新品ということで購入しました、カバーも未開封で、DVDの盤面もきれいでした。さっそく再生してみました。
昔、テレビで放映された作品はモノクロでしたが、このDVDも大部分がモノクロですが、十分楽しめました。

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ジェニーの肖像 (創元推理文庫) 文庫 – 2005/5/23
- 本の長さ315ページ
- 言語日本語
- 出版社東京創元社
- 発売日2005/5/23
- ISBN-104488566014
- ISBN-13978-4488566012
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2011年10月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
貧しい画家イーベンが出会った美少女ジェニー。
会うたびに現実を超越して美しい女性へと成長するジェニーは、イーベンに心の安らぎと安定した生活をもたらしてくれる。
しかし、別れの時は突如、やってくるのだった・・・。
本書の解説で恩田陸が述べている通り、とても地味でカタルシスに欠ける物語である。
かつて、ブームになった「感動」や「号泣」を売りにしたケータイ小説に親しんだ方であれば物足りなく感じるかもしれない。
しかし、本作に漂う切なさは、いつまでも心に残ることだろう。
なぜなら、我々の人生そのものが本作同様に「別れ」や「辛さ」の連続であり、主人公イーベン同様に受け入れながら生きなければいけないからだ。
また、本書に収録作されている「それゆえに愛は戻る」も同様の作品。こちらはファミリードラマの要素が高い。
2011年現在、ネイサンの作品の多くが絶版状態なのが悔やまれる。
会うたびに現実を超越して美しい女性へと成長するジェニーは、イーベンに心の安らぎと安定した生活をもたらしてくれる。
しかし、別れの時は突如、やってくるのだった・・・。
本書の解説で恩田陸が述べている通り、とても地味でカタルシスに欠ける物語である。
かつて、ブームになった「感動」や「号泣」を売りにしたケータイ小説に親しんだ方であれば物足りなく感じるかもしれない。
しかし、本作に漂う切なさは、いつまでも心に残ることだろう。
なぜなら、我々の人生そのものが本作同様に「別れ」や「辛さ」の連続であり、主人公イーベン同様に受け入れながら生きなければいけないからだ。
また、本書に収録作されている「それゆえに愛は戻る」も同様の作品。こちらはファミリードラマの要素が高い。
2011年現在、ネイサンの作品の多くが絶版状態なのが悔やまれる。
2019年1月3日に日本でレビュー済み
二つの中編を収めた文庫本です。2005年刊。2019年現在絶版です。
◆「ジェニーの肖像」
:1938年、不況のニューヨークで貧困画家イーベン・アダムズは幼い少女と出会う。ひとりぼっちで街にいるその娘は名をジェニー・アップルトンという。次に出会ったとき、なぜかジェニーは少しだけ成長したように見えた。そしてその後も会うたびに彼女は大人びていくのだが…。
ジェニーは過去の世界から時々イーベンの前に姿を現し、そのつど少しずつ年を重ねた姿で現れます。しかとは記されないものの、彼女は時間旅行者のようです。イーベンはその事実を静かに受け入れ、彼女が次に現れる日がいつになるかもわからぬまま、ひとり待ち続けるのです。
怪異譚といえば怪異譚ですが、イーベンの胸には恐れの念はやどりません。理知の心をもってすれば到底受け入れることのできない彼女との逢瀬をひたすら待ちわび続ける彼の心根は、どこまでも清く、幼子のそれのようです。
考えてみればこれは時間旅行者の視点ではなく、旅行者が訪れるのを待ちわびる側の視点で描かれるタイムトラベル譚です。いつ来るともわからぬ思い人を待つ強い気持ちこそが、時間旅行者を呼び寄せる物語です。こんなふうに過去から招くことができればと思う相手がいる読者には、必ず胸に迫るものがあるはずです。
ジェニーはイーベンの強い思念が生み出した存在にすぎないのかもしれません。念じたものが実体化した女性。だからイーベンは何かというとジェニーのことを「知っている(知っていた)」と語るのでしょう。何か愛する対象を生み出すことによってイーベンの人生が実体を伴っていく物語といえるような気がしてきました。
