ネタバレです。
この作品を読み解くために、まず、タイムトラベルパラドクスについて、頑張って考えてみます。
Q) タイムトラベルパラドクスってなに?
A) タイムマシーンで過去へ行き、歴史を変えたら、未来が変わってしまい、つじつまが合わないことが起きてしまうのではないかという疑問のこと。
解りやすい例でいうと、
「ある人が過去へ行き、自分を生む前の自分の母親を殺したらどうなるか?
自分は生まれないのだから、母親を殺すことは出来ない。
逆に、母親が死ななければ自分は生まれ、やがて母親を殺しにくる。
自分が殺したり何かあったりして自分を生む前の母親が死んだら、こうして過去へ来て
母親の目の前にいる自分はどうなるのか?母親が死ぬと同時に消滅するのか?
過去で自分が消滅したら、タイムマシーンに乗り込んで過去へ行ったという事実はどうなるのか?
その事実は、それより先の未来からみれば過去の事実である。
自分の存在を含めて自分に関する世界が未来永劫すべて消滅して、別の世界に変わってしまうのか?
あるいは、自分が存在しているということは、何があっても母親は死なずに
必ず自分を生むということなのか?
死なないまでも、自分を生む前の母親と自分が会ったら、(生まれていないのだから当然だが)
会わなかった過去の事実と違う世界になるから、会うことにより過去を変えることはできる。
会うはずのない自分と会うという過去の変え方ができるなら、
生まれた自分を生まれなかったことにするという変え方はできるのか?
過去にさかのぼって、何ができて何ができないのか?」
というようなこと。
古くは、1968年の映画『猿の惑星』とそれに続くシリーズ全5作において、このタイムトラベルパラドクスが物語の根幹をなしています。
『猿の惑星』シリーズでは、「現代から未来の地球にタイムトラベルした宇宙船に乗って、
未来の地球にいた高度に知能の発達した猿の夫婦が過去にさかのぼり現代の地球に現れる。
その猿夫婦から現代で生まれた知能の高い子猿がリーダーとなり、現代の普通の猿たちを教育して知能の
発達を促す。知的に進化した猿たちは何百年後かに人類に取って代わって地球を支配するようになる。
最初に未来に行った宇宙船が着いたのは、現代から2000年ほどたち猿に支配された地球だった。」
となっています。
ここでは「現代の世界で生まれた子猿によって進化を促された猿たちの子孫が、未来からやってきて
この子猿を産む。」というわけです。あるどこかの世代の一匹の猿からみれば、自分たちの子孫が過去へ
タイムスリップして自分たちの先祖になっている。現代と2000年後を結んで、どこがはじまりか
わからない無限ループが生じています。過去にさかのぼってはいますが、過去の事実を変えてしまうことは起こしていないので、矛盾は生じてはいません。
本作品のほか、タイムトラベルパラドクスが大きな要素になっている作品は、
『バックトゥーザフューチャー』シリーズ、『ターミネーター』シリーズ、『トランスワールド』
『ルーパー』、TVシリーズ『ロスト』、『テルマエ・ロマエ』、『君の名は。』(2016年)など
かぞえきれません。
これらは「過去へ遡り、歴史を変えてしまう(かもしれない)」ことにより様々な事件が生じます。
単に未来へいくだけでは、必ずしもトラブルは生じません。
厳密に物理学においても、未来へ行くことは可能だが、過去へ行くことは絶対できないそうです。
光の速さより速く移動することができれば、自分の時間はゆっくり流れ、他のものは相対的に時間が
はやく流れるので、結果的に未来へ行くことになるそうです。
時間の流れは過去から未来への一方向のみであり、逆行することはないので、
過去へさかのぼることはありえないそうです。
アニメ『トップをねらえ!』では、まさにこの「未来へ行くことは可能だが、行ったきり二度と戻って
くることはできない」ことにより大きなドラマが生まれます。
理論的には過去へは戻れないのですが、そこは映画の世界ですから、
科学的にあり得ないことも起こります。
『もし過去に戻れるなら、いつにもどりたいか』、『過去に戻って、現在や未来を変えてみたい』、
『未来へ行き何が起きるか知ることができれば、現在に戻ってきてそれに備えることができる』など、
ひとには根本的に、『人生をもう一度やりなおしたい』とか『未来を予見したい』という
欲求があるのではないでしょうか。
そのためには過去へさかのぼることが必要なのです。
現実的・科学的にはあり得ないからこそ、夢を描く映画の世界では、
過去と未来を行ったり来たりの物語にわくわくするのでしょう。
タイムトラベルに関連して、パラレルワールド=平行宇宙の話も重要なポイントです。
「この(私たちがいる)宇宙はビッグバン以降138億年間加速度的に膨張しながら存在しているが、
時間的・空間的に無限である可能性がある。(宇宙には、果てもないし終わりもないということ。)
ビッグバン以前にも、以降にも、またこの宇宙が無限ではなくいつか消滅するときがきてそれ以降も、
この宇宙が存在している次元とは別の次元に別の宇宙が存在している可能性がある。
その別の宇宙は無限に存在する可能性があり、そのひとつひとつがまた無限である可能性がある。
宇宙が無限であるのならば、この宇宙(地球)と全く同じ宇宙(地球)が無限に存在するはずである。
また、この宇宙(地球)と同じにみえてわずかに異なる別の宇宙(地球)も無限に存在することになる。
