「へうげもの」『利休七哲』『武家茶人』等、いろいろな側面でとても興味深い古田織部ですが、ここでは利休とやりとりした文を通じて古田織部の内面/立場・立ち位置に迫っているので、必然的に利休の内面にも迫っている。
利休のあまり語られていない側面が古田織部との文のやりとりででていること、
(あくまでも残っている物ではあるが)古田織部に出した手紙が一番残っていること、
利休のあまり語られない一面を垣間見ることが出来た。
(もちろん、失脚した利休を見送ったエピソードは有名なので存じていましたし、2人の関係性の深さはそこからも推測できますが)
そして、利休が切腹に追い込まれた後、利休の後継者となり、そして自らも師と同じく切腹に追い込まれる。
文化的ネットワークと政治的人脈が重なってしまう以上、新たな大勢の地固めに『脅威』と捉えられても致し方ない面もあるのかと。
最後に、古田織部がどこまで直接的に様々な陶器の成り立ちに関わっていたのか、更なる史料が出てくることを期待して止まない。

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古田織部 - 美の革命を起こした武家茶人 (中公新書) 新書 – 2016/1/22
諏訪 勝則
(著)
信長や秀吉に仕えて勲功をあげ、千利休の死後、特異な芸術センスで一世を風靡した武将。「ひょうげもの」と呼ばれた男の実像に迫る。
<目次>
第1章 一大茶人に至るまで―生誕から信長時代
第2章 利休の門人となる―豊臣政権確立期
第3章 師の側近として―天下人秀吉の時代
第4章 天下一の茶匠―関ヶ原合戦前後
第5章 巨匠の死―大坂夏の陣まで
終章 織部の実像
<目次>
第1章 一大茶人に至るまで―生誕から信長時代
第2章 利休の門人となる―豊臣政権確立期
第3章 師の側近として―天下人秀吉の時代
第4章 天下一の茶匠―関ヶ原合戦前後
第5章 巨匠の死―大坂夏の陣まで
終章 織部の実像
- 本の長さ225ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2016/1/22
- 寸法11 x 1.2 x 17.4 cm
- ISBN-104121023579
- ISBN-13978-4121023575
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2016/1/22)
- 発売日 : 2016/1/22
- 言語 : 日本語
- 新書 : 225ページ
- ISBN-10 : 4121023579
- ISBN-13 : 978-4121023575
- 寸法 : 11 x 1.2 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 154,894位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 734位中公新書
- - 28,122位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年4月17日に日本でレビュー済み
著者は「陸上自衛隊」工科学校教官である。こういう経歴の方がこのようなものを書くとは珍しい。彼もまた奇異の人であるかもしれない。
『古田織部』は「天文12年」(1543年)に生誕している。これは定かではないが「没年」が「慶長20年」(1615年)とされているので、逆算したものである。
彼は異説はあるが「美濃國」(岐阜県本巣市-岐阜市の北東)の生まれで、先祖はこの地を治める「土岐氏」とよしみを通じていた。父の「古田重定」は「豊臣秀吉」の家臣となって3千石を頂いていた。また「茶人」でもあったから『古田織部』はその血を継いでいたのであろう。
『古田織部』は武将としても有能で「織田信長」や「豊臣秀吉」に従って数々の戦いに加わって武勲を挙げていた。「豊臣秀吉」が朝鮮出兵に際し北九州に「名護屋城」を築いたときもそこで「茶会」を催している。
『古田織部』は「天和元年」(1615年)の「大阪夏の陣」で「豊臣」方と内通したとの疑いをかけられて切腹しているが、著者はこれを否定しているが、その原因についてはわからないとしている。
『古田織部』は「茶人」の武将として珍しい存在であった。
『古田織部』は「天文12年」(1543年)に生誕している。これは定かではないが「没年」が「慶長20年」(1615年)とされているので、逆算したものである。
