チャップリンに関する膨大な資料を著者が読み解き丁寧に緻密に紡いだ感動感心の1冊でした。
この本を読み、もう一度独裁者を鑑賞する、そして再度この本を読み返す。
映画制作の背景を理解すると違った視点で鑑賞でき、一層深く楽しむ事が出来ました。
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チャップリンとヒトラー――メディアとイメージの世界大戦 単行本 – 2015/6/26
大野 裕之
(著)
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購入オプションとあわせ買い
20世紀に最も愛された男チャップリンと最も憎まれた男ヒトラーは、わずか4日違いで生まれ、同じちょび髭がシンボルとなった。二人の才能、それぞれが背負う歴史・思想は、巨大なうねりとなって激突する。知られざる資料を駆使し、映画『独裁者』をめぐるメディア戦争の実相、現代に連なるメディア社会の課題を、スリリングに描き出す。
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2015/6/26
- 寸法13 x 2.5 x 19 cm
- ISBN-104000238868
- ISBN-13978-4000238861
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2015/6/26)
- 発売日 : 2015/6/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 304ページ
- ISBN-10 : 4000238868
- ISBN-13 : 978-4000238861
- 寸法 : 13 x 2.5 x 19 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 68,920位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 173位映画の本(総合)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2019年4月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2017年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に詳細なチャップリンの書籍。戦争とチャップリンという題なら評価は5だろう。
問題は、ヒトラーとチャップリンを比較するなら、「公債」の扱いが雑である点だ。
この「公債」において、チャップリンは熱弁をふるい、聴衆は大いに沸き立った。
実は自伝にあるように、「あまり乗り気ではなかった」というが、
そういう気持ちがありながらも
彼の映画時代の初期において、一度は時代の波に乗らざるを得なかったチャップリン。
もちろん、彼は完璧主義者で、仕事をするとなれば、完璧な仕事をする。
しかし、ナショナリズムという意味で言えば、当時アメリカで吹き荒れたナショナリズムと、
ドイツで吹き荒れたナショナリズムにどれだけの差があっただろう。
(後年、チャップリンがアメリカのナショナリズムの向かい風に会い、追放されるというのは皮肉というか、
暗示的である)
「公債」が「担え銃」の合間に撮られた事実を思えば、
チャップリンが「公債」に乗り気でなかったことはよく理解できるが、
逆に言うと、
イデオロギー性や民族問題について、本書チャップリンとヒトラーにあるように、
「あまり気にしていない」と考えることは不自然ではないだろうか。
しかしながら、もし、心にやましいものがあったとしても、
チャップリンは作品そのものについて迷いがある、というような要素を作品の中に出してしまうようなことはしない。
