内館さんは最初の段階において
女が(女性が、ではなくて女が、という時点でなんだか変な歪みを感じる)
土俵にあがろうなんてけしからん、という歪んだ怒りがあり、
その怒りを正当化するために勉強を始め、
途中で自分でも、ん?ん?と感じる機会があっても、
でも、やっぱり駄目よ、と強引にまとめている。
こういうのを、科学の世界であれば、実験者バイアスと言って、
学問をする人間としてはあるまじき姿勢であると私は思うのだが、
それはともかくとして、
内館さんがこの本において提供してくれている様々な情報によって、
私は逆に、女性は土俵にあがるべきなんじゃないかと考えるに至った。
最初にわんぱく相撲東京場所で準優勝した女の子が決勝大会に出られなかった。(頁15)
『当初は和風リングでしかなかったものを「俵で結界した区域」という意味づけをすることにより、土俵は聖域に』(頁113)
1758年穢多の相撲見物禁止。『被差別民が見ることができないものとすることで、相撲集団はさらにその地位を向上させようとした。私はそう見ている』(頁114)
『女性差別そのものである血盆経信仰は、今は忘れられつつある』(高達奈緒美)(頁216)
『「女は相撲見物をしてはならない」というのは、いつ決められたのか。これもハッキリしないのだが、私は穢多の人々の見物を禁じたのと同時期ではないかと推測している。』(頁222)
ところで我々日本人には宗教を批判していけないというような空気と慣習があると思う。
かのオウム真理教が問題になったときですら、果たして宗教を批判して良いのだろうか、などとぐだぐだ述べる学者がいたものだ。
しかし最近知ったが、フランスという国などは、宗教批判が国民的スポーツなのだそうだ。
また日本でも織田信長の比叡山焼き討ちなどが、なにかスカッとしたものを感じさせるのはなぜだろう。(お寺さんには個人的な恨みもある)
また、キリストがキレて神殿を滅茶苦茶にしたエピソードもなんと清々しいものだ。
温故知新という言葉があるが
日本がいろいろ問題を持つようなものまで変えずに後生大事にそのままにしているのは
なにか説得力のある理由があるからではなく
ただただ反対する人たちが鬱陶しくて騒ぎがめんどくさいだけなのかもしれない。

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女はなぜ土俵にあがれないのか (幻冬舎新書 う 1-1) 新書 – 2006/11/1
内館 牧子
(著)
- 本の長さ266ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日2006/11/1
- ISBN-104344980026
- ISBN-13978-4344980020
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登録情報
- 出版社 : 幻冬舎 (2006/11/1)
- 発売日 : 2006/11/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 266ページ
- ISBN-10 : 4344980026
- ISBN-13 : 978-4344980020
- Amazon 売れ筋ランキング: - 723,837位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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脚本家。1948年、秋田市生まれ。武蔵野美術大学卒業後、三菱重工業に入社。13年半のOL生活を経て、1988年に脚本家デビュー。2000年9月か ら(財)日本相撲協会横綱審議委員会審議委員をつとめ、2010年1月に退任。2006年には、東北大学大学院文学研究科で、論文「大相撲の宗教学的考察 ―土俵という聖域」で修士号を取得。2006年より、秋田経済法科大学(現・ノースアジア大学)客員教授。2008年より、武蔵野美術大学客員教授(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 「横審の魔女」と呼ばれて (ISBN-13: 978-4022507273 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年6月9日に日本でレビュー済み
