歴史を知ると言う事は、教科書で事実として知り、テストが終われば忘れてしまう。そんな事で良いのだろうか。
ホロコーストと言う言葉や1ページで語られない。語り尽くせない、背景や悲惨な現実が確かにそこにある。1人の人間や家族が確かにそこに生きた証跡が伝わってくる。そして、そこで奪われた命と亡くなった人々も必死に生きていたと言う証も。。。
単なる言葉や数字に置き換えられている歴史の一幕を目の前にありありと映してくれる。そんな良書である。これからを生きる人間が決して誤った道に進まないように知るべき歴史がここにはある。
自分も最悪の状況で最善の行動を取れる人間でありたい。とても難しいことだが、この本で学んだ事を意識して、これからを生きていきたい。
レオンさんをはじめ、この本を作るために辛い経験を呼び起こして、形にしてくれた皆さんに感謝する。

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シンドラーに救われた少年 単行本 – 2015/7/21
スピルバーグの感動的な映画『シンドラーのリスト』に登場するユダヤ少年による回想録。中学生から読める「真実の記録」。
- 本の長さ214ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2015/7/21
- ISBN-104309226353
- ISBN-13978-4309226354
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商品の説明
著者について
ポーランド系ユダヤ人。シンドラーのリストで命拾いをしたユダヤ人たちの一人で、映画にも登場する。6年間、ナチスの大量虐殺に翻弄され、終戦時19歳。戦後に渡米し、教職に就いた。「アンネの魂」賞受賞。
共著者。著書に、『ホロコースト年表』などがある。2008年に「アンネ・フランクの魂」賞を受賞。
翻訳家。青山学院大学文学部卒業。ロンドン大学アジア・アフリカ研究院を経て、ロンドン大学経済学院大学院で国際政治学を専攻。訳書に『メス化する自然』、『水の自然誌』、『エコノミック・ヒットマン』など多数。
共著者。著書に、『ホロコースト年表』などがある。2008年に「アンネ・フランクの魂」賞を受賞。
翻訳家。青山学院大学文学部卒業。ロンドン大学アジア・アフリカ研究院を経て、ロンドン大学経済学院大学院で国際政治学を専攻。訳書に『メス化する自然』、『水の自然誌』、『エコノミック・ヒットマン』など多数。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2015/7/21)
- 発売日 : 2015/7/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 214ページ
- ISBN-10 : 4309226353
- ISBN-13 : 978-4309226354
- Amazon 売れ筋ランキング: - 157,958位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 28,397位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年9月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ユダヤ人迫害の中、強く生きる少年の体験記。暴力を受ける父、収容所外の幸福そうな人達、戦後も続く暴力、アメリカでの黒人差別など、衝撃的な体験と少年らしい素直な考えに感情移入出来て心に残ります。
非常にお勧め。
『これほど長い年月が過ぎ去るまで、語る準備が整っていなかったのか、あるいは人々のほうが耳を傾ける準備が整っていなかったのか。もしかしたら、その両方なのかもしれない』とあるが、戦争が起きている一方で平和な時代を過ごしている我々も、戦時体験に耳を傾けようと準備を整えたい。
非常にお勧め。
『これほど長い年月が過ぎ去るまで、語る準備が整っていなかったのか、あるいは人々のほうが耳を傾ける準備が整っていなかったのか。もしかしたら、その両方なのかもしれない』とあるが、戦争が起きている一方で平和な時代を過ごしている我々も、戦時体験に耳を傾けようと準備を整えたい。
