最終的にこの本だけが残りました。
ラメッシはエゴをとことん静かにしてしまいます。
何度も何度も読みましたがそれでもエゴは生き残ろうとして、
いろんな本を読み漁ります。
そして「神の意志でなければ何ごとも起こらない」「神の意志が運命です」
「それが神の意志なら、それ以外はどうでもいいことです」で、
すっかりエゴは黙ってしまいました。
「行為者という感覚なしに続けられる普通の日常生活が
突然の悟りが起こるための可能なかぎりのいちばんよい下準備です」
これ本当でした。
普通に日常生活を送る事が1番の近道です。
そうすると今自分は何もしていなかったとあとで気づく事が度々起こるようになります。
この本を離れて、他の本を彷徨っているとまたしても世界に巻き込まれてしまいます。
ラメッシの言う通りだったとまたしても思うのです。
それ程、混乱している教師がとても多いと思います。
本物は数える程度ではないかと思います。
「運命はたいていこれから未来に起こる何かだと考えられていますが違います。
映画はすでに起こったのです。
「私」はすでに起こった映画を観照しているのです。
これこそが創造もなく破壊もなく、それはただの映画であるということです。
それなら源泉が映画を創造する前は何だったでしょうか?
何もありません。創造はありませんでした。
そして映画さえ本当は創造ではありません。」
意識である私たちは、
自分自身から自然発生するエネルギーの動きを観照しているだけ。
そのエネルギーの動きがこの肉体には現象として現れているように見える。
現象は「絵に描いた餅」と同じです。
この本は自信をもっておすすめ致します。
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誰がかまうもんか?! Kindle版
『アイ・アム・ザット 私は在る』のニサガッダ・マハラジの弟子、ラメッシ・バルセカール。本書は、2009年9月に他界した彼の残した言葉を、ブレイン・バルドーが編集したものです。「私とは誰か?」という、ラマナ・マハルシの問いの先にあり、「存在するすべては意識である」という概念。エゴとの新しい対峙方法、究極の理解とは何であるかなど、観念的に展開する教えが会話形式によってわかりやすく解かれた1冊。
- 言語日本語
- 出版社ナチュラルスピリット
- 発売日2010/2/1
- ファイルサイズ2169 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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商品の説明
著者について
■ラメッシ・S・バルセカール(Ramesh S. Balsekar):
1917年、インドの中流家庭に生まれる。
大学を卒業後、銀行に勤めながら、妻と3人の子供を養い、最後は頭取として手腕を発揮する。
銀行を退職後、師であるニサルガダッタ・マハラジ
(Nisargadatta Maharaj)に出会い、覚醒る。
それ以後長年、ムンバイの自宅や欧米で、世界中から訪れる探求者たちの質問に答える日々を送り、2009年9月に92歳で生涯を終える。
著書に、『人生を心から楽しむ』(マホロバアート発行 現在絶版)他多数。
■訳者略歴:高木悠鼓(たかき・ゆうこ)
大学卒業後、教育関係の仕事を経て、現在は、翻訳・作家・出版業を営む。
著書に、『人をめぐる冒険』『楽しいお金』『楽しいお金3』、訳書に、『今ここに、死と不死を見る』(ダグラス・ハーディング著)、『顔があるもの 顔がないもの』(ダグラス・ハーディング著)、『人生を心から楽しむ』(ラメッシ・バルセカール著 現在絶版)、『リヴィング・ウィズ・ジョイ』(サネヤ・ロウマン著)、
『パーソナル・パワー』(サネヤ・ロウマン著 以上すべて、マホロバアート発行)などがある。
個人ブログ「シンプル道の日々」 http://simple-dou.asablo.jp/blog
1917年、インドの中流家庭に生まれる。
大学を卒業後、銀行に勤めながら、妻と3人の子供を養い、最後は頭取として手腕を発揮する。
銀行を退職後、師であるニサルガダッタ・マハラジ
(Nisargadatta Maharaj)に出会い、覚醒る。
