実に面白い。ユーモアたっぷりで肩が軽くなりました。
若い方には少々古めかしい表現があるかもしれませんが、年配の私にはむしろ懐かしく、心地良い古き
日本語を思い出しました。
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贋作吾輩は猫である―内田百けん集成〈8〉 ちくま文庫 (ちくま文庫 う 12-9) 文庫 – 2003/5/1
内田 百けん
(著)
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贋作吾輩は猫である
- 本の長さ300ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2003/5/1
- ISBN-104480037683
- ISBN-13978-4480037688
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年4月21日に日本でレビュー済み
"どのくらいの時が過ぎたか、歳月が流れたか、変転極まりなき猫の目を閉じて甕の中に一睡した間の事は知らないが、気がついたら甕の縁から這い上がり、先ず身ぶるいをして、八萬八千八百八十本の毛についた雫を払い落とした"1950年発刊の本書は【贋作にして】直系の弟子による正統派続編。
個人的には、なかなか再販されないのが何とも不満な、とにかく『ひゃっけんずラブ』な私として、クラフト・エヴィング商會が手がけた表紙も嬉しく手にとりました。
さて、そんな本書は、猫好きならご存知の名作『ノラや』の愛猫と出会う前【猫を飼ったことのなかった】著者が、敬愛する師匠の漱石【吾輩は猫である】最後は"水がめに落ちて生死不明になった"猫が【時を越えて生きていたら】という設定で、何事もなかったように贋作続編として再開させ、猫は今度はアビシニヤと名づけられて【外見や振る舞い的には著者そっくり】の五沙味先生のところに住み着くのですが。
設定はともかく、文章的に漱石に寄せることはしなかったようで。また他の作品に比べて淡々としたユーモアも抑え気味なので【吾輩は猫である】と同じく、個性的な登場人物が集まってくるとはいえ、物語としては特段何も起こらないことから、静寂の中で続く【幻想的な会話劇】の趣きがありました。
また、猫自体も名前も与えられ、食事も前作に比べて豪華になってたりと地位向上は図られているも、文章途中から消えてしまったり【存在感があまりないのが意外でした】思うに本書は執筆当時は60代と、亡くなった師匠の年齢を越えて生き残ってしまった弟子からの回想録としてのオマージュ作品なのかなあ。と思ったりしました。
内田百間好きな誰かや、猫が登場する本好きな人にオススメ。
個人的には、なかなか再販されないのが何とも不満な、とにかく『ひゃっけんずラブ』な私として、クラフト・エヴィング商會が手がけた表紙も嬉しく手にとりました。
さて、そんな本書は、猫好きならご存知の名作『ノラや』の愛猫と出会う前【猫を飼ったことのなかった】著者が、敬愛する師匠の漱石【吾輩は猫である】最後は"水がめに落ちて生死不明になった"猫が【時を越えて生きていたら】という設定で、何事もなかったように贋作続編として再開させ、猫は今度はアビシニヤと名づけられて【外見や振る舞い的には著者そっくり】の五沙味先生のところに住み着くのですが。
設定はともかく、文章的に漱石に寄せることはしなかったようで。また他の作品に比べて淡々としたユーモアも抑え気味なので【吾輩は猫である】と同じく、個性的な登場人物が集まってくるとはいえ、物語としては特段何も起こらないことから、静寂の中で続く【幻想的な会話劇】の趣きがありました。
また、猫自体も名前も与えられ、食事も前作に比べて豪華になってたりと地位向上は図られているも、文章途中から消えてしまったり【存在感があまりないのが意外でした】思うに本書は執筆当時は60代と、亡くなった師匠の年齢を越えて生き残ってしまった弟子からの回想録としてのオマージュ作品なのかなあ。と思ったりしました。
内田百間好きな誰かや、猫が登場する本好きな人にオススメ。
2018年5月13日に日本でレビュー済み