2023年11月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歴史に残るホロコーストの実体験を、当時の子供の目線で語る貴重な話。ナチ党員という立場でありながら我が身をかえりみず多くの方を救った男の話には心が踊る。
いつどこでどうなるかわからないのが人生なら、希望も絶望もどちらも必ずあるんだと思わせてもらった。
人間、捨てたもんじゃねえ。
いつどこでどうなるかわからないのが人生なら、希望も絶望もどちらも必ずあるんだと思わせてもらった。
人間、捨てたもんじゃねえ。
2022年2月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ナチスドイツのユダヤ人迫害は生存者も少なくなりその実態を知らない人が増えている。多くのユダヤ人が強制収容所に送られ命を落とした。彼らを少しでも救おうと危険を顧みず救出活動をした人達のことも忘れ去られそうになっている。その中でも異色なのがナチス党員でありながら私財をなげうって多くのユダヤ人を助けたオスカー・シンドラーだった。映画「シンドラーのリスト」は日本でも大ヒットしたが、残念ながら原作本の日本版は絶版になっている。
この本は、オスカー・シンドラーによって命を救われたユダヤ人の少年の記録で、少年の目から見たシンドラーの救出活動と当時のユダヤ人の迫害の様子を伝えている。「シンドラーのリスト」がかなり長編なのに比べ、中学生位でも読める内容になっている。
人種差別が今も形を変えて存在する時代だからこそ、差別と偏見の恐ろしさ、迫害の恐ろしさを正しく伝えていかなければならない。大人も子供もぜひ読んで欲しい一冊だ。
この本は、オスカー・シンドラーによって命を救われたユダヤ人の少年の記録で、少年の目から見たシンドラーの救出活動と当時のユダヤ人の迫害の様子を伝えている。「シンドラーのリスト」がかなり長編なのに比べ、中学生位でも読める内容になっている。
人種差別が今も形を変えて存在する時代だからこそ、差別と偏見の恐ろしさ、迫害の恐ろしさを正しく伝えていかなければならない。大人も子供もぜひ読んで欲しい一冊だ。
2016年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画、『シンドラーのリスト』を見た方は、覚えているかも。
木箱の上に乗って働いていた少年、レオン・レイソンの証言です。
ポーランド・ナレフカでの幼いころの平穏な暮らし。
職人だった父親が、家族にいい暮らしをさせようと移ったクラクフ。
幸せだった暮らしは10歳、39年のナチのポーランド侵攻で一変します。
街中にユダヤ人を侮蔑するポスターが貼られ、学校にも行けなくなり、
41年にはゲットー、ユダヤ人居住区に。
ホウロウ工場を買い取ったシンドラーに父親が雇われたおかげで、
家族にも身分証や居住許可はもらえましたが、決して安全ではなく。
行動と称するユダヤ人狩りが行われ、その後移された収容所でも、
所長、アーモン・ゲートは気まぐれにユダヤ人を虐待・虐殺して。
ユダヤ人というだけで世界から切り離され、
フェンスの外の平穏な街の暮らしと無関心な人々がいる理不尽さ。
そういう惨状を目にして、シンドラーは知恵と財産を駆使して、
工場でユダヤ人を雇い、なんとか助けようとしたわけですが。
シンドラーにしてもレオン一家にしても、ただ工場で働いて、
戦後を待ったわけでは決してなくて。
命の危機のたびに、助かる・助ける最大限の努力を何度もしていて。
復讐をしないでくれと言って、最後にシンドラーも工場を去りますが、
戦争が終わっても一度崩れた民族的な平穏は簡単には戻らなくて。
神話学者・作家のジョーゼフ・キャンベルの言葉を引用して、
『英雄とは、最悪の状況で最善の行動を為すごく普通の人間のことだ』
という言葉が印象深いです。
そこに何百年も住んでいたのに、というレオンの、ユダヤ人の
思いを表した言葉も何度か出てきますが、パレスチナのことも思いますが
レオンは戦後、アメリカでの黒人差別にもショックを受けるような人柄で。
戦争の狂気とは何か、差別とは何か、生きるとは何か、ということがよくわかる本です。
大人でも子供でも、興味がある方は、読んでみてください。
木箱の上に乗って働いていた少年、レオン・レイソンの証言です。
ポーランド・ナレフカでの幼いころの平穏な暮らし。
職人だった父親が、家族にいい暮らしをさせようと移ったクラクフ。
幸せだった暮らしは10歳、39年のナチのポーランド侵攻で一変します。
街中にユダヤ人を侮蔑するポスターが貼られ、学校にも行けなくなり、
41年にはゲットー、ユダヤ人居住区に。
