縄文遺跡から出てきた道具類は、形や模様を手掛かりにして分類され、作られた年代が決められる。こうした仕事は、これまでもっぱら考古学者に委ねられてきた。ただし、その結果は、お世辞にも面白いものとははいえない。「だから何なのか?」という疑問が常につきまとう。
さすがの考古学者もこのことに気付き出し、分類した道具や施設が当時の社会でどのような意味があったのか、解釈を加えるようになった。たとえば、彼らの社会には階層があった。道具の多くは威信財だ。竪穴住居には家族が住み、その集まりは村である。ストーン・サークルは祖先祭祀の場である、といった具合に。
しかし考えてみると、それはどれも考古学者の目線からの解釈である。極端なことを言えば、現代に生きる自分たちがそうだから縄文人もそう考えているに違いない、ということだろう。どうも納得がいかない。現代とは決定的に異なる環境のなかで、本当に縄文人はそう考えていたのだろうか。
そんな時に現れたのが誉田さんの土偶論だ。誉田さんは、二〇一四年の『はじめての土偶』(世界文化社)を皮切りに、縄文土偶を中心とした書籍を矢継ぎ早に出している。縄文文化を〈シンボリズム論〉で読み解く私の方法とは異なる。しかし、私は誉田さんのある視点に共感する。
誉田さんは、考古学者の受け売りだけで論を進めない。必ず、自分が縄文人になったつもりで、作り手の気持ちを斟酌しながら論を進める。この手法が新鮮だ。一番のお気に入りだという滋賀県相谷熊原遺跡の土偶(1万3000年前)は、「ある一人の人間を思い浮かべながら想いを込めて作った、とても個人的な土偶」だという。縄文人の気持ちがくみ取られていて、とても興味深い。
誉田さんのファンは多い。理由は、現代人の経験則や考古学者の硬直した型式論とは別の視点で読み解くからだ。それは、今の考古学が目指すべき新しい解釈方法確立のためのヒントをも示しているように思える。
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土偶のリアル――発見・発掘から蒐集・国宝誕生まで 単行本 – 2017/3/1
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縄文土器や土偶が国宝に認定されたのはそう昔のことではない。たしかに、岡本太郎は縄文中期の土器を絶讃した。しかし一般的には、縄文の考古資料は美的に眺める対象ではなかった。そのなかで、一人の文化庁調査官が縄文を国宝にしたいと動き始める。日本で評価を得られなければ海外に持っていけばいい、その名声を持ち帰ろう、彼はそう考えた。事実、ベルギーでの展覧会では、外国人から「日本にはピカソが何人いるのか」という声が聞かれたほど、大評判だった。日本に帰ってきてから、調査官は一体の土偶の前で「かわいいね」と笑い合う姉妹を目撃する。この土偶しかない。それは長野県棚畑遺跡から出土している土偶、縄文のビーナスだった。1995年、縄文の国宝第一号となった。
なぜか、土偶の周辺には隠れて見えなくなってしまったドキュメントが多い。縄文の人々と土偶との関係も、現代において発見・発掘した人々と土偶の関係もそうである。この本では、発見、発掘、修復、復元、蒐集、文化財指定など、18の物語で土偶の魅力と謎に迫る。さらに、多数のカラー図版とイラストで国宝5体とこれだけは見ておきたい土偶および土製品を紹介。どう作られ、一体何に使われていたのか、そして現代にどうよみがえったのか。おもわず唸る17の物語。あっぱれ、日本の土偶!
なぜか、土偶の周辺には隠れて見えなくなってしまったドキュメントが多い。縄文の人々と土偶との関係も、現代において発見・発掘した人々と土偶の関係もそうである。この本では、発見、発掘、修復、復元、蒐集、文化財指定など、18の物語で土偶の魅力と謎に迫る。さらに、多数のカラー図版とイラストで国宝5体とこれだけは見ておきたい土偶および土製品を紹介。どう作られ、一体何に使われていたのか、そして現代にどうよみがえったのか。おもわず唸る17の物語。あっぱれ、日本の土偶!
- 本の長さ200ページ
- 言語日本語
- 出版社山川出版社
- 発売日2017/3/1
- 寸法18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- ISBN-10463415112X
- ISBN-13978-4634151123
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商品の説明
出版社からのコメント
どう作られ、いったい何に使われていたのか。そして現代にどうよみがえったのか。国5体とこれだけは見ておきたい土偶と土製品を、多数のカラー図版とイラストとともに紹介する。思わず唸る17の物語。あっぱれ、日本の土偶!
