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あきらめたから、生きられた: 太平洋37日間漂流船長はなぜ生還できたのか (BE-PAL BOOKS) 単行本 – 2001/12/1
- 本の長さ221ページ
- 言語日本語
- 出版社小学館
- 発売日2001/12/1
- ISBN-104093664714
- ISBN-13978-4093664714
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商品の説明
商品説明
エンジンが故障し船は漂流、程なく携帯電話に「圏外」の表示が出る。それは同時に、彼が人間世界の「外」に出で、自己の「内的世界」へと出発したことをも意味していた。
水、次いで食料が底を尽いても武智は焦らず腐らず、「できることは、とりあえずやる」という鉄則を貫く。体力も衰えるなかで、キーホルダーで作ったルアーで魚を釣り、海水をやかんで蒸留して水滴をなめ、果ては小便まで飲む。これ以上ないほど深刻な状況なのだが、彼の言葉には突き抜けた明るさがある。
「…小便をちょっと。舐めているだけなのに。まだ死なない。人間って、案外死なないもんだ。いやまったく。今日も元気だ、小便が旨い。いや、旨くないか。元気でもない。ちっとも、元気なんかじゃない。でも生きてる。生きてる。俺はまだ生きているんだぞ…」。たとえるならば「無人島マンガ」のようなユーモア。それは孤独と欠乏とを基調にしながらも、人間存在への素朴で深い思索を喚起する。
「…あきらめが早いって? だけど俺はあきらめたから生きられたんだ。…」諦めることは明らめることでもある。ネガティブも極まると、ポジティブに反転する。
諦念と諧謔(かいぎゃく)、そして常ならぬ平常心。静かな勇気・矜持(きょうじ)を持って生きることの、また大らかな諦観の持つ「壮大な力」を見せつけられる。(濱 籟太)
出版社からのコメント
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 小学館 (2001/12/1)
- 発売日 : 2001/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 221ページ
- ISBN-10 : 4093664714
- ISBN-13 : 978-4093664714
- Amazon 売れ筋ランキング: - 257,841位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 42,380位ノンフィクション (本)
- - 43,410位文学・評論 (本)
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著者について

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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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内容は、以前読んだ、たった一人の生還、に比べると遥かに悠長なものだった。
正直、悪い視点で見さえすれば、自ら主体的に遭難したのでは?とさえ思えなくもないのだ。
携帯電話を持っていて、電話をすれば救助してもらえる状況にあっても
意地を張って、救いを呼ばなかった点などは擁護しようがない。
ただ武智氏の人柄などには好感が持てるし、読んで損をする内容ではない。
しかし、諦めたから助かった、という論理は無いだろうと突っ込んでおきたい。
・助かるだけの食料/水/身体(健康力)という物理的要因があったこと
・漁船に巡り合えた幸運に恵まれたこと
により助かったに過ぎない。
確かに、生への執着心が強ければ、胃潰瘍になってた可能性はある。
しかし短期的な胃潰瘍になっていてもそれが原因で死に至ることはない。
たった一人の生還でも、水分不足を原因とした腎不全などが主な死因だった。
あきらめたから生きられた、というタイトルには少々首を傾げざるを得ない。
武智さんは運よく生還し死の淵から帰ることが
出来たがそれはほんの偶然、しかし、そこまで
の心のバランスの保ち方がすごい。
結局、途中で発狂することも自殺することもなく
最後までやれることを坦々とやるマインドセットは
諦める(そして受け入れる)ことだと説く。
武智さんは高僧の悟りに37日間の数奇な体験を
通して到達したのだと思う。
これだけの体験をしたあとでは死を恐れることは
なくなっただろう。むしろ、今、生きられている
一瞬、一瞬に無上の喜びを感じるのではないだろうか。
「のどが渇いたので、最後の水を一気のみして、あとは寝てしまった」とか。
「生きることに執着しなかったから、生きられた」とか。
脱力。
行間が広くて、内容も少ないし。
拍子抜け。
しかし、「執着しない」とは「平常心を保つ」ことにつながるのかしら。
スキンダイバーは、「考えると酸素を異常に使うから、何も考えないことが長く潜る秘訣」というし。
「生きるぞ、生きるぞ、なんとしても生きるぞ」という熱い市井でないことが、消費カロリーを減らしたのかしら、なんて思ったりして。
はじめ、うちの本棚の「漂流系」の棚においていましたが、今は「クラゲの棚」に移動しました。
たった一人で漂流するような状況に陥ったとき、ほとんどの人間は精神的なダメージを受けて生きる気力を失ってしまうのではないでしょうか。
武智さんは先のことを想像することをせず、その時にできることを淡々とこなしています。
この先について想像しなかったことにより(過去については思い出していますが)絶望するというダメージを受けずにすみ、長いあいだ生きることができたのです。
もしも極限状態に遭遇することがあれば、このような対応がいい結果に繋がるかもしれません。
しかし武智さんの精神力にはまいります!
