『主体的』は良い意味で、『主観的』は悪い意味に使われるのは何故か?
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日本語の宿命~なぜ日本人は社会科学を理解できないのか~ (光文社新書) Kindle版
我々日本人は、「民主主義」や「市民」あるいは「個人主義」や「共和国」といった言葉の意味を本当に知っているのであろうか。実際、これらの語に対する誤解は珍しくなく、時として誤解に基づく歪んだ民主主義観や政治観をも醸成している。この種の無理解や誤解が、なぜ生まれるのか――それは、知的能力の不足に起因するものではない。根本的な原因は、日本語の宿命の中にあるのである。
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2012/12/20
- ファイルサイズ453 KB
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商品の説明
出版社からのコメント
議員定数や公務員の削減、税金の低減は、民主主義的な政策である!
――あなたはそう思っていませんか?
――あなたはそう思っていませんか?
著者について
薬師院仁志(やくしいんひとし)
1961年大阪市生まれ。帝塚山学院大学リベラルアーツ学部教授。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程(教育社会学)中退。京都大学助手、帝塚山学院大学専任講師、同大学助教授を経て、2007年より現職。主な専攻分野は社会学理論、現代社会論、教育社会学。著書に『英語を学べばバカになる』『日本とフランス 二つの民主主義』『社会主義の誤解を解く』(以上、光文社新書)、『民主主義という錯覚』(PHP研究所)、共著に『橋下主義(ハシズム)を許すな! 』(ビジネス社)がある。
1961年大阪市生まれ。帝塚山学院大学リベラルアーツ学部教授。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程(教育社会学)中退。京都大学助手、帝塚山学院大学専任講師、同大学助教授を経て、2007年より現職。主な専攻分野は社会学理論、現代社会論、教育社会学。著書に『英語を学べばバカになる』『日本とフランス 二つの民主主義』『社会主義の誤解を解く』(以上、光文社新書)、『民主主義という錯覚』(PHP研究所)、共著に『橋下主義(ハシズム)を許すな! 』(ビジネス社)がある。
登録情報
- ASIN : B00BWI0UKO
- 出版社 : 光文社 (2012/12/20)
- 発売日 : 2012/12/20
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 453 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 273ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 65,936位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 362位世界史 (Kindleストア)
- - 445位光文社新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年10月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
社会学および政治学を学ぶ人間には必読の文献ですね。
辞典に即しての解説は着実なものを感じますが、今日の日本の市民運動を考える際のコーナーストーンがなんであるか、今一つ筆者なりの問題意識を全面に出してほしかった。
辞典に即しての解説は着実なものを感じますが、今日の日本の市民運動を考える際のコーナーストーンがなんであるか、今一つ筆者なりの問題意識を全面に出してほしかった。
2013年2月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新しい学問の用語は西洋語からの翻訳が多いが、訳し方次第で本来の意味が正確に伝わらない。
ここに原書を読む重要性がある。そんなことを考えさせてくれる本である。特に民主主義とは何か、日本人は再考すべきである。
再読したい本である。
ここに原書を読む重要性がある。そんなことを考えさせてくれる本である。特に民主主義とは何か、日本人は再考すべきである。
再読したい本である。
2015年8月30日に日本でレビュー済み
西部邁に『昔、言葉は思想であった』(09)という著作があって、毛色は違うけれど、基本的な発想は似ている。