登録情報
- 出版社 : 山川出版社 (2017/3/1)
- 発売日 : 2017/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 200ページ
- ISBN-10 : 463415112X
- ISBN-13 : 978-4634151123
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 405,166位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 247位古代日本史
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年5月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
土偶の発掘状況について、記事の抜粋など間接的だが大まかにわかる。
しかし、土偶のことがよけいにわからなくなる。
最古の土偶は、女性の上半身のトルソーだが、このリアルな造形を後代の遮光器土偶やらと同じ「土偶」と呼んでいいのか?「自立する」と言うがそもそも下半身の表現がなぜ存在しないのか?首の所に穴が空いているのはなぜなのか?
貝塚で見つかる土偶、家の中で見つかる土偶、墓で見つかる土偶…土偶の使い道とは何なのか?争いのなかったという縄文時代の、首のない焼かれた遺体とは…?土偶を集めた蓑虫仙人の話や、岡本太郎の話など、近代土偶がどう扱われ今に至るのかまで書かれているのは、土偶という物への日本人の関心がどう移り変わっていったのか知る上で有用。
縄文時代、つまり地面に穴を空け土を捏ね土器土偶を作り狩猟採集をしていた縄文文化は、我々が日本人が常日頃歴史だと認識している法隆寺や奈良の大仏から現代までの歴史よりも何倍もの時間と歴史を持つ文化だが、いまいち、現代、あるいは近代との繋がりを感じられない不思議な文化である。
最近は狩猟やらジビエやらが流行りではあるが、基本的に今や日本人は、米こそが日本の心であり米こそが日本の宝だと思い込んでいる。斯くいう私も、米が大好きで米がない生活は考えられない。だからこそ、縄文人とは心理的な繋がりが感じられにくいとも言える。縄文と弥生〜古墳〜飛鳥…の文化的分断は、文明開化前と文明開化後、あるいは神仏分離前と後よりも深い。まるでネイティブアメリカンと白人入植者か…事実、日本に稲作が伝わった頃の大陸からの移入者はすでに定着していた土着民よりはるかに多かったとも言われる。その頃に土着民と移入者で目立った争いはなかったようだが。
著者は、土偶を「この子」と呼ぶ。普段、現地では現在も信仰の対象となっている仏像を相手にしている私としては、それは縄文人に失礼なのではないか?と思ってしまう。土偶を見ることは、パプワニューギニアの精霊の仮面を見るようなものだろう。
民話や伝説の研究や考察でも、猿石や道祖神の研究や考察でも、少々強引では?と思うようなところがあれど海外から由来を引っ張ってきたり、その後の時代の信仰や民俗文化への繋がりを想像してみたりと、そういう本ばかり読んできたせいか、考察(妄想?)がゆるふわで、イマイチ臨場感を感じられない…自説に惹き込もうという威勢も感じられない。そもそも民話でも道祖神に関してもだが、土偶の本に勢いを求めるのが間違っているといえばそうではあるが。土偶については、多分わからないことだらけなので、下手なことは言えないのかもしれない。「土偶を読む」などは著者が下手な自説を披露して大バッシングにあった。もっとも、彼の場合はそれまでの土偶研究の積み立てを全く考慮しなかったからバッシングされたという部分もあるようだが…。
それならそれで、発掘関係者への発掘状況に対するインタビューに力を入れてほしい感じもする。
しかし、土偶のことがよけいにわからなくなる。
最古の土偶は、女性の上半身のトルソーだが、このリアルな造形を後代の遮光器土偶やらと同じ「土偶」と呼んでいいのか?「自立する」と言うがそもそも下半身の表現がなぜ存在しないのか?首の所に穴が空いているのはなぜなのか?