チャップリンは「公債」についても、要求された映画を撮ることに徹したと言えるだろう。
「担え銃」では描かれていないもう一つの作品として「公債」をとらえれば、
あまり乗り気でないにせよ、乗らざるを得なかったという、
一つの時代に生きる人間としてのチャップリンの「心のひだ」を
とらえることができるように思うのである。
こうしてみていくと、初期の時代において、時代を煽り、自己洗脳的にその波を牽引しつつ時代に押し出されていくヒトラーと、
一方では「担え銃」のような作品を撮りながらではあれ、
気に入らないながらも「公債」という時代が要求する作品に徹するチャップリンとの間に、どれだけの差を見出すべきなのだろうか。
そして、この時チャップリンは、自身の主義主張は別として、時代に要求された主張や作品を作ることに徹した同時代人たちと、
どれだけ違っただろうか。
ナチスがプロパガンダ政権であるように、公債や、担え銃、独裁者もプロパガンダ映画であることにはちがいはないのだ。
チャップリンが偉大であるのは、プロパガンダから距離を取ったからではない。
作品を経るごとに少しずつプロパガンダの内側に潜り込み、ついには内側から破壊してしまった点にある。
これは最も効果的だが、リスクの多い、危険な道でもある。
繰り返すようだが、
チャップリンにおいて刮目すべきなのは、
初めから最後まで彼があらゆる点で何も変わらず天才であったことではない。
確かに初めから彼は突出した映画人であったが、
初期においては、彼は彼の生きた時代に悩み、時には押し流されてさえいたのである。
その後、ヒトラーは自身が起こした波に逆に飲み込まれ、滅んでいく。
しかし、チャップリンはアメリカの状況を顧みず、「独裁者」を撮影する。
この時のアメリカの状況については「チャップリンとヒトラー」に詳細に書かれているとおりである。
(このあたりの状況と、制作過程については本著では非常に良く描かれており、特筆すべきものだ。)
「独裁者」のチャップリンはもはや時代に悩まない。
たしかに、時代遅れにも、自分のスタジオを持っていた彼が、
どのような資金を得て、どのようなスポンサーのもとに
独裁者の構想を選び、作り上げたかはわからない。
(蛇足ではあるが、残念ながら愛だけでは映画は作れない。そして映画はものすごく資金を必要とする。
それゆえスポンサーの御威光は重要で、映画とは、
誰が意図し、何に向かって、何を目的として撮られているかが不明瞭ではいられない。
これを愛の一言で覆い隠すことは、あまりに不遜な態度だと言える。良い面だけですべてを覆い隠すことは、
真なる愛とは言わないのだ。)
しかし、少なくとも作品性において、チャップリンは
自身の全てを賭けて、
危険をも顧みることとなく「独裁者」を作り上げるのである。
チャップリンとヒトラーを対比する時、重要なのは、第一次大戦から第二次大戦、そして続く冷戦下において、
それぞれ特色はあるにせよ、絶対的なという意味では何も変わらない時代の流れ、雰囲気があり、
スタートにおいては、ヒトラーは積極的に、チャップリンは時として仕方なくではあれ、
抗う事はしなかったという事、そしてその二人がその後の「独裁者」の作られた
時期においては、全く別の歩みを見せることである。
この視点を欠くのであれば、チャップリンは最初から最後まで苦悩もなく、
ただ天才であっただけという事になってしまう危険が潜んではいないだろうか。
そこには
「チャップリンを持ち上げすぎ(これは他のレビュアーさんの言だが)」、
つまりチャップリンの研究ではなく、膨大なヨイショに終わってしまう危うさがある。
実際はチャップリンとヒトラーはそれほど変わることのない場所から
始まり、一人は自身がたきつけた狂気的なナショナリズムと共に死に、
一人は追放されてでもなおナショナリズムと命を懸けて戦ったのではないか。