2012年12月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
修士論文を一般人にも分かりやすく説明してあり、非常に興味深く読んだ。結論としては確たる証拠はないようだが、相撲協会も女性を拒絶するなら男性も同等に拒絶する部分があろうとの主張が面白かった。例えば男性は誰でも土俵に上がれるがスリッパを履いてもらっているそうだが、そのようなインチキな処置でなく、裸足或いは行事の履いているものと同じものをはかせるべきでなかろうととの主張は尤もである。いずにしても現在の相撲協会の説明では女性が土俵に上がれないと言うのを最後まで頑張ることはできないのではないかという気がする。興業の終わった土俵にも女性を上げないのは筋が通らない様な印象も受けた。
2020年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の東北大学での修士論文を下敷きにしたもの。女が何故土俵に上がれないかという理由が読み終わって腑に落ちたかと言うと、腑に落ちない。「女を土俵にあげるべきではない」という考えを支持していたが、この書を読むと、「女を土俵にあげるべきではない」のは単に相撲協会の権威維持のための姦計としか思えなくなってきた。国民の間のスポーツ人口も少なく、男だけの世界で、しかも外国人力士をスカウトしている相撲が「国技」と名乗っている奇妙さと土俵の女人禁制は同根のもののようだ。著者は宗教学を研究して、修験道にみられるようなある種の宗教的心性から「女人禁制」が生じたと主張しつつ、一方で現代相撲の歴史は浅く、興業としての振興を図る意図から「女を土俵にあげない」という伝統が生まれた、としか解釈できない結論になっている。著者の言い分としては、土俵に神を迎え、そして神を見送るまでは女を土俵に入れるべきではないが、神送り以後は構わない、ようだ。しかし、神が土俵上に臨在している期間に女が土俵に入れないという論拠は説明できていないし、そもそも土俵での神の送迎の儀式自体が興行上の権威付与の形式である、というのが著者の主張のようだ。と解釈すれば、著者の論証と結論が異なる論理的一貫性が疑われる著作ではなかろうか。
2016年4月4日に日本でレビュー済み
おそらく著者の意図とは全く異なるであろうが、日本相撲協会から公益財団法人格をはく奪するべきであるということがよくわかる内容である。なぜなら、女が土俵に上がれない理由は全く宗教的なものであることを著者は明らかにしているからである。日本相撲協会にとって相撲は「神事」なのであるから、公益財団法人格が与えられるのはおかしいのである。存続したいのであれば公益財団法人として解散したのち、宗教法人として再出発を目指すべきではないか。
なお、著者が最後に書いていることには全面的に賛成である。
「土俵や祭りや伝統芸能や、そういったものにも男女共同参画を言う人たちと、そういったものには男女共同参画は不要とする人たちとは、いかなる努力をしてもお互いに理解しえない。それが最もよくわかったことです」
その通りである。いかなる努力をしてもお互いに理解しえないのであるから、内館牧子のようなものを淡々と公的社会から排除すべきなのである。
なお、著者が最後に書いていることには全面的に賛成である。
「土俵や祭りや伝統芸能や、そういったものにも男女共同参画を言う人たちと、そういったものには男女共同参画は不要とする人たちとは、いかなる努力をしてもお互いに理解しえない。それが最もよくわかったことです」
その通りである。いかなる努力をしてもお互いに理解しえないのであるから、内館牧子のようなものを淡々と公的社会から排除すべきなのである。
2008年3月21日に日本でレビュー済み
土俵に女が上がるべきではない背景を,多角的に考察した修士論文の再編集。
いろいろな人の説を,羅列的に並べただけで,著者の考察の軸が,歴史にあるのか,社会学的にあるのか,文化/社会人類学的にあるのかがぼやけたままなものの,著者自身の問題意識がハッキリしているので,ひとつのまとまりは確保されている。ただ,習俗や世論の形成についての一般概念の理解があまりに浅く,意義ある議論にまでは到達できていない。と,このように,まさに修士論文のレベルで,研究としては三流のレベルを超えない。