貝塚で見つかる土偶、家の中で見つかる土偶、墓で見つかる土偶…土偶の使い道とは何なのか?争いのなかったという縄文時代の、首のない焼かれた遺体とは…?土偶を集めた蓑虫仙人の話や、岡本太郎の話など、近代土偶がどう扱われ今に至るのかまで書かれているのは、土偶という物への日本人の関心がどう移り変わっていったのか知る上で有用。
縄文時代、つまり地面に穴を空け土を捏ね土器土偶を作り狩猟採集をしていた縄文文化は、我々が日本人が常日頃歴史だと認識している法隆寺や奈良の大仏から現代までの歴史よりも何倍もの時間と歴史を持つ文化だが、いまいち、現代、あるいは近代との繋がりを感じられない不思議な文化である。
最近は狩猟やらジビエやらが流行りではあるが、基本的に今や日本人は、米こそが日本の心であり米こそが日本の宝だと思い込んでいる。斯くいう私も、米が大好きで米がない生活は考えられない。だからこそ、縄文人とは心理的な繋がりが感じられにくいとも言える。縄文と弥生〜古墳〜飛鳥…の文化的分断は、文明開化前と文明開化後、あるいは神仏分離前と後よりも深い。まるでネイティブアメリカンと白人入植者か…事実、日本に稲作が伝わった頃の大陸からの移入者はすでに定着していた土着民よりはるかに多かったとも言われる。その頃に土着民と移入者で目立った争いはなかったようだが。
著者は、土偶を「この子」と呼ぶ。普段、現地では現在も信仰の対象となっている仏像を相手にしている私としては、それは縄文人に失礼なのではないか?と思ってしまう。土偶を見ることは、パプワニューギニアの精霊の仮面を見るようなものだろう。
民話や伝説の研究や考察でも、猿石や道祖神の研究や考察でも、少々強引では?と思うようなところがあれど海外から由来を引っ張ってきたり、その後の時代の信仰や民俗文化への繋がりを想像してみたりと、そういう本ばかり読んできたせいか、考察(妄想?)がゆるふわで、イマイチ臨場感を感じられない…自説に惹き込もうという威勢も感じられない。そもそも民話でも道祖神に関してもだが、土偶の本に勢いを求めるのが間違っているといえばそうではあるが。土偶については、多分わからないことだらけなので、下手なことは言えないのかもしれない。「土偶を読む」などは著者が下手な自説を披露して大バッシングにあった。もっとも、彼の場合はそれまでの土偶研究の積み立てを全く考慮しなかったからバッシングされたという部分もあるようだが…。
それならそれで、発掘関係者への発掘状況に対するインタビューに力を入れてほしい感じもする。
2017年8月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
約1万年続いた縄文時代、余りに長いので6つの期間に分類されている。その期間において気候の変動や動植物に大きく影響される。
そのため願いなどをこめて土偶を作り祈ったと考えられている。
本書は、約16体の土偶をピックアップし発掘当時の状況から説明が始まっている。これは他の本とは違っていてうれしくなる。
発掘後のエピソードなど興味深いものがある。
一番始めに最も古い相谷熊原遺跡から出土し、私の最も好きでしかも優美な土偶から始まっているのがうれしい。
発掘場所の地図も手書きの地図で分かり易く写真も普通の紙に印刷されているがきれい。
いままでの土偶の本に飽き足らない人にはお薦めの一冊と思う。
そのため願いなどをこめて土偶を作り祈ったと考えられている。
本書は、約16体の土偶をピックアップし発掘当時の状況から説明が始まっている。これは他の本とは違っていてうれしくなる。
発掘後のエピソードなど興味深いものがある。
一番始めに最も古い相谷熊原遺跡から出土し、私の最も好きでしかも優美な土偶から始まっているのがうれしい。
発掘場所の地図も手書きの地図で分かり易く写真も普通の紙に印刷されているがきれい。
いままでの土偶の本に飽き足らない人にはお薦めの一冊と思う。
2018年3月21日に日本でレビュー済み
こんな本を求めていた。
土偶の背景を知りたいとずっと思っていて、たまたま旅先の本屋で出会った本である。
著者はテレビやラジオに出演するかたわら、縄文時代や土偶の魅力を伝えるトークイベントなどの活動を行う土偶女子。
奈良県橿原市の観音寺本馬土偶との出会いをきっかに、各地の遺跡、博物館を訪ね歩き土偶の研究を重ねる。
土偶のことを「この子」と呼ぶのが印象的。
「土偶には少なくとも二つの物語がある」と筆者はいう。作られた当時の縄文人たちとの物語と、発掘した時の現代の人々との物語だ。
