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人間科学 単行本 – 2002/4/22
- 本の長さ232ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2002/4/22
- ISBN-104480860649
- ISBN-13978-4480860644
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商品の説明
商品説明
タイトルとなっている「人間科学」とは、「『ヒトとはなにか』を科学の視点から考えようとするもの」であり、著者はこれに対し、「それなら、科学とはそもそもなにを扱うのか」というところから議論を始めている。現代科学の問題点を鋭く指摘し、科学と人間を「情報」という視点で結びつけようとする試みは、斬新で説得力がある。
著者は、本書の中で「情報と実体」という概念を用いてさまざまな事象を説明しようとしている。ここでいう「情報」とは固定化された事象であり、「実体」とは常に変化する、固定化されていない事象のことである。著者はこれらの概念をもとに、人間の思想や社会、果ては都市にまで言及する。著者によると、「巨大化したヒトの脳は、徹底的に意識的な世界を生み出した」のであり、現在もなお、あらゆるものを意識的に統御しようとしている。情報化社会とはあらゆるものを固定化しようとする動きであり、そこには実体をありのままに受け入れるという姿勢が欠如する恐れがある。
著者自身「あとがき」で述べているように、本書は進歩を続ける著者の思考の過程であり、読んでも体系的な知は得られない。だが、ここで述べられた人間観は、これまでにない斬新なものであり、「養老ヒト学のひとつの到達点を示す」ものである。(土井英司)
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2002/4/22)
- 発売日 : 2002/4/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 232ページ
- ISBN-10 : 4480860649
- ISBN-13 : 978-4480860644
- Amazon 売れ筋ランキング: - 502,528位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 146位サル・人類学
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著者について

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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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「鐘は剛体だから固有振動数で鳴る。それなら、鐘の音はいつも同じはずである。中世の人だって、そんな事は知っていたはず」
それなら、なぜ、同じ音が諸行無常を示すのか・・・
今まで気にかけたことも無いような問題に対し、作者独自の「見方」を示し、そうした見方を採用する事によって、どういう視点が開けるのかを、様々な分野で展開してくれる。
学問における一般的基準を、絶対真理としての『神』ではなく、『人間』に取り戻すためにはどうしたらいいのか。そんな事を真剣に考えている人がいる、と知る事だけでも、この本を手にする意味はあるように思われます。
”私が私であること”という主題の問に行き着いているようである。
どうして自分が自分であることを人は理解できているのかという答は
とうとう見つけ出せないままになっているが、一つだけはっとしたのは、
”情報”というシロモノの正体であった。
”情報は変わらない、時々刻々変化するのは脳(身体)の方である”
は眼を覚まさせる十分なインパクトを持っていた。
脳における情報処理の秘密は誰もが知りたいと思うことなので、
本書の内容をもう少し分かりやすくすれば更に多くの読者を掴むに
違いない。
後続の論を待ちたいと思う。
その動いている=変化している人というものを
「私は私である」という意識が統一している。
と、養老氏は言う。
養老氏の著作に、我々の存在そのものがとても不安定なもの
であることを認識させられる。
しかし、不安定であるということは変化するという要素を
孕んでいる。
氏の論の発展を期待したい。
本書の基本を成す細胞-遺伝子、脳-言葉と言う「~である」の陳述は無論正しいのだろう。しかし「~である」と「~すべし」は独立であり、前者から後者を導き出す事は出来ない。個別箇所に対する批判は無数にあるが、一つだけ挙げると情報を固定した存在として、都市化、一神教、共通了解へと進む下りであり、最後に「理解されない個体は排除される。それが現代においても、ヒト社会の厳しい規則であることは、だれでも納得するはずである。」と結論付けている。そうすると既存の体系内の異物、体系外の者は排除されて当然と言う「~すべし」を帰結するが、いじめられる者は体系内の異物であり、又、天才は既存の体系に存在しなかった体系外の新たな思想を提唱する者であるから、いじめを肯定し、天才を抹消する事になる。ここでは、既存の体系を打ち破って発展を遂げる、人間の最も本質的な要素が見落とされている。
こうした「~である」から「~すべし」への転換は、古くは19世紀の社会ダーウィニズムにも見られるが、そこには科学と称して動物に対する「~である」から人間に対する「~すべし」を導く危険な飛躍がある。
そうすると、そっと忍ばされた「~すべし」を白日の下に引き摺り出して正面から検討する事、即ち、深刻な哲学的思考が必要となる。そうではなく、解剖学、脳科学等の知見から今あるものを「~すべし」の形で安直に是認するのは体制側の御用学者になる危険もある。
著者も本書の最後で、人間科学というのは哲学よりもう少し不純な学問であると述べているが、人間科学とはこんなに不純な学問なのかと思った。