この様な、同じナショナリズムの暴風の中で、
ヒトラーと比較した場合のチャップリンの苦悩と彼の中での変遷や成長が、
この書籍には描かれていただろうか。
悲しいかな、本著においては
最初から最後までチャップリンは単に超人的に「凄い人」(つまりヨイショ)で終わっていく。
これは実に残念なことである。
(不思議と書評、選評にもこの点は取り上げられてさえいない。)
個人的な意見ではあるが、
この書籍の誠実な詳細さが促すような視座が、
今後人間としてのチャップリンへと向かっていくのであれば、
これほど喜ばしいことはない。
問題は、ヒトラーとチャップリンを比較するなら、「公債」の扱いが雑である点だ。
この「公債」において、チャップリンは熱弁をふるい、聴衆は大いに沸き立った。
実は自伝にあるように、「あまり乗り気ではなかった」というが、
そういう気持ちがありながらも
彼の映画時代の初期において、一度は時代の波に乗らざるを得なかったチャップリン。
もちろん、彼は完璧主義者で、仕事をするとなれば、完璧な仕事をする。
しかし、ナショナリズムという意味で言えば、当時アメリカで吹き荒れたナショナリズムと、
ドイツで吹き荒れたナショナリズムにどれだけの差があっただろう。
(後年、チャップリンがアメリカのナショナリズムの向かい風に会い、追放されるというのは皮肉というか、
暗示的である)
「公債」が「担え銃」の合間に撮られた事実を思えば、
チャップリンが「公債」に乗り気でなかったことはよく理解できるが、
逆に言うと、
イデオロギー性や民族問題について、本書チャップリンとヒトラーにあるように、
「あまり気にしていない」と考えることは不自然ではないだろうか。
しかしながら、もし、心にやましいものがあったとしても、
チャップリンは作品そのものについて迷いがある、というような要素を作品の中に出してしまうようなことはしない。
チャップリンは「公債」についても、要求された映画を撮ることに徹したと言えるだろう。
「担え銃」では描かれていないもう一つの作品として「公債」をとらえれば、
あまり乗り気でないにせよ、乗らざるを得なかったという、
一つの時代に生きる人間としてのチャップリンの「心のひだ」を
とらえることができるように思うのである。
こうしてみていくと、初期の時代において、時代を煽り、自己洗脳的にその波を牽引しつつ時代に押し出されていくヒトラーと、
一方では「担え銃」のような作品を撮りながらではあれ、
気に入らないながらも「公債」という時代が要求する作品に徹するチャップリンとの間に、どれだけの差を見出すべきなのだろうか。
そして、この時チャップリンは、自身の主義主張は別として、時代に要求された主張や作品を作ることに徹した同時代人たちと、
どれだけ違っただろうか。
ナチスがプロパガンダ政権であるように、公債や、担え銃、独裁者もプロパガンダ映画であることにはちがいはないのだ。
チャップリンが偉大であるのは、プロパガンダから距離を取ったからではない。
作品を経るごとに少しずつプロパガンダの内側に潜り込み、ついには内側から破壊してしまった点にある。
これは最も効果的だが、リスクの多い、危険な道でもある。
繰り返すようだが、
チャップリンにおいて刮目すべきなのは、
初めから最後まで彼があらゆる点で何も変わらず天才であったことではない。
確かに初めから彼は突出した映画人であったが、
初期においては、彼は彼の生きた時代に悩み、時には押し流されてさえいたのである。
その後、ヒトラーは自身が起こした波に逆に飲み込まれ、滅んでいく。
しかし、チャップリンはアメリカの状況を顧みず、「独裁者」を撮影する。
この時のアメリカの状況については「チャップリンとヒトラー」に詳細に書かれているとおりである。
(このあたりの状況と、制作過程については本著では非常に良く描かれており、特筆すべきものだ。)
