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月山・鳥海山 (文春文庫 も 2-1) 文庫 – 1979/10/1
森 敦
(著)
芥川賞史上最高傑作とも言われる、天才作家・森敦の名作古来、支社の行く「あの世の山」とされた月山。「わたし」は、「この世」と隔絶されたような、雪深い山間の破れ寺でひと冬を過す。そこには、現世とも幽界ともさだかならぬ村人たちの不思議な世界が広がっていた。誰しも作者というものは、容易に語るに至らぬものを奥深く秘めているものである。そしていよいよ重い筆を執りあげてから作者もまたようやく自分の中の具体的な秘密の存在を知りはじめるものである。森さんの場合も、当初に計画されていたものと長さも違えば、ことによっては語り方もいくぶん違う結果になったようである。そういうことも、どの作者にも大体のところ、共通するものである。(解説・小島信夫)
- 本の長さ366ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1979/10/1
- ISBN-104167223015
- ISBN-13978-4167223014
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1979/10/1)
- 発売日 : 1979/10/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 366ページ
- ISBN-10 : 4167223015
- ISBN-13 : 978-4167223014
- Amazon 売れ筋ランキング: - 431,427位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年12月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あまり読まないジャンルですが、今私的に探しているネタ集めに購入。
2019年9月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『月山』と、短編集「鳥海山」に収められた『天沼』、『初真桑』、『鷗』、『光陰』、『かての花』、『天上の眺め』の七篇を収録。やはり完成度としては『月山』が頭一つも二つも抜きん出ている。読み終えてから芥川賞史上最高の傑作との声ありと知ったが、なに芥川賞史上どころか戦後日本文学の大傑作である。おれ史上では大岡昇平の『野火』といい勝負だ。物語は昭和26年、著者が山形県庄内地方の注連寺で一冬を過ごした経験がもとになっているようだ。季節は初冬。世の中に倦んだようなちょっと訳ありの主人公(著者)が月山山中(正確には湯殿山のほう)の廃寺同然の寺にふらりとやってくる。やがて季節は本格的な冬へ。降り積もる雪に埋もれてゆく村、連日吹き荒れる「吹き」と村人の呼ぶ吹雪。そこで息をひそめるように暮らす人々はどこか大きな秘密を抱えているようである。錯綜する人間関係、真夜中の念仏講に集う老婆と若い後家の女、行き倒れの乞食のはらわたをくり抜いてつくったという即身仏のミイラと、何人もの村人が博打に狂い借金苦の末首を吊って死んだという歴史・・暗く閉ざされた雪の中の暮らし。閉塞感で押しつぶされそうな生活ではあるが物語は万華鏡のように変転する。幽かな狂気と淫靡さを作品全体に纏わせながら。会話文で用いられている庄内弁がさらに異次元の世界へと読者をいざなう。さてこれでいったい結末はどうなるのか、という期待と不安の入り混じった気持ちが交錯するが、そのうち結末なんてどうでもよくなってくる。もう主人公と一緒にこのまま豪雪の集落に生きながら埋もれてしまってもいいとさえ思えてくるから不思議だ。発表は昭和48年。作品は昨今の風潮にはまったく合わないと思うし、文体も多くの人は読みにくいだろう。それでもこの作品は月山のような孤高の輝きを放つ大大大傑作であることは間違いない!!ただ残念ながら短編集「鳥海山」収録の六篇は、さほどでもないので、全体として評価は星一つ減とさせて頂きました。ごめんなさーい。
2014年9月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
森敦さんの原稿が鶴岡市に寄贈されたというニュースをよみ、
鶴岡に滞在時に本を購入してよみました。
文学のことは残念ながらわからないのですが、
水のようにコクコクと体に入っていくような文章で