彼は異説はあるが「美濃國」(岐阜県本巣市-岐阜市の北東)の生まれで、先祖はこの地を治める「土岐氏」とよしみを通じていた。父の「古田重定」は「豊臣秀吉」の家臣となって3千石を頂いていた。また「茶人」でもあったから『古田織部』はその血を継いでいたのであろう。
『古田織部』は武将としても有能で「織田信長」や「豊臣秀吉」に従って数々の戦いに加わって武勲を挙げていた。「豊臣秀吉」が朝鮮出兵に際し北九州に「名護屋城」を築いたときもそこで「茶会」を催している。
『古田織部』は「天和元年」(1615年)の「大阪夏の陣」で「豊臣」方と内通したとの疑いをかけられて切腹しているが、著者はこれを否定しているが、その原因についてはわからないとしている。
『古田織部』は「茶人」の武将として珍しい存在であった。
2016年2月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は漫画へうげものの大ファンです。漫画のシーンとこの本で記述がある史実や考察を踏まえてみると、また織部という人の魅力が増しました。
2016年2月12日に日本でレビュー済み
帯に”「へうげもの」真実”とある様に、既存の史料と先行研究を基に漫画・アニメ「へうげもの」で描かれたそそっかしくて粗忽者の古田織部像の修正を試みた評伝。
私はしばらく前にNHKにて深夜放映されたアニメ版の「へうげもの」しかみていないので、どちらをどうと評価する程の知識はないのだが、逆に読み進めるうちにアニメでのシーンが各所で脳裏に蘇った。
書簡等の原史料を読み込んであるだけに、古田織部の”書”を通してかの人の人となりに迫るアプローチは興味深い。
また、利休・織部と代表的数寄者が次々命を失う理由を数寄の人的ネットワークが時の権力者に脅威として写っていたという点も興味深い。
新書なので「織部好み」を同時代人の史料をとおして評しいるが、カラー写真等は扉の3葉のみである。よって言及されているモノについては他書に当たった方が良いだろう。
私はしばらく前にNHKにて深夜放映されたアニメ版の「へうげもの」しかみていないので、どちらをどうと評価する程の知識はないのだが、逆に読み進めるうちにアニメでのシーンが各所で脳裏に蘇った。
書簡等の原史料を読み込んであるだけに、古田織部の”書”を通してかの人の人となりに迫るアプローチは興味深い。
また、利休・織部と代表的数寄者が次々命を失う理由を数寄の人的ネットワークが時の権力者に脅威として写っていたという点も興味深い。
新書なので「織部好み」を同時代人の史料をとおして評しいるが、カラー写真等は扉の3葉のみである。よって言及されているモノについては他書に当たった方が良いだろう。
2016年4月12日に日本でレビュー済み
帯広告には「へうげもの」の真実と記されているとおり、本書は古田織部の生涯を通じた人物評を先達研究や原書を多く確かめて行っている。
生真面目そうな著者の誠実さが伝わってくる。
ところがだ、本書の中ではただの一度も漫画「へうげもの」への言及がない。むろん、フィクションである漫画を歴史評伝の参考資料にする必要などないわけだが、かつてない織部ブームを下支えしているのが「へうげもの」であることは疑いのない事実である中で、著者が、端々で「へうげもの」のひょうげた織部像への反発を述べながらも、作品を黙殺する姿にはいささか閉口させられた。
なんのことはない。本書と「へうげもの」は合わせ鏡の関係でしかないからだ。本書に登場する織部のエピソードは殆ど全てが「へうげもの」でも取り上げられている。それは、「へうげもの」も本書も、過去の織部評伝を下敷きにして、マンガは面白おかしく誇張して、本書は真面目に史実だけを取り上げたということがよく分かる。
また、本書では、頻繁に、織部をふざけた粗忽者とする一部の見方はおかしいという主張が登場する。しかし、「へうげもの」をキチンと読む者であれば、数寄へのこだわりで傍目にはふざけたように見えたとしても、織部自身が粗忽者という描写などないことはよく分かるだろう。また、過去の織部評の中でも、織部=粗忽という評価は決して主流ではない。あえていえば、織部を簒奪者とみなす千利休原理主義者くらいだろう、織部の茶器や茶堂をディスっているのは(笑)
そして、武家茶人としての織部評だが、前半では相当なネゴシエーターと持ち上げるが、史実は武将としては凡庸な石高しかないわけで、まとめでは武将というにはあまりに寂しい扱い・・・そして、肝心の処刑の理由も説得力に乏しい。