それ以後長年、ムンバイの自宅や欧米で、世界中から訪れる探求者たちの質問に答える日々を送り、2009年9月に92歳で生涯を終える。
著書に、『人生を心から楽しむ』(マホロバアート発行 現在絶版)他多数。
■訳者略歴:高木悠鼓(たかき・ゆうこ)
大学卒業後、教育関係の仕事を経て、現在は、翻訳・作家・出版業を営む。
著書に、『人をめぐる冒険』『楽しいお金』『楽しいお金3』、訳書に、『今ここに、死と不死を見る』(ダグラス・ハーディング著)、『顔があるもの 顔がないもの』(ダグラス・ハーディング著)、『人生を心から楽しむ』(ラメッシ・バルセカール著 現在絶版)、『リヴィング・ウィズ・ジョイ』(サネヤ・ロウマン著)、
『パーソナル・パワー』(サネヤ・ロウマン著 以上すべて、マホロバアート発行)などがある。
個人ブログ「シンプル道の日々」 http://simple-dou.asablo.jp/blog
登録情報
- ASIN : B075R6PH31
- 出版社 : ナチュラルスピリット (2010/2/1)
- 発売日 : 2010/2/1
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 2169 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 312ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 10,530位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 150位思想
- - 204位哲学・思想 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
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2023年12月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
このところ、非二元について興味が湧き、色々読んだり動画を観たりしていました。
私のような初心者非二元学習者にとってはとても驚くような内容ですが、説明はわかりやすくて、本の中で述べられていることを日常生活で実験的にやってみようと思いました。
「全ては既に撮り終えられた映画のようなものであり、であるがゆえに人生は母親の妊娠が確定したときから死ぬまでの一連の流れを運命づけられているのだけれども、それでもまるで自由意志があるがごとく日々の決定や選択をすればいい、その決定や選択を行なう判断基準すら各々の遺伝や条件付けによって行われているのだから」という、これまで私が持っていた人生観がガラガラと崩れ落ちるようなラメッシの言葉の数々をノートに書き留めました。
これからは、過去の失敗を悔やんで同じ過ちを繰り返さないよう反省や決意をしたりだとか、明日の仕事の段取りなどを考えたりすることを一切やめて、とにかく今を丁寧に、自分が行為をしているのではないことを感じながら日々の生活に取り組んでみようと思いました。
私のような初心者非二元学習者にとってはとても驚くような内容ですが、説明はわかりやすくて、本の中で述べられていることを日常生活で実験的にやってみようと思いました。
「全ては既に撮り終えられた映画のようなものであり、であるがゆえに人生は母親の妊娠が確定したときから死ぬまでの一連の流れを運命づけられているのだけれども、それでもまるで自由意志があるがごとく日々の決定や選択をすればいい、その決定や選択を行なう判断基準すら各々の遺伝や条件付けによって行われているのだから」という、これまで私が持っていた人生観がガラガラと崩れ落ちるようなラメッシの言葉の数々をノートに書き留めました。
これからは、過去の失敗を悔やんで同じ過ちを繰り返さないよう反省や決意をしたりだとか、明日の仕事の段取りなどを考えたりすることを一切やめて、とにかく今を丁寧に、自分が行為をしているのではないことを感じながら日々の生活に取り組んでみようと思いました。
2023年7月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こんな本の内容、誰がかまうもんか!
