ギリシャ時代のソクラテスから始まる哲学思想の流れをざっくりと分かり易く解説しています。
ヘーゲル→シェリング→マルクスへと繋がっていく思想の流れが分かることで、マルクスの考えがすとんと腑に落ちるようになりました。
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反哲学史 (講談社学術文庫) 文庫 – 2000/4/10
木田 元
(著)
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ニーチェによって粗描され、ハイデガーによって継承された「反哲学」は、西洋2500年の文化形成を導いてきた「哲学」と呼ばれる知の様式を批判的に乗り越えようとする企てである。この新しい視角を得れば、哲学の歴史も自ずからこれまでとは違って見えてくる。古代ギリシアから19世紀末にいたる哲学の道筋をたどり直す「反哲学史」。講談社学術文庫『現代の哲学』の姉妹編。
- ISBN-104061594249
- ISBN-13978-4061594241
- 出版社講談社
- 発売日2000/4/10
- 言語日本語
- 寸法10.6 x 1.1 x 14.8 cm
- 本の長さ272ページ
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著者について
1928年山形県生まれ。東北大学文学部哲学科卒業。中央大学文学部教授を経て、現在、中央大学名誉教授。著書に『現代の哲学』『哲学と反哲学』『メルロ=ポンティの思想』『ハイデガー』『ハイデガーの思想』、訳書にフェルマン『現象学と表現主義』、メルロ=ポンティ『眼と精神』『行動の構造』『見えるものと見えないもの』等多数がある。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年10月22日に日本でレビュー済み
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2004年4月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「反哲学史」という題名からどんな鬼面人を驚かす難解な哲学史かと思いきや、きわめてまっとうな、しかもわかりやすい哲学史である。明治大学の講義ノートを元に書かれたもので、「哲学入門」にもってこいの本である。
「反哲学」とは「反形而上学」のことである。
著者は「形而上学」についてこのように定義している。
「この現実の自然の外になんらかの超自然的原理を設定し、それに照準を合わせながらこの自然を見てゆこうとする特殊なものの考え方、思考様式という意味です。」(112ページ)
この観点から、プラトン、アリストテレスから始まってデカルト、カント、ヘーゲルといった西洋哲学のいわば幹線道路について解説してゆく。切り口がはっきりしているので、非常に判りやすい。
ただ形而上学克服の試みを、シェリング、マルクス、ニーチェの19世紀の先駆者に言及するにとどめ、あとは「現代の哲学」を読んで下さいというのは若干無責任である。
10年前にこの本に出会っていればなあと思う本である。
「反哲学」とは「反形而上学」のことである。
著者は「形而上学」についてこのように定義している。
「この現実の自然の外になんらかの超自然的原理を設定し、それに照準を合わせながらこの自然を見てゆこうとする特殊なものの考え方、思考様式という意味です。」(112ページ)
この観点から、プラトン、アリストテレスから始まってデカルト、カント、ヘーゲルといった西洋哲学のいわば幹線道路について解説してゆく。切り口がはっきりしているので、非常に判りやすい。
ただ形而上学克服の試みを、シェリング、マルクス、ニーチェの19世紀の先駆者に言及するにとどめ、あとは「現代の哲学」を読んで下さいというのは若干無責任である。
10年前にこの本に出会っていればなあと思う本である。
2011年8月7日に日本でレビュー済み
他の方も書いていますが、反哲学史というタイトルですが、
単に西洋哲学史です。哲学という言葉の由来についても
比較的詳しく書いてあるので、著者にはこの言葉にこだわり
があるのでしょうが、19世紀以降に形而上学に対する批判
が行われてきたというのは、どの西洋哲学史にも載っている
ことではないでしょうか?
私は、西洋哲学を明治以降に取り入れてきた日本人にとって
の反哲学という点があると期待したのですがありませんでした。
まあ、普通の西洋哲学史の本としては分かりやすいと思います。
特にソクラテス〜プラトン〜アリストテレスの思想のつながりは
よく分かりました。
単に西洋哲学史です。哲学という言葉の由来についても
比較的詳しく書いてあるので、著者にはこの言葉にこだわり
があるのでしょうが、19世紀以降に形而上学に対する批判
が行われてきたというのは、どの西洋哲学史にも載っている
ことではないでしょうか?