「またいつか戻ってきます。でもすぐにってわけにはいかないの。春になると思うわ。ジェニー」(94頁)
このメモ書きをイーベンが残りの生涯手元に置き続けるであろうことを思って書を閉じました。
*137頁:「海は暗く、ギリシャのワインのような濃い色をして」とありますが、原文は「the sea was dark, the wine-dark of the Greeks」です。これは「海は暗く、(古代)ギリシャ人たちがたとえるような葡萄酒色をして」いた、という意味です。古代ギリシャのホメロスが海の群青をワインにたとえたことに由来する表現です。
◆「それゆえに愛は戻る」
:カリフォルニアの海辺で暮らす絵本作家のレニーは最愛の妻トリーナを亡くし、幼い娘トリーシャ、息子クリスと悲嘆の日々を送っていた。ある日、溺れかけたクリスを海から若く美しいキャスリーンが救ってくれる事件が起こる。トリーナとどこか重なる魅力をたたえたキャスリーンにレニーは心ひかれていくが、彼女はどこから来たのか、その素性を語ろうとはしない…。
「ジェニーの肖像」が東海岸の画家とどこからともなく現れたジェニーとの物語だった一方、「それゆえに愛は戻る」は西海岸の絵本作家とこちらもどこからともなく現れたキャスリーンの物語です。時代こそ、前者が戦前1930年代、後者が1950年代と差異があるものの、時代をたがえても、人の恋情は変わらないものだとばかりの展開を見せます。その点をとらえれば、二つはほとんど同じ物語だといえるでしょう。
キャスリーンもまた、妻を亡くしたレニーの強い喪失感がこの世に呼び起こした存在であることは間違いありません。そのことは物語のタイトル、そして牧師の説教の中に織り込まれた「実は神の使いなのです。それらは彼のそばからいなくなった者のかわりに最愛の人のもとに送られるのです」という言葉によって明確に提示されています。
そしてレニー自身もキャスリーンが何者であるのかをひとり静かに納得している節があります。だからこそ、やがて訪れる悲しい結末をどこか穏やかに受け入れている様子が伺えます。
しかし私は「ジェニー」と「それゆえに」の間には決定的に大きな違いがあると思うのです。
たしかに両者は猛威を振るう自然災害が物語をこれ以上ない混沌へと陥れる点までが共通しています。前者では東部の海岸線をなめるハリケーン。後者では西部の森林地帯をのみこむ火災が主人公たちを襲います。双方ともアメリカ大陸に繰り返し被害をもたらす天災であり、遠く日本へも毎年のようにニュースで報じられています。そうした自然の脅威を舞台装置にしながら、「ジェニー」は喪失の物語として幕を閉じるかたわら、「それゆえに」はアメリカ人が大きな喪失を乗り越えて再起と復興を目指す一歩を踏み出す物語だと私はとらえました。レニー自身もまたそれを感じ取り、キャスリーンとトリーナとの人生をいつくしみながら生きていくであろうと思ったのです。
ですから私は、「それゆえに愛は戻る」のほうをより好ましい物語だと感じました。
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◆「ジェニーの肖像」
:1938年、不況のニューヨークで貧困画家イーベン・アダムズは幼い少女と出会う。ひとりぼっちで街にいるその娘は名をジェニー・アップルトンという。次に出会ったとき、なぜかジェニーは少しだけ成長したように見えた。そしてその後も会うたびに彼女は大人びていくのだが…。
ジェニーは過去の世界から時々イーベンの前に姿を現し、そのつど少しずつ年を重ねた姿で現れます。しかとは記されないものの、彼女は時間旅行者のようです。イーベンはその事実を静かに受け入れ、彼女が次に現れる日がいつになるかもわからぬまま、ひとり待ち続けるのです。
怪異譚といえば怪異譚ですが、イーベンの胸には恐れの念はやどりません。理知の心をもってすれば到底受け入れることのできない彼女との逢瀬をひたすら待ちわび続ける彼の心根は、どこまでも清く、幼子のそれのようです。
考えてみればこれは時間旅行者の視点ではなく、旅行者が訪れるのを待ちわびる側の視点で描かれるタイムトラベル譚です。いつ来るともわからぬ思い人を待つ強い気持ちこそが、時間旅行者を呼び寄せる物語です。こんなふうに過去から招くことができればと思う相手がいる読者には、必ず胸に迫るものがあるはずです。