ずっとむかしから感じていた「鶴岡っぽい」雰囲気、色、空気感、が、
文章に存分に入っています。
この本を読む時は、ぜひ月山においでください。
時代は違うので同じ体験はできませんが、
雰囲気というか空気感、みたいなものはまったく変わってないと思います。
ぜひ。
鶴岡に滞在時に本を購入してよみました。
文学のことは残念ながらわからないのですが、
水のようにコクコクと体に入っていくような文章で
ずっとむかしから感じていた「鶴岡っぽい」雰囲気、色、空気感、が、
文章に存分に入っています。
この本を読む時は、ぜひ月山においでください。
時代は違うので同じ体験はできませんが、
雰囲気というか空気感、みたいなものはまったく変わってないと思います。
ぜひ。
2017年7月24日に日本でレビュー済み
森敦(1912-1989)の『月山』は1974年に第70回芥川賞を受賞した作品で、
森は62歳、黒田夏子が75歳で受賞するまでは最年長記録だったそうです。
この度文春文庫で新装版が出たので手にとってみました。
そして驚愕で身が震えるほど感動しました。
月山の麓にある古ぼけたお寺に一冬居候することになった「私」。
本を読むでもなく、絵を描くでもない私は、
寺の仕事手伝うでもなく雪深い農家をただぶらりとし、農家の人々の話を聞く。
「私」がやったことといえば、お寺の隙間風を防ぐため
お寺にあった古い古い祈祷帖の和紙で蚊帳をつくっただけ。
あとは寺男のじいさまがつくった大根だけ入った味噌汁とご飯を食べ、
毎日まいにちぼぉ~と過ごしていたのです。
それでもこの小さな農家ではいろいろなことがおきますが
「私」は何をするでもなく、それらをじぃ~と見聞きしているのです。
そして春、友人が来たのでお寺を去ることを決意します。
別れにあたって寺にじいさまは手弁当と手作り割り箸を差し出し、
紐で結んだ眼鏡を外して涙するのでした。
この作品はこれまでのものとは全く異質の、
ほとんど起伏のない、雪が深々と積もるような静かな世界を綴っています。
そして今、思うことは、「私」という男は古代の人と同じように、
ただ飯を食って、寝て、起きそして食べる、
他の動物とほぼ変わらないような生活してきたということです。
ひょっとしたら人の一生も煎じ詰めればこれに尽きるのではないか?
ここの農家の人々もごく普通の人間ですかから少しは遊び
(古儀⇒日常的な生活から別の世界に心身を開放してその中に身を浸すこと)を
していますが、彼はそれにも無関心だったのです。
いわんや金持になって美味しものを食べ、何でも手に入れられような人にも、
また偉い人になって人を指図するように人々にも、
「私」は全く関心をしめさなかったのです。
これが仏教で言う無私なのでしょうか?
それではただのバカではないか?
愚鈍、大いに結構ではありませんか!
世に云う「進歩」「発展」とは何でしょうか?
世の中便利になってより多くの人々はしあわせになったでしょうか?
この小説の文頭に、「未だ生を知らず 焉んぞ死を知らん」
という孔子の言葉が掲げられています。
勿論、どなたにもというわけにはまいりませんがお気にめされたらご一読ください。
森は62歳、黒田夏子が75歳で受賞するまでは最年長記録だったそうです。
この度文春文庫で新装版が出たので手にとってみました。
そして驚愕で身が震えるほど感動しました。
月山の麓にある古ぼけたお寺に一冬居候することになった「私」。
本を読むでもなく、絵を描くでもない私は、
寺の仕事手伝うでもなく雪深い農家をただぶらりとし、農家の人々の話を聞く。
「私」がやったことといえば、お寺の隙間風を防ぐため
お寺にあった古い古い祈祷帖の和紙で蚊帳をつくっただけ。
あとは寺男のじいさまがつくった大根だけ入った味噌汁とご飯を食べ、
毎日まいにちぼぉ~と過ごしていたのです。
それでもこの小さな農家ではいろいろなことがおきますが
「私」は何をするでもなく、それらをじぃ~と見聞きしているのです。
そして春、友人が来たのでお寺を去ることを決意します。
別れにあたって寺にじいさまは手弁当と手作り割り箸を差し出し、
紐で結んだ眼鏡を外して涙するのでした。
この作品はこれまでのものとは全く異質の、
ほとんど起伏のない、雪が深々と積もるような静かな世界を綴っています。
そして今、思うことは、「私」という男は古代の人と同じように、
ただ飯を食って、寝て、起きそして食べる、
他の動物とほぼ変わらないような生活してきたということです。
ひょっとしたら人の一生も煎じ詰めればこれに尽きるのではないか?