が,しかし,それでもなお本書が読まれる価値が十二分にあるのは,この程度の論にさえ,相撲協会はまともに同意も反論もできないだけしか自らのあり方を考究してこなかったことを,露呈させるからであり,著者は横綱審議委員としてきわめて重要な仕事を果たしたといえよう。
とはいえ,人文学の素養ある者が本著者の意志を受けて,一生を賭けて相撲を本格的研究対象としたくなるような魅力が,今の大相撲界にあるかといえば疑問である。相撲ファンとしては,本書がきっかけとなって,大相撲研究にかすかな灯火でも点らんことを願わずにはいられない。
そんな意味でとても重要な一冊。さすがに読みやすい。
いろいろな人の説を,羅列的に並べただけで,著者の考察の軸が,歴史にあるのか,社会学的にあるのか,文化/社会人類学的にあるのかがぼやけたままなものの,著者自身の問題意識がハッキリしているので,ひとつのまとまりは確保されている。ただ,習俗や世論の形成についての一般概念の理解があまりに浅く,意義ある議論にまでは到達できていない。と,このように,まさに修士論文のレベルで,研究としては三流のレベルを超えない。
が,しかし,それでもなお本書が読まれる価値が十二分にあるのは,この程度の論にさえ,相撲協会はまともに同意も反論もできないだけしか自らのあり方を考究してこなかったことを,露呈させるからであり,著者は横綱審議委員としてきわめて重要な仕事を果たしたといえよう。
とはいえ,人文学の素養ある者が本著者の意志を受けて,一生を賭けて相撲を本格的研究対象としたくなるような魅力が,今の大相撲界にあるかといえば疑問である。相撲ファンとしては,本書がきっかけとなって,大相撲研究にかすかな灯火でも点らんことを願わずにはいられない。
そんな意味でとても重要な一冊。さすがに読みやすい。
2009年10月2日に日本でレビュー済み
借り物の集まりで、結局本当のところは田辺聖子さんの説の紹介が一番ぴったりしている。
女人禁制の行事は、女性から見れば、かわいい男の姿だという視点。
本書は、田辺聖子さんの視点を紹介してもらえたことで、価値があると思う。
著者も、そこまで割り切ればよかったのにと思う。
なにが、著者をあいまいなところで留めているのかは分からない。
相撲に対する愛着なのか、自身のなにかのプライドなのか。
きっと、本当は愛すべき人なのだろうに。
女人禁制の行事は、女性から見れば、かわいい男の姿だという視点。
本書は、田辺聖子さんの視点を紹介してもらえたことで、価値があると思う。
著者も、そこまで割り切ればよかったのにと思う。
なにが、著者をあいまいなところで留めているのかは分からない。
相撲に対する愛着なのか、自身のなにかのプライドなのか。
きっと、本当は愛すべき人なのだろうに。
2013年3月5日に日本でレビュー済み
まず結論から言うと、本書題名「女はなぜ土俵にあがれないのか」の答えは、そういう結界だから、ルールだから。以上。
(ちなみに女性禁制の土俵は国技館のみであって、他は普通に上れる)
「結界」とは、小学生なら誰もがやったことはあろう「ここからここは俺の机やから、入るなよ!」「でも空中はええやろ〜(ちょっかいを出す)」的なまさにそれである。(土俵に関しては空中にも結界が張ってある)
著者は、むしろなぜそこまでしてまで土俵にあがりたいの?と言う。
題名からは内容はフェミニズムかと思うが、本書内容に関してはアンチフェミニズムを論い、その論破の仕方も小粋で少し心地さえよい。
著者の弁は道理が通っているし、伝統や文化に何でもワールドワイドな男女同権・参画社会を託けることは自分も何か違う、と思う。
著者は、本書内容で大学院卒業論文を執筆しただけあって、内容には史実的な裏付けが多く、新書用に改変しており大変読みやすい。
女性が土俵に云々の話は全体の最後2割くらいで、残りは相撲に関しての風土的、民俗学的な歴史の変遷が書かれており、それが大変興味深い。
相撲が「国技」だと巷間を賑わせた時期もあったが、相撲が「国技」である根拠は実はなく、全て後付けで、一度パンフレットにそう書いちゃったから、何となくみんなも「国技」なんだと認識されたに過ぎない。
相撲は元々野蛮なスポーツというよりかは、唯の見世物であった。
しかし、政府によって、その相撲が禁止される方向に向かったときに、相撲存続のためにとった方法とは、相撲を権威づけることである。
元は人が車座して土俵っぽいものを作っていたのが、後出しじゃんけん的に俵で結界を築き、儀式を行って神を降臨させ、神格化させていった。
自分が想像していたものと全く違う、ビジネスライクな相撲の姿だった。