本書では、中空土偶(北海道函館市)、合掌土偶(青森県八戸市)、縄文の女神(山形県最上郡)、縄文のビーナス(長野県茅野市)、仮面の女神(長野県茅野市)、遮光器土偶(各地)を始めとした土偶たちにまつわる”二つの物語”が語られる。
例えば、公開された縄文のビーナスのガラスケースの前で、ご婦人のグループが、「これ、妊婦さんやって。縄文時代もうちらと同じように子供を産んでたんやね。」と話していたとか、
土偶は発見されると、落とし物として遺失物届を警察し、6ヶ月過ぎても持ち主が現れない場合(落としたのは「縄文人」なので、持ち主は現れないに決まっているが)土地の所有者に譲り渡されるとか、
のちに国宝指定される仮面の女神を掘り当てた際に担当者の頭の中を駆け巡ったのは、「これをどうやって公表するか、警備はどうしよう」といったことだったとか、
リアルな現実の物語がちりばめられている。
土偶から(そういえば土偶はみんな女性を表したものらしい)縄文人の生活の匂いや、当時の人々の肌の温もりのようなものまでも感じ取らせる著者の視線は、土偶をものとして客観的に記録する調査報告書とは一線を画すものである。
写真が(これまたリアルなのであるが)多数掲載されており、ビジュアルでも楽しめる。土偶入門書として面白い一冊である。
土偶の背景を知りたいとずっと思っていて、たまたま旅先の本屋で出会った本である。
著者はテレビやラジオに出演するかたわら、縄文時代や土偶の魅力を伝えるトークイベントなどの活動を行う土偶女子。
奈良県橿原市の観音寺本馬土偶との出会いをきっかに、各地の遺跡、博物館を訪ね歩き土偶の研究を重ねる。
土偶のことを「この子」と呼ぶのが印象的。
「土偶には少なくとも二つの物語がある」と筆者はいう。作られた当時の縄文人たちとの物語と、発掘した時の現代の人々との物語だ。
本書では、中空土偶(北海道函館市)、合掌土偶(青森県八戸市)、縄文の女神(山形県最上郡)、縄文のビーナス(長野県茅野市)、仮面の女神(長野県茅野市)、遮光器土偶(各地)を始めとした土偶たちにまつわる”二つの物語”が語られる。
例えば、公開された縄文のビーナスのガラスケースの前で、ご婦人のグループが、「これ、妊婦さんやって。縄文時代もうちらと同じように子供を産んでたんやね。」と話していたとか、
土偶は発見されると、落とし物として遺失物届を警察し、6ヶ月過ぎても持ち主が現れない場合(落としたのは「縄文人」なので、持ち主は現れないに決まっているが)土地の所有者に譲り渡されるとか、
のちに国宝指定される仮面の女神を掘り当てた際に担当者の頭の中を駆け巡ったのは、「これをどうやって公表するか、警備はどうしよう」といったことだったとか、
リアルな現実の物語がちりばめられている。
土偶から(そういえば土偶はみんな女性を表したものらしい)縄文人の生活の匂いや、当時の人々の肌の温もりのようなものまでも感じ取らせる著者の視線は、土偶をものとして客観的に記録する調査報告書とは一線を画すものである。
写真が(これまたリアルなのであるが)多数掲載されており、ビジュアルでも楽しめる。土偶入門書として面白い一冊である。
2018年2月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
土偶は古代人の言葉でもあり、それから読解する楽しさがある。またこのような本を読みた。
2017年5月25日に日本でレビュー済み
本のレビューが土偶のレビューにならないように注意したい。
それほど土偶は魅力的なのさ。
誉田さんはこの本で二つの物語に注目したいと書いている。
一つは土偶が作られた縄文の時代の人々の土偶に込めた
想いの物語。
もう一つはそれを掘り出し、そしてそれを見たり対話する
現在の我々の物語。
土偶には顔を心持ち上げて自分たちと目が合うような大きさ
形状が多いという。
二つの物語でありながら展示ケースと時間の隔たりを越えて
交錯する瞬間に居合わせているようです。
歴史本、美術本でありながら小説を読み終えたような気分に
なります
ちなみに国宝認定の土偶は現在五体あります。
その中の一体、縄文の女神はシンプルなのにスゴく力の
あるフォルムになってます。カッコいいなあ~🎵( ☆∀☆)
Google先生で画像検索するとスーパーモデルのパリコレの画像と
一緒に類似でヒットするのが面白くも素晴らしいですね( ☆∀☆)
それほど土偶は魅力的なのさ。
誉田さんはこの本で二つの物語に注目したいと書いている。
一つは土偶が作られた縄文の時代の人々の土偶に込めた
想いの物語。
