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ペコロスの母の贈り物 単行本 – 2016/1/20
岡野雄一
(著)
認知症の母との日々をつづり大きな共感をよんだ
『ペコロスの母の玉手箱』の続編。
母を亡くし、より色濃くよみがえる母の姿。
少年期の思い出では、昭和の生活が新たな郷愁をさそう。
「週刊朝日」の連載に書き下ろしを加えた待望の新刊。
――目次――
●通り過ぎた景色
●登場人物
【序章】
母にささやく
行方不明の息子
母の背
テレビとリヤカー
母ちゃんつながり
カミングアウト
春は、じきに
もうすぐ盆
はだしで
さよなら母ちゃん
雨の中
【一章】母のやおつり
母の引っ越し
忌明け前
納骨式
音の消えた世界
父の気配
Essay:ペコロスの母の死
不在通知
鏡台
牛女
ママゴト
天井に居るもの
家に居るもの
僕の中
まぶたの中
【二章】父に会う
くんちのサーカス
サーカスのお姉さん
近所の魚屋さん
牛になる
止まった時計
お諏訪さん
Essay:いつかのどこかで
上京息子
二十数年前
二十数年前の話
男のエロス
男の老い
女の子の群れ
おもやい
家を建てる
便所池
Essay:父に会う
【三章】原爆の唄
昭和三十年代
××オバちゃん
宮田君
青空
Essay:二〇一一年の花見
【四章】迷子の秋
くんち前の九月
初盆
初秋
迷子の子
迷路の中
ケン坊兄ちゃん
母の忘れモノ
秋の夜
秋日和
母亡き後の家
【終章】ペコロスの母の贈り物
焚火
墓前
春が来たら
『ペコロスの母の玉手箱』の続編。
母を亡くし、より色濃くよみがえる母の姿。
少年期の思い出では、昭和の生活が新たな郷愁をさそう。
「週刊朝日」の連載に書き下ろしを加えた待望の新刊。
――目次――
●通り過ぎた景色
●登場人物
【序章】
母にささやく
行方不明の息子
母の背
テレビとリヤカー
母ちゃんつながり
カミングアウト
春は、じきに
もうすぐ盆
はだしで
さよなら母ちゃん
雨の中
【一章】母のやおつり
母の引っ越し
忌明け前
納骨式
音の消えた世界
父の気配
Essay:ペコロスの母の死
不在通知
鏡台
牛女
ママゴト
天井に居るもの
家に居るもの
僕の中
まぶたの中
【二章】父に会う
くんちのサーカス
サーカスのお姉さん
近所の魚屋さん
牛になる
止まった時計
お諏訪さん
Essay:いつかのどこかで
上京息子
二十数年前
二十数年前の話
男のエロス
男の老い
女の子の群れ
おもやい
家を建てる
便所池
Essay:父に会う
【三章】原爆の唄
昭和三十年代
××オバちゃん
宮田君
青空
Essay:二〇一一年の花見
【四章】迷子の秋
くんち前の九月
初盆
初秋
迷子の子
迷路の中
ケン坊兄ちゃん
母の忘れモノ
秋の夜
秋日和
母亡き後の家
【終章】ペコロスの母の贈り物
焚火
墓前
春が来たら
- 本の長さ192ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日2016/1/20
- 寸法23.6 x 18.2 x 1.3 cm
- ISBN-104023314757
- ISBN-13978-4023314757
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2016/1/20)
- 発売日 : 2016/1/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 192ページ
- ISBN-10 : 4023314757
- ISBN-13 : 978-4023314757
- 寸法 : 23.6 x 18.2 x 1.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 370,381位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,584位エッセー・随筆 (本)
- - 206,445位コミック
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年6月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
絵柄がかわいくて、くすっと笑えたり、胸に響いたり、読んでいてほっこりする。
2016年1月23日に日本でレビュー済み
一言で言えば、認知症の母親との思い出を描いたらエッセイ漫画。しかしながらその実体は、希望に満ちたSFだ。
過去の回想をメインに話が進んでいくが、不思議なことに表現は現在進行形で、回想でありながら、亡くなった人々や終ったはずの過去の日々がリアルタイムのように表現される。
時空が重なっているのが当たり前のように描かれており、一般的なエッセイ漫画にはない面白さがある。
また、ほのぼのとした絵でありながら現実にあった、今も起こりうる残酷で醜い日々も描く。
原爆にあい妹の遺体を抱いた少年、レイプされた知的障害の女性、アルコール依存の父から受けた暴力、初デートでまさかの猿のオナニー。
人は過去を美化しがちだが、今と同じように粗暴だったはずだということを作者は知っている。声高々な戦争非難も、暴力非難もなく、だがだからこそ痛烈だ。
