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古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) 単行本 – 2014/11/14
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――池澤夏樹
【新訳にあたって】
なにしろ日本で最初の文学作品だから、書いた人も勝手がわからない。ごちゃごちゃまぜこぜの中に、ものすごくチャーミングな神々やら英雄やら美女が次から次へと登場する。
もとの混乱した感じをどこまで残すか、その上でどうやって読みやすい今の日本語に移すか、翻訳は楽しい苦労だった。(池澤)
日本最古の文学作品を作家・池澤夏樹が新訳する。
原文の力のある文体を生かしたストレートで斬新な訳が特徴。
読みやすさを追求し、工夫を凝らした組みと詳細な脚注を付け、画期的な池澤古事記の誕生!
解題=三浦佑之
解説=池澤夏樹
月報=内田樹、京極夏彦
帯装画=鴻池朋子
【目次】
上巻(はじまり
イザナキとイザナミ
神生み ほか)
中巻(初代神武天皇
神武天皇と久米の子らの歌
神武天皇とイスケヨリヒメ ほか)
下巻(十六代仁徳天皇
仁徳天皇とイハノヒメの歌
仁徳天皇とお召しを断った女たち ほか)
- 本の長さ402ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2014/11/14
- 寸法18.6 x 13.8 x 0.5 cm
- ISBN-104309728715
- ISBN-13978-4309728711
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商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2014/11/14)
- 発売日 : 2014/11/14
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 402ページ
- ISBN-10 : 4309728715
- ISBN-13 : 978-4309728711
- 寸法 : 18.6 x 13.8 x 0.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 59,714位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 66位全集・選書 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について

1945年、北海道生れ。埼玉大学理工学部中退。
二十代から世界各地を旅し、ギリシャ、沖縄、フランスで暮らす。現在は、札幌在住。公式サイトは[cafe impala]
http://www.impala.jp
1988年「スティル・ライフ」で芥川賞を受賞。詩、小説、随筆、翻訳(英・ギリシャ語)、書評と執筆は多岐にわたる。広く深い文学的教養と理系的知識を土台に、自然と人間の関わりについての示唆に富んだ作品を多く著している。
ワープロ原稿で芥川賞を受賞した初めて作家でもあり、9.11をきっかけに毎日メールマガジンを通じて意見を表明する(『新世紀へようこそ』に収録)など、早くからデジタル・メディアの活用に関心を持つ。2014年からは株式会社ボイジャーと共同で自身の著作の電子アーカイブ化にも取り組んでいる。
主な著書に『母なる自然のおっぱい』(読売文学賞)『マシアス・ギリの失脚』(谷崎潤一郎賞)『ハワイイ紀行』(JTB出版文化賞)『花を運ぶ妹』(毎日出版文化賞)『すばらしい新世界』(芸術選奨文部科学大臣賞)『イラクの小さな橋を渡って』『憲法なんて知らないよ』『言葉の流星群』(宮沢賢治賞)『静かな大地』(親鸞賞)『パレオマニア』等。2003年、著作活動全般について司馬遼太郎賞、「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」の編纂で朝日賞を受賞。