「独裁者」のチャップリンはもはや時代に悩まない。
たしかに、時代遅れにも、自分のスタジオを持っていた彼が、
どのような資金を得て、どのようなスポンサーのもとに
独裁者の構想を選び、作り上げたかはわからない。
(蛇足ではあるが、残念ながら愛だけでは映画は作れない。そして映画はものすごく資金を必要とする。
それゆえスポンサーの御威光は重要で、映画とは、
誰が意図し、何に向かって、何を目的として撮られているかが不明瞭ではいられない。
これを愛の一言で覆い隠すことは、あまりに不遜な態度だと言える。良い面だけですべてを覆い隠すことは、
真なる愛とは言わないのだ。)
しかし、少なくとも作品性において、チャップリンは
自身の全てを賭けて、
危険をも顧みることとなく「独裁者」を作り上げるのである。
チャップリンとヒトラーを対比する時、重要なのは、第一次大戦から第二次大戦、そして続く冷戦下において、
それぞれ特色はあるにせよ、絶対的なという意味では何も変わらない時代の流れ、雰囲気があり、
スタートにおいては、ヒトラーは積極的に、チャップリンは時として仕方なくではあれ、
抗う事はしなかったという事、そしてその二人がその後の「独裁者」の作られた
時期においては、全く別の歩みを見せることである。
この視点を欠くのであれば、チャップリンは最初から最後まで苦悩もなく、
ただ天才であっただけという事になってしまう危険が潜んではいないだろうか。
そこには
「チャップリンを持ち上げすぎ(これは他のレビュアーさんの言だが)」、
つまりチャップリンの研究ではなく、膨大なヨイショに終わってしまう危うさがある。
実際はチャップリンとヒトラーはそれほど変わることのない場所から
始まり、一人は自身がたきつけた狂気的なナショナリズムと共に死に、
一人は追放されてでもなおナショナリズムと命を懸けて戦ったのではないか。
この様な、同じナショナリズムの暴風の中で、
ヒトラーと比較した場合のチャップリンの苦悩と彼の中での変遷や成長が、
この書籍には描かれていただろうか。
悲しいかな、本著においては
最初から最後までチャップリンは単に超人的に「凄い人」(つまりヨイショ)で終わっていく。
これは実に残念なことである。
(不思議と書評、選評にもこの点は取り上げられてさえいない。)
個人的な意見ではあるが、
この書籍の誠実な詳細さが促すような視座が、
今後人間としてのチャップリンへと向かっていくのであれば、
これほど喜ばしいことはない。
2015年12月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
世界的に有名なチャップリン研究者で、日本チャップリン協会会長を務める大野裕之さん(私の中では故・淀川長治さんの後継者的存在)のご本。発売された時からずっと欲しかったのですが、良いお値段がする本なので中古で買おうとせこいことを考えていましたが、一向に値段が下がる気配がないのでもはやこれまでと腹を決めて購入。
読みながら少なくとも三回は「なんて良い本を書くんだ・・」と呟いてしまうくらい買って良かったと心から思える素晴らしい本でした。よくぞ・・よくぞここまでのものを・・大野裕之は本当にチャップリンファンを裏切らない!感謝しかありません。
この世で最も素晴らしい映画は『独裁者』だと思ってきたわたしですが、本書を読んでいくと、鑑賞の仕方が浅かったと痛感させられるような、大野さんの製作当時の背景や他の作品との関係、芸術作品としての演出や脚本の工夫など、膨大な知識と綿密な資料研究に裏打ちされた映画の細部にわたる観察と考察が光っています。チャップリンがテーマや脚本、ギャグ、カメラワークなどを何度も推敲した様子なども資料をもとに詳細に描かれており、彼が映画作りに注いだ並々ならぬ情熱がよく伝わってきました。つくづく自分はチャップリン愛において大野さんの足元にも及ばない、巨人に対するダンゴムシも同然だぜ・・と変な感嘆の笑顔がこぼれます。