ホウロウ工場を買い取ったシンドラーに父親が雇われたおかげで、
家族にも身分証や居住許可はもらえましたが、決して安全ではなく。
行動と称するユダヤ人狩りが行われ、その後移された収容所でも、
所長、アーモン・ゲートは気まぐれにユダヤ人を虐待・虐殺して。
ユダヤ人というだけで世界から切り離され、
フェンスの外の平穏な街の暮らしと無関心な人々がいる理不尽さ。
そういう惨状を目にして、シンドラーは知恵と財産を駆使して、
工場でユダヤ人を雇い、なんとか助けようとしたわけですが。
シンドラーにしてもレオン一家にしても、ただ工場で働いて、
戦後を待ったわけでは決してなくて。
命の危機のたびに、助かる・助ける最大限の努力を何度もしていて。
復讐をしないでくれと言って、最後にシンドラーも工場を去りますが、
戦争が終わっても一度崩れた民族的な平穏は簡単には戻らなくて。
神話学者・作家のジョーゼフ・キャンベルの言葉を引用して、
『英雄とは、最悪の状況で最善の行動を為すごく普通の人間のことだ』
という言葉が印象深いです。
そこに何百年も住んでいたのに、というレオンの、ユダヤ人の
思いを表した言葉も何度か出てきますが、パレスチナのことも思いますが
レオンは戦後、アメリカでの黒人差別にもショックを受けるような人柄で。
戦争の狂気とは何か、差別とは何か、生きるとは何か、ということがよくわかる本です。
大人でも子供でも、興味がある方は、読んでみてください。
2017年12月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
夏休みの課題図書に
息子なので、夏休み直前に必要と言い出し‥
もちろん 本屋はどこも売り切れ
Amazonで購入できて良かったー
息子なので、夏休み直前に必要と言い出し‥
もちろん 本屋はどこも売り切れ
Amazonで購入できて良かったー
2017年1月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
娘の夏休みの読書感想文用に頼まれて購入。直ぐに届いて助かりました。
2015年9月15日に日本でレビュー済み
私の尊敬するオスカー・シンドラーに何かといちゃもんをつける人がいることに不快感を覚えてきましたが、『シンドラーに救われた少年』(レオン・レイソン著、古草秀子訳、河出書房新社)を読んで、長年のもやもやをすっきりさせることができました。
「シンドラーのリスト」に載ったことでホロコーストを生き延びることができた当時10歳の少年、レオン・レイソンが、間近で接したシンドラーの考え方や行動を振り返って、冷静に証言しているからです。真実の記録が持つ説得力が私たちの心を強く揺さぶります。
「1942年10月、またしても(ナチスによるユダヤ人の)移送が実施されるという知らせが届いたため、シンドラーは(自分の工場で雇っていたユダヤ人の)従業員をゲットーへ帰さずに工場で寝泊まりさせることにした。一斉検挙のあいだは労働許可書があっても安全を保障できないと、シンドラーは知っていたのだ」。{その朝、ゲットーでナチスによる『行動(アクツィオン)』と呼ばれるユダヤ人一斉検挙がはじまった。銃声、ドイツ兵の怒鳴り声、ドアを乱暴に開け閉めする音、軍靴で階段を上り下りする者が、そこらじゅうで響いていた。・・・叫び声や銃声がしだいに大きくなり、ドイツ兵が近づいているのがわかった。隠れている人を嗅ぎだす役目のジャーマンシェパードが猛烈に吠えたてていた。犬のハンドラーの兵士は人々が慈悲を求めるのを無視して、無差別に殺した。私は両耳を手でふさいで、叫びやうめきや、『お願いだから!』『やめて!』と懇願する声から逃れようとした」。
著者たちが送られた収容所は、まさに地獄だったのです。「プワシュフ収容所はまるで異質だった。不毛で、悲惨で、混沌とした場所だ。岩に土に鉄条網、獰猛な犬、冷酷な監視員、殺風景な宿舎(バラック)が何棟も見渡すかぎり並んでいる。粗末な服の囚人たちが、銃を持ったドイツ人やウクライナ人の監視員たちに脅されて、仕事に追いたてられている。プワシュフ収容所のゲートを入った瞬間、きっとここから生きては出られないと感じた。・・・ある日、大きな岩を運んでいたところ、割れた墓石につまずいて脚を深く切ってしまった。手当てをするために診療所へ行かなくてはならなかった。あとから聞いた話だが、私が手当てを終えて診療所を出てすぐに、収容所長であるSSのアーモン・ゲート大尉がやってきて、なんの理由もなく、言ってみればほんの気まぐれで、その場にいた全員を射殺したそうだ。もしもう数分診療所にいたら、私も殺されていただろう。診療所から遠ざかっていても、アーモン・ゲートの残虐行為から逃れられるわけではなかった。作業を割りあてる役目の男たちが、ゲートや彼の取り巻きたちが殺した人数を、まるでサッカーの試合の点数のようにささやきあっているのが耳に入ってきた。『今日の合計は?』誰かが訊く。『ユダヤ人が12、ナチスはゼロ』ナチスの死者数はいつもゼロだった」。こんなことが許されていいのでしょうか。
