1853年ペリー来航、1854年日米和親条約、1856年ハリス来日、これらは日本史の授業で必ず習うが、しかし1855年に測量艦隊ロジャーズが来たことを知る人は少ない。
本書は、その「忘れられた黒船」であるロジャーズ艦隊の話を軸にして日本開国を見ていく本である。
ただし、そうはいってもずっとロジャーズの話というわけではなく、ペリー来航よりもだいぶ前から始めて、アメリカの北太平洋戦略がどのようなものであったか、その中でペリーやロジャーズはどう位置づけられるのか、ということを俯瞰的に眺めていく本という方が正確であろう。
日本はペリーまでは鎖国していたイメージが強いが、実は海外の船は頻繁に日本に接近し、交渉を試みていた。
それは、クロノメーター(時計。経度がこれで測れる)の発達や捕鯨、アヘン戦争以降は中国との交易によって、日本やその近海への訪問機会が増え、日本との交易や停泊を欲するようになったためである。
古くは1791年にレディ・ワシントン号が紀伊半島に訪れており、その後も接触の試みや難破による漂着なども多く生じていた。
難破の一つの要因には正確な海図が東アジア地域については作られていなかった点が挙げられる。
さらに、アメリカはフロンティア開拓が終結し、太平洋まで領地が届いてしまったので、そのまま太平洋への進出を求める声も出ていた。
アリューシャン列島経由の北太平洋航路は有望であり、その石炭補給地として日本に注目が集まった。
そしてペリーの艦隊が派遣されることとなった。
ペリーは花形の地中海艦隊を望んでいたが、東アジア艦隊になることが決まり、自らの職務の最期を「日本を開国させた」という栄誉で締めくくろうと考える。
彼の『遠征記』は、そのためいろいろな脚色、自己PRが行われているという。
ロジャーズ(出発時はリンゴールド)の艦隊は、ペリーとは棲み分ける形で測量艦隊として派遣された。
ペリーのあとでまず琉球に訪れたロジャーズは、結んだはずの条約があまり履行してもらえないことに愕然とする。
その後日本を訪れたロジャーズは、かなり強引な形で幕府との交渉を行い、許可を得ることなく日本近海の測量を行い、最終的には「五か月後にまた来る」として立ち去っていく。
江戸幕府としては、和親条約は「軍備強化するまでのつなぎ」であり、開国意識はなかったと筆者は言う。
下田、函館という幕府の管轄地域のみ港を開き、他の大名には影響が出ないようにするという考えでもあり、そのため例えば薩摩に唐突にロジャーズの船が現れた際には突き放された対応をしている。
ロジャーズと江戸幕府とのずれは、一つにはロジャーズがかなりの強引な和親条約の曲解をしている(破船時の寄港を論拠に勝手な測量をしようとする)一方、英語と日本語でそもそも訳が一致していない個所もあり、それが相互の混乱に拍車をかけた。
江戸幕府はロジャーズの「五か月後の来日」時に測量を許可するかをかなり話し合い、最終的には「他の大名を刺激し、弱腰の幕府に怒りを募らせて内乱・倒幕に走らせないため」に、測量は拒否し、その際には武力による戦争も辞さず、というかなり重大な決断を下している。
なあなあで逃げようとした和親条約時と比べるとそれだけ重要な決定をしていながら日本史の授業で取り上げられないのは、結局ロジャーズは再来日しなかったためである。
しかし全体として見るならば、ロジャーズ来日とそれが江戸幕府に与えた影響は非常に大きなものだったというのが筆者の主張である。
寡聞にして全く知らなかったロジャーズ来航を切り口に、アメリカの北太平洋戦略の一環として日本の開国を位置づける、非常に面白い一冊だと思う。
ペリーの義理の息子の弟がロジャーズだ(!)など、かなり意外な話題も出ていて、細かな部分も楽しめる。
幕末に関心のある人は読んで損はない本だと思う。

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忘れられた黒船 アメリカ北太平洋戦略と日本開国 (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2017/6/10
後藤 敦史
(著)
アメリカ海軍はペリーの他にもうひとつの艦隊を派遣していた。司令長官は海軍大尉ジョン・ロジャーズ。「ペリーとハリスのあいだ」の「ロジャーズ来航」は黙殺され、まさに「忘れられた黒船」といっていい。それはいったいなぜなのか? 本書は、これまでほとんど本格的に検証されることのなかった測量艦隊の、具体的な来日の経緯と国際環境について明らかにし、日本開国の事情をこれまでとは異なる観点で描きなおすことをめざす。
現在の日本史学は、ペリー来航を実際以上に過大評価しているといわざるをえない。これが、本書の立場です。ペリー来航が日本史にとって重大な歴史的事件であったとしても、それがそのままアメリカ外交の歴史にとっても重大な事件であったことを意味するわけではありません。にもかかわらず、日本人あるいは日本史の研究者は、ペリー艦隊の派遣がアメリカ外交史上でも重大事件であると思いこんでいたのではないでしょうか。
アメリカにとって最大の目的は、東アジア貿易でイギリスに対抗すること、その手段として太平洋蒸気船航路を開設することにありました。だからこそ、その航路上に位置する日本列島が、石炭補給地、遭難時の避難港、そして新市場として着目されたわけですが、それはいわば「点」にすぎません。ペリーがやったことは「点」の確保であり、続く「航路=線」の開拓の模索がなければなりません。そして合衆国はたしかに、ペリー艦隊の派遣以外にも手を打っていたのです。
アメリカ海軍は日本近海も含めた北太平洋海域一帯の測量を目的に「北太平洋測量艦隊」を派遣していました。司令長官は海軍大尉ジョン・ロジャーズ。この艦隊は1853年6月にアメリカ東海岸のヴァージニア州ノーフォークを出航しました(その7ヵ月前に、ペリー艦隊が日本へ向けてまさに同じ場所から出航)。さらに1854年12月には鹿児島湾、翌1855年5月には下田、そして6月に箱館を訪れています。しかも下田では、幕府に向けて日本近海測量の認可を求めるということもおこなっているのです。老中阿部正弘以下の幕閣は驚愕し、じつは開戦も辞せずという瀬戸際にまで追いこまれました。
日本開国にかかわる幕末外交史研究において、この艦隊について検討されたことはほとんどありません。ペリーおよび1856年に来日した初代総領事ハリスについては必ず言及されますが、まさに「ペリーとハリスのあいだ」のの「ロジャーズ来航」はごく一部の研究者に知られるのみで黙殺されたかっこうであり、まさに「忘れられた黒船」といっていいのです。それはいったいなぜなのか……?
