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この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上 (100周年書き下ろし) 単行本 – 2009/1/27
白石 一文
(著)
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購入オプションとあわせ買い
これはセックスと経済の物語
セックスは男が女にふるう根源的な暴力だ。
「週刊時代」の編集長、カワバタ・タケヒコは、仕事をエサに、新人グラビアアイドル、フジサキ・リコを抱いた。政権党の大スキャンダルを報じる最新号の発売前日、みそぎのつもりで行った、その場限りの情事のはずだった。
世俗の極みで生き続けた男が、本来の軌道を外れて漂い始める、その行き着く先にあるものは?白石一文が全身全霊を賭けて挑む、必読の最高傑作!
講談社創業100周年記念出版
第22回山本周五郎賞受賞
セックスは男が女にふるう根源的な暴力だ。
「週刊時代」の編集長、カワバタ・タケヒコは、仕事をエサに、新人グラビアアイドル、フジサキ・リコを抱いた。政権党の大スキャンダルを報じる最新号の発売前日、みそぎのつもりで行った、その場限りの情事のはずだった。
世俗の極みで生き続けた男が、本来の軌道を外れて漂い始める、その行き着く先にあるものは?白石一文が全身全霊を賭けて挑む、必読の最高傑作!
講談社創業100周年記念出版
第22回山本周五郎賞受賞
- 本の長さ322ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2009/1/27
- 寸法14 x 2.9 x 19.5 cm
- ISBN-104062152428
- ISBN-13978-4062152426
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2009/1/27)
- 発売日 : 2009/1/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 322ページ
- ISBN-10 : 4062152428
- ISBN-13 : 978-4062152426
- 寸法 : 14 x 2.9 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 803,086位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 18,786位日本文学
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2009年11月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全体としては欠点の多い小説である。しかしところどころ、妙に心に残る場面や科白がある。
例えば、精神科医のシンギョウジが主人公に語ることの中で、
「清水の舞台から飛び降りるつもりで、これまでのあなたの人生を全て肯定しなさい」という箇所など、
訳もなく感動する。
理屈をこねるところは面白くない。フリードマンの引用とか。逆に女性の描き方で書き手の経験がもろに出ているようなところは、少し恥ずかしさを覚えつつも「正直じゃないか。いいじゃないか」
と思えてしまう。
最後に近く、すさまじい拷問を加えられる場面で、もっとも大事な情報を歯をくいしばって口に出さない男の意地が光る。そのために、大甘の結末を許せる気持ちになった。
例えば、精神科医のシンギョウジが主人公に語ることの中で、
「清水の舞台から飛び降りるつもりで、これまでのあなたの人生を全て肯定しなさい」という箇所など、
訳もなく感動する。
理屈をこねるところは面白くない。フリードマンの引用とか。逆に女性の描き方で書き手の経験がもろに出ているようなところは、少し恥ずかしさを覚えつつも「正直じゃないか。いいじゃないか」
と思えてしまう。
最後に近く、すさまじい拷問を加えられる場面で、もっとも大事な情報を歯をくいしばって口に出さない男の意地が光る。そのために、大甘の結末を許せる気持ちになった。
2020年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
半世紀前の「小説の描き方指南」みたいな本(例えば丹羽文雄が書いたものとか)だと、やってはいけないと書いてあるようなことを徹底的にやってしまった、その意味ではなかなか斬新な本だと思う。むろん思想を臆面もなく述べるとか、引用を多用するとかはそれなりにあったわけだが、ここまでまじめにやったら見事なものだ
そしてそれが十分に登場人物の人格の説明として成立している。この著者の本はいくつか見たが、これが最もうまくはまっている
私はドストエフスキーも埴谷雄高も好きではない。自分しか語れないことを登場人物に語らせようとして、結局意味ありげなだけで哲学として成立していないたわごとに堕している。だがこの作品の人物は出来合いの思想を熱心に語る。現代の似非インテリはまさにこういうもので、それだけリアルだと思う
ただ、なんというかこの結末は語りの手口にはめられたようで、推理小説でも叙述トリックの嫌いな私としては少し興ざめだった。作者が読者をだますのはわかる、しかし少なくとも語り手は登場人物であるべきだ。違うのなら、最初から違うものとして描いてほしい
そしてそれが十分に登場人物の人格の説明として成立している。この著者の本はいくつか見たが、これが最もうまくはまっている
私はドストエフスキーも埴谷雄高も好きではない。自分しか語れないことを登場人物に語らせようとして、結局意味ありげなだけで哲学として成立していないたわごとに堕している。だがこの作品の人物は出来合いの思想を熱心に語る。現代の似非インテリはまさにこういうもので、それだけリアルだと思う
ただ、なんというかこの結末は語りの手口にはめられたようで、推理小説でも叙述トリックの嫌いな私としては少し興ざめだった。作者が読者をだますのはわかる、しかし少なくとも語り手は登場人物であるべきだ。違うのなら、最初から違うものとして描いてほしい
2014年9月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
白石一文さんの本は何とも言えない世界観があり、なぜか惹かれます。題名の意味が最後まで読むと納得します。しかし、この作者は本のタイトルが実にいい!