著者は、茶人織部が、師・利休同様に、旧織田・豊臣シンパや公家にもつながるネットワークを徳川政権が潜在的脅威としたと解するが、その説明の中で、謀臣・本多正信をはじめとする徳川政権幹部ともネットワークを有すると言っている。両方にコネを持つというのはネゴシエーターとして本来は重宝されるスキルなのだから、殺す動機にはならないとしか思えない。冗談でなく、「豊徳合体」で秀頼を生かそうとする織部を家康が嫌ったという「へうげもの」の解釈の方がまだ腑に落ちる。
本書の一番の価値は、織部が開いた茶会の概要を多く紹介している点だろう。
先達の評伝・資料を分かりやすく簡潔にまとめた資料集として価値があるが、著者の考察は凡庸というのが私の結論。
生真面目そうな著者の誠実さが伝わってくる。
ところがだ、本書の中ではただの一度も漫画「へうげもの」への言及がない。むろん、フィクションである漫画を歴史評伝の参考資料にする必要などないわけだが、かつてない織部ブームを下支えしているのが「へうげもの」であることは疑いのない事実である中で、著者が、端々で「へうげもの」のひょうげた織部像への反発を述べながらも、作品を黙殺する姿にはいささか閉口させられた。
なんのことはない。本書と「へうげもの」は合わせ鏡の関係でしかないからだ。本書に登場する織部のエピソードは殆ど全てが「へうげもの」でも取り上げられている。それは、「へうげもの」も本書も、過去の織部評伝を下敷きにして、マンガは面白おかしく誇張して、本書は真面目に史実だけを取り上げたということがよく分かる。
また、本書では、頻繁に、織部をふざけた粗忽者とする一部の見方はおかしいという主張が登場する。しかし、「へうげもの」をキチンと読む者であれば、数寄へのこだわりで傍目にはふざけたように見えたとしても、織部自身が粗忽者という描写などないことはよく分かるだろう。また、過去の織部評の中でも、織部=粗忽という評価は決して主流ではない。あえていえば、織部を簒奪者とみなす千利休原理主義者くらいだろう、織部の茶器や茶堂をディスっているのは(笑)
そして、武家茶人としての織部評だが、前半では相当なネゴシエーターと持ち上げるが、史実は武将としては凡庸な石高しかないわけで、まとめでは武将というにはあまりに寂しい扱い・・・そして、肝心の処刑の理由も説得力に乏しい。
著者は、茶人織部が、師・利休同様に、旧織田・豊臣シンパや公家にもつながるネットワークを徳川政権が潜在的脅威としたと解するが、その説明の中で、謀臣・本多正信をはじめとする徳川政権幹部ともネットワークを有すると言っている。両方にコネを持つというのはネゴシエーターとして本来は重宝されるスキルなのだから、殺す動機にはならないとしか思えない。冗談でなく、「豊徳合体」で秀頼を生かそうとする織部を家康が嫌ったという「へうげもの」の解釈の方がまだ腑に落ちる。
本書の一番の価値は、織部が開いた茶会の概要を多く紹介している点だろう。
先達の評伝・資料を分かりやすく簡潔にまとめた資料集として価値があるが、著者の考察は凡庸というのが私の結論。
2016年3月31日に日本でレビュー済み
古田織部の茶道ではなく人生が語られています。
「利休居士伝書」に
数寄というのは、違ってするが易のかかりなり。これ故に古織は能し、
細川三斎は少しもちがわで、結句それほどに名を得取り給わずという。
「数寄というのは、人と違ったことを創造するものである。」と言う意味では、
利休亡き後、織部だけが茶道の第一人者に上り詰め得たということも納得できます。
薮内家の燕庵に代表される三畳台目に一畳の相伴席を接続させた茶席を「織部格」と
称していたといいますから是も織部独自の茶席だったのですね。
織部は、内通の嫌疑で切腹させられた後、紫野大徳寺玉林庵に葬られたそうです。
一度墓参りに行きたいと思いますが、葬られたのが今の玉林院なのか不明です。
「利休居士伝書」に
数寄というのは、違ってするが易のかかりなり。これ故に古織は能し、
細川三斎は少しもちがわで、結句それほどに名を得取り給わずという。
「数寄というのは、人と違ったことを創造するものである。」と言う意味では、
利休亡き後、織部だけが茶道の第一人者に上り詰め得たということも納得できます。
薮内家の燕庵に代表される三畳台目に一畳の相伴席を接続させた茶席を「織部格」と
称していたといいますから是も織部独自の茶席だったのですね。
織部は、内通の嫌疑で切腹させられた後、紫野大徳寺玉林庵に葬られたそうです。
一度墓参りに行きたいと思いますが、葬られたのが今の玉林院なのか不明です。