が違う、ウィーン人だけだから違う、技術とは違う何かがある、
なんかもう説明できないけどとにかく特別で凄いんだ!とひたすら騒いでいるだけの本。
ちょっと親しい団員の言うことを全て鵜呑みにし、自分の贔屓にする
フルトヴェングラーやカラヤンのナチス協力の過去は思い切り美化する。
後半はショルティがダメ、古楽がダメ、アメリカが諸悪の根源と何の根拠もなく延々と侮辱。
女性を入れないのは「文化だ」と言い張るあたり、現実のウィーンフィル自身が選ぼうとしている
進歩的な方向性を、部外者のくせに勝手な思い込みで否定している。
ここまで酷いとウィーンフィル信仰を持つ人でも眉に唾を付け始めるレベル。
なんかもう説明できないけどとにかく特別で凄いんだ!とひたすら騒いでいるだけの本。
ちょっと親しい団員の言うことを全て鵜呑みにし、自分の贔屓にする
フルトヴェングラーやカラヤンのナチス協力の過去は思い切り美化する。
後半はショルティがダメ、古楽がダメ、アメリカが諸悪の根源と何の根拠もなく延々と侮辱。
女性を入れないのは「文化だ」と言い張るあたり、現実のウィーンフィル自身が選ぼうとしている
進歩的な方向性を、部外者のくせに勝手な思い込みで否定している。
ここまで酷いとウィーンフィル信仰を持つ人でも眉に唾を付け始めるレベル。
2011年7月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
−−ウィーン・フィルの凄さは、響きにこめられる音楽情報の量と質を、楽団員の一人ひとりが誰の指示を受けるわけでもない、自らの意志と美感で造り上げてしまうところにある。−−(本書264ページ)
ウィーン・フィルのメンバーへのインタビューの積み重ねと、著者の音楽プロデューサーとしての体験を織り重ねて紡いだ精緻な音楽論である。オーケストラは人間の集まりであり、オーケストラが奏でる音楽は、楽団員一人一人の人生を根にして居る。そして、その楽団員の人生と言ふ根は、その楽団員を育てた、楽団員それぞれの家庭や社会と言ふ土の中に在る。聴衆である私たちは、その事を意識せず、音楽だけを聴いて居る。しかし、私達が聴くその音楽は、実は、楽団員一人一人の人生と彼らを育てたそれぞれの家庭、社会によって作り出された果実なのである。この本を読んで、私は、その事を痛感させられた。ビジネスマンでもある中野氏は、音楽を、音楽を愛する者として語るだけでなく、音楽と言ふビジネスを現代社会の中で捉え直すと言ふ視点を持って居る。その事によって、この本は、現代社会におけるクラシック音楽の位置をも考えさせる深い音楽論、文化論に成って居る。
この本は、時には傲慢とも思へる事の有るウィーン・フィルの保守性には理由が有る事を具体的な演奏に即して語って居る。例えば、ヒューブナー氏のこの発言がそうである。−−「譜面のAとEが縦一列に印刷されているからといって、それを正確に合わせて弾かなければならないなんて、誰が言い出したことだろうね。日本とかアメリカの音楽家で、そういう機械的(メカニック)な正確さを追うことが音楽なんだみたいな教育を受けて来た人が多いような気がするけれど。解りやすい例を挙げれば、ヨハン・シュトラウスの作ったワルツのリズムなんだけど、われわれの演奏では二拍目が微妙に長くなります。それがウィンナー・ワルツの特色なんだし、君たちもそれを体験したくてニューイヤー・コンサートに来るわけでしょう。楽譜には四部音符が三個並んでいるだけです。でも、あれを楽譜に忠実に弾いたら、ウィンナー・ワルツにはならない。ヨハン・シュトラウスの音楽にはなりません。楽譜には忠実だけど、音楽的には誤りです。(後略)」(本書19ページ)−−ウィーンの音楽家たちは、時に傲慢である。しかし、その傲慢さには、理由が有る事をこの本は、語って居る。