本書は、これまでほとんど本格的に検証されることのなかった測量艦隊の、具体的な来日の経緯と国際環境について明らかにし、日本近代外交の起点ともいうべき開国の歴史を、これまでとは異なる観点で描きなおすことをめざします。
現在の日本史学は、ペリー来航を実際以上に過大評価しているといわざるをえない。これが、本書の立場です。ペリー来航が日本史にとって重大な歴史的事件であったとしても、それがそのままアメリカ外交の歴史にとっても重大な事件であったことを意味するわけではありません。にもかかわらず、日本人あるいは日本史の研究者は、ペリー艦隊の派遣がアメリカ外交史上でも重大事件であると思いこんでいたのではないでしょうか。
アメリカにとって最大の目的は、東アジア貿易でイギリスに対抗すること、その手段として太平洋蒸気船航路を開設することにありました。だからこそ、その航路上に位置する日本列島が、石炭補給地、遭難時の避難港、そして新市場として着目されたわけですが、それはいわば「点」にすぎません。ペリーがやったことは「点」の確保であり、続く「航路=線」の開拓の模索がなければなりません。そして合衆国はたしかに、ペリー艦隊の派遣以外にも手を打っていたのです。
アメリカ海軍は日本近海も含めた北太平洋海域一帯の測量を目的に「北太平洋測量艦隊」を派遣していました。司令長官は海軍大尉ジョン・ロジャーズ。この艦隊は1853年6月にアメリカ東海岸のヴァージニア州ノーフォークを出航しました(その7ヵ月前に、ペリー艦隊が日本へ向けてまさに同じ場所から出航)。さらに1854年12月には鹿児島湾、翌1855年5月には下田、そして6月に箱館を訪れています。しかも下田では、幕府に向けて日本近海測量の認可を求めるということもおこなっているのです。老中阿部正弘以下の幕閣は驚愕し、じつは開戦も辞せずという瀬戸際にまで追いこまれました。
日本開国にかかわる幕末外交史研究において、この艦隊について検討されたことはほとんどありません。ペリーおよび1856年に来日した初代総領事ハリスについては必ず言及されますが、まさに「ペリーとハリスのあいだ」のの「ロジャーズ来航」はごく一部の研究者に知られるのみで黙殺されたかっこうであり、まさに「忘れられた黒船」といっていいのです。それはいったいなぜなのか……?
本書は、これまでほとんど本格的に検証されることのなかった測量艦隊の、具体的な来日の経緯と国際環境について明らかにし、日本近代外交の起点ともいうべき開国の歴史を、これまでとは異なる観点で描きなおすことをめざします。
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2017/6/10
- 寸法13 x 1.9 x 18.8 cm
- ISBN-104062586541
- ISBN-13978-4062586542
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商品の説明
著者について
後藤 敦史
後藤敦史(ごとう・あつし)
1982年福岡県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学。日本学術振興会特別研究員、大阪観光大学国際交流学部専任講師を経て、現在、京都橘大学文学部准教授。博士(文学)。専攻は幕末政治・外交史。著書に『開国期徳川幕府の政治と外交』(有志舎)、『アニメで読む世界史2』(共編著、山川出版社)がある。
後藤敦史(ごとう・あつし)
1982年福岡県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学。日本学術振興会特別研究員、大阪観光大学国際交流学部専任講師を経て、現在、京都橘大学文学部准教授。博士(文学)。専攻は幕末政治・外交史。著書に『開国期徳川幕府の政治と外交』(有志舎)、『アニメで読む世界史2』(共編著、山川出版社)がある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2017/6/10)
- 発売日 : 2017/6/10
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 304ページ
- ISBN-10 : 4062586541
- ISBN-13 : 978-4062586542
- 寸法 : 13 x 1.9 x 18.8 cm
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