福沢諭吉が物心ついてから60歳代までの自伝。
幕末から明治初期までの日本の諸情勢とともに福沢諭吉の論評も加えて書かれている。
人間、福沢諭吉の人柄、事蹟を知るにはもっとも適当な一冊。
幕末社会の仕組みが人の暮らしの実感として描かれていて、イメージとして捉えられた。
また、アメリカに何度もわたることができた経緯や現在の慶応義塾大学を成立過程を詳しく知ることができる。また大学設立以外に、さまざまに福沢が活躍したことがわかった。
だがなによりも人間としての福沢諭吉の魅力を知ることができたのが、よかった。

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福翁自伝 新訂 (ワイド版岩波文庫 33) 単行本 – 1991/6/26
明治30年,福沢は60年の生涯を口述し,のちその速記文に全面加筆して『自伝』を書きあげる.語るに値する生涯,自らそれを生きた秀れた語り手という希有な条件がここに無類の自伝文学を生んだ.(解説=小泉信三・富田正文)
- 本の長さ346ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1991/6/26
- ISBN-104000070339
- ISBN-13978-4000070331
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
明治30年、福沢諭吉は60年の生涯を口述し、のちその速記文に全面加筆して「自伝」を書きあげる。近代日本の激動期を背景に、常に野にあって独立不覊をつらぬいた精神の歩みが大らかに語られている。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1991/6/26)
- 発売日 : 1991/6/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 346ページ
- ISBN-10 : 4000070339
- ISBN-13 : 978-4000070331
- Amazon 売れ筋ランキング: - 513,495位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 106位ワイド版岩波文庫
- - 683位日本の思想(一般)関連書籍
- - 25,659位歴史・地理 (本)
- カスタマーレビュー:
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2019年2月25日に日本でレビュー済み
本書の難点は、ワイド版の割には字が小さいこと。(星1つ減点です。)
昔、読んだ時は、福沢が12、13才の頃、殿様や神様の名前を書いた紙を足で踏んだり、便所に投げ込んだりしたことを述べた記述に何の違和感も感じなかった。これが、「魔術からの解放」というプラスの側面を持つにせよ、私は、今は、ここだけは同意しない。今の科学で解明されていないことだが、人(生き物)が持つ「念」の力は否定する根拠がないと思うからである。
昔、読んだ時は、福沢が12、13才の頃、殿様や神様の名前を書いた紙を足で踏んだり、便所に投げ込んだりしたことを述べた記述に何の違和感も感じなかった。これが、「魔術からの解放」というプラスの側面を持つにせよ、私は、今は、ここだけは同意しない。今の科学で解明されていないことだが、人(生き物)が持つ「念」の力は否定する根拠がないと思うからである。
2005年6月2日に日本でレビュー済み
近世から近代への移行期、渡欧した作家たちの諸作品には、往々にして帰国して見た「近代日本」社会への厭世感が漂っております。
たとえば夏目漱石の諸作品には、まだ封建制を引きずり旧態依然の「近代日本」の中で、近代的自我を持った(「開眼」し、いわばトンデル)人間が持つ厭世感や苦しみが表現されています。(『それから』然り。『野分』然りです。)
日記などを読みますと、当の漱石自身もそれが遠因で胃潰瘍で苦しんだように見受けられます。森鴎外もドイツから帰国して見た日本社会を近代化への発展途上段階にある『普請中』と表現しています。そこにもやはり厭世感が漂っているように思います。
ところがです。福翁自伝を読みますとそうした厭世感が感じられません。
諭吉が、近世日本にとっては根っからのアウトサイダーであったことがその理由ではなかろうかと、自伝を読んで思います。近代人諭吉は、渡欧・渡米するまでもなく「近世日本」が大手術を要する病人であることを元来感じていたので、帰国してもどうってことはなかったのでしょう。行うべきことは明確でした「啓蒙」その一語です。
初めて著作を読んだのですが、なんと「骨太」な人物だろうと思います。やはり壱萬円札に肖像が出るだけのことはある、と思いました。
たとえば夏目漱石の諸作品には、まだ封建制を引きずり旧態依然の「近代日本」の中で、近代的自我を持った(「開眼」し、いわばトンデル)人間が持つ厭世感や苦しみが表現されています。(『それから』然り。『野分』然りです。)
日記などを読みますと、当の漱石自身もそれが遠因で胃潰瘍で苦しんだように見受けられます。森鴎外もドイツから帰国して見た日本社会を近代化への発展途上段階にある『普請中』と表現しています。そこにもやはり厭世感が漂っているように思います。
ところがです。福翁自伝を読みますとそうした厭世感が感じられません。
諭吉が、近世日本にとっては根っからのアウトサイダーであったことがその理由ではなかろうかと、自伝を読んで思います。近代人諭吉は、渡欧・渡米するまでもなく「近世日本」が大手術を要する病人であることを元来感じていたので、帰国してもどうってことはなかったのでしょう。行うべきことは明確でした「啓蒙」その一語です。
初めて著作を読んだのですが、なんと「骨太」な人物だろうと思います。やはり壱萬円札に肖像が出るだけのことはある、と思いました。