2009年3月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書評をみ、タイトルに惹かれて読んだが、端的にいうと期待はずれだった。
絶賛されている方が多い中、酷評で恐縮だが、
こういう感想を持った者もいるという程度に、御参考いただければ幸いである。
全体的に内容が薄い、圧倒的に薄い。主張、構成に必然的連関がない。
まず、著者が博覧強記であるとはとても感じられない。
この本の半分くらいは引用から成り立っているような気がするが、
きらりと光る文章もあれば、引用する価値のない文章もある。
但し、きらりと光る文章も、全体に埋もれて、色褪せてしまっているのが残念である。
思索が浅い。
男女の性の問題、DV、格差社会、ワーキングプア、家族の問題、政治批判、官僚制批判、
全ての思索が、日頃、テレビのキャスターが話すような非常に低いレベルのものであり、
底が浅く深みがない。
主人公も、この全ての問題について、月並みな、あるいはそれ以下の評論家でしかない。
悪(?)と徹底的に戦い続ける訳でもない。
貧困により失われる子ども達の命を救うために、何かをするわけでもない。
自由主義経済を批判し続ける(但し、鋭い批判ではまったくない)が、
一つの価値観に貫かれた行動をする訳でもない。
登場人物全員が、深く悩んでいない。
かろうじて骨のある主張をしたのはNくらいだったか。
しかし彼の扱いも残念ながら中途半端であった。
ストーリーにあっと驚く展開があるわけでもない。
人の振る舞いが御都合主義的であるように感じられる。
下巻の最後にて、この胸に深々と突き刺さる矢を抜くことの意味が明かされる。
しかし、提示され続けたDV、格差社会、不平等社会と、
その「必然によって生きる」、ということがどのように結びつくのか。
そこに全く「必然」が感じられない。
著者は、四方八方無茶苦茶に矢を放ち、
的にかすめ続ける(というよりも外し続ける)のではなく、
もう少し的を絞り、狙いを定めて、しっかりと中心を射貫くべきであった。
この本は、少なくとも私には、考え抜かれた本であるようには思えなかった。
村上龍や天童荒太の著書のほうが、思考の強烈な跡が本に焼き付いているように思う。
この本は、私の胸を射止めることはなかった。
私の胸には深々と矢は刺さっていないし、抜く必要もない。
絶賛されている方が多い中、酷評で恐縮だが、
こういう感想を持った者もいるという程度に、御参考いただければ幸いである。
全体的に内容が薄い、圧倒的に薄い。主張、構成に必然的連関がない。
まず、著者が博覧強記であるとはとても感じられない。
この本の半分くらいは引用から成り立っているような気がするが、
きらりと光る文章もあれば、引用する価値のない文章もある。
但し、きらりと光る文章も、全体に埋もれて、色褪せてしまっているのが残念である。
思索が浅い。
男女の性の問題、DV、格差社会、ワーキングプア、家族の問題、政治批判、官僚制批判、
全ての思索が、日頃、テレビのキャスターが話すような非常に低いレベルのものであり、
底が浅く深みがない。
主人公も、この全ての問題について、月並みな、あるいはそれ以下の評論家でしかない。
悪(?)と徹底的に戦い続ける訳でもない。
貧困により失われる子ども達の命を救うために、何かをするわけでもない。
自由主義経済を批判し続ける(但し、鋭い批判ではまったくない)が、
一つの価値観に貫かれた行動をする訳でもない。
登場人物全員が、深く悩んでいない。
かろうじて骨のある主張をしたのはNくらいだったか。
しかし彼の扱いも残念ながら中途半端であった。
ストーリーにあっと驚く展開があるわけでもない。
人の振る舞いが御都合主義的であるように感じられる。
下巻の最後にて、この胸に深々と突き刺さる矢を抜くことの意味が明かされる。
しかし、提示され続けたDV、格差社会、不平等社会と、
その「必然によって生きる」、ということがどのように結びつくのか。
そこに全く「必然」が感じられない。
著者は、四方八方無茶苦茶に矢を放ち、
的にかすめ続ける(というよりも外し続ける)のではなく、
もう少し的を絞り、狙いを定めて、しっかりと中心を射貫くべきであった。
この本は、少なくとも私には、考え抜かれた本であるようには思えなかった。
村上龍や天童荒太の著書のほうが、思考の強烈な跡が本に焼き付いているように思う。
この本は、私の胸を射止めることはなかった。