チャップリンの母国イギリスの傑作ファンタジー『ハリー・ポッター』に登場する魔法生物に、「ボガート」という対峙した人間が最も恐れているものに化けるまね妖怪がいるのですけれども、その妖怪を退治する魔法の呪文は「リディキュラス(ばかばかしい)」というのです。笑い飛ばすことが恐怖を克服し、悪を陳腐化する方法であるという智慧がユーモラスに表現されていてわたしはこの魔法がたいへん好きなのですが、<笑いという武器>がイメージの戦場でいかに有効かということを、映像の、イメージの毒性を熟知していたチャップリンが最高の模範を示してくれているとも思いました。
チャップリンは芸人さんとしてのキレにキレた体捌きや鋭い人間観察眼、普遍的で人間的なユーモアやあたたかい人間愛などに溢れていて偉大だ偉大だとは思っていましたし、ヒトラーが躍進しているその時に独裁者を笑いのめす喜劇映画を作るなんて、なんて勇敢なんだろうかと恐れ入ってはいましたが、当時の世相の中で『独裁者』のような映画を作ることがここまで多難な事業だったとは知りませんでした。この興行収入の成功を度外視する覚悟で取り組まれた英雄的かつ芸術的かつユーモアに満ちた映画の製作と公開に対して、世界中の政府筋や無責任なマスコミからどれほどの横槍、妨害、ネガティブ・キャンペーンが行われたことでしょうか。大小の中傷に加えてそうした情報に毒された市民からも批判の手紙が舞い込み、底抜けに人間が好きなチャップリンといえども、傷つき落ち込むこともあったでしょう。
チャップリンはある種の宗教感覚-「宇宙を運行させ、地球を回し、草木を育てているのと同じ力が、君の中にもあるんだ(『ライムライト』)」-をもっており、自分の仕事に深い使命感を持って取り組んでいたことにも感動しました。しかし、笑いを武器にして独裁者の偶像をイメージの戦場で打ち倒すというその高潔な使命を全うするのに、どれほどの覚悟と代償と犠牲が必要だったことでしょう。敵は多く味方の少ない中、誰を罵り恨むことなく善良で愛情深く勇気ある彼は困難な仕事をこれ以上ないほど見事にやり遂げました。戦争に巻き込まれるのを厭い、真の意味で国の名誉に大いなる貢献をしたこの英雄に報いるに一時は追放をもってしたアメリカでしたが-一時的な母国やそれに準じる国からの追放は偉大な人物が宿命的に被る受難ですが-、ベトナム戦争の後、前非を悔い、チャップリンを表彰しました。そして専門家や権威筋からの数々のデマや冷笑にも関わらず多くの大衆は彼を支持し、『独裁者』は興行的にも大成功、ヒトラーはこの映画の公開後、人前での演説を避けるようになりました。商業的利益や政治的な権謀術数上の打算から卑劣な攻撃の矢が雨のように降り注ぐのに耐えながら、小さな喜劇王が粘り強く鍛え上げた笑いの鉄槌が、独裁者の偶像を崩したのです。
アメリカでもいまヒトラー的なものがイスラムの方たちに暴言を吐き、憎悪をばらまいていますが、チャップリンが活躍し、キング牧師が育ったアメリカ、リンカーンの、トウェインの、ソローの、ホイットマンの誇り高き血が流れるアメリカのジャーナリズム界には必ずやエド・マローもいるはずだと信じます。
恐怖と暴力と非人間的な不寛容が世界を脅かす今、読むのに本当に相応しい、学ぶことの多い本当に読み応えのある一冊でした。大野さん、これからも愛に満ちたチャップリン世界の保存・普及のためにご活躍くださることを期待しています!
読みながら少なくとも三回は「なんて良い本を書くんだ・・」と呟いてしまうくらい買って良かったと心から思える素晴らしい本でした。よくぞ・・よくぞここまでのものを・・大野裕之は本当にチャップリンファンを裏切らない!感謝しかありません。