東日本大震災の後は被災地に通い、『春を恨んだりはしない』『双頭の船』『アトミック・ボックス』を執筆。震災をきっかけに日本と日本人について思索したいとの思いから、「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」に取り組み、2014年末から刊行開始。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
今回は実に面白くページを繰ることができた
その要因は、分かり易さが半端ではない、なぜか人名・地名などが頭に入りやすい
カタカナの連続が、これまでの挫折の主原因、これが今回は解消
この度のこの全集は古典の新訳のみ購入、若い文学好きに大いに読んでほしい
古事記のあつかいで最も厄介なのは神名の列記だが、それを省略せず、
しかも鬱陶しくない。改行と、漢字・仮名を使い分けて、視覚的に分かりやすい
(その点に配慮したことを、冒頭で池澤さん自身が明快に説明している)。
作家による現代語訳は、古典を味あわせたいサービス精神からなのか、往々にして、
現代人向けに希釈し過ぎたり、蒸留し過ぎたりしてしまって、興ざめする。
だが本書はちがう。抑制をきかせた味わいながら、仕込みも仕上がりも平板でない。
例えば、有名な「国生み」の話。イザナキのイザナミへの語りかけは、こうなる。
「俺の身体もむくむくと生まれて、生まれ過ぎて余ったところが一箇所ある。
きみの足りないところに俺の余ったところを差し込んで、国を生むというのはどうだろう」
原文(本書に併載はありません)の「我が身は成りなりて成り余れるところ……」という
強調表現を、「むくむくと」という擬態語に移しかえたのは、いかにも池澤さんらしい。
他所でも、こうした作家らしいセンスと英断がほとばしる。
ちなみに、イザナミの答えは「それはよい考えね」。
さらに本書の長所は、「現代語訳」でありながら簡潔な脚注がついている点。
「むくむくと生まれた」という解釈について、脚注は以下のように説明する。
「原文の動詞は『成る』である。ともかく古代には自然の力が溢れて、
すべてのモノがむくむくと生まれた。古代人には豊饒への信頼があった」(p.29)
自分が古事記の逸話で個人的に惹かれるのは、允恭天皇の子女、カルノミコと
カルノオオイラツメ(軽皇子、軽皇女)の悲劇と、これにつづく、
安康天皇を弑逆し、己も滅びるマヨワノミコ(目弱王)の悲劇だ。
池澤さんの訳では、彼らのすさまじい物語が淡々と綴られ、
しかしそれゆえに、惻々と、しみわたる(pp.306-320)。
そして、ここでも効果を発揮するのが、過剰すぎない脚注だ。
オオイラツメの和歌の語釈、マヨワの名に籠められた含意など、じつに興を深める。
また、とびきり有名な歌の「現代語訳」については、淡白すぎるかなと思わせて、
実にていねいな注を付けている。たとえば、ヤマトタケルが郷里を思い出し歌った絶唱、
「倭[やまと]は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠[やまごも]れる 倭しうるはし」
この「まほろば」「たたなづく」「青垣」等に、すべて本文を補う注がある。
「うるはし」には、「『うつくし』よりも主観が入る」と、簡潔だが重要な指摘がある。
そのうえで、池澤さんの現代語訳は、以下のようにシンプル。
「倭は囲まれた国、山々は青い垣のように居並び、
その山々に守られて倭はうるわしい国」(p.216)
なお、この歌について、池澤さんの父君である福永武彦は、かつてこう訳した。
「大和は国々の上に秀[ひい]で立つ国、山は山と重なり合い、
目にしみる青垣をつくっている。この山々に囲まれた、
なつかしい故郷[ふるさと]の大和ほど、うるわしい国がまたとあろうか」
(河出文庫『現代語訳 古事記』より)
どちらが良いか、などというつもりは毛頭ありません。
日本最古の古典を、現代最高の日本語の使い手の一人である池澤夏樹、
20世紀の日本の文学者として詩心と構想力の兼備において比類なかった福永武彦、
この父子の「現代語」を比較しながら読めるのは、なんと幸せなことか。
イザナキとイザナミが性交の体位を変えることによって・・・さらに、男神たるイザナキが先によがり声を出すことによって、はっきりとした日本列島の形が生まれた・・・・・・逆だと蛭のような淡々とした形しか出てこなかった・・・・・なんだそうだ。