2013年3月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を最初読んだ時は、「この著書はなんて冷たいんだ!」って思った。
しかし、2回目読んだ時は、真実だって思った。
この内容は、賢者つまり悟った側から淡々と書かれているため、エゴで苦悩している最中の人が読むと、すごく冷たく感じる。著書も言っているように、バクティとして自分という自我が消えることを前提としているため、エゴが小さくなるにつれて、この本が読めるようになる。
最近の引き寄せ・・・など、夢見憧れるようなスピ系の人などが読むと、がっくりくる。
神側からみると、「自由意思」はないんだから。我々が必至に自由のもとにやっている現実でさせ、「お決まり」らしいから。
ラマナ・マハルシはその点、語りにやさしさがあふれている。
アドバイタの覚者でも、表現型はほんとさまざまである。
しかし、2回目読んだ時は、真実だって思った。
この内容は、賢者つまり悟った側から淡々と書かれているため、エゴで苦悩している最中の人が読むと、すごく冷たく感じる。著書も言っているように、バクティとして自分という自我が消えることを前提としているため、エゴが小さくなるにつれて、この本が読めるようになる。
最近の引き寄せ・・・など、夢見憧れるようなスピ系の人などが読むと、がっくりくる。
神側からみると、「自由意思」はないんだから。我々が必至に自由のもとにやっている現実でさせ、「お決まり」らしいから。
ラマナ・マハルシはその点、語りにやさしさがあふれている。
アドバイタの覚者でも、表現型はほんとさまざまである。
2023年3月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最初読んだときは「そんなことがあってたまるか?!」が第一印象でした。
数カ月おきに読みたくなり都度読んでいましたが、
最近は「確かにその通りかもしれない」となりつつあります。
理解を深める為にマハラジ本も読んでみましたが、
量子論やコンピュータなどに絡めて解説してくれるラメッシの本の方が
”なんちゃってエンジニア”だった自分には理解しやすい気がしてます。
何度も読み返しています。
2023.3.26追記 星5に変更しました。
2021年5月に購入して以降、これほど何度も読み返している本は無いです。
最初に知ったのは株の掲示板でした。
誰かが「この本をバイブルにしている」と書いてたので試しに読んだのですが、
株の事よりも子供のころからの不本意で無能な自分に対しての救いがあり、
株掲示板で教えてくれた人に感謝しています。
ただラメッシに言わせれば2021年に私がこの本を手にするのは
あらかじめ決められた事だったのでしょう。
数カ月おきに読みたくなり都度読んでいましたが、
最近は「確かにその通りかもしれない」となりつつあります。
理解を深める為にマハラジ本も読んでみましたが、
量子論やコンピュータなどに絡めて解説してくれるラメッシの本の方が
”なんちゃってエンジニア”だった自分には理解しやすい気がしてます。
何度も読み返しています。
2023.3.26追記 星5に変更しました。
2021年5月に購入して以降、これほど何度も読み返している本は無いです。
最初に知ったのは株の掲示板でした。
誰かが「この本をバイブルにしている」と書いてたので試しに読んだのですが、
株の事よりも子供のころからの不本意で無能な自分に対しての救いがあり、
株掲示板で教えてくれた人に感謝しています。
ただラメッシに言わせれば2021年に私がこの本を手にするのは
あらかじめ決められた事だったのでしょう。
2021年1月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ラメッシ・バルセカールのユニークな非二元論の基本原理は「行為者はいない(仏陀の言葉を引用している)」「起こることすべては神の意志(自然の法則、運命などと言いかえることもできる)」といったもので、ラメッシは、すべての宗教の基本原理は、同じであるという考え方をしています。
悟りを求めるものに対して、この教えの利益は、至福ではなく、心の平和です。プライド、罪悪感、憎しみ、嫉妬など、自由意志の感覚に起因する感情の緩和、消滅です。
罪悪感がなくなってしまっていいのかと思われるかもしれませんが、「罪悪感や自己批判に悩まされなければ、逃げる必要もありません。そうすると、どうして失敗したかについて考えるのがラクになり、同じ失敗を繰り返さないようになります。」と健康心理学者ケリー・マクゴニガルが自著に書いているように、悪いことはありません。