私の胸には深々と矢は刺さっていないし、抜く必要もない。
2019年10月30日に日本でレビュー済み
胃がんステージⅡを患う大手出版編集者の日常を淡々と描く。
迫り来る死から見つめ直す人生観にはリアリティがあり、ひとごととは思えない。
まさに現代のセネカ、これくらい饒舌でないと現代人のこころには届かない。
著者の経験に裏打ちされた出版社事情の内幕もおもしろい。
上下巻いっきに読めそうな傑作である。
迫り来る死から見つめ直す人生観にはリアリティがあり、ひとごととは思えない。
まさに現代のセネカ、これくらい饒舌でないと現代人のこころには届かない。
著者の経験に裏打ちされた出版社事情の内幕もおもしろい。
上下巻いっきに読めそうな傑作である。
2010年2月6日に日本でレビュー済み
職場でに経済学ネタで飲む先輩が一人いて、その人がオススメだと言うので読んでみた。
手放しのオススメではなく、「とうとうこういう小説も出てきたよ」か。
その心は端的に言えば、「経済学の名の下に人間を切り捨てるイデオロギー」を告発・糾
弾する小説が登場した、とうとう、ということになろうか。自己責任、成果主義が隆盛跋
扈した時代がついこの間のことのように思える評者には、なるほど感慨がないではない。
尤も、現実社会では一層の成果主義的な自己責任原理が、企業存続の名の下に乱暴狼藉の
度を高めているが・・・。
なるほど、本作は新古典派経済学イデオロギー批判の小説だ。
主人公は主に様々なテクストを引用してそうした“思想”を開陳して止まない。なおかつ、
芸能人を目指す若いモデルを自らの地位(雑誌の編集長)を利用して「ものにする」(こ
ういう<俗情との結託>言葉を使いたくないが)主人公=語り手でもある。
主人公自身が他者を権力関係において利用し、また利用される存在として描かれている。
まさしく資本主義的な社会構成(システム)が強いる人間関係である。それを主人公は、
おそらくわかっているが(間違いなくわかっているはずだが、疑わしいところもある。ひ
ょっとするとこの点は作品構成上の矛盾点かもしれない)、彼は倫理的に資本制の病弊を
指摘しつつ、おのれはちゃっかり自らの欲望に忠実でもあり、その行為は決して倫理的な
ものではない。そういう人物が登場する小説であるという点においては、必ずしも非難さ
れる理由はないが、そこにこそ本書がどうしようもない“ど大衆小説”である証左がある。
なぜなら―。
主人公の反・ネオリベ思想の開陳は、勿論作者自身の思想の開陳ではない。
そんなことは当たり前だが、この小説は作品全体として、ネオリベに淵源する諸イデオロ
ギー現象を批判する意図を持っていることは一読疑い得ない。それは死生観や神の問題に
も及んでいる。つまり作者の意図は、「人間全般」に就いて、ネオリベ経済思想批判を強
力な武器として描こうというところにあると言っても間違いではあるまい。
その意気やよし。昨今そうした大きな構えの小説(昔はよく「全体小説」と言ったものだ。
武田泰淳の『富士』とか、野間宏の『青年の環』とか、最近何ゆえか今更ながらに岩波文
庫で新訳刊行が始まったサルトルの『自由への道』とか)はほとんどないからである。
勿論、皆無ではないが。たとえば安部和重の『シンセミア』などはその例だろう。
ところが、ところが・・・この小説にはストーリー展開はあっても、全体小説に不可欠な
人物の思想の展開や深化・進化がまるでないのである。
本作は様々な先行テキストの引用を創作技巧のキモにしている。
その引用は効果的かどうか。
私見では次の通り。
色んな引用は、スーパーマーケット(本屋)に行って、ポテトサラダ(立花隆?)とイカ
リングフライ(フリードマン?)、出し巻き卵(湯浅誠?)にカップ味噌汁(クルーグマ
ン?)等出来合いの惣菜を買ってきて(引用して)テーブルに並べただけであり、料理と
言える料理は少しもしていないのである。
ストーリーはありますよ。繰り返しになりますが・・・。
思索? バカを言ってはいけない。思索なんぞどこにもない。ああ、なるほど、カラオケ
で「俺の18番(「長崎は今日も雨だった」?)を知っててとりやがったなあ、アイツめ!」
という感懐をも思索と称するのであれば、なるほど思索が無いとは言わない。
タイトルは一時期の大江健三郎にこんな風なくどいタイトルの作品があったなあとは思っ
たが、それにしても大袈裟だなあ。こういうのがキャッチーなのか??