西部著に比べ、こちらには強い思想的方向性は感じられなくて、せいぜい副題の通り「なぜ日本人は社会科学を理解できないのか」の謎解きに留まっているが、私としては社会科学や哲学系の主だった用語に関する欧米語原語と邦訳語の対応集というか、一種のシソーラスとして手元に置いている。
そうは言いながら、実はそんなに活用することもなくて、というのは取り上げられている言葉そのものが、ちょっと欧米語を齧った人間なら大体は承知しているような範囲に収まっているから、改めてつくづく見直して確認する必要も感じないから。
でも、同一の言語に対する邦訳語の多様性について確認する必要が生じたとき、これがあれば大事なところを見落とさなくていいかな、なんて思っている。
西部著に比べ、こちらには強い思想的方向性は感じられなくて、せいぜい副題の通り「なぜ日本人は社会科学を理解できないのか」の謎解きに留まっているが、私としては社会科学や哲学系の主だった用語に関する欧米語原語と邦訳語の対応集というか、一種のシソーラスとして手元に置いている。
そうは言いながら、実はそんなに活用することもなくて、というのは取り上げられている言葉そのものが、ちょっと欧米語を齧った人間なら大体は承知しているような範囲に収まっているから、改めてつくづく見直して確認する必要も感じないから。
でも、同一の言語に対する邦訳語の多様性について確認する必要が生じたとき、これがあれば大事なところを見落とさなくていいかな、なんて思っている。
2019年3月30日に日本でレビュー済み
著者と同じように、基本的には日本語で思考しつつ、英語やフランス語などのヨーロッパの言語を通して、社会科学を学んできたものとして、著者の議論にはおおむね共感するところが多い。
言語学において、言葉の「意味」は、四つの軸によって決まると考えられている。
一つが、その語の構成要素への分解による説明だ。
たとえば社会学が「社会」という枠組みでものごとを捉える「学」であるというような説明である。要素還元論的な説明とも言える。
もっともこれを「社会」に関する「学問」だと考えてしまうと、社会学の本質をとらえそこなうことになる。一般に私たちはよく知らない言葉をこのようなかたちで理解しようとするが、それがしばしば誤解の原因となる。
第二が、その歴史的な語源によって説明する方法であり、上記の社会学ならそれがもともとsociologyの訳語であるという歴史を踏まえて理解する方法であろう。
第二がタテの軸であるなら、ヨコの軸Aはその語がその言語体系においてどのような位置にあるのか、その対立軸の中で理解する方法である。ソシュールの構造主義的な言語学の考え方がこれにあたる。
もう一つのヨコの軸Bは語用論的な考え方であって、その語が文脈の中でどのような使われ方をしているかから、その意味を推測する方法だ。
学問的な用語の理解においては、こうしたタテ軸、ヨコ軸での理解が欠かせない。それらの語を理解するのは、それらの言葉を用いた学問の体系全体の理解が必要だし、それらの学問の体系の理解にはそれらの語の理解が必要となる。ニワトリが先か、タマゴが先か的な問題に見えるが、実際には相互の理解を調節しながら、同時に行っていくことになる。
著者が言うように、ヨーロッパでできあがっていった社会科学を理解するうえで、その学問を語るための「言葉」が、過去にどのように使われてきたかを知っていることは望ましい。民主主義がdemo-cracyという言葉からきていて、それぞれがどのような語源なのかを知っていれば、ヨーロッパ人がその語にどのような語感を持っているか知ることができるだろう。その言葉が、どのような対立軸の中で機能してきたのかを理解することも必須だろう。
ただしそれが通用するのは、そうした言葉が、社会科学の伝統を踏まえたアカデミズムの中で使われている場合であって、たとえば「ポピュリズム」のような一般化した言葉を理解するには、もうその言葉が現代においてどのような文脈で使われているか知る以外に方法はないようにも思う。
そうした意味では、一般の日本人が新聞などが語る社会のできごとを理解する上で、一般的な欧米人よりも不利だろうとは思えない。Societyみたいな言葉が、文脈におうじて「社会」や「協会」と訳し分けられている日本語のほうが場合によっては理解しやすいだろうとも思える。
とはいえ、ブルジョワ革命が同時に市民革命とも訳されうる理由など、この本を読んではじめて気がついたことも多々あり、知的な好奇心を大いに満足させる本だった。
言語学において、言葉の「意味」は、四つの軸によって決まると考えられている。
一つが、その語の構成要素への分解による説明だ。
たとえば社会学が「社会」という枠組みでものごとを捉える「学」であるというような説明である。要素還元論的な説明とも言える。
もっともこれを「社会」に関する「学問」だと考えてしまうと、社会学の本質をとらえそこなうことになる。一般に私たちはよく知らない言葉をこのようなかたちで理解しようとするが、それがしばしば誤解の原因となる。
