なんだかファンタジーだなぁ、と思ってましたが、
そういう要因も有ったのですね。

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僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された 単行本(ソフトカバー) – 2013/12/4
佐藤健志
(著)
「戦後の歴史を知る」とは、過去と現在の必然的な関連を知ることだ
現在は、過去とどうつながっているのだろうか。
出来事がどのような形でつながり、積み重なっていったのか、その因果関係や必然性を理解する視点を持つのが「歴史を知る」ということである。
過去、日本は同じような出来事を繰り返してきたが、本書ではこれを「歴史のリピート機能」と捉える。
1975年に高度成長の終焉を迎えた日本は、バブル経済の崩壊を1991年に迎えた。
1980年代に中曽根政権下では電電公社、専売公社、国鉄が民営化されたが、2000年代にも道路公団、郵政事業の民営化が行なわれた――。
こうした戦後史観によって、1945年以後の日本のあり方について、首尾一貫した必然性のもとに歴史をとらえる視点を見出していくのが、本書の狙いである。
第1章:「終戦」を疑え(1941年~1947年)
第2章:「負けるが勝ち」のカラクリ(1945年~1948年)
第3章:占領の舞台裏をさぐる (1945年~1949年)
第4章:幻想を捨てずに独立する方法(1949年~1959年)
第5章:高度成長という風景(1960年~1972年)
第6章:戦後は終わっても終わらない(1972年~1980年)
第7章:螺旋階段の30年(1980年~)
現在は、過去とどうつながっているのだろうか。
出来事がどのような形でつながり、積み重なっていったのか、その因果関係や必然性を理解する視点を持つのが「歴史を知る」ということである。
過去、日本は同じような出来事を繰り返してきたが、本書ではこれを「歴史のリピート機能」と捉える。
1975年に高度成長の終焉を迎えた日本は、バブル経済の崩壊を1991年に迎えた。
1980年代に中曽根政権下では電電公社、専売公社、国鉄が民営化されたが、2000年代にも道路公団、郵政事業の民営化が行なわれた――。
こうした戦後史観によって、1945年以後の日本のあり方について、首尾一貫した必然性のもとに歴史をとらえる視点を見出していくのが、本書の狙いである。
第1章:「終戦」を疑え(1941年~1947年)
第2章:「負けるが勝ち」のカラクリ(1945年~1948年)
第3章:占領の舞台裏をさぐる (1945年~1949年)
第4章:幻想を捨てずに独立する方法(1949年~1959年)
第5章:高度成長という風景(1960年~1972年)
第6章:戦後は終わっても終わらない(1972年~1980年)
第7章:螺旋階段の30年(1980年~)
- 本の長さ292ページ
- 言語日本語
- 出版社祥伝社
- 発売日2013/12/4
- ISBN-104396614780
- ISBN-13978-4396614782
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商品の説明
著者について
佐藤健志(さとう・けんじ)1966年東京生まれ。評論家、作家。東京大学教養学部卒業。
1989年、戯曲「ブロークン・ジャパニーズ」で文化庁舞台芸術創作奨励特別賞を受賞。
作劇術の観点から時代や社会を分析する独自の評論活動を展開する。
著書に評論集『震災ゴジラ! 戦後は破局へと回帰する』『夢見られた近代』『本格保守宣言』、小説『チングー・韓国の友人』など。
編訳書に『新訳 フランス革命の省察』がある。
社会分析とダンスの融合も試みており、ネットにて動画を配信中。
1989年、戯曲「ブロークン・ジャパニーズ」で文化庁舞台芸術創作奨励特別賞を受賞。
作劇術の観点から時代や社会を分析する独自の評論活動を展開する。
著書に評論集『震災ゴジラ! 戦後は破局へと回帰する』『夢見られた近代』『本格保守宣言』、小説『チングー・韓国の友人』など。
編訳書に『新訳 フランス革命の省察』がある。
社会分析とダンスの融合も試みており、ネットにて動画を配信中。
登録情報
- 出版社 : 祥伝社 (2013/12/4)
- 発売日 : 2013/12/4
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 292ページ
- ISBN-10 : 4396614780
- ISBN-13 : 978-4396614782
