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発売元 かさや
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毛皮を着たヴィーナス (河出文庫) 文庫 – 2004/6/20

4.1 5つ星のうち4.1 37個の評価

サディズムと並び称されるマゾヒズムの語源を生みだしたザッヘル=マゾッホの代表作。東欧カルパチアとフィレンツェを舞台に、毛皮の似合う美しい貴婦人と青年の苦悩の快楽を幻想的に描いた傑作長編。
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商品の説明

著者について

1933年東京生まれ。独文学者。『ビンゲンのヒルデガルドの世界』で1996年度の芸術選奨、斉藤緑雨賞受賞。第一著作集「種村季弘のラビリントス」。ホッケ、マゾッホの翻訳・紹介者でもある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 河出書房新社; 新装版 (2004/6/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2004/6/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 235ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4309462448
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309462448
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.5 x 1 x 14.9 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 37個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4.1つ
5つのうち4.1つ
37グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2011年4月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マゾヒズムの語源ともなった、
マゾッホの代表作。

正直、1回読んで理解やら共感やらできるものではない。
人間の奥底をえぐり出して、
混沌としたものを突きつけられ、
深くどろりとした不快な気分にさせられる。

類をみないという意味で、面白い。
理解できないと思えばそれまでだけれど、
何かを理解しようとしたら、この深淵な世界の入り口で立ちすくんでしまう。

人を愛する。
その狂気的な愛は、好きな人の奴隷になることを望んだ。
鞭で打たれ、愛する人から酷い仕打ちを受けるたびに、
愛の深みにはまっていく。
自分以上に彼女を愛せる人はいない。
その正しくも歪んだ形の結末については、もう一度読んでみないと、
どう考えても理解出来ない。

自分の人間観とは、だいぶかけはなれているからでもある。

“「でもねえ、あなた、女にそんなことができるのは滅多にないことなのよ。男のように天衣無縫に官能的になることも、精神の自由に与かることも、女にはできないの。女の愛はいつも官能性と精神性がごちゃまぜになった状態なの。女心というものは男をいつまでも鎖に縛りつけておこうとしながら、それでいてご本人は秋の空のようにくるくる変わるもの。ですから女のやることなすこと、女という存在には、本人はそのつもりがないのにという場合がすくなくないのだけれど、分裂が、嘘や欺瞞が生じて、当人の性格が不具にされてしまうのだわ」”
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年7月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分は以前にマルキ=ド=サドの美徳の不幸と悪徳の栄えを読んでいてサディストの原点を読んでいたこともあり、マゾヒストの原点たるや何かというのも興味があった。とある興味でマゾの言葉の由来が、この本作の著者であるマゾッホに由来するということで本作品を購入し最近読破した。自分は多少マゾヒストの傾向があるのかどうか知らないが本書の主人公のゼヴェーリンの美的観念は理解できるところがある。理屈で説明するのは少し難しいが、山登りをする人間にとってのマッターホルンやエベレスト、巨大な水量を放出する黒部ダム、圧倒するような巨大な建築物を見上げる時の高揚感を味わうとでもいうのかな。それの特性というのは、とにかく想像を絶するほどに美しいながら、同時に非常に荒々しく、そして無機質にして厳しい。そうだな「風と共に去りぬ」で前半部の最後に夕暮れで拳を握りしめて逆境に立ち向かうスカーレット・オハラを見ているような気分。これが恐らくマゾヒストの心境だろう。これは一種の高揚感がある。本書で殉教者とか大理石のような白い肌そして時折みせる毛皮に象徴される獣性。これはすべて宗教的な精神性を背景に持っている。キリスト教的禁欲生活をしている人間は時としてそれ以前のギリシアや他の多神教的な放埓な生活に対立する。ローマの殉教者はそれこそコロッセオでライオンの餌にされたり、鞭で打たれたり、十字架に磔にされたが、それを避けるのではなく、むしろ進んでされることに喜びを感じるものだし、感じるべきなのだ。そして相手はローマやギリシアの放埓な生活をする神々を崇める人々でなければならない。しかしマゾというのは別の意味では非常に自分勝手だと言える。彼は自分は独占したいと欲し、できなければ奴隷にしろという。そして罰してほしいという。それもサドの方の気持ちも無視してだ。そしていざされていると勝手に怒りだしてもう女は懲り懲りだと言い出す。まるで自分たちに必要だからと王を望み、弑逆が激しくなると不要と言い出して断頭台に送る民衆のようだともいえる。山本直樹の漫画で「夕方のおともだち」という作品も結構なマゾな作品ではあるが、サドは酷いという前にマゾの押しの強さも相当に他人無視のエゴイズムを感じるのだがどうだろう。ま、そんなようなことを感じました。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
〇 大理石のヴィーナス像に恋する序章はいったい何がはじまるのかとわくわくした。しかしながら、その後、ワンダとの遭遇、恋、奴隷契約、フィレンツェへの旅、ギリシャ美青年の登場、ワンダの逃亡・・・と物語らしい展開はあるのだが、常に心象描写が過剰である一方、事物の描写は断片的で具体性に乏しくあまりにも慎ましやかなので、もののすがたや形や物事の進行や人物の行為がよく見えてこない。