貫井徳郎の『乱反射』というのも、「風が吹いたら桶屋が儲かる」式のご都合主義“社会
派(?)”作品だったが、これはどう言えばよかろうか。読みやすい文章であることは間
違いない。
ちなみに、小説は本来立派に思想を展開する器であって、単に本作が先行諸著作の出来合
い見本市になっているだけのことである。出来合いの思想を展開している小説を大衆小説
というのであります。
女は女らしくとか、人間の革命とは心のあり方だ! とかね。
思想や批評は文学全般に必要不可欠であり、そこのところを誤解しているナイーヴな読者
がいることは、別に想定の範囲内であり、一向に構わないが、間違っていると思う。
勝手に読ませろと仰るならご自由に。それで話は終わりという話だ。
それでもひとつだけ。
同じタイプの、しかも本作と真逆の思想的スタンスに立つ『インビジブル・ハート』とい
う小説がある。タイトルから類推できる内容そのままの愚作であるが、これとは正反対の
思想に拠って立つ本作は、現在の時代相にあまりにも鈍感なシヤワセな御仁には読ませて
もよいかもと思料した次第。よって☆2つ献上したい。
手放しのオススメではなく、「とうとうこういう小説も出てきたよ」か。
その心は端的に言えば、「経済学の名の下に人間を切り捨てるイデオロギー」を告発・糾
弾する小説が登場した、とうとう、ということになろうか。自己責任、成果主義が隆盛跋
扈した時代がついこの間のことのように思える評者には、なるほど感慨がないではない。
尤も、現実社会では一層の成果主義的な自己責任原理が、企業存続の名の下に乱暴狼藉の
度を高めているが・・・。
なるほど、本作は新古典派経済学イデオロギー批判の小説だ。
主人公は主に様々なテクストを引用してそうした“思想”を開陳して止まない。なおかつ、
芸能人を目指す若いモデルを自らの地位(雑誌の編集長)を利用して「ものにする」(こ
ういう<俗情との結託>言葉を使いたくないが)主人公=語り手でもある。
主人公自身が他者を権力関係において利用し、また利用される存在として描かれている。
まさしく資本主義的な社会構成(システム)が強いる人間関係である。それを主人公は、
おそらくわかっているが(間違いなくわかっているはずだが、疑わしいところもある。ひ
ょっとするとこの点は作品構成上の矛盾点かもしれない)、彼は倫理的に資本制の病弊を
指摘しつつ、おのれはちゃっかり自らの欲望に忠実でもあり、その行為は決して倫理的な
ものではない。そういう人物が登場する小説であるという点においては、必ずしも非難さ
れる理由はないが、そこにこそ本書がどうしようもない“ど大衆小説”である証左がある。
なぜなら―。
主人公の反・ネオリベ思想の開陳は、勿論作者自身の思想の開陳ではない。
そんなことは当たり前だが、この小説は作品全体として、ネオリベに淵源する諸イデオロ
ギー現象を批判する意図を持っていることは一読疑い得ない。それは死生観や神の問題に
も及んでいる。つまり作者の意図は、「人間全般」に就いて、ネオリベ経済思想批判を強
力な武器として描こうというところにあると言っても間違いではあるまい。
その意気やよし。昨今そうした大きな構えの小説(昔はよく「全体小説」と言ったものだ。
武田泰淳の『富士』とか、野間宏の『青年の環』とか、最近何ゆえか今更ながらに岩波文
庫で新訳刊行が始まったサルトルの『自由への道』とか)はほとんどないからである。
勿論、皆無ではないが。たとえば安部和重の『シンセミア』などはその例だろう。
ところが、ところが・・・この小説にはストーリー展開はあっても、全体小説に不可欠な
人物の思想の展開や深化・進化がまるでないのである。
