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カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう (COLOR新書y) 新書 – 2011/5/6
日本の森を歩く会
(著)
◆屋久島、白神山地といった原生林から里山、明治神宮の森、万博公園の森といった都会にある森まで、
生命力に溢れ、リフレッシュできる森林、
その魅力、楽しみ方を徹底ガイド
生命力に溢れ、リフレッシュできる森林、
その魅力、楽しみ方を徹底ガイド
◆池田清彦・養老孟司・上原巌 「森」を語る
◆森の価値に気づく
かつて日本人はもっと身近なところに山や森をもっていた。
里山や雑木林には燃料となる薪を取るために入っていたし、
木を伐ることで森の中には適度な光が射しこんだ。
現在、手入れが加わらなくなった山は鬱蒼として暗く、
放置林とよばれるような状態になってしまった。
しかし、山に入り、森を歩き、そこに人間が積極的に関われば
森も人も健やかになれる。
そう気づけばすぐに行動を起こせるほど
本当は森という存在は我々の近くにあるのだ。
◆構成
インタビュー 養老孟司氏
第一部 魅力的な日本の森に出かけよう 古川琢也・尹雄大
インタビュー 池田清彦氏
巨樹に魅せられて 高橋弘
第二部 森をより深く味わう 田中淳夫
インタビュー 上原巌氏
第三部 森と木を理解するための20の知識 漆原次郎
- 本の長さ206ページ
- 言語日本語
- 出版社洋泉社
- 発売日2011/5/6
- ISBN-104862487165
- ISBN-13978-4862487162
商品の説明
About this Title
はじめに
日本人にとって、かつて森とは改めて意識するような存在ではなかったのだろう。木が多く生えているところは一般的に山であり、特別に森とはいわず山とよんでいたことも多かったという。いわば空気や水に準じるような存在として私たちにとって身近なものであり、実際に生活の中で燃料となる薪(ルビ:たきぎ)を取りに入ったりしていた。薪炭林(ルビ:しんたんりん)として機能したのが、落葉広葉樹であるクヌギやコナラで構成された雑木林(ルビ:ぞうきばやし)だ。雑木林は枯れ枝や落ち葉を拾ったり、薪や炭を得るのに欠かせない空間であり、石炭や石油がエネルギー源として取って代わるまで、人々は積極的にこれを利用し、管理していた。
こうして人の手が入った自然環境をいまでは「里山」とよんだりしているが、ここには日本ならではの自然との共存・共生のあり方が理想的な形であらわれていた。
しかし、約50年ほど前から、こうした里山や雑木林にはあまり人が入らなくなり、新たに草木が生い茂り、藪(ルビ:やぶ)や放置林として荒れていった。こうなると森の中には光があまり差し込まず、鬱蒼としてかえって人を寄せ付けない。関東などの場合、放っておけば照葉樹林となるところを、薪炭林として人間が活用することで雑木林の状態を保っていたのだ。
現代の日本人は、森というと世界遺産に登録された屋久島や白神山地を想像することが多くなっている。もちろんこれらは壮大な原生林として見る者に自然への畏怖を感じさせ、また生態的にも貴重だが、本来日本人の原風景にある森とは、里山や雑木林であったはずだ。むしろ人間が手を加えて成り立っていた自然である。
そこでは自然を人間の都合で完全にコントロールするというより、自然の力や恵みをうまく借りられるように人が手を加えてきたといったほうがいいだろう。
今日(こんにち)、日本の多くの山が荒れてしまった原因のひとつは、私たち自身が森に無関心になり、ネグレクトしてきたためであると言ったら言い過ぎだろうか。日本人の心性と共生し、寄り添ってきたはずの森は、いまや急速に私たちの心から引き離されつつあるのかもしれない。
ノスタルジーがきっかけでも構わない。まずは森に対する関心を取り戻すことが日本の森再生への第一歩であるとするならば、そのために森を歩き、体感することは大きな意味をもつ。森と人、双方が健やかになるためにも。
日本人にとって、かつて森とは改めて意識するような存在ではなかったのだろう。木が多く生えているところは一般的に山であり、特別に森とはいわず山とよんでいたことも多かったという。いわば空気や水に準じるような存在として私たちにとって身近なものであり、実際に生活の中で燃料となる薪(ルビ:たきぎ)を取りに入ったりしていた。薪炭林(ルビ:しんたんりん)として機能したのが、落葉広葉樹であるクヌギやコナラで構成された雑木林(ルビ:ぞうきばやし)だ。雑木林は枯れ枝や落ち葉を拾ったり、薪や炭を得るのに欠かせない空間であり、石炭や石油がエネルギー源として取って代わるまで、人々は積極的にこれを利用し、管理していた。
こうして人の手が入った自然環境をいまでは「里山」とよんだりしているが、ここには日本ならではの自然との共存・共生のあり方が理想的な形であらわれていた。
しかし、約50年ほど前から、こうした里山や雑木林にはあまり人が入らなくなり、新たに草木が生い茂り、藪(ルビ:やぶ)や放置林として荒れていった。こうなると森の中には光があまり差し込まず、鬱蒼としてかえって人を寄せ付けない。関東などの場合、放っておけば照葉樹林となるところを、薪炭林として人間が活用することで雑木林の状態を保っていたのだ。
現代の日本人は、森というと世界遺産に登録された屋久島や白神山地を想像することが多くなっている。もちろんこれらは壮大な原生林として見る者に自然への畏怖を感じさせ、また生態的にも貴重だが、本来日本人の原風景にある森とは、里山や雑木林であったはずだ。むしろ人間が手を加えて成り立っていた自然である。
