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南原繁の言葉: 8月15日・憲法・学問の自由 単行本 – 2007/2/1
立花 隆
(著)
戦後、平和と民主主義、学問の自由を守るために闘い続けた南原
繁。南原の言葉を受け継ぎ、憲法9条や靖国問題などを取り上げながら、これか
らの日本の民主主義を守っていこうと呼びかける各界をリードする執筆者たちに
よるメッセージ集。
繁。南原の言葉を受け継ぎ、憲法9条や靖国問題などを取り上げながら、これか
らの日本の民主主義を守っていこうと呼びかける各界をリードする執筆者たちに
よるメッセージ集。
- 本の長さ338ページ
- 言語日本語
- 出版社東京大学出版会
- 発売日2007/2/1
- ISBN-104130010042
- ISBN-13978-4130010047
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登録情報
- 出版社 : 東京大学出版会 (2007/2/1)
- 発売日 : 2007/2/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 338ページ
- ISBN-10 : 4130010042
- ISBN-13 : 978-4130010047
- Amazon 売れ筋ランキング: - 596,429位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,521位政治入門
- - 80,891位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1940年長崎県生まれ。64年東京大学仏文科卒業。(株)文藝春秋を経て東大哲学科に学士入学。74年「田中角栄研究」を「文藝春秋」誌上に発表。著書多数(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 ぼくらの頭脳の鍛え方 (ISBN-13: 978-4166607198 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年10月25日に日本でレビュー済み
南原繁は、政治哲学者であり、東京帝国大学法学部長として日本を民族滅亡という破滅から救うための終戦工作に尽力し、戦後最初の東大総長として新生日本の進むべき途を学生に語り続けた人物である。彼は、「洞窟の哲人」ともよばれ、時局に迎合しない人物であったが、決して国家と社会の現実の問題に関心を持たないディレッタントではなく、むしろ、学者となる前には内務官僚として地方へ「牧民官」として赴任した経験を持つなど、知性と実践とを兼ね備えた稀有な教育者であった。
南原は、戦後日本の進むべき途は、自由、なかんずく思想と学問の自由を抑えて、他者(国内の貧困層、植民地人)の犠牲の上に成り立つ軍国主義帝国ではなく、平和と民主主義を理想とする民族共同体だという。そこでは、個人の自由は尊重されるが、無論、それは無秩序ではない。高い道義心によって自由と共同性とを両立させようというのである。南原にとっては、民主主義は新生日本の拠って立つ理念であり、それは一つの愛国のあり方なのである。
本書は、南原の戦後初期の演説などを集めた物であるが、同様の著作である『文化と国家』の中から抜粋してきた物ともいえるので、できるならば、あちらを手にとって欲しい。
南原は、他の(明らかにろくに読みもしないで書かれている)レビューにあるような人物ではない。
南原は、自らの教え子の多くが戦地に赴くのを見送っている。その中のある者は敗戦を自らの責任として己の不面目を恥じ、またある者はついに帰らなかった。彼がどんな想いで学生達を送り出し、どんな想いでその訃報に接し、そしてどんな想いで出迎えたか。それは彼の短い文章、演説の中に溢れんばかりに表現されている。
戦い終わってどこからともなく帰り来たった学生たちに向かって、南原は語る。
敗戦は確かに民族の悲劇だが、それはすべて不幸だというわけではない。今より新生日本の建設が始まるのだ、と。諸君ら学徒は戦争によって中断した己の学問の不十分を恥じるているだろう。しかし、これほどの苦難に立ち向かわねばならなかった祖先は未だ嘗てなかったと同時に、これほどの使命を課せられた世代もまたないのである。諸君はその先頭に立たねばならない。今こそ自らが学んだ真理と精神の力を発揮すべきときなのだ、と。すべての国民が明日の生活に困窮し、それは東大の学生といえども例外ではない。しかし、今、我々学問を修めた者の為すべきは、自分の立身出生を考える事ではなく、大衆の間に入っていき、共に新しき日本を建設する事なのだ。この自覚に立つものは、皆我らの仲間であり、共に祖国再建の戦士である、と。