綺麗なだけではないし、温かいだけではない、都合の良いことばかりではなかった、毎日。それを受け入れて皆が生きているということを改めて感じる。
過去は毎日であり今と重なり続けている。戦争は今も続いているし、暴力は罷り通っているし、心は迷子になっている。そして時に死ぬ。それでも毎日は続き、生き続ける。
この本は生きるということが一種のタイムトラベルであるということを知ることができる、貴重で希望に満ちた一冊だ。
過去の回想をメインに話が進んでいくが、不思議なことに表現は現在進行形で、回想でありながら、亡くなった人々や終ったはずの過去の日々がリアルタイムのように表現される。
時空が重なっているのが当たり前のように描かれており、一般的なエッセイ漫画にはない面白さがある。
また、ほのぼのとした絵でありながら現実にあった、今も起こりうる残酷で醜い日々も描く。
原爆にあい妹の遺体を抱いた少年、レイプされた知的障害の女性、アルコール依存の父から受けた暴力、初デートでまさかの猿のオナニー。
人は過去を美化しがちだが、今と同じように粗暴だったはずだということを作者は知っている。声高々な戦争非難も、暴力非難もなく、だがだからこそ痛烈だ。
綺麗なだけではないし、温かいだけではない、都合の良いことばかりではなかった、毎日。それを受け入れて皆が生きているということを改めて感じる。
過去は毎日であり今と重なり続けている。戦争は今も続いているし、暴力は罷り通っているし、心は迷子になっている。そして時に死ぬ。それでも毎日は続き、生き続ける。
この本は生きるということが一種のタイムトラベルであるということを知ることができる、貴重で希望に満ちた一冊だ。
2018年2月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
96歳になった義祖母への誕生日プレゼントです。まだまだ口や目は達者なので、楽しんでくれたみたい
2016年2月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
考えさせられます。いつかは自分もそうなって行くという考えも頭の片隅に常にありますし。暗くならない優しい絵が大好きです。
2016年3月1日に日本でレビュー済み
2012年『
ペコロスの母に会いに行く
』、2014年『
ペコロスの母の玉手箱
』に次ぐ、ペコロス・シリーズの第3弾です。前著『玉手箱』で御母堂が2014年8月に91歳で亡くなった後、1年半を経てこの『贈り物』が上梓されました。
母君が鬼籍に入ったのち、著者はその母と、すでに亡くなって久しい父との思い出を常に反芻して生きてきました。両親の在りし日の姿を自らの様々な時代の記憶の中に探ったかと思うと、興味深いことに、著者は生前の母の記憶の中に自分を探るという一種幻想的な視点で漫画をつづっていくのです。母と自分とのこうした不思議な一体感の中で著者はやがて感じていきます。かつては酒が入ると暴力をふるってばかりいた父と、その父に苦しめられ続けた母の苦い思い出はいつしか溶解し、確かにともに暮らし思い出を積み上げた家族の姿だけが浮かび上がってくることを。あれほど傷つけられた母が認知症を患って以降、父の姿を探して徘徊するくだりは涙なくしては読めません。
またこの書の後半では、長崎人として、そして昭和25年生まれで戦後すぐに幼少期を過ごした者として、著者はあの戦争が残した痛ましい爪痕を故郷のあちこちで見つけていきます。空襲の苛烈な記憶にさいなまれて、戦後も飛行機の音に震え続けた近所のケン坊の姿が胸に迫りました。
そして著者は母が繰りかえし言って聞かせてくれた言葉を息子の世代に引き継ぐつもりで書き記します。
「生きるとぞ。生きとかんばぞ(生きてなきゃ)。生きとけばどんげんでんなるとやけん」
生きて今あることを父母に感謝しつつ、私も昨夏に亡くした父の姿を思い返しています。
母君が鬼籍に入ったのち、著者はその母と、すでに亡くなって久しい父との思い出を常に反芻して生きてきました。両親の在りし日の姿を自らの様々な時代の記憶の中に探ったかと思うと、興味深いことに、著者は生前の母の記憶の中に自分を探るという一種幻想的な視点で漫画をつづっていくのです。母と自分とのこうした不思議な一体感の中で著者はやがて感じていきます。かつては酒が入ると暴力をふるってばかりいた父と、その父に苦しめられ続けた母の苦い思い出はいつしか溶解し、確かにともに暮らし思い出を積み上げた家族の姿だけが浮かび上がってくることを。あれほど傷つけられた母が認知症を患って以降、父の姿を探して徘徊するくだりは涙なくしては読めません。
またこの書の後半では、長崎人として、そして昭和25年生まれで戦後すぐに幼少期を過ごした者として、著者はあの戦争が残した痛ましい爪痕を故郷のあちこちで見つけていきます。空襲の苛烈な記憶にさいなまれて、戦後も飛行機の音に震え続けた近所のケン坊の姿が胸に迫りました。
そして著者は母が繰りかえし言って聞かせてくれた言葉を息子の世代に引き継ぐつもりで書き記します。
「生きるとぞ。生きとかんばぞ(生きてなきゃ)。生きとけばどんげんでんなるとやけん」
生きて今あることを父母に感謝しつつ、私も昨夏に亡くした父の姿を思い返しています。