私は、西洋哲学を明治以降に取り入れてきた日本人にとって
の反哲学という点があると期待したのですがありませんでした。
まあ、普通の西洋哲学史の本としては分かりやすいと思います。
特にソクラテス〜プラトン〜アリストテレスの思想のつながりは
よく分かりました。
2011年9月9日に日本でレビュー済み
要するに西欧思想史とは、全てプラトンのイデア論のバリュエーションにすぎず、
ニーチェ(ギリシア古典文献学者からスタートした)に至ってようやくそれが相対化される。
本書のテーマはこの一点にあるため流れが明瞭で、非常に分かりやすい哲学入門書となっている。
原点のプラトンが肝心なため、本文全230ページのうち約100ページをギリシア思想に割いている。
最も読み応えのある部分でもあり、語源への言及やエピソード等も含めてとても充実している。
後は、キリスト教神学・デカルト・イギリス経験主義・ドイツ観念論・実存主義・ニーチェと続く。
時代時代の要請や気運を受け、イデア論を基底にもつ哲学が変容していく様が良く分かる内容だ。
一点、筆者はイデア論がプラトン個人から発現した事象であり世界的普遍性はないと断ずるが、
イデア論の汎神論的な展開である新プラトニズムの系譜(プロティノスやスピノザ等)にあっては、
別体系たるインドのヴェーダーンタ思想(後世の仏教に影響)と近似するため、議論の余地はあろう。
余話として、メタフィジックス(形而上学、直訳だと超物理学)という偉そうでかしこまった語が、
元来「自然学(フィジックス)の次巻」というほどの意味でしかなかったとの話には苦笑した。
ニーチェ(ギリシア古典文献学者からスタートした)に至ってようやくそれが相対化される。
本書のテーマはこの一点にあるため流れが明瞭で、非常に分かりやすい哲学入門書となっている。
原点のプラトンが肝心なため、本文全230ページのうち約100ページをギリシア思想に割いている。
最も読み応えのある部分でもあり、語源への言及やエピソード等も含めてとても充実している。
後は、キリスト教神学・デカルト・イギリス経験主義・ドイツ観念論・実存主義・ニーチェと続く。
時代時代の要請や気運を受け、イデア論を基底にもつ哲学が変容していく様が良く分かる内容だ。
一点、筆者はイデア論がプラトン個人から発現した事象であり世界的普遍性はないと断ずるが、
イデア論の汎神論的な展開である新プラトニズムの系譜(プロティノスやスピノザ等)にあっては、
別体系たるインドのヴェーダーンタ思想(後世の仏教に影響)と近似するため、議論の余地はあろう。
余話として、メタフィジックス(形而上学、直訳だと超物理学)という偉そうでかしこまった語が、
元来「自然学(フィジックス)の次巻」というほどの意味でしかなかったとの話には苦笑した。
2008年9月16日に日本でレビュー済み
「形而上学的原理とは・・・人間の願望の外に投射されたものでしかなく、本当に存在するわけのものではありません」
「真実らしいこと以上の真理はありえないわけであり、その真実らしさは実際的有効性によって決せられる」
「万事を無原則に成りゆきにまかせる自然的存在論」に立脚していたソフィストの言い分・・・誠にご尤も。
「頽廃期に入り、国内的には民主政治が極度に堕落した衆愚政治」と化していたギリシアにおいて、
「ソクラテスやプラトンが戦おうとしたのは・・・堕落」
「ポリス(都市国家)の市民が・・・詭弁を弄してまで自己の個人的権利を主張し、
民主政治が過度に発達して衆愚政治と化すことによって、ポリスは精神的共同体としての統一性を失うと考えた」故である。
「おのれ自身いかなる立場」にも立たず、
「既成の知識や実在を否定して、それに代わる何か他の知識や実在をもち出そう」としなかったソクラテスの目的は、