- Amazon 売れ筋ランキング: - 624,574位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年12月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
負け惜しみでなく、負けたことを受け入れ、新たな勝利を目指して国造りに邁進しなければ延々と続く迷走に陥る。
「ファンタジーの戦後史」とは、敗戦を受け入れず、現実逃避し、「負けたから頑張ろう」でなく、「負けても、負けていないのだから頑張ろう」とする結果的には、「何でもあり」という正当化のために構築された無責任な幻想である。
戦後史とは、これをどうにか隠蔽しようとして日本人が知恵を絞ってきた過程とも言える。
それは、1990年前後までは成功した。世界レベルでの繁栄を獲得したのである。しかし、現実逃避はいつまでも続かない。バブル崩壊をきっかけに、日本は延々と続く迷走に陥った。
原発事故における第二の「敗戦」というフレーズは、敗戦を終戦、占領軍を進駐軍と言い替えた日本人がそろそろ幻想を捨て去り、現実に向き合おうとする予兆かもしれない。
日本人のホンネは、あの戦争に負けたが、実は負けていないだった。
大東亜共栄圏について否定したふりをしながら戦後の世界新秩序と同じではないかと考えた。
「ファンタジーの戦後史」の下では、「保守」と「左翼」の対立など表面的な違いに過ぎない。双方とも幻想のおいしいとこ取りしたのであった。そして、アメリカに対しては、「負けるが勝ち」を決め込んだのである。
「左翼」の、「戦争体験を風化させない」というスローガンもインチキである。それは、「占領体験を風化させない」が欠落しているからである。
「左翼=反米」が、敗者から永遠に抜け出せないよう画策した憲法を守れというのは、全く以ってワカラナイ話である。太平洋戦争の無意識的リベンジかもしれない。
親米派にしても、ホンネをあからさまにする事は敵に尻尾を振って国際社会へ復帰することになり、それはまた敗戦を認める事にもなるので何事も暈すのである。
今では、マッカーサーも忘れ去られ占領体験は、完全に封印出来た。
そして、幻想は未だ続いている。
ここまで来ると何故、事ある毎に改革、改革と叫びたがるのかも分かって来る。
それは、現実逃避の幻想を存続させつまり、幻想の世界観を変えようとしないまま、物事を変えていこうとしても成功するはずがないのである。だから、何回も繰り返されるのである。
具体的には、戦前と戦後を共に否定せず、共に肯定していくしかない。そしてそれは、戦争、占領改革、高度成長などについて根本から見直す事である。
「ファンタジーの戦後史」を捨て去れば、新たなスッキリした歴史観、国際的に立つ位置も自ずから見えて来る。
アメリカは、「日本が到達すべき状態を体現した国」つまり、未来の日本であり中国は、「20世紀前半に日本が掲げた理想を実現しつつある国」つまり、過去の日本にあたる存在である。
ここから、国家戦略を考えれば良い。幻想を捨て去り現実を見据えれば現在の左・右の区別は大した差は無いのかもしれない。
近年の迷走は、幻想に捉われ現実の方向性を見失っているのである。
冴えた切り口である。
現実を直視出来るかどうかという視点は、実に単純で分かり易く正鵠を射ている。
それは、右から左まで成熟度合いの差つまり、大人かそれに近いか遠いかという事に置き換え可能で腑に落ちる。
また、日本人にとって「敗戦」は敗戦でなく「ご破算に願いまして」のご破算であったのだ。生き残るための知恵であったろうが70年経った今、現実を直視すべき時がそこに来ているのだと思う。
「ファンタジーの戦後史」とは、敗戦を受け入れず、現実逃避し、「負けたから頑張ろう」でなく、「負けても、負けていないのだから頑張ろう」とする結果的には、「何でもあり」という正当化のために構築された無責任な幻想である。
戦後史とは、これをどうにか隠蔽しようとして日本人が知恵を絞ってきた過程とも言える。
それは、1990年前後までは成功した。世界レベルでの繁栄を獲得したのである。しかし、現実逃避はいつまでも続かない。バブル崩壊をきっかけに、日本は延々と続く迷走に陥った。
原発事故における第二の「敗戦」というフレーズは、敗戦を終戦、占領軍を進駐軍と言い替えた日本人がそろそろ幻想を捨て去り、現実に向き合おうとする予兆かもしれない。
日本人のホンネは、あの戦争に負けたが、実は負けていないだった。
大東亜共栄圏について否定したふりをしながら戦後の世界新秩序と同じではないかと考えた。