美人がうんこしているシーンが出てきたり、ホトを突っつかれるシーンが出てきたり、ヤマト・タケルがイヅモ・タケルに「ちゃんばらごっこしない?」って誘うシーンも出てきたり、「ああ、こりゃ、こりゃ」って、囃子言葉をわめくシーンが出てきたり・・・・・エロティックで、俗っぽくて、おかしい。
サッカー日本代表の守護神・八咫烏の話もある・・・・・。
しかし、結局は延々とした天皇の系譜の書き連ねが飽きもなく続く物語であることには違いない。その部分を事細かに全文翻訳したことに訳者の苦労がしのばれる。で、その中に、エピソード的に語られるのが、我々が昔ばなし・神話とかで知っている因幡の白うさぎとか、ヤマトタケルの武勇伝とか、オオクニヌシノミコトの話なのだ。
近鉄奈良駅を西の方に少し歩くと、高天(たかま)という地名のある交差点があるが、ここいら周辺で古代の神々が跋扈していたのだ・・・・・・関西を中心に日本各地の現在にまで残る多くの地名が、既にこの時代に起源をもつものが多くあるということを知ることも、なかなかに興味深い。
第一回の配本は、愉しみにしていた池澤夏樹訳の古事記。お父さん(福永武彦)の訳は一個の独立した新しい小説のようだった。池澤訳は、それとはまた雰囲気が違う。1番の特徴は「注」があることだ。しかも楽しい。学者のそれではなく(もちろん、学術的な厳密さも担保してあるはず)、朗読の聴き手、読み手としてのそれなのだ。例えばこう。
(黄泉の国のイザナミの言葉)「私を見ないでください」の解説にこう書く
「と言われて見てしまうのは物語のお約束である。禁忌と違反。」
または「ネズミ」について
「語源は「根に棲むもの」。地下の動物とみなされていたから。だから後には「おむすびころりん」のような話が生まれた。」
なぜ「注」を入れたのか。池澤夏樹によれば、物語の面白さを優先させれば学術的な説明が削ぎ落とされてしまう、しかし古事記の面白さは朗読した時のリズムが重要(長い長い名前の羅列もそう思えば重要に思える)、よって小説家の訳なのに「注」が入ったというわけだ。
例えば1番最初につぎつぎと生まれる神々の名前は、かなり「言葉あそび」があるらしい。また、抽象的な意味も持たせている。それを説明せずに朗読して聞かせることが意味があったのだろう。
ともかく池澤訳で一気に読ませる国定公文書の「歴史」は、豊穣な想像力と世界的な知識と有名な歌歌の表現力に満ちている。
また、池澤夏樹に指摘されて初めて気がついたことの一つに、その後の日本人の思想に決定的な影響を与えた、「敗者に寄り添う思想」が色濃く見えるのは、驚きだった。
1番の象徴的な人物はいうまでもなくヤマトタケルである。池澤夏樹は「ここに来て文体が一変する。稚拙な神話的表現と権力の配分に関わる系譜ばかりだった(←古事記後半の11代垂仁天皇までの文章を指す)のが、この話の殺害場面の生き生きとした描写力はほとんど映画だ」(202p)と評価する。「ヲウスからヤマトヲグナへ、そしてヤマトタケルへ、名が変わるごとに成長の一段階を上がる。そもそも生涯を誕生から死まで語られる者は「古事記」にはヤマトタケルしかいない」(204p)
「『古事記』には負けた側への同情の色が濃い。おおよそこの国の君主は古代以来ずっと政敵への報復に消極的で、反逆者当人は殺しても一族を根絶やしにすることはしなかった。そのうちに具体的な権力への執着を捨てて、摂関政治のあとは神事と和歌などの文化の伝承だけを任務として悠然と暮らすようになる。これはまこと賢い判断であって、こんなのんきな王権は他に例を見ない。その萌芽を『古事記』に読み取ることができる」(393p)
もし天皇の(現代まで繋がる)権力執着放棄が「賢い判断」なのだとしたら、それは決して古事記の時代に発明されたものではないだろう。私はそれを倭国統一時以来の伝統的な思考と見る。
古事記の個々のエピソードからは面白かったものは無数にあるが、それをひとつひとつ書くことは今はできない。また、機会があれば書きたいと思う。
2015年5月2日読了
まだ読んでいないので内容、現代文への評価はこれからである。
今まで古典をちゃんと読んだことなかったなということに今更気づき現代語訳古典にチャレンジ。
読みやすいです。
古代の神様は行動がかなりバイオレンス。