〇 戯曲のように全編を通じて登場人物が語る言葉、言葉、言葉が氾濫している。そのなかにマゾヒスディクな雰囲気は横溢しているとしても、現代に生きるわたしは過激な言葉や観念にはすっかり馴染んでしまっているので少しもショッキングではないし刺激的ですらない。むしろ慎み深くて節度があって古典的と言ってよいほど端正だと思った。この作品は今日もはや小説ではなく、散文詩あるいは童話のようなものとして読まれるのではないだろうか。

〇 種明かしをすれば、主人公のマゾヒズムは妄想に支配された病的な状態であったということらしい。健康をとりもどすと彼のそうした傾向は雲散霧消してしまった。ちょっと残念な終わり方だ。意気地なし、どうせなら骨の髄までマゾの男であってほしかった、と言いたいところ。

〇 原作がそうなのかあるいは翻訳者(種村季弘氏)の特長なのかわからないが、とくに初めの方で古風で華やかな漢語が多用されコツンコツンと音がしそうなほど硬質で引き締まった文章がとても魅力的だった。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2023年6月24日に日本でレビュー済み
原文が美しいのか、それとも種村季弘のセンスか、ともかく文章が美しい。暖炉の熾にさえ官能性を与える表現は巧みで絢爛。後世の作家ジョルジュ・バタイユの「眼球譚」に勝るとも劣らぬ残酷なエロティック文学の金字塔。
新品の品質は書店の物と変わりないです。目立った汚れや傷などはほとんど見当たらず満足です。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年5月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
主人公ゼヴェリーンは最愛の女ワンダに捨てられそうになって初めて、奴隷から男に戻ろうとする。
ワンダに毛皮を着せて残酷な女神になってくれと頼んだくせに、随分身勝手な男である。読みなが
ら、エスという外国の映画を思い出した。新聞広告で募った人を、看守と囚人に分けて刑務所に拘
束するという内容である。なるほど、人は役割さえ与えられれば、喜んで拳を向けたり殴られたり
するものなのかもしれない。小説はゼヴェリーンの一人称だが(たぶん『私』とゼヴェリーンは同一
人物だろう)、ワンダの立場から考えてみると、一体どっちが本物のマゾなのか分からなくなって
くる。恋の痛手から立ち直ったゼヴェリーンがサディストなったことから見ても、両者は表裏一体
という意味だろうか。

全体的に難しく、読むのに時間がかかった。古代史や神話の世界に精通している人で無い限り、サ
ムソンとデリラとか、ホロフェルネス、アガメムノンとか言われても分からないと思う。ウィキペ
ディアがあってよかったと思う。もう少し丁寧な注釈が欲しかった。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年2月22日に日本でレビュー済み
マゾッホの作品を語ろうとすると、どうしてもサドとの対比で語りたくなってしまう。
個人的にはどちらの性癖もないがゆえ、妄想レベルでサディズム、マゾヒズムのいずれかに組するということはないのだが、文学的な魅力ということで言えば、圧倒的にマゾッホの作品に軍配があがろう。
ただし、それは文筆家としての才覚の差ではなく、サディズムとマゾヒズムという二つの倒錯それぞれの質的な違いに由来する。
柄ではないし、専門家でもないので一から講釈するなんてことは避けるが、単純にまとめてしまえば、サディストに比較して、マゾヒストはより複雑な心理構造を有しており、その複雑性がサディストにはない葛藤と恍惚をマゾヒストにもたらす。言わずもがな、「痛めつけられたい」という欲望は「痛めつけないで欲しい」という欲望に裏打ちされているわけで、本書を例にとれば、クライマックスにおいてゼヴァーリンの狂乱を惹起したワンダの裏切り行為も、煎じ詰めれば、ゼヴァーリンにとっては至上の恍惚であったと受け取ることができるのだ。
ラカン風に衒って言えば、マゾヒズムとは「イマジナールな戯れ」である、なんてことになるのかもしれない。
サドがひたすらに一方通行の残虐行為を量的に加速させ書き綴っていったのに対し、マゾッホは一つの残虐行為によって派生する精神のドラマを描きだし、或る種の無限性へと到達した。
どちらが文学に相応しいか、もはや自明であろう。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年4月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画化されると聞いて原作本も読んでみたいと思い、購入。
かなり前の小説なので一部感じが旧字体であったり、想像できないようなシーンもあったが、おおむね楽しむことができました。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年4月2日に日本でレビュー済み
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文学におけるこの分野の金字塔。R40、R50くらいか?読んで下さい。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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