ジェニーはイーベンの強い思念が生み出した存在にすぎないのかもしれません。念じたものが実体化した女性。だからイーベンは何かというとジェニーのことを「知っている(知っていた)」と語るのでしょう。何か愛する対象を生み出すことによってイーベンの人生が実体を伴っていく物語といえるような気がしてきました。
「またいつか戻ってきます。でもすぐにってわけにはいかないの。春になると思うわ。ジェニー」(94頁)
このメモ書きをイーベンが残りの生涯手元に置き続けるであろうことを思って書を閉じました。
*137頁:「海は暗く、ギリシャのワインのような濃い色をして」とありますが、原文は「the sea was dark, the wine-dark of the Greeks」です。これは「海は暗く、(古代)ギリシャ人たちがたとえるような葡萄酒色をして」いた、という意味です。古代ギリシャのホメロスが海の群青をワインにたとえたことに由来する表現です。
◆「それゆえに愛は戻る」
:カリフォルニアの海辺で暮らす絵本作家のレニーは最愛の妻トリーナを亡くし、幼い娘トリーシャ、息子クリスと悲嘆の日々を送っていた。ある日、溺れかけたクリスを海から若く美しいキャスリーンが救ってくれる事件が起こる。トリーナとどこか重なる魅力をたたえたキャスリーンにレニーは心ひかれていくが、彼女はどこから来たのか、その素性を語ろうとはしない…。
「ジェニーの肖像」が東海岸の画家とどこからともなく現れたジェニーとの物語だった一方、「それゆえに愛は戻る」は西海岸の絵本作家とこちらもどこからともなく現れたキャスリーンの物語です。時代こそ、前者が戦前1930年代、後者が1950年代と差異があるものの、時代をたがえても、人の恋情は変わらないものだとばかりの展開を見せます。その点をとらえれば、二つはほとんど同じ物語だといえるでしょう。
キャスリーンもまた、妻を亡くしたレニーの強い喪失感がこの世に呼び起こした存在であることは間違いありません。そのことは物語のタイトル、そして牧師の説教の中に織り込まれた「実は神の使いなのです。それらは彼のそばからいなくなった者のかわりに最愛の人のもとに送られるのです」という言葉によって明確に提示されています。
そしてレニー自身もキャスリーンが何者であるのかをひとり静かに納得している節があります。だからこそ、やがて訪れる悲しい結末をどこか穏やかに受け入れている様子が伺えます。
しかし私は「ジェニー」と「それゆえに」の間には決定的に大きな違いがあると思うのです。
たしかに両者は猛威を振るう自然災害が物語をこれ以上ない混沌へと陥れる点までが共通しています。前者では東部の海岸線をなめるハリケーン。後者では西部の森林地帯をのみこむ火災が主人公たちを襲います。双方ともアメリカ大陸に繰り返し被害をもたらす天災であり、遠く日本へも毎年のようにニュースで報じられています。そうした自然の脅威を舞台装置にしながら、「ジェニー」は喪失の物語として幕を閉じるかたわら、「それゆえに」はアメリカ人が大きな喪失を乗り越えて再起と復興を目指す一歩を踏み出す物語だと私はとらえました。レニー自身もまたそれを感じ取り、キャスリーンとトリーナとの人生をいつくしみながら生きていくであろうと思ったのです。
ですから私は、「それゆえに愛は戻る」のほうをより好ましい物語だと感じました。
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2009年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ファンタジーという分野においては中期に属する作品です。
そのせいか物語そのもののふるさや展開のシンプルさは否めませんが、
1939年に発表されたという事実を歴史と絡ませて考えてみれば、とても深い作品といえます。
ファンタジーがすきな方、ファンタジー小説を書こうとおもっている方、なんらかの理由でファンタジーを研究しようという方は読んでいて損はありません。この作品にはそれだけの価値があります。
そのせいか物語そのもののふるさや展開のシンプルさは否めませんが、
1939年に発表されたという事実を歴史と絡ませて考えてみれば、とても深い作品といえます。