「新らしいものの登場してくる舞台をまず掃き清める」ことにあった。
「国家というものは正義の理念を目指して形成され作られるべきものだという
政治哲学を提唱(『わたしの哲学入門』)」したプラトンの特異な存在論・・・イデア。
「すべてが作られたもの、作られるものであるからこそ、
国家も成りゆきにまかせるのではなく作られなくてはならないのだ(『わたしの哲学入門』)」
成りゆきまかせの堕落を憂いたが故の "あえてのイデア論" が、存在論そのものを転倒(おのずから生成→つくられてある)させ、
イデアに振り回された「ヨーロッパ文化は実は無に向かって形成されてきた」というニーチェの指摘・・・ニヒリズム。
おのずから生成、転じて、万事無原則の成りゆきまかせ。
作られなくてはならないのだ、転じて、ニヒリズム。
全存在者が往き場なく生成を繰り返す世界・・・「永劫回帰」こそが、端的な事実。
「真実らしいこと以上の真理はありえないわけであり、その真実らしさは実際的有効性によって決せられる」
「万事を無原則に成りゆきにまかせる自然的存在論」に立脚していたソフィストの言い分・・・誠にご尤も。
「頽廃期に入り、国内的には民主政治が極度に堕落した衆愚政治」と化していたギリシアにおいて、
「ソクラテスやプラトンが戦おうとしたのは・・・堕落」
「ポリス(都市国家)の市民が・・・詭弁を弄してまで自己の個人的権利を主張し、
民主政治が過度に発達して衆愚政治と化すことによって、ポリスは精神的共同体としての統一性を失うと考えた」故である。
「おのれ自身いかなる立場」にも立たず、
「既成の知識や実在を否定して、それに代わる何か他の知識や実在をもち出そう」としなかったソクラテスの目的は、
「新らしいものの登場してくる舞台をまず掃き清める」ことにあった。
「国家というものは正義の理念を目指して形成され作られるべきものだという
政治哲学を提唱(『わたしの哲学入門』)」したプラトンの特異な存在論・・・イデア。
「すべてが作られたもの、作られるものであるからこそ、
国家も成りゆきにまかせるのではなく作られなくてはならないのだ(『わたしの哲学入門』)」
成りゆきまかせの堕落を憂いたが故の "あえてのイデア論" が、存在論そのものを転倒(おのずから生成→つくられてある)させ、
イデアに振り回された「ヨーロッパ文化は実は無に向かって形成されてきた」というニーチェの指摘・・・ニヒリズム。
おのずから生成、転じて、万事無原則の成りゆきまかせ。
作られなくてはならないのだ、転じて、ニヒリズム。
全存在者が往き場なく生成を繰り返す世界・・・「永劫回帰」こそが、端的な事実。
2008年2月29日に日本でレビュー済み
近代以降の経済成長を前提とした社会のあり方、
資本主義社会がもう終わっているとしたら、
次に来る社会はどんな思想をバックボーンとしているのだろうか?
「思想というものが現実的有効性を発揮するには、百年、
さらには千年という単位での時間が必要な場合がある・・・・」
「キリスト教と結びつくことによって、プラトン哲学は最初に
その現実的な有効性を発揮することになりますが、
それはプラトンの死後千年近く経ってからのことなのです。」
私はマルクスを政治思想家というイメージでしかとらえていなかったので
「反哲学史」の流れのなかでマルクスがしっかりと哲学者として
仕事をしていることを知り、目からウロコが落ちました。
先のプラトンの思想と現実的有効性ということの言葉を考えると
マルクスの思想はまだ死んでいないどころか、
これからの資本主義の後を考える上で有効なのかもしれないと思いました。
資本主義社会がもう終わっているとしたら、
次に来る社会はどんな思想をバックボーンとしているのだろうか?