フェミニズム論を期待するよりも、相撲について興味深く知悉することができる、予想以上の良書です。お勧め。
(ちなみに女性禁制の土俵は国技館のみであって、他は普通に上れる)
「結界」とは、小学生なら誰もがやったことはあろう「ここからここは俺の机やから、入るなよ!」「でも空中はええやろ〜(ちょっかいを出す)」的なまさにそれである。(土俵に関しては空中にも結界が張ってある)
著者は、むしろなぜそこまでしてまで土俵にあがりたいの?と言う。
題名からは内容はフェミニズムかと思うが、本書内容に関してはアンチフェミニズムを論い、その論破の仕方も小粋で少し心地さえよい。
著者の弁は道理が通っているし、伝統や文化に何でもワールドワイドな男女同権・参画社会を託けることは自分も何か違う、と思う。
著者は、本書内容で大学院卒業論文を執筆しただけあって、内容には史実的な裏付けが多く、新書用に改変しており大変読みやすい。
女性が土俵に云々の話は全体の最後2割くらいで、残りは相撲に関しての風土的、民俗学的な歴史の変遷が書かれており、それが大変興味深い。
相撲が「国技」だと巷間を賑わせた時期もあったが、相撲が「国技」である根拠は実はなく、全て後付けで、一度パンフレットにそう書いちゃったから、何となくみんなも「国技」なんだと認識されたに過ぎない。
相撲は元々野蛮なスポーツというよりかは、唯の見世物であった。
しかし、政府によって、その相撲が禁止される方向に向かったときに、相撲存続のためにとった方法とは、相撲を権威づけることである。
元は人が車座して土俵っぽいものを作っていたのが、後出しじゃんけん的に俵で結界を築き、儀式を行って神を降臨させ、神格化させていった。
自分が想像していたものと全く違う、ビジネスライクな相撲の姿だった。
フェミニズム論を期待するよりも、相撲について興味深く知悉することができる、予想以上の良書です。お勧め。
2007年1月16日に日本でレビュー済み
週刊誌の連載で著者が楽しそうに東北大学の大学院で学んでいる様子を、いいものだなぁと読んではいましたが、その研究の中身は
「土俵に女は上がれないことの学問的裏づけをする」
以外は知りませんでした。
本書はその修士論文の内容を平易に解説したものです。
読んで驚きました。
主義主張の本ではありません。
相撲の成り立ちと神とのかかわりを始めに解き明かします。
それから、大相撲成立後の相撲の元締めたちの「ビジネスセンス」が解き明かされます。
読んでいて、「相撲ってやるじゃん」と驚きました。
そこから、女性がなぜ関わってこれなかったのかに言及します。
伝統を愛しながら、男女の不平等を無視しないことはとても難しいことです。
著者は男のみで成り立ってきた相撲の世界を愛しています。
その上で女性が土俵に上れないのはおかしいと言う異議申し立てに反発します。
けれども、神事、伝統の一点張りで女性が土俵に上がれないとする相撲協会の反論にも納得しません。
どのように双方の距離は詰められるのか、わくわくしながら読みました。
最後に著者は着地点を見出すことが出来ました。
その提案は、相撲協会も検討するに値するのではないでしょうか?
組織に、組織外の熱心なファンが参加することっていいですよね。
相撲協会の未来に幸あれ。
「土俵に女は上がれないことの学問的裏づけをする」
以外は知りませんでした。
本書はその修士論文の内容を平易に解説したものです。
読んで驚きました。
主義主張の本ではありません。
相撲の成り立ちと神とのかかわりを始めに解き明かします。
それから、大相撲成立後の相撲の元締めたちの「ビジネスセンス」が解き明かされます。
読んでいて、「相撲ってやるじゃん」と驚きました。
そこから、女性がなぜ関わってこれなかったのかに言及します。
伝統を愛しながら、男女の不平等を無視しないことはとても難しいことです。
著者は男のみで成り立ってきた相撲の世界を愛しています。
その上で女性が土俵に上れないのはおかしいと言う異議申し立てに反発します。
けれども、神事、伝統の一点張りで女性が土俵に上がれないとする相撲協会の反論にも納得しません。
どのように双方の距離は詰められるのか、わくわくしながら読みました。
最後に著者は着地点を見出すことが出来ました。
その提案は、相撲協会も検討するに値するのではないでしょうか?
組織に、組織外の熱心なファンが参加することっていいですよね。
相撲協会の未来に幸あれ。