敗戦は確かに悲劇である。しかし、それに絶望している暇は無い。この苦難の中から新しい日本を再建していく事は、何とやりがいのある責務だろう。ここには、悲しみの中での希望に満ちた学徒(教員も含めている)の姿を見ることができる。
私は、民主主義が、日本の唯一の排他的普遍真理としてのレーゾンデートルだ、などと言うつもりは無い。しかし、大東亜戦争肯定論者、ないし日米同盟論者だけが愛国者であるとは何と貧しい考えなのだろう。国を愛するとは、国に誇りを持つとは、妄信する事ではないはずである。懐疑の坩堝で鍛えられていないような愛国心や国家の権威など、何かの拍子にあっという間に瓦解してしまうだろう。南原が選び、学生に語った、「民主主義と平和を誇りとする新生日本の建設」も、一つの立派な愛国心のあり方ではないだろうか。国民の自由と権利を守るため、それらを必要以上に制限しないために、常に自己のあり方を吟味できる国家、国民からの批判を真摯に受け止める事ができる国家、これも一つの立派な誇りある国家像ではないだろうか。
最後に付け加えるならば、南原は昭和天皇を深く敬愛していた。しかし一方で、だからこそ戦争による大惨禍の責任をとって自ら退位する事を求めていた。(これは木戸幸一らの重臣たちの一部にもあった考え方であるが)そうする事によって、昭和天皇は日本国と日本国民の君主としての尊厳を保つことができると考えたのである。
私としてはこのように考えるのですが、果たして南原繁が愛国者であるか否かの最終的判断は、皆さんが彼のことばを自ら読んで考えてみてください。
南原は、戦後日本の進むべき途は、自由、なかんずく思想と学問の自由を抑えて、他者(国内の貧困層、植民地人)の犠牲の上に成り立つ軍国主義帝国ではなく、平和と民主主義を理想とする民族共同体だという。そこでは、個人の自由は尊重されるが、無論、それは無秩序ではない。高い道義心によって自由と共同性とを両立させようというのである。南原にとっては、民主主義は新生日本の拠って立つ理念であり、それは一つの愛国のあり方なのである。
本書は、南原の戦後初期の演説などを集めた物であるが、同様の著作である『文化と国家』の中から抜粋してきた物ともいえるので、できるならば、あちらを手にとって欲しい。
南原は、他の(明らかにろくに読みもしないで書かれている)レビューにあるような人物ではない。
南原は、自らの教え子の多くが戦地に赴くのを見送っている。その中のある者は敗戦を自らの責任として己の不面目を恥じ、またある者はついに帰らなかった。彼がどんな想いで学生達を送り出し、どんな想いでその訃報に接し、そしてどんな想いで出迎えたか。それは彼の短い文章、演説の中に溢れんばかりに表現されている。
戦い終わってどこからともなく帰り来たった学生たちに向かって、南原は語る。
敗戦は確かに民族の悲劇だが、それはすべて不幸だというわけではない。今より新生日本の建設が始まるのだ、と。諸君ら学徒は戦争によって中断した己の学問の不十分を恥じるているだろう。しかし、これほどの苦難に立ち向かわねばならなかった祖先は未だ嘗てなかったと同時に、これほどの使命を課せられた世代もまたないのである。諸君はその先頭に立たねばならない。今こそ自らが学んだ真理と精神の力を発揮すべきときなのだ、と。すべての国民が明日の生活に困窮し、それは東大の学生といえども例外ではない。しかし、今、我々学問を修めた者の為すべきは、自分の立身出生を考える事ではなく、大衆の間に入っていき、共に新しき日本を建設する事なのだ。この自覚に立つものは、皆我らの仲間であり、共に祖国再建の戦士である、と。
敗戦は確かに悲劇である。しかし、それに絶望している暇は無い。この苦難の中から新しい日本を再建していく事は、何とやりがいのある責務だろう。ここには、悲しみの中での希望に満ちた学徒(教員も含めている)の姿を見ることができる。
私は、民主主義が、日本の唯一の排他的普遍真理としてのレーゾンデートルだ、などと言うつもりは無い。しかし、大東亜戦争肯定論者、ないし日米同盟論者だけが愛国者であるとは何と貧しい考えなのだろう。国を愛するとは、国に誇りを持つとは、妄信する事ではないはずである。懐疑の坩堝で鍛えられていないような愛国心や国家の権威など、何かの拍子にあっという間に瓦解してしまうだろう。南原が選び、学生に語った、「民主主義と平和を誇りとする新生日本の建設」も、一つの立派な愛国心のあり方ではないだろうか。国民の自由と権利を守るため、それらを必要以上に制限しないために、常に自己のあり方を吟味できる国家、国民からの批判を真摯に受け止める事ができる国家、これも一つの立派な誇りある国家像ではないだろうか。