「ファンタジーの戦後史」の下では、「保守」と「左翼」の対立など表面的な違いに過ぎない。双方とも幻想のおいしいとこ取りしたのであった。そして、アメリカに対しては、「負けるが勝ち」を決め込んだのである。
「左翼」の、「戦争体験を風化させない」というスローガンもインチキである。それは、「占領体験を風化させない」が欠落しているからである。
「左翼=反米」が、敗者から永遠に抜け出せないよう画策した憲法を守れというのは、全く以ってワカラナイ話である。太平洋戦争の無意識的リベンジかもしれない。
親米派にしても、ホンネをあからさまにする事は敵に尻尾を振って国際社会へ復帰することになり、それはまた敗戦を認める事にもなるので何事も暈すのである。
今では、マッカーサーも忘れ去られ占領体験は、完全に封印出来た。
そして、幻想は未だ続いている。
ここまで来ると何故、事ある毎に改革、改革と叫びたがるのかも分かって来る。
それは、現実逃避の幻想を存続させつまり、幻想の世界観を変えようとしないまま、物事を変えていこうとしても成功するはずがないのである。だから、何回も繰り返されるのである。
具体的には、戦前と戦後を共に否定せず、共に肯定していくしかない。そしてそれは、戦争、占領改革、高度成長などについて根本から見直す事である。
「ファンタジーの戦後史」を捨て去れば、新たなスッキリした歴史観、国際的に立つ位置も自ずから見えて来る。
アメリカは、「日本が到達すべき状態を体現した国」つまり、未来の日本であり中国は、「20世紀前半に日本が掲げた理想を実現しつつある国」つまり、過去の日本にあたる存在である。
ここから、国家戦略を考えれば良い。幻想を捨て去り現実を見据えれば現在の左・右の区別は大した差は無いのかもしれない。
近年の迷走は、幻想に捉われ現実の方向性を見失っているのである。
冴えた切り口である。
現実を直視出来るかどうかという視点は、実に単純で分かり易く正鵠を射ている。
それは、右から左まで成熟度合いの差つまり、大人かそれに近いか遠いかという事に置き換え可能で腑に落ちる。
また、日本人にとって「敗戦」は敗戦でなく「ご破算に願いまして」のご破算であったのだ。生き残るための知恵であったろうが70年経った今、現実を直視すべき時がそこに来ているのだと思う。
2014年10月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
その時代を生きているということと、その時代(歴史)を知っていることとは別であるのだろう。タイトルに示されているのは、現代を生きる僕たちと同時に戦後を生きてきた日本人を指していると感じた。つまり日本人のほとんどは戦後史を知らないのだと著者は主張する。本当の戦後史を知って初めてこれからの日本の進む方向が定まるのだ。
著者の描く戦後史は、敗戦・占領の屈辱に耐え切れず、すべてを隠蔽するための目的で、アメリカに尻尾を振り、経済発展を追求した道のりであるという。結論だけ見ると何とも突飛な説に見えるが、戦後の占領の過程と教育、政治、報道を丁寧にひも解いていくとあながち間違っておらず、むしろかなりあたっているように感じた。
著者の説く戦後史がそうであるならば、なぜ歴代の政府、官僚が、日本の国益よりアメリカの国益を優先させるような行動に出るのか合点が行く。なぜ日本は原発にしても、基地問題にしても、TPP交渉についても自国の国益も顧みないほどアメリカに従順であるのかに疑問を持つ方に読んでいただき考えていただきたい。
著者の描く戦後史は、敗戦・占領の屈辱に耐え切れず、すべてを隠蔽するための目的で、アメリカに尻尾を振り、経済発展を追求した道のりであるという。結論だけ見ると何とも突飛な説に見えるが、戦後の占領の過程と教育、政治、報道を丁寧にひも解いていくとあながち間違っておらず、むしろかなりあたっているように感じた。
著者の説く戦後史がそうであるならば、なぜ歴代の政府、官僚が、日本の国益よりアメリカの国益を優先させるような行動に出るのか合点が行く。なぜ日本は原発にしても、基地問題にしても、TPP交渉についても自国の国益も顧みないほどアメリカに従順であるのかに疑問を持つ方に読んでいただき考えていただきたい。
2019年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なかなか面白かったが、第7章の1980年以降に関しては賛成しかねる。日本の自殺を書いた香山健一が保守派の論客といのは納得いかないし、新保守が急進左派が化けて蘇ったものと見なし得ようというのも賛成しかねる。むしろ行政改革や構造改革を推進する保守勢力こそが急進左派が化けて蘇ったものではないでしょうか?