もし、みなさんが、心の平和、心の平安、心の平静さ、といったものを求めているなら、読む価値はあると思います。
ラメッシは、自由意志はないという考えですが、自由意志とは、あれにするかこれにするかは、「自分」が選ぶことができるということです。
そして、よく言われることですが、結果はコントロールできません。あなたの自由意志は、選択することに限定されるわけです。そして、その選択ですが、あなたは、プログラミングされている内容に従って選択をするということです。プログラミングとは、遺伝子+環境からの条件付けであり、それらに対してあなたは何もコントロールできません。選択できないのです。なぜなら、あなたは、両親を選べず(遺伝子を選べない)、生まれ育つ環境も選べない(環境からの条件付けを選べない)からです。つまり、あなたの自由意志は、あなたにコントロールできない外因にもとづいているということです。内因は存在しません。だから、実際には自由意志というものはないのです。
自由意志はないという考えが受け入れられることは、責任からの自由であり、心の平和やくつろぎをもたらします。しかし、私たち人間は、社会(人の集まり)を形成して生活しているため、その社会(人の集まり)が機能するために、ルールがあり、私たちには、責任が伴います。つまり、人生において、私たちは、実際には自由意志がないことを理解しながら、まるで自由意志があるかのように、まるで行為者であるかのように、生きなければならないということです。社会上は、みな行為者なのです。自由意志はないという考えで得られるのは、あくまで心の自由であり、ルールを無視して、無責任にふるまえるようになれるというものではありません。そのようなことをすれば、苦しい立場に追いやられるでしょう。
自分(行為者)は存在するとか自由意志があるとかは虚構ですが、人間は虚構によって生きています。たとえば人間は、太陽が静止していて、運動しているのは地球だということを知っていますが、それにもかかわらず、日常生活では太陽が昇っては沈むという虚構を受け入れています。
ラメッシ・バルセカールは、悟ろうとすることは無駄な努力であると言っていますが、心理学的に悟り(行為者はいない、無我)を求める一切の努力は無駄であるとわかりました。
ジョージ・ウェインバーグの理論に、「人間の行動は背後にある動機となった考え方を強化する」「選択はその背後にある世界観を正当化する」という考え方があります。
私の言う悟りとは「自由意志はない」「行為者はいない(無我)」「起こることすべては神の意志(自然の法則、運命)」というラメッシ・バルセカールのユニークな非二元論の基本原理を腹で理解することですが、悟りを求めるということは、自由意志で悟りを達成しようとしている、行為者として悟りを達成しようとしているということです。とすれば、ジョージ・ウェインバーグの理論によればその行動は、動機となった考え方や世界観を強化、正当化するわけですから、自由意志や行為者感覚が強化、正当化されるわけです。
つまり、悟ろうと自由意志による行為者としての期待や努力があるかぎり、原理的に絶対に「自由意志はない」「行為者はいない(無我)」「起こることすべては神の意志(自然の法則、運命)」という悟りは起こらないわけです。では、どうすれば、悟りが起こるのかと思うでしょう。その思考がすべての問題なのです。自由意志で悟りを求めようとしているのですから。
ラメッシの基本原理に戻れば、「神の意志でないかぎり何ごとも起こらない」ということです。私はこのことがなかなか納得できませんでした。「自由意志はない」「行為者はいない(無我)」「起こることすべては神の意志(自然の法則、運命)」という基本原理を理解し、悟りを求める努力は一切無駄であると理解し、自分のしたいこと、するべきだと思うことをやって、ただ生きればいい。これが私が今思うことです。
PassCodeというアイドルも、「何をしてもいいって、ルールを守ったうえで何をしてもいいってこと」と言っていますが、「ルールを守ったうえで、あなたの好きなことを何でもしてください。なぜなら、あなたは、行為者ではないのだから。神の意志でないかぎり、何ごとも起こらないのだから」とラメッシは言っていると思います。
悟る「人(行為者、探求者)」はいないという無条件の理解が起こるなら、探求も得ようとしていた「悟り」も消滅して、それで終わりです。逆説的ですが、それが「悟り」です。