この世で最も素晴らしい映画は『独裁者』だと思ってきたわたしですが、本書を読んでいくと、鑑賞の仕方が浅かったと痛感させられるような、大野さんの製作当時の背景や他の作品との関係、芸術作品としての演出や脚本の工夫など、膨大な知識と綿密な資料研究に裏打ちされた映画の細部にわたる観察と考察が光っています。チャップリンがテーマや脚本、ギャグ、カメラワークなどを何度も推敲した様子なども資料をもとに詳細に描かれており、彼が映画作りに注いだ並々ならぬ情熱がよく伝わってきました。つくづく自分はチャップリン愛において大野さんの足元にも及ばない、巨人に対するダンゴムシも同然だぜ・・と変な感嘆の笑顔がこぼれます。
チャップリンの母国イギリスの傑作ファンタジー『ハリー・ポッター』に登場する魔法生物に、「ボガート」という対峙した人間が最も恐れているものに化けるまね妖怪がいるのですけれども、その妖怪を退治する魔法の呪文は「リディキュラス(ばかばかしい)」というのです。笑い飛ばすことが恐怖を克服し、悪を陳腐化する方法であるという智慧がユーモラスに表現されていてわたしはこの魔法がたいへん好きなのですが、<笑いという武器>がイメージの戦場でいかに有効かということを、映像の、イメージの毒性を熟知していたチャップリンが最高の模範を示してくれているとも思いました。
チャップリンは芸人さんとしてのキレにキレた体捌きや鋭い人間観察眼、普遍的で人間的なユーモアやあたたかい人間愛などに溢れていて偉大だ偉大だとは思っていましたし、ヒトラーが躍進しているその時に独裁者を笑いのめす喜劇映画を作るなんて、なんて勇敢なんだろうかと恐れ入ってはいましたが、当時の世相の中で『独裁者』のような映画を作ることがここまで多難な事業だったとは知りませんでした。この興行収入の成功を度外視する覚悟で取り組まれた英雄的かつ芸術的かつユーモアに満ちた映画の製作と公開に対して、世界中の政府筋や無責任なマスコミからどれほどの横槍、妨害、ネガティブ・キャンペーンが行われたことでしょうか。大小の中傷に加えてそうした情報に毒された市民からも批判の手紙が舞い込み、底抜けに人間が好きなチャップリンといえども、傷つき落ち込むこともあったでしょう。
チャップリンはある種の宗教感覚-「宇宙を運行させ、地球を回し、草木を育てているのと同じ力が、君の中にもあるんだ(『ライムライト』)」-をもっており、自分の仕事に深い使命感を持って取り組んでいたことにも感動しました。しかし、笑いを武器にして独裁者の偶像をイメージの戦場で打ち倒すというその高潔な使命を全うするのに、どれほどの覚悟と代償と犠牲が必要だったことでしょう。敵は多く味方の少ない中、誰を罵り恨むことなく善良で愛情深く勇気ある彼は困難な仕事をこれ以上ないほど見事にやり遂げました。戦争に巻き込まれるのを厭い、真の意味で国の名誉に大いなる貢献をしたこの英雄に報いるに一時は追放をもってしたアメリカでしたが-一時的な母国やそれに準じる国からの追放は偉大な人物が宿命的に被る受難ですが-、ベトナム戦争の後、前非を悔い、チャップリンを表彰しました。そして専門家や権威筋からの数々のデマや冷笑にも関わらず多くの大衆は彼を支持し、『独裁者』は興行的にも大成功、ヒトラーはこの映画の公開後、人前での演説を避けるようになりました。商業的利益や政治的な権謀術数上の打算から卑劣な攻撃の矢が雨のように降り注ぐのに耐えながら、小さな喜劇王が粘り強く鍛え上げた笑いの鉄槌が、独裁者の偶像を崩したのです。
アメリカでもいまヒトラー的なものがイスラムの方たちに暴言を吐き、憎悪をばらまいていますが、チャップリンが活躍し、キング牧師が育ったアメリカ、リンカーンの、トウェインの、ソローの、ホイットマンの誇り高き血が流れるアメリカのジャーナリズム界には必ずやエド・マローもいるはずだと信じます。
恐怖と暴力と非人間的な不寛容が世界を脅かす今、読むのに本当に相応しい、学ぶことの多い本当に読み応えのある一冊でした。大野さん、これからも愛に満ちたチャップリン世界の保存・普及のためにご活躍くださることを期待しています!