又、ウィーン・フィルの指揮台に立った過去の大指揮者たちの肖像についての記述も興味深かった。クナッパーツブッシュの人柄に関する逸話と、そのクナッパーツブッシュについてのヒューブナー氏やプリンツ氏の言葉も興味深かった。更に、べームについての評が興味深い他、カラヤンが20世紀のクラシック音楽の隆盛に与えた貢献を述べた箇所は、非常に公平であると思った。
私事であるが、この本に登場するウィーン・フィルの楽団員の中には、生前、私が知己を持って居た故人も居る。彼らの肉声をこうして読む事は、私にとって、それらの故人と再会して居る様な経験であった。若い頃、私は、ウィーン・フィルを尊敬しつつも反発する事が有った。だが、この本の中で、ヒューブナー氏やオッテンザマー氏が語って居る言葉を読んで、私は、そのウィーン・フィルを、孫悟空の前に立ちはだかるお釈迦様の指の様に大きく、遥かな物に感じて居る。
(西岡昌紀・内科医/戦後66年目の夏に)
ウィーン・フィルのメンバーへのインタビューの積み重ねと、著者の音楽プロデューサーとしての体験を織り重ねて紡いだ精緻な音楽論である。オーケストラは人間の集まりであり、オーケストラが奏でる音楽は、楽団員一人一人の人生を根にして居る。そして、その楽団員の人生と言ふ根は、その楽団員を育てた、楽団員それぞれの家庭や社会と言ふ土の中に在る。聴衆である私たちは、その事を意識せず、音楽だけを聴いて居る。しかし、私達が聴くその音楽は、実は、楽団員一人一人の人生と彼らを育てたそれぞれの家庭、社会によって作り出された果実なのである。この本を読んで、私は、その事を痛感させられた。ビジネスマンでもある中野氏は、音楽を、音楽を愛する者として語るだけでなく、音楽と言ふビジネスを現代社会の中で捉え直すと言ふ視点を持って居る。その事によって、この本は、現代社会におけるクラシック音楽の位置をも考えさせる深い音楽論、文化論に成って居る。
この本は、時には傲慢とも思へる事の有るウィーン・フィルの保守性には理由が有る事を具体的な演奏に即して語って居る。例えば、ヒューブナー氏のこの発言がそうである。−−「譜面のAとEが縦一列に印刷されているからといって、それを正確に合わせて弾かなければならないなんて、誰が言い出したことだろうね。日本とかアメリカの音楽家で、そういう機械的(メカニック)な正確さを追うことが音楽なんだみたいな教育を受けて来た人が多いような気がするけれど。解りやすい例を挙げれば、ヨハン・シュトラウスの作ったワルツのリズムなんだけど、われわれの演奏では二拍目が微妙に長くなります。それがウィンナー・ワルツの特色なんだし、君たちもそれを体験したくてニューイヤー・コンサートに来るわけでしょう。楽譜には四部音符が三個並んでいるだけです。でも、あれを楽譜に忠実に弾いたら、ウィンナー・ワルツにはならない。ヨハン・シュトラウスの音楽にはなりません。楽譜には忠実だけど、音楽的には誤りです。(後略)」(本書19ページ)−−ウィーンの音楽家たちは、時に傲慢である。しかし、その傲慢さには、理由が有る事をこの本は、語って居る。
又、ウィーン・フィルの指揮台に立った過去の大指揮者たちの肖像についての記述も興味深かった。クナッパーツブッシュの人柄に関する逸話と、そのクナッパーツブッシュについてのヒューブナー氏やプリンツ氏の言葉も興味深かった。更に、べームについての評が興味深い他、カラヤンが20世紀のクラシック音楽の隆盛に与えた貢献を述べた箇所は、非常に公平であると思った。
私事であるが、この本に登場するウィーン・フィルの楽団員の中には、生前、私が知己を持って居た故人も居る。彼らの肉声をこうして読む事は、私にとって、それらの故人と再会して居る様な経験であった。若い頃、私は、ウィーン・フィルを尊敬しつつも反発する事が有った。だが、この本の中で、ヒューブナー氏やオッテンザマー氏が語って居る言葉を読んで、私は、そのウィーン・フィルを、孫悟空の前に立ちはだかるお釈迦様の指の様に大きく、遥かな物に感じて居る。