2017年9月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本には、「大東亜戦争での敗戦後、なぜ多くの日本国民は敵国である米国の占領政策や押し付け憲法を素直に受け入れ、あまっさえ、こともあろうにGHQ総司令官であるマッカーサーに対する敬慕の念すら抱くなどということが起こり得たのか?」という疑問に対する解答が見事に示されている。
結論から言うと、戦後の日本国民は、「日本がアジアを欧米の植民地支配から解放し、“公正な平和をもたらす世界秩序を打ち立てる”という「八紘一宇」の理想実現の夢が敗戦によってもろくも潰えたが、その代わりに勝者である米国が戦後の国際秩序のリーダーシップをとることとなった。そして米国は、負けた日本に代わってその理想を実現したわけであるから、日本の戦争目的は達成された。だから、日本は戦争には負けたが、戦争目的は達成されたという意味では、“負けたわけではない”。」と考えていたからということになる。
これが、佐藤氏が言うところの「ファンタジーの戦後史」をもたらした戦後日本人が無意識に抱いた価値観ということになるが、もし、これが真実だとしたら(おそらく真実であろう)、「現実を全く直視できない、それこそ“究極の負け惜しみ思考”であり、“究極のお花畑思考”であった」と言わざるを得ない。もっとも、戦前の大東亜共栄圏や八紘一宇の理想も、明治維新による近代化を達成し、日清、日露の戦に勝っただけで抱いた自惚れ根性の産物であったことを思えば、「日本人のファンタジー思考は、戦前・戦中・戦後を貫いていた」ということも言えるであろう。
結論から言うと、戦後の日本国民は、「日本がアジアを欧米の植民地支配から解放し、“公正な平和をもたらす世界秩序を打ち立てる”という「八紘一宇」の理想実現の夢が敗戦によってもろくも潰えたが、その代わりに勝者である米国が戦後の国際秩序のリーダーシップをとることとなった。そして米国は、負けた日本に代わってその理想を実現したわけであるから、日本の戦争目的は達成された。だから、日本は戦争には負けたが、戦争目的は達成されたという意味では、“負けたわけではない”。」と考えていたからということになる。
これが、佐藤氏が言うところの「ファンタジーの戦後史」をもたらした戦後日本人が無意識に抱いた価値観ということになるが、もし、これが真実だとしたら(おそらく真実であろう)、「現実を全く直視できない、それこそ“究極の負け惜しみ思考”であり、“究極のお花畑思考”であった」と言わざるを得ない。もっとも、戦前の大東亜共栄圏や八紘一宇の理想も、明治維新による近代化を達成し、日清、日露の戦に勝っただけで抱いた自惚れ根性の産物であったことを思えば、「日本人のファンタジー思考は、戦前・戦中・戦後を貫いていた」ということも言えるであろう。
2014年12月15日に日本でレビュー済み
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戦後日本の歪みがどのようにして作られたか、中々新鮮で面白い考察がまとめられた一冊。
如何せん見慣れない論なので初めは「なんだこれ?」と思ってしまうが、読み進めるうちに著者の持論に説得されている自分が居た。
ただ、ひとつだけ間違っていると思うところがある。
それは20頁3行目の終わりから4行目の頭にかけて、「朝鮮半島の植民地化を経て」の部分。
朝鮮半島は自ら進んで併合されたのであって、当然扱いも他の植民地とは違ったのだから、そこは確りと分けて書くべきだった。それが星4つにした理由です。