私は、できませんでしたが、ラメッシは「私は、本当に自分の行為の行為者なのか?」ということを、一日の終わりに調べる行為の分析をすすめています。それが毎日、成功するほど、行為者感覚を弱めることができ、もし、源泉(神、意識)の意志があれば、行為者はいないという無条件の理解が起こるそうです。
そして、その行為の分析が成功するかどうかも、「神の意志でないかぎり、何ごとも起こらない」と言っています。
ラメッシの教えを理解するには、まじめに、深刻に考えることが障害になります。NHK「こころの時代」み運びのままに 藤原正遠(しょうおん)を、ネットで検索してみてください。テキストが読めます。ラメッシの言っていることと同じことが、もっとやわらかい言葉で書かれています。
藤原正遠さんは、浄土真宗の仏教僧です。真宗大谷派。
「自由意志はない」ということに興味があるのでしたら、少し、難しいですが、小坂井敏晶の本もおすすめです。
2021/11/10に出た「格差という虚構(ちくま新書)小坂井敏晶」は、新書ですので、比較的、読みやすくなっています。「第7章 主体という虚構」は、ぜひ読んでみてください。
追記
自分の人生を生きていくうえで、苦痛となる考え方を保持して生きていくのは、生き物としての本能に反しています。
ラメッシの教えを受け入れるかどうかは、メリット、デメリットで選択すればいいと思います。
ラメッシの教えのメリットは、達成感というプライド、罪、罪悪感、憎しみ、嫉妬、羨望、責任、敵意、失敗という挫折感、恥、などの心の重荷となる感情の解消であり、心の平和が得られ、人生がシンプルになります。
また、自由意志を信じてメリットがある人は、自由意志を信じればいいし、自由意志はないと思うことでメリットがある人は、自由意志はないと思えばいいのだと思います。メリット、デメリットの比較の仕方は、「武器としての決断思考 (星海社新書) 瀧本 哲史 」も参考にしてみてはいかがかと思います。
悟りを求めるものに対して、この教えの利益は、至福ではなく、心の平和です。プライド、罪悪感、憎しみ、嫉妬など、自由意志の感覚に起因する感情の緩和、消滅です。
罪悪感がなくなってしまっていいのかと思われるかもしれませんが、「罪悪感や自己批判に悩まされなければ、逃げる必要もありません。そうすると、どうして失敗したかについて考えるのがラクになり、同じ失敗を繰り返さないようになります。」と健康心理学者ケリー・マクゴニガルが自著に書いているように、悪いことはありません。
もし、みなさんが、心の平和、心の平安、心の平静さ、といったものを求めているなら、読む価値はあると思います。
ラメッシは、自由意志はないという考えですが、自由意志とは、あれにするかこれにするかは、「自分」が選ぶことができるということです。
そして、よく言われることですが、結果はコントロールできません。あなたの自由意志は、選択することに限定されるわけです。そして、その選択ですが、あなたは、プログラミングされている内容に従って選択をするということです。プログラミングとは、遺伝子+環境からの条件付けであり、それらに対してあなたは何もコントロールできません。選択できないのです。なぜなら、あなたは、両親を選べず(遺伝子を選べない)、生まれ育つ環境も選べない(環境からの条件付けを選べない)からです。つまり、あなたの自由意志は、あなたにコントロールできない外因にもとづいているということです。内因は存在しません。だから、実際には自由意志というものはないのです。
自由意志はないという考えが受け入れられることは、責任からの自由であり、心の平和やくつろぎをもたらします。しかし、私たち人間は、社会(人の集まり)を形成して生活しているため、その社会(人の集まり)が機能するために、ルールがあり、私たちには、責任が伴います。つまり、人生において、私たちは、実際には自由意志がないことを理解しながら、まるで自由意志があるかのように、まるで行為者であるかのように、生きなければならないということです。社会上は、みな行為者なのです。自由意志はないという考えで得られるのは、あくまで心の自由であり、ルールを無視して、無責任にふるまえるようになれるというものではありません。そのようなことをすれば、苦しい立場に追いやられるでしょう。
自分(行為者)は存在するとか自由意志があるとかは虚構ですが、人間は虚構によって生きています。たとえば人間は、太陽が静止していて、運動しているのは地球だということを知っていますが、それにもかかわらず、日常生活では太陽が昇っては沈むという虚構を受け入れています。