内田百閒は夏目漱石門下の日本の小説家、随筆家。百鬼園とも号し、旅行・飛行機・詩琴酒・鳥飼・猫など多彩な趣味をともなう日常をつづる文章が親しまれていました。旺文社文庫版では国鉄職員で『阿房列車』のシリーズでは百閒の旅のお供として文中に登場した平山三郎による書誌解題が巻末に付きました。後に『内田百閒全集』の編纂を手がけるだけあって、この解題は考証がゆきとどき、個人的な回想とあいまって魅力ある文章でした。
本書はあの夏目漱石の「猫」をおぼれ死んだところから生き返らせ、英語教師の苦沙彌先生の家からドイツ語教師の五沙彌入道の家に移住させる、という手を使って百閒版の「吾輩は猫である」を書いています。昭和24年1月から11月まで「小説新潮」に連載。内田巖の挿絵も採録されました。
漱石の「猫」にくらべると、わかりやすい諧謔になっているようです。登場人物の一人である「風船画伯」は版画家の谷中安規をモデルにしていますが、その言葉つかいや披露する逸話はおそらく実物そのものでしょう。3年前に罹災先で窮死した谷中を作品の中で再現しようとしてのでは、というのは考えすぎでしょうか。
本書はあの夏目漱石の「猫」をおぼれ死んだところから生き返らせ、英語教師の苦沙彌先生の家からドイツ語教師の五沙彌入道の家に移住させる、という手を使って百閒版の「吾輩は猫である」を書いています。昭和24年1月から11月まで「小説新潮」に連載。内田巖の挿絵も採録されました。
漱石の「猫」にくらべると、わかりやすい諧謔になっているようです。登場人物の一人である「風船画伯」は版画家の谷中安規をモデルにしていますが、その言葉つかいや披露する逸話はおそらく実物そのものでしょう。3年前に罹災先で窮死した谷中を作品の中で再現しようとしてのでは、というのは考えすぎでしょうか。
2015年4月11日に日本でレビュー済み
タイトルに堂々と「贋作」と銘打ってあるところが百閒先生らしく可笑しい
俄然期待が増します
「真作」は勿論、夏目漱石「吾輩は猫である」
水がめに落ちて死んだと漱石が書いている英語教師苦沙弥先生の猫が、実は死にきらずに、戦後に現れて、ドイツ語教師五沙弥先生の宅に住み込む話です
「真作」で苦沙弥先生の家に集まった、寒月、独仙、迷亭などという風流人の代わりに、「贋作」の五沙弥先生の家には鰐果蘭哉(ワニハカランヤ)、飛騨里風呂(ヒダリブロ)、出田羅迷(デラメイ)、狗爵舎(クシャクシャ)などという風流人が集まります
借金について、シャンパンについて、共産主義について、はたまた『金を貯める文士・蛆田百減(ウジタヒャクゲン)氏』についての清談を交わす面々の様子を観察しているのが猫-贋作ではアビシニヤと名がつけられています-
百閒先生の愛すべき遊び心満載の本作
先生の作品を複数読んで文章に慣れてから読むことをお薦めします
勿論「真作」もネ
五沙弥先生のサロンは百閒先生と教え子たちとの交流を反映しています
そんな様子を描いた黒沢明監督の映画「まあだだよ」が思い出されます
カバーデザインはクラフトエヴィング商會の吉田篤弘、吉田浩美ご夫妻
素敵です!
俄然期待が増します
「真作」は勿論、夏目漱石「吾輩は猫である」
水がめに落ちて死んだと漱石が書いている英語教師苦沙弥先生の猫が、実は死にきらずに、戦後に現れて、ドイツ語教師五沙弥先生の宅に住み込む話です
「真作」で苦沙弥先生の家に集まった、寒月、独仙、迷亭などという風流人の代わりに、「贋作」の五沙弥先生の家には鰐果蘭哉(ワニハカランヤ)、飛騨里風呂(ヒダリブロ)、出田羅迷(デラメイ)、狗爵舎(クシャクシャ)などという風流人が集まります
借金について、シャンパンについて、共産主義について、はたまた『金を貯める文士・蛆田百減(ウジタヒャクゲン)氏』についての清談を交わす面々の様子を観察しているのが猫-贋作ではアビシニヤと名がつけられています-
百閒先生の愛すべき遊び心満載の本作
先生の作品を複数読んで文章に慣れてから読むことをお薦めします
勿論「真作」もネ
五沙弥先生のサロンは百閒先生と教え子たちとの交流を反映しています
そんな様子を描いた黒沢明監督の映画「まあだだよ」が思い出されます
カバーデザインはクラフトエヴィング商會の吉田篤弘、吉田浩美ご夫妻
素敵です!