シンドラーは闇取り引きで得た資金で、エマリアと呼ばれた工場の近くに土地を買って宿舎を建て、プワシュフの収容所長、アーモン・ゲートに多額の賄賂を掴ませるとともに、ユダヤ人労働者を工場の近くに住まわせたほうが効果が上がると言葉巧みに説得しました。シンドラーの本当の目的は、労働者たちをプワシュフの過酷な環境や残虐な収容所長のゲートから守ることだったのです。「シンドラーはわが身をかえりみず、勇気を持って危険を冒した。彼は贈賄やユダヤ人に対する型破りな態度から、つねに疑惑の目を向けられていた。前代未聞の非人道的行為が行われた時代に、ナチスによって人間以下の存在だとレッテルを貼られ、絶滅すべきとされていた人々の価値を認めた。彼は当時権力を握っていた人々、彼とは考えが異なる人々、つまりはナチスの高官や収容所長やSSの将校や地元の警察などに対して、とうてい拒絶できないほど高額な賄賂や贈り物をばらまいて取り入ったのだ。そして、パーティを開いて彼らをもてなすのも上手だった」。
「(シンドラーは工場の)室内をゆっくり歩きながら、あちこちで顔見知りの(ユダヤ人)労働者と会話をした。彼にはたくさんの名前を記憶できる不思議な能力があった。ナチスにとって私はユダヤ人のひとりでしかなく、名前は意味を持たないという事実に、私はすっかり慣れてしまっていた。けれど、シンドラーは違った。彼はあきらかに、私たち一人ひとりが誰であるかを知ろうとした。私たち一人ひとりを気に欠けていることを示した。時おり、彼はダヴィド(兄)と私の作業場で立ち止まって、会話をはじめた。背が高くて逞しい彼が、調子はどうかね、今晩は何個できたんだと、よく響く声で私に尋ねる。そして、私の答えを待って静かに立っていた。こちらの目をのぞきこむ彼の目には、ナチスの虚ろな凝視とはまるで違う、本物の関心があり、ユーモアの片鱗さえも感じられた」。少年の観察眼は鋭く、シンドラーとナチスの本質的な違いを鋭く見抜いています。シンドラーは自らの行動を通じて、ユダヤ人を底辺の存在と位置づけるナチスの人種差別イデオロギーに叛旗を翻していたのです。
「オスカー・シンドラーは英雄的行為とはどんなものかを示したのだと信じている。ひとりの人間が悪に向かって立ち上がり、大きな影響力を発揮することができることを、彼は証明したのだ。私は、それを示す生き証人である」。この、体験者だけが言える言葉はずしりと重いですね。
「オスカー・シンドラーのことを人々は、悪党、女好き、戦争成金、酔っ払いなどさまざまの表現した」。「ナチスの日和見主義者、策略家、勇気ある異端者、救済者、英雄など、オスカー・シンドラーは相反するさまざまな評価を受けている。けれど、彼は死を約束された1200人ものユダヤ人を救うという奇跡を成し遂げたのだ」。シンドラーのナチスへの密かな、しかし勇気ある抵抗が、一歩間違えれば、国家反逆罪として強制収容所へ送られたり、処刑されたりする危険を冒して行われたことを忘れてはならないのです。
「シンドラーのリスト」に載ったことでホロコーストを生き延びることができた当時10歳の少年、レオン・レイソンが、間近で接したシンドラーの考え方や行動を振り返って、冷静に証言しているからです。真実の記録が持つ説得力が私たちの心を強く揺さぶります。
「1942年10月、またしても(ナチスによるユダヤ人の)移送が実施されるという知らせが届いたため、シンドラーは(自分の工場で雇っていたユダヤ人の)従業員をゲットーへ帰さずに工場で寝泊まりさせることにした。一斉検挙のあいだは労働許可書があっても安全を保障できないと、シンドラーは知っていたのだ」。{その朝、ゲットーでナチスによる『行動(アクツィオン)』と呼ばれるユダヤ人一斉検挙がはじまった。銃声、ドイツ兵の怒鳴り声、ドアを乱暴に開け閉めする音、軍靴で階段を上り下りする者が、そこらじゅうで響いていた。・・・叫び声や銃声がしだいに大きくなり、ドイツ兵が近づいているのがわかった。隠れている人を嗅ぎだす役目のジャーマンシェパードが猛烈に吠えたてていた。犬のハンドラーの兵士は人々が慈悲を求めるのを無視して、無差別に殺した。私は両耳を手でふさいで、叫びやうめきや、『お願いだから!』『やめて!』と懇願する声から逃れようとした」。