2018年9月11日に日本でレビュー済み
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似たもの同士だったのだろうか もし 立場が違ったら
2015年7月10日に日本でレビュー済み
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この表紙は怖いです。
本書を映画に例えると、二人の見事なカットバックで
全体が構成されているのですが、最後は素晴らしい
長回しで終わり、現在へつながる強い力を感じました。それをこの表紙が示していると思います。
本書を映画に例えると、二人の見事なカットバックで
全体が構成されているのですが、最後は素晴らしい
長回しで終わり、現在へつながる強い力を感じました。それをこの表紙が示していると思います。
2015年12月3日に日本でレビュー済み
この本を書いた人は、1974年生まれの「日本チャップリン協会」の会長さんです。4日ちがいで生まれ、ちょび髭の二人は、この本の中では五分五分には書かれていません。ヒトラーは、あくまでも脇役で、チャップリンと対比させるために存在します。
眼目はチャップリンの名作「独裁者」にあり、巻末に『独裁者』結びの演説、としてあの有名な演説全文が出ています。これは有り難かった。
1940年6月にフランスが降伏し、ヒトラーがパリに足を踏み入れた時、チャップリンは、ハリウッドで「独裁者」のラストシーンを撮影していた、というエピソードには、思わず興奮しました。
ラストシーンは、ドイツ兵士が武器を捨てて、ユダヤ人と一緒に踊るというもので、なんどかテスト撮影も済ませていた、しかしチャップリンは、これが不満で、このラストシーンでメッセージを発信したいと考えたそうです。6分間という長いシーンです。できた、関係者が見た、その反応は最悪で、あの演説で興業収入が100万ドル減る、と猛反対され、脅迫までありました。するとチャップリンは、500万ドル減ってもかまうものか、と言って反対しているスタッフをセットから追い出したそうです。
ヒトラーが、あれだけドイツの大衆の心を掴んだのは、彼の演説力にあります。ヒトラーの演説に、みなが酔いしれたのでした。互いに会うことはなかったチャップリンとヒトラーは、別々の場所で、それぞれの演説をしました。
いまチャップリンの、この演説を読み返して感ずることは、一方の演説は死に絶え、一方の演説は、いまも古びるどころか輝きを増して生き続けているということです。両者の対比は、意味あることでした。
眼目はチャップリンの名作「独裁者」にあり、巻末に『独裁者』結びの演説、としてあの有名な演説全文が出ています。これは有り難かった。
1940年6月にフランスが降伏し、ヒトラーがパリに足を踏み入れた時、チャップリンは、ハリウッドで「独裁者」のラストシーンを撮影していた、というエピソードには、思わず興奮しました。
ラストシーンは、ドイツ兵士が武器を捨てて、ユダヤ人と一緒に踊るというもので、なんどかテスト撮影も済ませていた、しかしチャップリンは、これが不満で、このラストシーンでメッセージを発信したいと考えたそうです。6分間という長いシーンです。できた、関係者が見た、その反応は最悪で、あの演説で興業収入が100万ドル減る、と猛反対され、脅迫までありました。するとチャップリンは、500万ドル減ってもかまうものか、と言って反対しているスタッフをセットから追い出したそうです。
ヒトラーが、あれだけドイツの大衆の心を掴んだのは、彼の演説力にあります。ヒトラーの演説に、みなが酔いしれたのでした。互いに会うことはなかったチャップリンとヒトラーは、別々の場所で、それぞれの演説をしました。
いまチャップリンの、この演説を読み返して感ずることは、一方の演説は死に絶え、一方の演説は、いまも古びるどころか輝きを増して生き続けているということです。両者の対比は、意味あることでした。
2015年12月23日に日本でレビュー済み
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「独裁者」の製作過程が興味深く書かれており、これを読んで「独裁者」の映像を見ると、チャプリンのすごさが良く分かる。
2015年9月18日に日本でレビュー済み
「チャップリンとヒトラーが同世代であった」と言われても、さもありなんという気がするが、(無知を棚に上げて言うと)「ヒトラーを題材にした『独裁者』が世界大戦と同時並行で撮影され、公開された」と言われると、驚きを覚える。
この本は『独裁者』の背景や評価、撮影の流れなどを詳述しているのだが、これに戦時の臨場感が加わり、とても興味深い。少しチャップリンを持ち上げすぎているきらいがあるけれども、語りつくされた2人の人物を新たな切り口で論じている。
この本は『独裁者』の背景や評価、撮影の流れなどを詳述しているのだが、これに戦時の臨場感が加わり、とても興味深い。少しチャップリンを持ち上げすぎているきらいがあるけれども、語りつくされた2人の人物を新たな切り口で論じている。