衣服の目的は寒さを防ぐためではないという。動きやすさを求めるなら裸が一番だからだ。そもそもの目的は入れ墨と同様「飾る」ことだった。
18世紀のロココの時代までは衣装の目的は装飾にあった。
軍服も当初は装飾目的だったが、集団的行動の利便が目的であり、戦闘にふさわしい衣服だという観念が生まれた。
軍隊は、武器の使用によって鉄鋼業を刺激し、機械的な組織によって工場生産のモデルとなった。さらに、画一的な産業製品の巨大な市場となり、技術革新を促す巨大な原動力となった。
ルソーは未開人(本来の人間)の。「自然な身体」を理想とした。それはフィクションだったが、結果的に、産業的な身体や近代的な軍隊の形成にあたって、「体育」をうみだすもとになった。
近代体育の基礎をつくったとされるデンマークとスウェーデン、ドイツの3人はナポレオン戦争を侵略される側で経験した。
ナポレオン軍は、祖国愛に燃える国民皆兵の人民軍だった。この刺激が、ヨーロッパ各地にナショナリズムの観念を強烈に植えつけ、その下において体育が成立した。自由と個性をうたったルソーの思想が、逆に身体の均質化、精神の均質化に決定的な力を及ぼしてしまった。
江戸時代の日本人は、同じ側の手足を同時に動かす「ナンバ」という歩き方をしていた。剣道や相撲の押しはナンバだった。
そのリズムは「行進」には合わない。
西南の役で農民兵が薩摩の士族に熊本籠城戦で敗北したことから、「ナンバ」の矯正がはじまり、「運動会」でリズムをあわせて行進するなど、身体の近代化が一気に進んだ。
「裸の身体」「自然のままの身体」は決して「自然」ではなく、あとから見出された理念だ。「身体の零度」はけっして太古にさかのぼったものではなく、産業革命以後につくられたものなのだ。
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身体の零度 (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 1994/11/2
三浦 雅士
(著)
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購入オプションとあわせ買い
纏足(てんそく)やコルセットのような不自然な風習を、なぜ私たちは続けてきたのだろうか。〈私〉をつくりだす源に、何があるのだろうか。謎はみなひとつのところから流れでている――。本書は、東西の豊富な文献を駆使して、泣きかた・笑いかた・行進・舞踊など人間の表情や動作に立ちむかう。そして、身体へのまなざしの変容こそが、近代の起点であることをあざやかに検証する。社会史・思想史のなかに、身体を位置づけた力作。
- ISBN-104062580314
- ISBN-13978-4062580311
- 出版社講談社
- 発売日1994/11/2
- 言語日本語
- 寸法12.8 x 1.7 x 18.8 cm
- 本の長さ284ページ
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
身体をめぐるタブーから解放され、身体がたんなる身体として認識されるようになったのはいつ頃からなのか。古今東西の文献をひもときながら、身体を社会史・思想史のなかに位置づける。
著者について
1946年、青森県生まれ。文芸評論家。弘前高校卒業。「ユリイカ」「現代思想」の編集長を経て、批評活動を展開する。著書に、『主体の変容』(中央公論社)、『メランコリーの水脈』『小説という植民地』(福武書店)、『私という現象』(冬樹社)、『疑問の網状組織へ』(筑摩書房)などの他、『この本がいい』(編者・講談社)がある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1994/11/2)
- 発売日 : 1994/11/2
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 284ページ
- ISBN-10 : 4062580314
- ISBN-13 : 978-4062580311
- 寸法 : 12.8 x 1.7 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 123,320位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 98位講談社選書メチエ