「思想というものが現実的有効性を発揮するには、百年、
さらには千年という単位での時間が必要な場合がある・・・・」
「キリスト教と結びつくことによって、プラトン哲学は最初に
その現実的な有効性を発揮することになりますが、
それはプラトンの死後千年近く経ってからのことなのです。」
私はマルクスを政治思想家というイメージでしかとらえていなかったので
「反哲学史」の流れのなかでマルクスがしっかりと哲学者として
仕事をしていることを知り、目からウロコが落ちました。
先のプラトンの思想と現実的有効性ということの言葉を考えると
マルクスの思想はまだ死んでいないどころか、
これからの資本主義の後を考える上で有効なのかもしれないと思いました。
2016年3月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
哲学をあまりありがたいものとして崇めまつるのをやめて、いわば反哲学ともいうべき立場から哲学を相対化し、その視点から哲学を見直してみよう(抜粋)ーという本です。プラトンやニーチェの思想が何となくでもわかっていれば、読めると思います。筆者による哲学の変遷の歴史叙述は、哲学を何か有意義で、神聖なものとする人(←私です)を幻滅させるでしょう。哲学と歴史は切り離せないものだと確信しました。
2010年10月10日に日本でレビュー済み
本書は平易な文章で書かれた哲学の入門書だ。しかし、平易な言葉が語る内容は平易な内容ではない。
僕が学んだのは以下である。「西欧哲学」というものはプラトンが考案したイデア論を基礎にして発達してきた欧州という地域限定の特殊な考え方であり、決してそれが世界全体の統一基準ではないし、そう理解してもいけないということだ。「反」という標題に込められてたニュアンスは、そういう警告である。
産業革命等を通じて、(この産業革命も優れて、形而上学的な世界認識に源がある事も本書で学んだ点だ)欧州が世界をリードしてきた。それゆえ 本来地域限定な「西欧哲学」が、あたかも世界統一基準のような様相を示していることも歴史だ。僕は日本人とは比較的哲学好きな民族だと思っているが、その基準はやはり「西欧哲学」にあると感じている。
但し、繰り返すが、「地域限定」であることを常に覚えているべきだ。「西欧哲学」を絶対視せず、常に相対化していく姿勢を著者は訴えているように思える。
僕にとっての哲学とは「世界認識の方法」である。一つの物を見るに際し 見る角度や見る人によって、その物はいくらでも変わりうる。その物自体は変わらなくても 認識の仕方によって、結果として、無数の変化を起こしてしまうのが「認識」の力であり呪術でもある。「西欧哲学」は その「認識」の一つのバージョンに過ぎないと言ってしまえるかどうか。そう考えると、即断するには、もう少し勉強しないと駄目なのだろうなということが素直な気持ちだ。
大変刺激的な一冊である。
僕が学んだのは以下である。「西欧哲学」というものはプラトンが考案したイデア論を基礎にして発達してきた欧州という地域限定の特殊な考え方であり、決してそれが世界全体の統一基準ではないし、そう理解してもいけないということだ。「反」という標題に込められてたニュアンスは、そういう警告である。
産業革命等を通じて、(この産業革命も優れて、形而上学的な世界認識に源がある事も本書で学んだ点だ)欧州が世界をリードしてきた。それゆえ 本来地域限定な「西欧哲学」が、あたかも世界統一基準のような様相を示していることも歴史だ。僕は日本人とは比較的哲学好きな民族だと思っているが、その基準はやはり「西欧哲学」にあると感じている。
但し、繰り返すが、「地域限定」であることを常に覚えているべきだ。「西欧哲学」を絶対視せず、常に相対化していく姿勢を著者は訴えているように思える。
僕にとっての哲学とは「世界認識の方法」である。一つの物を見るに際し 見る角度や見る人によって、その物はいくらでも変わりうる。その物自体は変わらなくても 認識の仕方によって、結果として、無数の変化を起こしてしまうのが「認識」の力であり呪術でもある。「西欧哲学」は その「認識」の一つのバージョンに過ぎないと言ってしまえるかどうか。そう考えると、即断するには、もう少し勉強しないと駄目なのだろうなということが素直な気持ちだ。
大変刺激的な一冊である。