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著者について
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1922(大正11)年、北海道旭川市生まれ。
17歳からの7年間、小学校教師として軍国教育に献身したため、戦後に罪悪感と絶望を抱いて退職。
その後、結核で13年間の療養生活を送る。闘病中にキリスト教に出会い、洗礼を受ける。
1959年、生涯の伴侶・三浦光世と結婚。
1964年、朝日新聞の懸賞小説に『氷点』で入選し、作家活動に入る。
一貫してキリスト教の視点で「愛とは何か」を問い続け、『塩狩峠』『銃口』『道ありき』など数多くの小説、エッセイを発表した。1999年逝去。2012年に生誕90周年。
三浦綾子記念文学館
http://www.hyouten.com/
〒070-8007
北海道旭川市神楽7条8丁目2-15
TEL :0166-69-2626
FAX :0166-69-2611
カスタマーレビュー
星5つ中4.3つ
5つのうち4.3つ
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年5月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても古い感じがしますが、初版本で貴重本でした。しかも¥1円とは何ともありがとうございました。
2014年5月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学生の頃一度読んで、30年ぶりに読み直しました。商品はきれいでした。また機会があれば注文しようと思います。
2014年9月16日に日本でレビュー済み
昭和50年8月1日発行。
初めて読んだのは、昭和54年12月31日。
玉子(細川ガラシャ夫人)の辞世の句「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」や、父明智光秀と母熙子の結婚までの経緯、仲睦まじさ。「掌中の珠」のように慈しむ…と言うよりも、異常なまでに玉子に執着していた夫細川忠興のことは憶えていましたが、何故、玉子が、キリスト教を信仰し、受洗するまでになったのか。という肝心な部分は、すっかり抜け落ちていたことに、約35年ぶりに再読し気付きました。
女性は自らの意思を口にすることもできず、政争の具として扱われていた四百年前の日本において、女性が人間らしく生きることが、どんなに難しかったかも再認識させられました。
一番感動したのは、第26章「恩寵の炎」。
特に、玉子が忠興の胸に抱かれながら告げた「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」には胸を突かれました。
明智光秀の「順逆二門なし、大道心源に徹す、五十七年の夢、覚め来りて一元に帰す」、豊臣秀吉の「露と落ち露と消えぬるわが身かな 難波のことも夢のまた夢」の辞世の句も感慨深いものがありました。
玉子のために忠興が作った「百人一首」が効果的に使われています。数枚ですが、まだ現存するようなので、是非この目で見てみたい。
装丁は、堀文子。
表紙は、明智家の紋「桔梗」。美しく、凛とした玉子のようです。
見開きの絵は、「桜」。細川家の紋「菊、桜くずし」から?と思いましたが、玉子の辞世の句からイメージしたのでしょうね。
逆臣光秀の娘という運命に翻弄されながらも、潔く、美しく散っていくことで、後世まで語り継がれることになった玉子(細川ガラシャ夫人)の生涯を綴った本。
秋の夜長に、是非紐解いてください。
初めて読んだのは、昭和54年12月31日。
玉子(細川ガラシャ夫人)の辞世の句「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」や、父明智光秀と母熙子の結婚までの経緯、仲睦まじさ。「掌中の珠」のように慈しむ…と言うよりも、異常なまでに玉子に執着していた夫細川忠興のことは憶えていましたが、何故、玉子が、キリスト教を信仰し、受洗するまでになったのか。という肝心な部分は、すっかり抜け落ちていたことに、約35年ぶりに再読し気付きました。
女性は自らの意思を口にすることもできず、政争の具として扱われていた四百年前の日本において、女性が人間らしく生きることが、どんなに難しかったかも再認識させられました。
一番感動したのは、第26章「恩寵の炎」。
特に、玉子が忠興の胸に抱かれながら告げた「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」には胸を突かれました。
明智光秀の「順逆二門なし、大道心源に徹す、五十七年の夢、覚め来りて一元に帰す」、豊臣秀吉の「露と落ち露と消えぬるわが身かな 難波のことも夢のまた夢」の辞世の句も感慨深いものがありました。
玉子のために忠興が作った「百人一首」が効果的に使われています。数枚ですが、まだ現存するようなので、是非この目で見てみたい。
装丁は、堀文子。
表紙は、明智家の紋「桔梗」。美しく、凛とした玉子のようです。
見開きの絵は、「桜」。細川家の紋「菊、桜くずし」から?と思いましたが、玉子の辞世の句からイメージしたのでしょうね。
逆臣光秀の娘という運命に翻弄されながらも、潔く、美しく散っていくことで、後世まで語り継がれることになった玉子(細川ガラシャ夫人)の生涯を綴った本。
秋の夜長に、是非紐解いてください。