ラメッシ・バルセカールは、悟ろうとすることは無駄な努力であると言っていますが、心理学的に悟り(行為者はいない、無我)を求める一切の努力は無駄であるとわかりました。
ジョージ・ウェインバーグの理論に、「人間の行動は背後にある動機となった考え方を強化する」「選択はその背後にある世界観を正当化する」という考え方があります。
私の言う悟りとは「自由意志はない」「行為者はいない(無我)」「起こることすべては神の意志(自然の法則、運命)」というラメッシ・バルセカールのユニークな非二元論の基本原理を腹で理解することですが、悟りを求めるということは、自由意志で悟りを達成しようとしている、行為者として悟りを達成しようとしているということです。とすれば、ジョージ・ウェインバーグの理論によればその行動は、動機となった考え方や世界観を強化、正当化するわけですから、自由意志や行為者感覚が強化、正当化されるわけです。
つまり、悟ろうと自由意志による行為者としての期待や努力があるかぎり、原理的に絶対に「自由意志はない」「行為者はいない(無我)」「起こることすべては神の意志(自然の法則、運命)」という悟りは起こらないわけです。では、どうすれば、悟りが起こるのかと思うでしょう。その思考がすべての問題なのです。自由意志で悟りを求めようとしているのですから。
ラメッシの基本原理に戻れば、「神の意志でないかぎり何ごとも起こらない」ということです。私はこのことがなかなか納得できませんでした。「自由意志はない」「行為者はいない(無我)」「起こることすべては神の意志(自然の法則、運命)」という基本原理を理解し、悟りを求める努力は一切無駄であると理解し、自分のしたいこと、するべきだと思うことをやって、ただ生きればいい。これが私が今思うことです。
PassCodeというアイドルも、「何をしてもいいって、ルールを守ったうえで何をしてもいいってこと」と言っていますが、「ルールを守ったうえで、あなたの好きなことを何でもしてください。なぜなら、あなたは、行為者ではないのだから。神の意志でないかぎり、何ごとも起こらないのだから」とラメッシは言っていると思います。
悟る「人(行為者、探求者)」はいないという無条件の理解が起こるなら、探求も得ようとしていた「悟り」も消滅して、それで終わりです。逆説的ですが、それが「悟り」です。
私は、できませんでしたが、ラメッシは「私は、本当に自分の行為の行為者なのか?」ということを、一日の終わりに調べる行為の分析をすすめています。それが毎日、成功するほど、行為者感覚を弱めることができ、もし、源泉(神、意識)の意志があれば、行為者はいないという無条件の理解が起こるそうです。
そして、その行為の分析が成功するかどうかも、「神の意志でないかぎり、何ごとも起こらない」と言っています。
ラメッシの教えを理解するには、まじめに、深刻に考えることが障害になります。NHK「こころの時代」み運びのままに 藤原正遠(しょうおん)を、ネットで検索してみてください。テキストが読めます。ラメッシの言っていることと同じことが、もっとやわらかい言葉で書かれています。
藤原正遠さんは、浄土真宗の仏教僧です。真宗大谷派。
「自由意志はない」ということに興味があるのでしたら、少し、難しいですが、小坂井敏晶の本もおすすめです。
2021/11/10に出た「格差という虚構(ちくま新書)小坂井敏晶」は、新書ですので、比較的、読みやすくなっています。「第7章 主体という虚構」は、ぜひ読んでみてください。
追記
自分の人生を生きていくうえで、苦痛となる考え方を保持して生きていくのは、生き物としての本能に反しています。
ラメッシの教えを受け入れるかどうかは、メリット、デメリットで選択すればいいと思います。
ラメッシの教えのメリットは、達成感というプライド、罪、罪悪感、憎しみ、嫉妬、羨望、責任、敵意、失敗という挫折感、恥、などの心の重荷となる感情の解消であり、心の平和が得られ、人生がシンプルになります。
また、自由意志を信じてメリットがある人は、自由意志を信じればいいし、自由意志はないと思うことでメリットがある人は、自由意志はないと思えばいいのだと思います。メリット、デメリットの比較の仕方は、「武器としての決断思考 (星海社新書) 瀧本 哲史 」も参考にしてみてはいかがかと思います。
2019年4月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あまり理解できなかった。
ラメッシ師はこの本の中で、あらゆる修行や努力は悟りとは無関係で、それは起こるべくして起こると言っている。