(西岡昌紀・内科医/戦後66年目の夏に)
2010年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
逆に言えば個人的な思い入れ無しでは…ウィーンフィルのファンなんてやってられない(笑)ある意味、阪神ファンと似ている。「客観的に良い作品」より「ウィーンフィルらしい駄作」を愛せる様になるためのガイドブックなんでしょうなあ…まあー客観的に良い音楽なんて在るのか?って気もするが。
2010年7月3日に日本でレビュー済み
この本を読むきっかけは、あるコーチングの本(だったと思う)で、コーチングと人生の参考にという意図の巻末参考文献に含まれていたことだった。
レビューでは大分厳しい批評が多い本だが、私は十分楽しめた。オケの経験は無い。クラシック音楽は軽く聞くが、まさしく本書が危惧しているアメリカ式の正確な音が出れば良い音楽と、多少のズレがあっても地域色があって音符に載せる情報量が多い音楽の区別などわからない。
常任指揮者を置いていないことも、ピッチが445であることも初めて知った。
そのような音楽的な観点ではなく、私は、この本を7割型、リーダーシップ論・マネジメント論・企業文化論として読んだ。ずいぶんとコンテクストが変わる。
強力なリーダーがいなくても一人ひとりがプロフェッショナルたることで存続できる。自分たちで組織を運営し、客演指揮を選定することが自発的な活動を産む。指揮者はこの荒くれ者をヒエラルキー的に統率するのではなく、自分の方向を示しつつ、好きなように演奏させ、時にはソリストの演奏(ヒット商品)や観客(顧客)の雰囲気に合わせて演奏を途中で変えることまで要求される。楽器や演奏者も含め、ウィーンスタイルという文化に染まっていることが重要で、協調性のない者(企業文化に馴染めない社員)は辞めることを余儀なくされる。
画一的なミスの無い演奏と、売らんかなのアメリカン・グローバリズムに揉まれながらもなんとか生き残りを賭けるウィーン・フィル。そのスタイルが次世代にも残ることを祈る。
レビューでは大分厳しい批評が多い本だが、私は十分楽しめた。オケの経験は無い。クラシック音楽は軽く聞くが、まさしく本書が危惧しているアメリカ式の正確な音が出れば良い音楽と、多少のズレがあっても地域色があって音符に載せる情報量が多い音楽の区別などわからない。
常任指揮者を置いていないことも、ピッチが445であることも初めて知った。
そのような音楽的な観点ではなく、私は、この本を7割型、リーダーシップ論・マネジメント論・企業文化論として読んだ。ずいぶんとコンテクストが変わる。
強力なリーダーがいなくても一人ひとりがプロフェッショナルたることで存続できる。自分たちで組織を運営し、客演指揮を選定することが自発的な活動を産む。指揮者はこの荒くれ者をヒエラルキー的に統率するのではなく、自分の方向を示しつつ、好きなように演奏させ、時にはソリストの演奏(ヒット商品)や観客(顧客)の雰囲気に合わせて演奏を途中で変えることまで要求される。楽器や演奏者も含め、ウィーンスタイルという文化に染まっていることが重要で、協調性のない者(企業文化に馴染めない社員)は辞めることを余儀なくされる。
画一的なミスの無い演奏と、売らんかなのアメリカン・グローバリズムに揉まれながらもなんとか生き残りを賭けるウィーン・フィル。そのスタイルが次世代にも残ることを祈る。
2002年11月7日に日本でレビュー済み
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2018年12月14日に日本でレビュー済み
言葉の使い方がおかしかったり、文章が下手くそです。小学生が読んでも「その言葉、使い方違うよ」って言いますね。そこが気になってしまいます。