- - 268位文化人類学一般関連書籍
- - 294位哲学・思想の論文・評論・講演集
- カスタマーレビュー:
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2010年11月5日に日本でレビュー済み
スターバックスで、ソファが空いていたので、そこに陣取り、ジュンク堂で買ったばかりの
本書を手にとった。
コーヒーのかぐわしさが似合う本のように思ったし、あのとき、あの場所で、手にとって
よかった。
本書は、一言でいえば「テーマ勝ち」である。
最後まで読んで、「身体の零度」というネーミングは、ややうがちすぎのように思うし、
それについていまいち考察が深く及んでないとは思う。
また、気負ったか、オープニングの数十ページは、若干記述のスタイルがかちこち固い。
それでも、すぐに筆がのってきて、いわば三浦ワールドが両の手を広げて読者を待っている。
一章一章、これまで歴史を語るうえでこぼれがちだった「身体」とそれを取り巻く
衣服、表情、所作に考察を広げるという「芸当」は、著者の面目躍如たる感がある。
そして、著者は歴史プロパーではなく元が編集者だけに、記述の心配りが行き届いていて、
文字どおり「安心して」読み進めることができた。
テーマに興味をもった方も、読書を楽しみたい方も、軽すぎず、重すぎず、脂の乗った本書を
おすすめしたい。
本書を手にとった。
コーヒーのかぐわしさが似合う本のように思ったし、あのとき、あの場所で、手にとって
よかった。
本書は、一言でいえば「テーマ勝ち」である。
最後まで読んで、「身体の零度」というネーミングは、ややうがちすぎのように思うし、
それについていまいち考察が深く及んでないとは思う。
また、気負ったか、オープニングの数十ページは、若干記述のスタイルがかちこち固い。
それでも、すぐに筆がのってきて、いわば三浦ワールドが両の手を広げて読者を待っている。
一章一章、これまで歴史を語るうえでこぼれがちだった「身体」とそれを取り巻く
衣服、表情、所作に考察を広げるという「芸当」は、著者の面目躍如たる感がある。
そして、著者は歴史プロパーではなく元が編集者だけに、記述の心配りが行き届いていて、
文字どおり「安心して」読み進めることができた。
テーマに興味をもった方も、読書を楽しみたい方も、軽すぎず、重すぎず、脂の乗った本書を
おすすめしたい。
2007年7月20日に日本でレビュー済み
本書は、タイトルの通り、「近代」という時代の成立の根源を、身体性の問題から探るもの。今日様々な形で論じられる「身体性」の問題を、「文明批判」「文化批判」といった切り口から、歴史的な観点に定位して取り上げている。タイトルからも推測されるように、ポスト・モダンの思想を背景にふまえているものであるが、論旨は明快、論述はむしろ古典的で手堅いもの。豊富で適切な実例の提示(文学作品や、歴史的な文献からの引用など、唸らせるものがある!)と、念入りな先行論文の引用によってこうした主題にあまりなじみのない読者も、十分楽しめ、また考えさせる内容となっており、「身体論」を考える上での、かなり上質な入門書となっている。「身体加工」「表情」「動作(所作)」「舞踊」と、身体論の基本的な主題を順番に論じていくが、その論考の定点となっているのが、「身体の零度」という主題。「裸で何も塗らず、形を変えず、飾らない人間の体」というものを、標準の人間の在り方として受け入れるという、この「身体の零度」の成立が、「近代」というものを形作る上で不可欠であったという洞察が示された後で、この「近代」の成立と引き替えに失われてしまった「身体」の回復の試みが現代の「舞踊」の在り方に探られる。そしてその後は? 展開のふくらみを期待させる、刺激的な思索の試みである。
2005年3月25日に日本でレビュー済み
近代(現在から見た時間軸上としての。当時から見ればもちろん現代)という時代、世界に対して感じる圧倒的な違和を文章に託した物が「文学」と呼ばれ芸術と評価されアイデンティティを補完できていたということがある種羨ましくも思えてしまった。そしてイデオロギーが壊死した「現代」が急速に向かってゆく既成概念の死、世界の終わり、終末観が意識されると共に(終わりが始まりである様に)新しいスタンスの創造を期待できる。