ここの農家の人々もごく普通の人間ですかから少しは遊び
(古儀⇒日常的な生活から別の世界に心身を開放してその中に身を浸すこと)を
していますが、彼はそれにも無関心だったのです。
いわんや金持になって美味しものを食べ、何でも手に入れられような人にも、
また偉い人になって人を指図するように人々にも、
「私」は全く関心をしめさなかったのです。
これが仏教で言う無私なのでしょうか?
それではただのバカではないか?
愚鈍、大いに結構ではありませんか!
世に云う「進歩」「発展」とは何でしょうか?
世の中便利になってより多くの人々はしあわせになったでしょうか?
この小説の文頭に、「未だ生を知らず 焉んぞ死を知らん」
という孔子の言葉が掲げられています。
勿論、どなたにもというわけにはまいりませんがお気にめされたらご一読ください。
2021年6月23日に日本でレビュー済み
〇 「月山」は色々な意味で過剰な小説だと思った。自然描写、方言、風俗、情緒、「・・・のです」のくり返し、がすべて過剰だ。これが作品の特長であり魅力であることも事実なのだが、これらに寄りかかりすぎているように感じる。これを差し引いたらあとに何が残るだろう、あるいはこの作品を英訳したら魅力的な小説になり得るだろうか、ついそんなことを考えてしまうのだ。
〇 結局のところ、こうした飾りを取り除くと、主人公の根拠の見えない投げやりな諦念と外の世界から隔絶された謎めいた密造酒の村が、実体として残るのだろう。それで何が悪い、一つの世界を描きあげたのだから立派な作品ではないか、という人もあるだろう。それはそうなのだが、どうしても普遍性に欠けるような気がする。特殊な村の特殊な人たちを描いた作品で、世界の片隅に置いておけばよい小説ではないか。結局のところ好きな人が読んでいればよい小説だと思う。
〇 「鳥海山」は短篇5篇を集めたもの。いずれの作品も「月山」と同工異曲。このなかでは「初真桑」が良いと思った。記述の対象は風景と旅で偶々乗り合わせた人々の振る舞い。一見して紀行文である。これが小説だとすれば、それは風景か体験か語り手の心情が事実ありのままではないからに違いない。
〇 ではそうした虚構を創り上げて何を言いたかったのか。作中で能弁に吐露される語り手の心情こそが表現したかったことであろう。もどきとだましに心惹かれながら、生と死の境に思いを馳せる心情である。死と生との境界の高さを意識しなくなるほど死に親しむに至った境地を表現したかったのであろう。作者が実際にそうした境地に至ったかどうかはわからないが、少なくともそうした境地を好ましいと感じ、そうした境地を表現したいと意欲したことは事実だろう。そうした心情はなかなかに魅力的であるし、文章も好ましい美文なのだが、それでもわたしはどうしても情緒過多で弱弱しい作品と感じてしまう。しきりに生と死を語るが、死の情緒ではなく死の思想と覚悟はあるのか、と問いかけたくなるのだ。
〇 結局のところ、こうした飾りを取り除くと、主人公の根拠の見えない投げやりな諦念と外の世界から隔絶された謎めいた密造酒の村が、実体として残るのだろう。それで何が悪い、一つの世界を描きあげたのだから立派な作品ではないか、という人もあるだろう。それはそうなのだが、どうしても普遍性に欠けるような気がする。特殊な村の特殊な人たちを描いた作品で、世界の片隅に置いておけばよい小説ではないか。結局のところ好きな人が読んでいればよい小説だと思う。
〇 「鳥海山」は短篇5篇を集めたもの。いずれの作品も「月山」と同工異曲。このなかでは「初真桑」が良いと思った。記述の対象は風景と旅で偶々乗り合わせた人々の振る舞い。一見して紀行文である。これが小説だとすれば、それは風景か体験か語り手の心情が事実ありのままではないからに違いない。