本作は様々な先行テキストの引用を創作技巧のキモにしている。
その引用は効果的かどうか。
私見では次の通り。
色んな引用は、スーパーマーケット(本屋)に行って、ポテトサラダ(立花隆?)とイカ
リングフライ(フリードマン?)、出し巻き卵(湯浅誠?)にカップ味噌汁(クルーグマ
ン?)等出来合いの惣菜を買ってきて(引用して)テーブルに並べただけであり、料理と
言える料理は少しもしていないのである。
ストーリーはありますよ。繰り返しになりますが・・・。
思索? バカを言ってはいけない。思索なんぞどこにもない。ああ、なるほど、カラオケ
で「俺の18番(「長崎は今日も雨だった」?)を知っててとりやがったなあ、アイツめ!」
という感懐をも思索と称するのであれば、なるほど思索が無いとは言わない。
タイトルは一時期の大江健三郎にこんな風なくどいタイトルの作品があったなあとは思っ
たが、それにしても大袈裟だなあ。こういうのがキャッチーなのか??
貫井徳郎の『乱反射』というのも、「風が吹いたら桶屋が儲かる」式のご都合主義“社会
派(?)”作品だったが、これはどう言えばよかろうか。読みやすい文章であることは間
違いない。
ちなみに、小説は本来立派に思想を展開する器であって、単に本作が先行諸著作の出来合
い見本市になっているだけのことである。出来合いの思想を展開している小説を大衆小説
というのであります。
女は女らしくとか、人間の革命とは心のあり方だ! とかね。
思想や批評は文学全般に必要不可欠であり、そこのところを誤解しているナイーヴな読者
がいることは、別に想定の範囲内であり、一向に構わないが、間違っていると思う。
勝手に読ませろと仰るならご自由に。それで話は終わりという話だ。
それでもひとつだけ。
同じタイプの、しかも本作と真逆の思想的スタンスに立つ『インビジブル・ハート』とい
う小説がある。タイトルから類推できる内容そのままの愚作であるが、これとは正反対の
思想に拠って立つ本作は、現在の時代相にあまりにも鈍感なシヤワセな御仁には読ませて
もよいかもと思料した次第。よって☆2つ献上したい。
2012年7月8日に日本でレビュー済み
白石一文の作品は、数えていないが大体は読んでいると思う。初期の2冊「一瞬の光」、「僕の中の壊れていない部分」は結構好きだった。
自己憐憫が過多なところがこの作者の特徴で悪くするとその後の作品のようにただ中年男が病魔と闘ったり、女性に癒されたり、幽霊の声に触れたりと、ありきたりのベタベタの作品になる。
上記の2作ではストーリーの芯がよかったのと、自己憐憫の部分がベタベタにならず筆者の世界観の主張のような形で行間に力強く織り込まれていたのがいい方向に作用したのだと思う。
本作では、久々にアンバランスなまでの筆者の世界観の主張が報道や他の本の引用などを交えた形で復活している。また、プロットも楽しめるものに仕上がっている。☆4つでもいいが、歳を重ねたせいか、筆者の主張をどこか醒めた目でみてしまうので☆マイナス1で☆3つかな。
自己憐憫が過多なところがこの作者の特徴で悪くするとその後の作品のようにただ中年男が病魔と闘ったり、女性に癒されたり、幽霊の声に触れたりと、ありきたりのベタベタの作品になる。
上記の2作ではストーリーの芯がよかったのと、自己憐憫の部分がベタベタにならず筆者の世界観の主張のような形で行間に力強く織り込まれていたのがいい方向に作用したのだと思う。
本作では、久々にアンバランスなまでの筆者の世界観の主張が報道や他の本の引用などを交えた形で復活している。また、プロットも楽しめるものに仕上がっている。☆4つでもいいが、歳を重ねたせいか、筆者の主張をどこか醒めた目でみてしまうので☆マイナス1で☆3つかな。