そこでは自然を人間の都合で完全にコントロールするというより、自然の力や恵みをうまく借りられるように人が手を加えてきたといったほうがいいだろう。
今日(こんにち)、日本の多くの山が荒れてしまった原因のひとつは、私たち自身が森に無関心になり、ネグレクトしてきたためであると言ったら言い過ぎだろうか。日本人の心性と共生し、寄り添ってきたはずの森は、いまや急速に私たちの心から引き離されつつあるのかもしれない。
ノスタルジーがきっかけでも構わない。まずは森に対する関心を取り戻すことが日本の森再生への第一歩であるとするならば、そのために森を歩き、体感することは大きな意味をもつ。森と人、双方が健やかになるためにも。
洋泉社編集部
登録情報
- 出版社 : 洋泉社 (2011/5/6)
- 発売日 : 2011/5/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 206ページ
- ISBN-10 : 4862487165
- ISBN-13 : 978-4862487162
- Amazon 売れ筋ランキング: - 447,661位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,390位国内旅行ガイド (本)
- - 33,841位新書
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年5月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
森はいいもんです。手つかずの森も素晴らしいけど、人が作った森だって馬鹿にできないよ。森へ行こう。
2013年8月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
期待が大きすぎたためか、それほどでもなかったが、参考にはなります。
2011年5月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルと、帯の文字、3人の先生方のお名前にひかれて思わずGETしました。
すでに知っている森もそうでないマイナーな森もあるけど、すべて森。
養老孟司先生と池田清彦先生はともに昆虫マニアだったという共通点。
そして上原先生は、「自分自身の森を見つけましょう」と語っています。
こんなにも日本には豊かな森があり、こんなにも森のファンが全国にいる。
確かに元気になる本です。
すでに知っている森もそうでないマイナーな森もあるけど、すべて森。
養老孟司先生と池田清彦先生はともに昆虫マニアだったという共通点。
そして上原先生は、「自分自身の森を見つけましょう」と語っています。
こんなにも日本には豊かな森があり、こんなにも森のファンが全国にいる。
確かに元気になる本です。
2015年8月16日に日本でレビュー済み
この本のために結成された「日本の森を歩く会」なる怪しげな団体が執筆者という段階で怪しさ炸裂です。
構成員のデータはなく、各文章の筆者がハッキリしない上、
監修すら付いていないようで、伝聞で書いているような記載が目立ち間違いも散見します。
要するに間違った内容を書いても誰も恥をかかない体勢の書です。
こんな体勢ですから内容もお粗末極まりなく、少なくとも私が言ったことのある山について執筆者は、
ガイドブックやネットでの情報を元に書いたのでは無かろうかと疑わざるを得ないような物ばかりです。
例えば、タカオスミレが発見地高尾山に因んでつけられた名称で、
高尾山固有種ではないことなどは素人でもなければ有名な話ですが、
本書では高尾山固有種として書かれています。
要するに執筆者が素人視点でしかないことを証明してくれています。
見かける動物についても種名の羅列、
どこでどのような状況で見られるかの説明が非常に乏しい、
要するに見ちゃいないのだろう?…と思わざるを得ません。
私が行ったことのある森で多くの間違いが確認できるのですから、
知らぬ森の内容などは恐ろしくて鵜呑みには出来ません。
国際森林年と言う年にかこつけた一冊だったのでしょうね。
養老先生他著名人も参加はしていますが、
各森についての記載された内容とは全く別物、
玉石混淆と言うよりも玉糞混淆の一冊です、
お勧めは全く持ってしかねます。
構成員のデータはなく、各文章の筆者がハッキリしない上、
監修すら付いていないようで、伝聞で書いているような記載が目立ち間違いも散見します。
要するに間違った内容を書いても誰も恥をかかない体勢の書です。
こんな体勢ですから内容もお粗末極まりなく、少なくとも私が言ったことのある山について執筆者は、
ガイドブックやネットでの情報を元に書いたのでは無かろうかと疑わざるを得ないような物ばかりです。
例えば、タカオスミレが発見地高尾山に因んでつけられた名称で、
高尾山固有種ではないことなどは素人でもなければ有名な話ですが、
本書では高尾山固有種として書かれています。
要するに執筆者が素人視点でしかないことを証明してくれています。
見かける動物についても種名の羅列、
どこでどのような状況で見られるかの説明が非常に乏しい、
要するに見ちゃいないのだろう?…と思わざるを得ません。
私が行ったことのある森で多くの間違いが確認できるのですから、
知らぬ森の内容などは恐ろしくて鵜呑みには出来ません。
国際森林年と言う年にかこつけた一冊だったのでしょうね。
養老先生他著名人も参加はしていますが、
各森についての記載された内容とは全く別物、
玉石混淆と言うよりも玉糞混淆の一冊です、
お勧めは全く持ってしかねます。