この、わずかに異なる別の宇宙(地球)が平行宇宙=パラレルワールドである。
そのパラレルワールドには自分とわずかに異なる別の自分が存在しており、その差異のバリエーションは
無限である。(つまり、過去にも今も未来にも、自分とわずかに異なる別の自分が無限に存在するということ。)」
この(私たちがいる)宇宙では時間は逆行することはないので、過去にタイムトラベルして過去の事象に変更を加えることによるタイムトラベルパラドクスが発生する心配はありません。
(別の宇宙では別の宇宙法則があり、時間が逆行することがあるかもしれません。)
ですが、映画の中ではなんでもありですから、タイムトラベルパラドクスも生じてしまいます。
映画の中で(あるいは別の宇宙の中で)タイムトラベルパラドクスが生じてしまったときは、
タイムトラベルと同時に、別の平行宇宙への移行が生じることで問題解決です。
移行前の宇宙(地球・自分)では矛盾していたことでも、矛盾しない状態の別の宇宙(地球・自分)に
移行してしまえば、矛盾することなくつじつまが合っているのです。
ただし、このタイムトラベルとパラレルワールドの移行という現象とその法則を、
現代の人間はまだ感知・観測して理解することが出来ていません。
理解を超えることが起きた時は、いつも、パニクッたり、頭ごなしに否定したりすることになりがちです。
以上のような前提条件をふまえてこの作品をみてみましょう。
1966~7年にウィルスがばらまかれて50億人が死んだ。
その後、科学者たちは主人公(ブルースウイルス)を当時にタイムトラベルで送り込んだ。
主人公はウイルスのばらまきを阻止しようと、12モンキーズを手がかりに探っていく。
誤って1960年に送り込まれてしまうなどの苦労がありつつも、
何とか必要な情報を過去から未来の科学者たちへ電話で伝えることに成功した。
主人公は未来人ゆえの言動から、狂った殺人者と思われて射殺されてしまう。
が、情報を得た科学者たちが、タイムトラベルして有効な措置をとり、ウイルスばらまきによる人類の
被害は最小限にとどめられることになる。
未来から来た主人公が射殺される現場を、1966年当時の主人公自身と思われる少年が目撃しています。
このことは、主人公はウイルスの犠牲になることなく生き延びはするが、
未来から1966年にまいもどって、ウィルス阻止のために、結局は死ぬことになる運命が、
1966年の時点ですでに定まっていたことを意味します。
上記のあらすじの結末では、タイムトラベルパラドクスがあり、矛盾が解消されていません。
それは、50億人が死んでしまうウィルスのばらまきが行われたのか、それとも阻止されたのか、
どちらともはっきりとはいえないということです。
なぜなら、1966~7年にウィルスにより50億人が死に、地上は汚染さたと主人公ははっきり
言っており、だからこそそれを防ぐために未来からタイムトラベルしてきたのです。
一方で、主人公の活躍の甲斐あって、最終的には科学者が1966年にタイムトラベルしてきてウイルスのばらまきを阻止できたのだから、50億人が死んで地上が汚染されるほどのことにはならなかったはずです。
阻止できたのであれば、主人公はタイムトラベルしてくる必要はないのですが、主人公がタイムトラベル
してこなければばらまきは阻止できないはずです。
過去にタイムトラベルして過去の事実を変えるような行いをしたので、つじつまが合わなくなって
しまっているのです。
この矛盾を論理的に正しく解消しようとするならば、
ウィルスのばらまきは行われた。50億人が死んだ。
その後、科学者や主人公がタイムトラベルしてばらまきを阻止しようと努力したが失敗した。
50億人が死に、その後またタイムトラベルしたがまた失敗して50億人が死んだ。
またタイムトラベルして失敗し50億人死んで、タイムトラベルして死に、タイムトラベルして死に……
と、無限ループしているのだと結論づけるしかありません。
主人公はウイルス自体からは逃れて生き延びたが、1966年にタイムトラベルし、努力も空しく死んだ。
ということになります。
本作品をSFタイムトラベルものとだけみたら、上記の読み解き方になりますが、
これだけではいまひとつ深みが足りません。
サイコミステリーとしての別の2つの読み解き方があります。
その1は、ウィルスのばらまき・12モンキーズの存在・50億人の死・地上の汚染・科学者たち・
タイムトラベル これらすべては、主人公の頭の中だけの妄想である。というものです。
主人公を狂った殺人者とみなした病院や警察の見解が正しかったのです。
主人公を助ける女性精神科医は、医師として関わり始めたものの、主人公と行動を共にしていくうちに、
そのあまりに現実味を帯びた強烈な妄想に次第にとりこまれていき、とうとう自身もこれを現実と信じ切ってしまったのです。
その2は、これらすべては、主人公が射殺される現場を目撃した少年の空想だったというものです。
少年は若い頃の主人公ではなく、別人です。何らかの事件を起こして射殺された主人公と駆け寄る
女性精神科医のようすを、空港で偶然目の当たりにした、思春期の多感で想像力豊かな少年が思い描いた
物語です。
その1,2ともに、ウイルスによる50億人の死などは何もなく、現実に起きていることは、ただ、
女性精神科医を守るため暴漢を殺した主人公が殺人犯として射殺されたということだけで、世界は知らんぷりして、いつもの日常の時間が流れているのです。
いろいろな読み解き方が可能な、見応えある秀作です。