2021年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
漱石の手法に従ってはいるが、内容的には結構なるほどと思うところもあって、漱石の猫とは違ってこれはこれで面白い。百間の思うところを知りたいなら、一度読んでみれば、贋作ではない百間の吾輩は猫であるということががわかると思う。
2012年12月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
名前に惹かれて読んでみたが、期待に反して駄作だったのは残念。
2013年9月22日に日本でレビュー済み
漱石の代表的門人である作者が、水甕に落ちて死んだ(かの様に思われた)「猫」を生き返らせて、その後の続編を書いたという体裁の物語。「猫」の寄宿先は英語の元教師の苦沙弥先生ならぬドイツ語の元教師の五沙弥先生。しかし、時代が40年程飛んでいる(作者の晩年期)のに、この五沙弥先生が寒月君や迷亭の知己である事から分る通り、原作とは異なる、ナンセンスやトボケた味と言った作者独自の味を出そうとの意図が窺える。漱石への敬慕の念から筆を執ったが、作風はあくまで自身のものという体である(漱石への遠慮があったのかも知れない)。
先生の元を訪れる変人達との珍妙な会話が主体という構成は変えていないが、後は随分と変えてある。まず、「猫」による人間批評という趣きは薄れた(原作が持つ近代文明批判という趣きも薄れた)。また、「猫」には「アビシニア(アフリカ原産の純血種の由)」という名前が付けられ、家人に可愛がられる。先生の元を訪れる変人達に関しては、寒月君や迷亭と言った明確なキャラクター付けをジックリとしないで、矢継ぎ早と多様性で勝負している感がある。怪談めいた話や落とし話、地口を多用した作者らしい趣きの章が多い。
百ケン先生はこの時期、猫を生まれて初めて飼って逃げられて狂乱したという経緯(「ノラや」)がある。本作は、「猫」の設定を借りて(「猫」を生き返らせてまで)この猫に対する愛惜の念を表明したものと言えるのではないか。作中に"変遷"という言葉が出て来るが、輪廻によってこの猫が自身の手元に戻って来る事を祈願した滋味溢れる作品だと思う。
先生の元を訪れる変人達との珍妙な会話が主体という構成は変えていないが、後は随分と変えてある。まず、「猫」による人間批評という趣きは薄れた(原作が持つ近代文明批判という趣きも薄れた)。また、「猫」には「アビシニア(アフリカ原産の純血種の由)」という名前が付けられ、家人に可愛がられる。先生の元を訪れる変人達に関しては、寒月君や迷亭と言った明確なキャラクター付けをジックリとしないで、矢継ぎ早と多様性で勝負している感がある。怪談めいた話や落とし話、地口を多用した作者らしい趣きの章が多い。
百ケン先生はこの時期、猫を生まれて初めて飼って逃げられて狂乱したという経緯(「ノラや」)がある。本作は、「猫」の設定を借りて(「猫」を生き返らせてまで)この猫に対する愛惜の念を表明したものと言えるのではないか。作中に"変遷"という言葉が出て来るが、輪廻によってこの猫が自身の手元に戻って来る事を祈願した滋味溢れる作品だと思う。
2004年8月28日に日本でレビュー済み
夏目漱石の門人である百閒先生が、師匠である漱石の名作『吾輩は猫である』を正々堂々とパクッたのがこの一冊です。
内容的にはドイツ語教師の五沙弥先生の家に入りこんだ猫が、その家に出入りする人間達を観察するというもので、漱石の『猫』と同じような体裁を取っているのですが、こちらは本家の『猫』よりも小説という色が薄れてどちらかというと人間観察を主題とした随筆という色が濃いようです。
しかし、そういった随筆と小説のあいだのような体裁を取ったせいか、それとも『吾輩は猫である』という本家の枠組みが予め設定されていたからなのか、その理由は定かではありませんが他の百閒の文章に見られる切れや独特の雰囲気がこの本では若干薄れているようです。
どちらかというと、百閒入門者よりは、ある程度百閒の文章に親しんだ人に対して、よりお勧めできる一冊です!
内容的にはドイツ語教師の五沙弥先生の家に入りこんだ猫が、その家に出入りする人間達を観察するというもので、漱石の『猫』と同じような体裁を取っているのですが、こちらは本家の『猫』よりも小説という色が薄れてどちらかというと人間観察を主題とした随筆という色が濃いようです。
しかし、そういった随筆と小説のあいだのような体裁を取ったせいか、それとも『吾輩は猫である』という本家の枠組みが予め設定されていたからなのか、その理由は定かではありませんが他の百閒の文章に見られる切れや独特の雰囲気がこの本では若干薄れているようです。
どちらかというと、百閒入門者よりは、ある程度百閒の文章に親しんだ人に対して、よりお勧めできる一冊です!