著者たちが送られた収容所は、まさに地獄だったのです。「プワシュフ収容所はまるで異質だった。不毛で、悲惨で、混沌とした場所だ。岩に土に鉄条網、獰猛な犬、冷酷な監視員、殺風景な宿舎(バラック)が何棟も見渡すかぎり並んでいる。粗末な服の囚人たちが、銃を持ったドイツ人やウクライナ人の監視員たちに脅されて、仕事に追いたてられている。プワシュフ収容所のゲートを入った瞬間、きっとここから生きては出られないと感じた。・・・ある日、大きな岩を運んでいたところ、割れた墓石につまずいて脚を深く切ってしまった。手当てをするために診療所へ行かなくてはならなかった。あとから聞いた話だが、私が手当てを終えて診療所を出てすぐに、収容所長であるSSのアーモン・ゲート大尉がやってきて、なんの理由もなく、言ってみればほんの気まぐれで、その場にいた全員を射殺したそうだ。もしもう数分診療所にいたら、私も殺されていただろう。診療所から遠ざかっていても、アーモン・ゲートの残虐行為から逃れられるわけではなかった。作業を割りあてる役目の男たちが、ゲートや彼の取り巻きたちが殺した人数を、まるでサッカーの試合の点数のようにささやきあっているのが耳に入ってきた。『今日の合計は?』誰かが訊く。『ユダヤ人が12、ナチスはゼロ』ナチスの死者数はいつもゼロだった」。こんなことが許されていいのでしょうか。
シンドラーは闇取り引きで得た資金で、エマリアと呼ばれた工場の近くに土地を買って宿舎を建て、プワシュフの収容所長、アーモン・ゲートに多額の賄賂を掴ませるとともに、ユダヤ人労働者を工場の近くに住まわせたほうが効果が上がると言葉巧みに説得しました。シンドラーの本当の目的は、労働者たちをプワシュフの過酷な環境や残虐な収容所長のゲートから守ることだったのです。「シンドラーはわが身をかえりみず、勇気を持って危険を冒した。彼は贈賄やユダヤ人に対する型破りな態度から、つねに疑惑の目を向けられていた。前代未聞の非人道的行為が行われた時代に、ナチスによって人間以下の存在だとレッテルを貼られ、絶滅すべきとされていた人々の価値を認めた。彼は当時権力を握っていた人々、彼とは考えが異なる人々、つまりはナチスの高官や収容所長やSSの将校や地元の警察などに対して、とうてい拒絶できないほど高額な賄賂や贈り物をばらまいて取り入ったのだ。そして、パーティを開いて彼らをもてなすのも上手だった」。
「(シンドラーは工場の)室内をゆっくり歩きながら、あちこちで顔見知りの(ユダヤ人)労働者と会話をした。彼にはたくさんの名前を記憶できる不思議な能力があった。ナチスにとって私はユダヤ人のひとりでしかなく、名前は意味を持たないという事実に、私はすっかり慣れてしまっていた。けれど、シンドラーは違った。彼はあきらかに、私たち一人ひとりが誰であるかを知ろうとした。私たち一人ひとりを気に欠けていることを示した。時おり、彼はダヴィド(兄)と私の作業場で立ち止まって、会話をはじめた。背が高くて逞しい彼が、調子はどうかね、今晩は何個できたんだと、よく響く声で私に尋ねる。そして、私の答えを待って静かに立っていた。こちらの目をのぞきこむ彼の目には、ナチスの虚ろな凝視とはまるで違う、本物の関心があり、ユーモアの片鱗さえも感じられた」。少年の観察眼は鋭く、シンドラーとナチスの本質的な違いを鋭く見抜いています。シンドラーは自らの行動を通じて、ユダヤ人を底辺の存在と位置づけるナチスの人種差別イデオロギーに叛旗を翻していたのです。
「オスカー・シンドラーは英雄的行為とはどんなものかを示したのだと信じている。ひとりの人間が悪に向かって立ち上がり、大きな影響力を発揮することができることを、彼は証明したのだ。私は、それを示す生き証人である」。この、体験者だけが言える言葉はずしりと重いですね。
「オスカー・シンドラーのことを人々は、悪党、女好き、戦争成金、酔っ払いなどさまざまの表現した」。「ナチスの日和見主義者、策略家、勇気ある異端者、救済者、英雄など、オスカー・シンドラーは相反するさまざまな評価を受けている。けれど、彼は死を約束された1200人ものユダヤ人を救うという奇跡を成し遂げたのだ」。シンドラーのナチスへの密かな、しかし勇気ある抵抗が、一歩間違えれば、国家反逆罪として強制収容所へ送られたり、処刑されたりする危険を冒して行われたことを忘れてはならないのです。