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母への詫び状 - 新田次郎、藤原ていの娘に生まれて 単行本 – 2005/5/25
藤原 咲子
(著)
- 本の長さ229ページ
- 言語日本語
- 出版社山と渓谷社
- 発売日2005/5/25
- ISBN-104635330389
- ISBN-13978-4635330381
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登録情報
- 出版社 : 山と渓谷社 (2005/5/25)
- 発売日 : 2005/5/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 229ページ
- ISBN-10 : 4635330389
- ISBN-13 : 978-4635330381
- Amazon 売れ筋ランキング: - 607,216位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年12月31日に日本でレビュー済み
戦後、満州から子供3人を連れて日本へ引揚げてきた藤原ていさんの娘さん(本の雰囲気が伝わるよう、あえてお嬢さんと書きません)が、自分に対する、母からの愛を信じられず懊悩する姿を描いた本です。母親の愛情に疑いを持った人、信じられない人が、どんなに辛いか苦しむかが書かれています。
そして、母が残した自分へのメッセージと、母の書いた本『流れる星は生きている』の「あとがき」によって、母への疑念が晴れていったことが述べられています。
本の後半で疑念が晴れていくところも感動的ですが、私は中盤までの著者の懊悩が一番胸にズシリときました。
2023年1月5日、以下を修正掲載
なお、私は本書『母への詫び状』を読んでいて、当初、理解困難になったところがありました。「第六章 母のベストセラー」で著者が「いつの間にか冷たくなっている私を、(中略)汽車の中で母は見つめる」という文章のため、「あれ、生きて帰国したはずなのに・・・?」と思ったのです。
前後の文章との繋がりで「冷たくなっている私」が事実のように頭に入ってくるのですが、しっかり読むと著者が見ていた夢だと分かりました。著者が長年抱いていた母への疑念(事実と事実でないことの境界線が曖昧模糊としていたこと)を、このような文の流れで表現したのだと気付きました。
そして、母が残した自分へのメッセージと、母の書いた本『流れる星は生きている』の「あとがき」によって、母への疑念が晴れていったことが述べられています。
本の後半で疑念が晴れていくところも感動的ですが、私は中盤までの著者の懊悩が一番胸にズシリときました。
2023年1月5日、以下を修正掲載
なお、私は本書『母への詫び状』を読んでいて、当初、理解困難になったところがありました。「第六章 母のベストセラー」で著者が「いつの間にか冷たくなっている私を、(中略)汽車の中で母は見つめる」という文章のため、「あれ、生きて帰国したはずなのに・・・?」と思ったのです。
前後の文章との繋がりで「冷たくなっている私」が事実のように頭に入ってくるのですが、しっかり読むと著者が見ていた夢だと分かりました。著者が長年抱いていた母への疑念(事実と事実でないことの境界線が曖昧模糊としていたこと)を、このような文の流れで表現したのだと気付きました。
2014年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
地方ではなかなか手に入りにくいので、大変助かる。これからもこういう本を探したい。
2011年10月25日に日本でレビュー済み
この「母への詫び状」には、作者の生まれてから今までの心のありようを、これでもか、これでもかと深くえぐって記されています。
前作「父への恋文」が、限りないせつなさを全体にまといながらも、父や家族への愛情を、甘くほのぼのと感じさせるものであったため、その続きのような気持ちで読むと、面食らうことでしょう。
作者は、「流れる星は生きている」の初版本のあとがき、および当時の父母の手書きのメッセージを近年偶然に読み、自分の長年の心の葛藤や闇に、ひとつの結論を見つけ出します。ひとつの愛ある家族、家族であるからこその思い、悩み、迷いがある。ことに自分が今ここにいることの意味を、絶対に安心だということを、自分がここに存在していていいのだという証を、誰もが求めて生きているのかもしれません。
私自身は、子供であった30年前から、作者の母である藤原てい氏の「流れる星は生きている」を、今までに幾度となく読み返してきました。
「流れる星は生きている」の初版本あとがきを、私はこの「母への詫び状」の中で初めて読みました。するとまた、新たに思うことがさまざまにあるのです。
この本は、「流れる星は生きている」はもちろんのこと、同じく藤原てい氏の「旅路」、作者の父、新田次郎氏の「望郷」(および収録作品の「豆満江」「夕日」)「小説に書けなかった自伝」、作者の兄、藤原正彦氏の「数学者の言葉では」「数学者の休憩時間」「父の威厳 数学者の意地」「祖国と国語」、作者の前作「父への恋文」を読み終えてから、最後に読むことをおすすめします。
そうでなければ、作者の深い心の苦悩を感じることなど、とてもできないのではないでしょうか。
前作「父への恋文」が、限りないせつなさを全体にまといながらも、父や家族への愛情を、甘くほのぼのと感じさせるものであったため、その続きのような気持ちで読むと、面食らうことでしょう。
作者は、「流れる星は生きている」の初版本のあとがき、および当時の父母の手書きのメッセージを近年偶然に読み、自分の長年の心の葛藤や闇に、ひとつの結論を見つけ出します。ひとつの愛ある家族、家族であるからこその思い、悩み、迷いがある。ことに自分が今ここにいることの意味を、絶対に安心だということを、自分がここに存在していていいのだという証を、誰もが求めて生きているのかもしれません。
私自身は、子供であった30年前から、作者の母である藤原てい氏の「流れる星は生きている」を、今までに幾度となく読み返してきました。
「流れる星は生きている」の初版本あとがきを、私はこの「母への詫び状」の中で初めて読みました。するとまた、新たに思うことがさまざまにあるのです。
この本は、「流れる星は生きている」はもちろんのこと、同じく藤原てい氏の「旅路」、作者の父、新田次郎氏の「望郷」(および収録作品の「豆満江」「夕日」)「小説に書けなかった自伝」、作者の兄、藤原正彦氏の「数学者の言葉では」「数学者の休憩時間」「父の威厳 数学者の意地」「祖国と国語」、作者の前作「父への恋文」を読み終えてから、最後に読むことをおすすめします。
そうでなければ、作者の深い心の苦悩を感じることなど、とてもできないのではないでしょうか。