〇 ではそうした虚構を創り上げて何を言いたかったのか。作中で能弁に吐露される語り手の心情こそが表現したかったことであろう。もどきとだましに心惹かれながら、生と死の境に思いを馳せる心情である。死と生との境界の高さを意識しなくなるほど死に親しむに至った境地を表現したかったのであろう。作者が実際にそうした境地に至ったかどうかはわからないが、少なくともそうした境地を好ましいと感じ、そうした境地を表現したいと意欲したことは事実だろう。そうした心情はなかなかに魅力的であるし、文章も好ましい美文なのだが、それでもわたしはどうしても情緒過多で弱弱しい作品と感じてしまう。しきりに生と死を語るが、死の情緒ではなく死の思想と覚悟はあるのか、と問いかけたくなるのだ。
2012年4月13日に日本でレビュー済み
本作品に描かれている生活様式は昭和30年代頃まで山奥の山村には残っていたようです。
今では見ることも経験することも出来ない日本の原風景が描かれており、それが読む者に新鮮な印象となって残る作品です。
作者は実際に舞台となった山村を取材して生活を共にしたものと思われますが、そこでの生活実態、情景、人物の描写には優れたものがあります。
しかしながら私には読み終えて少し不満の残る作品でした。
不満に思うのは主人公の存在感が希薄であることです。
何故、放浪の旅に出てこの山村で一冬過ごす事になったのか?何故、唐突に訪れてきた友人に誘われてこの地を去ったのか?----主人公の意識の流れ、即ち心情描写が少ないこともあり主体性が感じられない作品です。
安倍公房の「砂の女」、カフカの「城」を想起させる筋立てですが、これらの作品では主人公が不条理の世界に迷い込んだとは言え優れた心情描写により主人公の主体性が感じられました。
併録されている姉妹編「天沼」にも同じ印象を受けました。
情景描写は優れているのですが心情描写において伝わってくる物が少なかったのであえて評価を落とした次第です。
今では見ることも経験することも出来ない日本の原風景が描かれており、それが読む者に新鮮な印象となって残る作品です。
作者は実際に舞台となった山村を取材して生活を共にしたものと思われますが、そこでの生活実態、情景、人物の描写には優れたものがあります。
しかしながら私には読み終えて少し不満の残る作品でした。
不満に思うのは主人公の存在感が希薄であることです。
何故、放浪の旅に出てこの山村で一冬過ごす事になったのか?何故、唐突に訪れてきた友人に誘われてこの地を去ったのか?----主人公の意識の流れ、即ち心情描写が少ないこともあり主体性が感じられない作品です。
安倍公房の「砂の女」、カフカの「城」を想起させる筋立てですが、これらの作品では主人公が不条理の世界に迷い込んだとは言え優れた心情描写により主人公の主体性が感じられました。
併録されている姉妹編「天沼」にも同じ印象を受けました。
情景描写は優れているのですが心情描写において伝わってくる物が少なかったのであえて評価を落とした次第です。
2009年9月21日に日本でレビュー済み
山形県庄内地区旧朝日村の四季とともに、幻想的な世界が広がる。その幻想は村の自然の移り変わりとともに幽玄さが増す。村人の性質や性格が自然と溶け合う。月山麓で繰り広げられる、土着な生活。
東北地区独特の粘着質のある世界観であります。寺山修二の世界観に似ています。そして粘着と反するような哲学的な文章。ほんとうに不思議な世界観が紡ぎだされます。
山形県出身者および在住者は必読です。現在話題の山形県ロケ映画である、アカデミー外国語映画受賞作よりずっと東北の世界感を体験できます。
東北地区独特の粘着質のある世界観であります。寺山修二の世界観に似ています。そして粘着と反するような哲学的な文章。ほんとうに不思議な世界観が紡ぎだされます。
山形県出身者および在住者は必読です。現在話題の山形県ロケ映画である、アカデミー外国語映画受賞作よりずっと東北の世界感を体験できます。
2017年3月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近のチープな作品とは一線を画す名作。
プロットのシンプルが、かえって逃げのない創作姿勢を感じさせます。
プロットのシンプルが、かえって逃げのない創作姿勢を感じさせます。