如何せん見慣れない論なので初めは「なんだこれ?」と思ってしまうが、読み進めるうちに著者の持論に説得されている自分が居た。
ただ、ひとつだけ間違っていると思うところがある。
それは20頁3行目の終わりから4行目の頭にかけて、「朝鮮半島の植民地化を経て」の部分。
朝鮮半島は自ら進んで併合されたのであって、当然扱いも他の植民地とは違ったのだから、そこは確りと分けて書くべきだった。それが星4つにした理由です。
2014年10月19日に日本でレビュー済み
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日本は戦後、それまでの生き方を180度転換することになったわけですが
本書によれば、日本人はこのような急激な方針転換によるアイデンティティの危機を防ぐため
敗戦を終戦、占領を進駐と脳内変換を行い、アメリカをあるべき日本の姿(真の日本)とみなしたうえでアメリカの占領政策を受け入れ
右派も左派もこの脳内ファンタジーでつくりあげられた戦後を巡って争っていただけにすぎないという
しかし、冷戦の勃発と高度成長によって右派も左派も迷走
その結果、消費のみを追求する社会となってしまったのだと
正直、本書を読んで日本人の節操のなさにうんざりしてしまった
ですが、冷戦の崩壊、中国の台頭、アメリカの斜陽によってこのファンタジーを止める時期はもうとっくに来てるわけで
そういう意味ではこの幻想から覚めるチャンスかもしれません
本書によれば、日本人はこのような急激な方針転換によるアイデンティティの危機を防ぐため
敗戦を終戦、占領を進駐と脳内変換を行い、アメリカをあるべき日本の姿(真の日本)とみなしたうえでアメリカの占領政策を受け入れ
右派も左派もこの脳内ファンタジーでつくりあげられた戦後を巡って争っていただけにすぎないという
しかし、冷戦の勃発と高度成長によって右派も左派も迷走
その結果、消費のみを追求する社会となってしまったのだと
正直、本書を読んで日本人の節操のなさにうんざりしてしまった
ですが、冷戦の崩壊、中国の台頭、アメリカの斜陽によってこのファンタジーを止める時期はもうとっくに来てるわけで
そういう意味ではこの幻想から覚めるチャンスかもしれません
2014年11月8日に日本でレビュー済み
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本書の著者の佐藤氏は、戦後日本には「敗戦」と呼ぶべき状況が四度あり(文字通りの敗戦、第一次石油危機に端を発する不況、冷戦終焉・バブル崩壊に伴う不況、東日本大震災と福島原発事故)、四度の「敗戦」では付帯して毎度似たような現象が起こっていることを巧みな描写で解明します。さらに、本来ならばその時に「ファンタジーの戦後史」(負け惜しみ)から抜け出さねばならなかったのだという視点から、この戦後という時代のグロテスクな面を抉り出していっています。
「「ファンタジーの戦後史」を捨てるだけで、日本人が強固な仲間意識で結ばれると期待するのはムシがよすぎる。けれども恋愛に憧れつつ恋愛不能に陥ったり、ひたすら周囲の空気を読んで合わせようとしたりといった傾向に歯止めをかけることはできるだろう」けだし至言です。福澤諭吉の言う「独立自尊」にも通ずるところがあると思います。
「「ファンタジーの戦後史」を捨てるだけで、日本人が強固な仲間意識で結ばれると期待するのはムシがよすぎる。けれども恋愛に憧れつつ恋愛不能に陥ったり、ひたすら周囲の空気を読んで合わせようとしたりといった傾向に歯止めをかけることはできるだろう」けだし至言です。福澤諭吉の言う「独立自尊」にも通ずるところがあると思います。