肉体的にはほとんどの限界だったのにおにぎりと水とタバコでたちまち回復し、遠洋漁業のじゃまをしてはならないと思い、「もう大丈夫です。行ってください」という下りにはびっくりしました。
〝これだけ(水と食料を)もらえれば、あと一週間くらいは漂流しても大丈夫〟って…(゚д゚lll)
少しあほ過ぎるところもありますが、本当に〝事実は小説よりも奇なり〟を思わせる本でした。
自分が仮に漂流したらどんなことを考えるんだろう、って考えた。
ほとんどの人は「生きることに必死」になるんじゃないかな。
「どうやって助けてもらおう」とか、「食料はどうしよう」とか・・・。
食料については、武智氏も考えてるんだけど、それほど悩んでいないのが何かスゴイ。
その「あきらめる」ことのエネルギーってどっからくるんだろうって思った。
でも「あきらめる」ことにエネルギーなんていらないんだよね。
だってそもそも「あきらめてる」んだから。
最初から「生きることをあきらめ」、今生きている間に「できることをやる」。
「あきらめる」とは、「投げ出す」ことではなく、物事を「明らかにして見る」こと。
どんなに頑張ってもダメだと分かったら、次の行動を考える。
自分はこれまで「あきらめない」ことを必死で頑張ってきたけど、「あきらめて」肩の力を抜くことも大事なんだと気付かせてくれた。
諦めなかった。心は負けなかった。生きて帰ろうと強く思った。
もちろんそれは大事だ。人は肉体的ダメージよりも精神的なダメージで死ぬ。
筆者は遭難する前から、精神を守る極意を自ずと知っていたのだと思う。
諦めるのは決してネガティブな事ではない。受け入れる事、前に進む事と同等だ。それが分かる良書だった。
なんとなく読んだのですが、
いかに自分が弱い人間で
諦めが早い人間なのかを考えさせられました。
私の諦めは、
著者の諦めとはまったく違います。
人生に気付きを与えてくれた本です。
ですが、
もうちょっと
ボリュームが欲しかったかもしれません。
武智さんは「仏教的な死生観の持ち主」と書かれた方がいましたが、その通りなんでしょうね。もしキリスト教とかイスラム教とか一神教の信仰をもつ人が同じように漂流したら、「どうして私にこのような試練を与えるのか」などと神様と問答して忙しかったことでしょう。それこそ「神よ、私を救いたまえ」と懇願したことだろうし。
でも武智さんは、「神さま、助けてくれ」ではなく、「自分をこれまで生かしてくれたすべての人と物よ、ありがとう」と感謝の気持ちを抱く。それがなんとも清々しい。武智さんの自然や命に対する謙虚な姿勢に心を洗われました。
武智さんならきっと安らかに海に還った!!ことでしょうが、こうして生還して本を出してくれたことがとても有難く思われます。たくさんの人に読んでもらいたい本ですね。それこそブッシュ大統領にも。