もう一つはそれを掘り出し、そしてそれを見たり対話する
現在の我々の物語。
土偶には顔を心持ち上げて自分たちと目が合うような大きさ
形状が多いという。
二つの物語でありながら展示ケースと時間の隔たりを越えて
交錯する瞬間に居合わせているようです。
歴史本、美術本でありながら小説を読み終えたような気分に
なります
ちなみに国宝認定の土偶は現在五体あります。
その中の一体、縄文の女神はシンプルなのにスゴく力の
あるフォルムになってます。カッコいいなあ~🎵( ☆∀☆)
Google先生で画像検索するとスーパーモデルのパリコレの画像と
一緒に類似でヒットするのが面白くも素晴らしいですね( ☆∀☆)
2018年7月21日に日本でレビュー済み
同一著者の「土偶界にようこそ」を読んだ後だったので我が目を疑った。「土偶女子」というよりは「縄文おたく」といった感じだ。「土偶界にようこそ」の4か月前に発行された本書は専門家か一流のジャーナリストが執筆したような文面なのだ。しかも各章毎の参考文献が掲載されており、その中には「土偶女子」などは決して読みそうもない発掘調査報告書の類が多く含まれている。最終ページを見ると監修者がおり、奈良女子大の武藤康弘教授(文学博士)の名が見える。監修者がどれほど本文を加筆訂正しているかは不明ではあるが、各章末にある必要な参考文献は揃えて渡したのだろう。本書は監修者の貢献で読むに値する本になっている。
もう一人、スソノアキコ氏の名前があるが、イラストレータとあり、本書の手書きの地図や図を提供したのであろう。女子高生レベルのイラストが本書の内容を和らげていようか。あるいは、p.158~に掲載されている古文書の絵やイラストに比べると著しくへたくそだという指摘の方が多いであろうか?本書でのスソノアキコ氏の貢献度は微妙である。
著者の譽田氏が土偶に遭遇する前の土偶の発掘現場が詳細に語られている。しかし、古くからの土偶女子であれば、そのうちの幾つかは現地説明会に参加していたはずだ。残念ながら、日が浅い譽田氏には本書にある発掘現場の現地説明会の参加の経歴は皆無だろう。したがって、こうした内容には信憑性が疑われるものもある。たとえば、「仮面の女神」(p.65~p.75)は2000年8月30日(水)に現地説明会が行われた。平日の現地説明会は珍しく、私はそれでも参加した。これほどの出土品にも関わらず参加者は少なかったという印象が強い。やはり、平日では来れる人は限られる。しかし、「約4,000人の考古学ファンが…訪れ」(p.68)とあるのは作り話だろう。当日は茅野駅からシャトルバスなどが運行されることもなく、参加者は車で来た。4,000人も来たなら車の数は3,000台程度にはなるはずだ。発掘現場の近くにそれほど広い駐車スペースがあるはずもない。私が見たのは50人程度の現地説明会参加者で、ゆったりと半分だけ発掘された仮面土偶をまじまじと見ることができ好きなだけ写真に収められた。数10台の車なら田舎道の道端に停められるということだ。
もう一人、スソノアキコ氏の名前があるが、イラストレータとあり、本書の手書きの地図や図を提供したのであろう。女子高生レベルのイラストが本書の内容を和らげていようか。あるいは、p.158~に掲載されている古文書の絵やイラストに比べると著しくへたくそだという指摘の方が多いであろうか?本書でのスソノアキコ氏の貢献度は微妙である。
著者の譽田氏が土偶に遭遇する前の土偶の発掘現場が詳細に語られている。しかし、古くからの土偶女子であれば、そのうちの幾つかは現地説明会に参加していたはずだ。残念ながら、日が浅い譽田氏には本書にある発掘現場の現地説明会の参加の経歴は皆無だろう。したがって、こうした内容には信憑性が疑われるものもある。たとえば、「仮面の女神」(p.65~p.75)は2000年8月30日(水)に現地説明会が行われた。平日の現地説明会は珍しく、私はそれでも参加した。これほどの出土品にも関わらず参加者は少なかったという印象が強い。やはり、平日では来れる人は限られる。しかし、「約4,000人の考古学ファンが…訪れ」(p.68)とあるのは作り話だろう。当日は茅野駅からシャトルバスなどが運行されることもなく、参加者は車で来た。4,000人も来たなら車の数は3,000台程度にはなるはずだ。発掘現場の近くにそれほど広い駐車スペースがあるはずもない。私が見たのは50人程度の現地説明会参加者で、ゆったりと半分だけ発掘された仮面土偶をまじまじと見ることができ好きなだけ写真に収められた。数10台の車なら田舎道の道端に停められるということだ。