第二が、その歴史的な語源によって説明する方法であり、上記の社会学ならそれがもともとsociologyの訳語であるという歴史を踏まえて理解する方法であろう。
第二がタテの軸であるなら、ヨコの軸Aはその語がその言語体系においてどのような位置にあるのか、その対立軸の中で理解する方法である。ソシュールの構造主義的な言語学の考え方がこれにあたる。
もう一つのヨコの軸Bは語用論的な考え方であって、その語が文脈の中でどのような使われ方をしているかから、その意味を推測する方法だ。
学問的な用語の理解においては、こうしたタテ軸、ヨコ軸での理解が欠かせない。それらの語を理解するのは、それらの言葉を用いた学問の体系全体の理解が必要だし、それらの学問の体系の理解にはそれらの語の理解が必要となる。ニワトリが先か、タマゴが先か的な問題に見えるが、実際には相互の理解を調節しながら、同時に行っていくことになる。
著者が言うように、ヨーロッパでできあがっていった社会科学を理解するうえで、その学問を語るための「言葉」が、過去にどのように使われてきたかを知っていることは望ましい。民主主義がdemo-cracyという言葉からきていて、それぞれがどのような語源なのかを知っていれば、ヨーロッパ人がその語にどのような語感を持っているか知ることができるだろう。その言葉が、どのような対立軸の中で機能してきたのかを理解することも必須だろう。
ただしそれが通用するのは、そうした言葉が、社会科学の伝統を踏まえたアカデミズムの中で使われている場合であって、たとえば「ポピュリズム」のような一般化した言葉を理解するには、もうその言葉が現代においてどのような文脈で使われているか知る以外に方法はないようにも思う。
そうした意味では、一般の日本人が新聞などが語る社会のできごとを理解する上で、一般的な欧米人よりも不利だろうとは思えない。Societyみたいな言葉が、文脈におうじて「社会」や「協会」と訳し分けられている日本語のほうが場合によっては理解しやすいだろうとも思える。
とはいえ、ブルジョワ革命が同時に市民革命とも訳されうる理由など、この本を読んではじめて気がついたことも多々あり、知的な好奇心を大いに満足させる本だった。
2013年5月7日に日本でレビュー済み
日本では、明治以来、欧米の近代制度や社会科学を輸入するにあたって、それまではなかった概念を、漢字を用いて翻訳して取り入れざるをえませんでした。もちろん、原語そのままより理解しやすかった面もあります。
しかし、その漢字は、まったく異なった文化である古代中国語文献(要するに漢籍)に由来し、さらに表意文字である漢字は一旦使われると原語を離れる可能性をもっています。
この本では、漢字での翻訳によって、日本語に溶け込んでしまったがゆえに、かえって本来の意味が理解されづらくなったことば、「社会」「個人」「民主主義」「権利」などをとりあげ、原語、語史、翻訳時の状況を紹介しつつ、欧米と日本でのあり方、認識の比較をしています。
たとえば、「民主主義」と翻訳されたdemocracyは、 ギリシア語のdemokratiaが語源で、もともとは、一人の統治である「君主制」、一部の統治である「貴族制」に対して、demos(人民)全員の統治を示しています。要するに、「統治者の数に基づくものであって、統治者の選出方法に基づくものではない」のです。ですから、「この分類に忠実であるならば、普通選挙によって選ばれた一部の者による統治もまた、貴族制に含まれる」(146頁)ことになります。
本当のdemocracyにもとづく政府の役割とは、「全員のために、私的自由や市場原理だけでは実現できない公共利益を保護することにほかなら」ず、「全体の声を国政に反映させるためには、充分な議員定数が不可欠であ」(167頁)ります。また、「全体の利益に奉仕する公務員もまた、民主国家には不可欠」(168頁)です。
ところが、日本語の「民主主義」ということばは、「民」が「主」であるという理解を生じさせ(もちろん漢字だけが問題ではありませんが)、さらにその「民」は「官」に対するもののようにとらえられてしまい、議員定数や公務員の数を減らすことが民主的な政策だと誤解されてしまっています。
しかし、その漢字は、まったく異なった文化である古代中国語文献(要するに漢籍)に由来し、さらに表意文字である漢字は一旦使われると原語を離れる可能性をもっています。
この本では、漢字での翻訳によって、日本語に溶け込んでしまったがゆえに、かえって本来の意味が理解されづらくなったことば、「社会」「個人」「民主主義」「権利」などをとりあげ、原語、語史、翻訳時の状況を紹介しつつ、欧米と日本でのあり方、認識の比較をしています。