それを鵜呑みにした私が、「起こるべくして起こるのだから真我探求や瞑想は必要ないからやめよう」と思ってだらだらしようが、必死で真我探求をしようが運命は一ミリも変わらないという解釈で合っているだろうか。
マハラジ師や仏陀、プンジャジ師は口を揃えて「呼吸を求めるくらい死に物狂いで一なるものを求めなさい」と言っているのに、ラメッシ師によると瞑想や修行すること自体エゴがかえってそれ自身の働きを強め、真我を知ることの障害になるとさえ述べている。
ラメッシ師はマハルシ師の主張を否定しているだろうか?マハラジ師の「アイアムザット」も再び読んでみたが意見の食い違いがあるように思えてならない。
非常に限定された「個人」が全体性を知ることは不可能で、それの起こりは「個人」には全くコントロールできず神のみぞ知るというのは理解できる。
ゆえに瞑想や修行といった見かけの努力に対して、悟りが起こることは何の関係性ももたない。
ではもっと簡単な例「筋トレ」の場合はどうだろうか。
①筋肉をつけたい!と(見かけの)決意をし適度に筋トレをする。
②家でだらだらして毎日寝て過ごす
マッチョになるかどうかは運命が決めたことであり、個人には全くコントロールできないが、①を選んだ(選ぶことが起こった)ほうが筋肉質になる傾向があることは自明に思える。
「それならトレーニングをすることも含めて決まっていたのだろう」という反応が予想できる。
悟りに置き換えて考えると、トレーニングをすることも含めて決まっている。とするなら、「それが初めから決まっていたとしても」マハルシ師や他の師が言うように真我探求をしたり、真我に対する強い情熱や意志を心に留めておくことが流れ的に悟りへ誘う傾向を高めるのでは?と考えると、ラメッシ師の言っていることがよくわからなくなってしまった。あるいは、マハルシ師達は、それらが全く何ももたらさない事を知りながら、励ましとして言っていたのだろうか。
個人として完全に何もできることはなく、悟りは諦めなさいというならまだスッキリするが、当のラメッシ師でさえ、唯一の修行として行為の分析をすることをあげているので完全に何もしない方がよいのかあるいはした方がよいのかわからずモヤモヤする。
ラメッシ師はこの本の中で、あらゆる修行や努力は悟りとは無関係で、それは起こるべくして起こると言っている。
それを鵜呑みにした私が、「起こるべくして起こるのだから真我探求や瞑想は必要ないからやめよう」と思ってだらだらしようが、必死で真我探求をしようが運命は一ミリも変わらないという解釈で合っているだろうか。
マハラジ師や仏陀、プンジャジ師は口を揃えて「呼吸を求めるくらい死に物狂いで一なるものを求めなさい」と言っているのに、ラメッシ師によると瞑想や修行すること自体エゴがかえってそれ自身の働きを強め、真我を知ることの障害になるとさえ述べている。
ラメッシ師はマハルシ師の主張を否定しているだろうか?マハラジ師の「アイアムザット」も再び読んでみたが意見の食い違いがあるように思えてならない。
非常に限定された「個人」が全体性を知ることは不可能で、それの起こりは「個人」には全くコントロールできず神のみぞ知るというのは理解できる。
ゆえに瞑想や修行といった見かけの努力に対して、悟りが起こることは何の関係性ももたない。
ではもっと簡単な例「筋トレ」の場合はどうだろうか。
①筋肉をつけたい!と(見かけの)決意をし適度に筋トレをする。
②家でだらだらして毎日寝て過ごす
マッチョになるかどうかは運命が決めたことであり、個人には全くコントロールできないが、①を選んだ(選ぶことが起こった)ほうが筋肉質になる傾向があることは自明に思える。
「それならトレーニングをすることも含めて決まっていたのだろう」という反応が予想できる。
悟りに置き換えて考えると、トレーニングをすることも含めて決まっている。とするなら、「それが初めから決まっていたとしても」マハルシ師や他の師が言うように真我探求をしたり、真我に対する強い情熱や意志を心に留めておくことが流れ的に悟りへ誘う傾向を高めるのでは?と考えると、ラメッシ師の言っていることがよくわからなくなってしまった。あるいは、マハルシ師達は、それらが全く何ももたらさない事を知りながら、励ましとして言っていたのだろうか。
個人として完全に何もできることはなく、悟りは諦めなさいというならまだスッキリするが、当のラメッシ師でさえ、唯一の修行として行為の分析をすることをあげているので完全に何もしない方がよいのかあるいはした方がよいのかわからずモヤモヤする。