最後に付け加えるならば、南原は昭和天皇を深く敬愛していた。しかし一方で、だからこそ戦争による大惨禍の責任をとって自ら退位する事を求めていた。(これは木戸幸一らの重臣たちの一部にもあった考え方であるが)そうする事によって、昭和天皇は日本国と日本国民の君主としての尊厳を保つことができると考えたのである。
私としてはこのように考えるのですが、果たして南原繁が愛国者であるか否かの最終的判断は、皆さんが彼のことばを自ら読んで考えてみてください。
2013年6月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
立花隆の「南原繁の言葉」を読む契機になったのは、山口周三氏の南原繁の生涯を読んだからである。南原繁の名前は、以前から知っていたが、立花氏の本を読んで、政治哲学をやっていただけではなく、終戦工作を高木八尺先生とひそかにやっていた、ということを知り、すごいな と思った。この本を読みたくなった背景には、立花隆氏の書いた「天皇と東大」という本を読んだこともある。南原ー矢内原 という骨のある人物の背景にキリスト教があるに違いないと思ったのも、理由の一つなのであるが、その観点からの記述はほとんどない。実際、南原繁という人物は、宗教については、あまり語っていないのだろうか、あるいは、国家と宗教には個人の考えが記述されているのかもしれぬ。
形相を斜め読みしたのも、宗教的な記述がどのくらいあって、どのようなことを言っておられるか、それと太平洋戦争を終わらせる工作jのことをどのように考えていたか、思っていたかを知りたかったからでもある。
形相を斜め読みしたのも、宗教的な記述がどのくらいあって、どのようなことを言っておられるか、それと太平洋戦争を終わらせる工作jのことをどのように考えていたか、思っていたかを知りたかったからでもある。
2007年12月2日に日本でレビュー済み
著者のサイン会があったのでそのついでに買いましたが、戦争がどういうきっかけで起こったのか、また戦後の復興が南原氏によってどういう形でなされたのかが手に取るようにわかる一冊です。
特に戦争を知らない我々の世代にとっては一読して、勉強しておくことをお勧めします。
東大学長であった南原氏の言動が当時の社会にどのような影響を与えたのかがわかります。
特に戦争を知らない我々の世代にとっては一読して、勉強しておくことをお勧めします。
東大学長であった南原氏の言動が当時の社会にどのような影響を与えたのかがわかります。
2010年7月7日に日本でレビュー済み
この人物が現在の日本の国力低下、民力の低下を招いた遠因となっている『自虐史観』や『社会主義化路線』を日本に定着させる原動力の一人になったことは明白である。
本書籍についてもそうである。本書を読んでも決して心が鼓舞されたり、自国に誇りを持てるようにはならないことを保障する。
自国への誇りを持つことに対して価値を見出さず、自国を悪だと思うことに自分のアイデンティティを見出す困った人たちにはとても良い本かもしれない。
一つ言えることは、南原なる人物が戻ってきさえしなければ、日本の最高学府も官僚もこんなに悲惨な状況にならなかったということだ。
現在の官僚の腐敗は、東大の総長として彼らを育てた教育方針から、「国を愛する」「先人と後に続く同胞への責任を果たす」という視点が欠如していたからに他ならない。
官僚の腐敗は、ロシアでも中共でも社会主義にこそより酷い形で表れる。
日本にそのような種をまいた南原氏の罪は、未来永劫許されることはないと確信する。
それにしても、「祖国に誇りを持つ」ということに対して、これほどまでにヒステリックな反応を示す人間たちがこれほど大手を振って歩ける国も、この国しかあるまい。実に不幸なことである。
本書籍についてもそうである。本書を読んでも決して心が鼓舞されたり、自国に誇りを持てるようにはならないことを保障する。
自国への誇りを持つことに対して価値を見出さず、自国を悪だと思うことに自分のアイデンティティを見出す困った人たちにはとても良い本かもしれない。
一つ言えることは、南原なる人物が戻ってきさえしなければ、日本の最高学府も官僚もこんなに悲惨な状況にならなかったということだ。
現在の官僚の腐敗は、東大の総長として彼らを育てた教育方針から、「国を愛する」「先人と後に続く同胞への責任を果たす」という視点が欠如していたからに他ならない。
官僚の腐敗は、ロシアでも中共でも社会主義にこそより酷い形で表れる。
日本にそのような種をまいた南原氏の罪は、未来永劫許されることはないと確信する。
それにしても、「祖国に誇りを持つ」ということに対して、これほどまでにヒステリックな反応を示す人間たちがこれほど大手を振って歩ける国も、この国しかあるまい。実に不幸なことである。