たとえば、「民主主義」と翻訳されたdemocracyは、 ギリシア語のdemokratiaが語源で、もともとは、一人の統治である「君主制」、一部の統治である「貴族制」に対して、demos(人民)全員の統治を示しています。要するに、「統治者の数に基づくものであって、統治者の選出方法に基づくものではない」のです。ですから、「この分類に忠実であるならば、普通選挙によって選ばれた一部の者による統治もまた、貴族制に含まれる」(146頁)ことになります。
本当のdemocracyにもとづく政府の役割とは、「全員のために、私的自由や市場原理だけでは実現できない公共利益を保護することにほかなら」ず、「全体の声を国政に反映させるためには、充分な議員定数が不可欠であ」(167頁)ります。また、「全体の利益に奉仕する公務員もまた、民主国家には不可欠」(168頁)です。
ところが、日本語の「民主主義」ということばは、「民」が「主」であるという理解を生じさせ(もちろん漢字だけが問題ではありませんが)、さらにその「民」は「官」に対するもののようにとらえられてしまい、議員定数や公務員の数を減らすことが民主的な政策だと誤解されてしまっています。
2013年4月12日に日本でレビュー済み
西洋(英米仏独だけですが)の社会科学の日本語翻訳の文章を読んでいて 苦労するのが日本にはもともとない概念だ。
単語だけでは疑問なのだ、分からないのだ。本当にこの人はそういうことを言っているのかと。
これは著者も言っていること。
「この分からないという感受性」(265ページ)がある者でないとわかってもらえない苦労である。
翻訳語のすぐ後に原語表記があればとよく思ったものだ。
街の看板を見ても合点のいかない文章にいちいちコメントしたくなるこだわり人間のようなものか。
「語学が苦手だからこそのこだわり…」確かに同感できる苦労だ。
希望としてnationの説明とpublic/privateについてもうすこし詳しい説明があればと思う。
それと索引も。
書名が大層。副題を本題にした方が良かったのでは。
この著者の「英語を学べばバカになる」も書名は過激だけど内容はおすすめ。
※なお、
柳父の「翻訳語成立事情」は、たくさんの翻訳語がどうしてある一つのことばに収斂していくかを考察するもので、国内次元の問題である。
だから語源は重要視していない(同書49ページ)。というより、そもそも関係ないのだ。
たとえば、societyは幕末から明治初期には社会・世間・人間交際などたくさんの訳があったのに、最終的に「社会」になっていく、その事情を説明したもの。
その考えは、
'1.翻訳語に中身がない、あるいはあいまい・多義であるため定着した、
'2.翻訳語は高尚、既存の日本語は低俗との感覚から知識人が使用、
のようである。
ここには、西洋の社会科学をいかに日本に変換輸入するかという視点はない。
一方、
本書は、社会科学理解のための翻訳語が原語からどのようにずれたかを、西洋での概念を語源まで遡って検討し、日本翻訳語と比較して考察したもの。
だから、柳父さんは「恋愛」や「美」も採りあげるが、本書にそれはない。
単語だけでは疑問なのだ、分からないのだ。本当にこの人はそういうことを言っているのかと。
これは著者も言っていること。
「この分からないという感受性」(265ページ)がある者でないとわかってもらえない苦労である。
翻訳語のすぐ後に原語表記があればとよく思ったものだ。
街の看板を見ても合点のいかない文章にいちいちコメントしたくなるこだわり人間のようなものか。
「語学が苦手だからこそのこだわり…」確かに同感できる苦労だ。
希望としてnationの説明とpublic/privateについてもうすこし詳しい説明があればと思う。
それと索引も。
書名が大層。副題を本題にした方が良かったのでは。
この著者の「英語を学べばバカになる」も書名は過激だけど内容はおすすめ。
※なお、
柳父の「翻訳語成立事情」は、たくさんの翻訳語がどうしてある一つのことばに収斂していくかを考察するもので、国内次元の問題である。
だから語源は重要視していない(同書49ページ)。というより、そもそも関係ないのだ。
たとえば、societyは幕末から明治初期には社会・世間・人間交際などたくさんの訳があったのに、最終的に「社会」になっていく、その事情を説明したもの。
その考えは、
'1.翻訳語に中身がない、あるいはあいまい・多義であるため定着した、
'2.翻訳語は高尚、既存の日本語は低俗との感覚から知識人が使用、
のようである。
ここには、西洋の社会科学をいかに日本に変換輸入するかという視点はない。
一方、
本書は、社会科学理解のための翻訳語が原語からどのようにずれたかを、西洋での概念を語源まで遡って検討し、日本翻訳語と比較して考察したもの。
だから、柳父さんは「恋愛」や「美」も採りあげるが、本書にそれはない。