ファンタジーがすきな方、ファンタジー小説を書こうとおもっている方、なんらかの理由でファンタジーを研究しようという方は読んでいて損はありません。この作品にはそれだけの価値があります。
2014年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
諦めていた作品もAmazonならば、見つかる。しかも新品なみにきれいな状態。大満足です。
2013年1月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても役立ちました。なかなか手に入らなかった小説なので、助かりました。
2010年1月28日に日本でレビュー済み
画家・イーベンは、1938年の冬、セントラル・パークでジェニーに出会います。古めかしい服装で、妙な事を口走る少女だが、イーベンは何故か心惹かれる。
それから時々、ジェニーに出会うが、そのたびに何故か、彼女は成長していた。
イーベンはジェニーの肖像を描く事を申し出る。そしてやがてジェニーとイーベンの時間が重なる時・・・・。
少し不思議で、切ない恋物語です。
しかしジェニーとイーベンの出会いの秘密など、語られていないところもあり
どうも消化不良も感じますね。
基本的に恋物語であり、ファンタジーではないということでしょうか。
それから時々、ジェニーに出会うが、そのたびに何故か、彼女は成長していた。
イーベンはジェニーの肖像を描く事を申し出る。そしてやがてジェニーとイーベンの時間が重なる時・・・・。
少し不思議で、切ない恋物語です。
しかしジェニーとイーベンの出会いの秘密など、語られていないところもあり
どうも消化不良も感じますね。
基本的に恋物語であり、ファンタジーではないということでしょうか。
2012年7月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
イーベンはジェニーに8回会っている。希望と進むべき道を見失いかけた、どん底にあるイーベンが、とっぷりと暮れた夜霧に包まれた寒い公園のベンチの間に幼いジェニーを見つけたのが初めての出会いだ。その時のジェニーは暗がりの中の一点の光であり、イーベンの自我の芽生えを感じさせる。4回目は重要な両親との別れだ。ジェニーの両親が事故で突然世を去り、もう彼女にはイーベンしかいない事を告白されるが、それを十分に受け止めるまで成長していないイーベンに対し、ジェニーは急いでおばさんを付け加える。両親との別れの後、ジェニーの成長が加速度的に早まるのは示唆に富む。7回目では、ようやく大人の仲間入りしたようなジェニーとイーベンは、最良の1日を過ごす。ここに来て、イーベンとジェニーはおそらく年の差が8-9年くらいとなったのであろうが、ようやく恋人同士と言えるほどに近づいた。しかし、ジェニーを完全に受け入れるにはまだ何かが不足していた。その最後の一歩が踏み出せないために、長い年月をかけて(ジェニーはそれを短期間に再現してくれたのであるが)成長し、芸術家としての一歩を踏み出したにもかかわらず、イーベンは周囲の厳しい環境の中で進むべき道を見失いかけていたのだ。そして艱難辛苦の中でまさに倒れそうになったとき、無意識の世界からジェニーが助けに来た。そして、幼い頃から青年期を経て現在に至るまでのイーベンの心の軌跡をジェニーは短時間に再現して見せながら次第に最後のクライマックスへと進む。このクライマックスでの仕事をするためにジェニーは無意識の世界から出てきたのだ。ハリケーンの中でイーベンはそこから逃れたいと焦っていた。しかし、ジェニーと一緒に行かねばならない。ジェニーに、行って、イーベン。あたしは無理だわといわれても、もはや彼女を置いて逃げるはずはなかった。いよいよ大波が迫ってくる。イーベンは必死でジェニーとともにそこから逃れようとするが、彼女は現実から逃げることを許さない。そして、もはや逃げられないと思った時、かれはどんなことが起こっても彼女といっしょに行こうと腹をくくった。その瞬間、イーベンとジェニーは真に一体化し、イーベンがどのような苦難の中でも揺るぐことのない自己実現をようやく成し遂げた。ジェニーはまさにこの瞬間のために無意識の世界から現れたのだ。しかし、目的を達成した瞬間、現実世界での役目を終えたジェニーは、果てしない無意識の世界(海)へと還っていった。一方、長年の苦難を経てようやく自己実現をしたイーベンは、また新たな長い旅に出る。