一部のレビュワーの方が言っている件について、
(確かにプロフィール等からその可能性を感じさせる部分はありますが、)本作の主人公(モデル)が作者本人だったとして、何が問題なのでしょうか?
もし仮にそうだとして、確かに他の人物のモデルもわかって少し複雑な思いを抱く人も「ごく一部には」いるかも知れませんが、もし仮にそうだとして、本作のどこをどう読んだら馬鹿にされただとか自己を正当化などとなるのでしょうか?
ちゃんと読めていますか?
それ、被害妄(以下自主規制1)ですか?それとも関係妄(以下自主規制1)がそもそもですかね?
マンドリンについても本作で扱われているような音楽についてもほとんど知らない者ですが、楽しめましたよ?
あなたは警察組織、事件捜査、犯罪者心理、トリック等に精通していなければ推理小説を読めない(楽しめない)のですか?
歴史、時代背景等に精通していなければ歴史小説を読めない(楽しめない)のですか?
(もちろんそういった「知識」があった方が"より"楽しめる場合というのもあるとは思いますが…。)
別にマンドリンや音楽についての知識の不足は何ら問題になることなく純粋に楽しめましたよd(⌒ー⌒)!
別に音楽についての専門書とかでもないし、この小説読むのにそんな頭でっ(以下自主規制2)な「知識」いらなくね('・ω・`)?
これまでに私が読んだ小説の中では極めて高評価、傑作と言ってよいものだと考えています("⌒∇⌒")

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長い終わりが始まる 単行本 – 2008/6/26
山崎 ナオコーラ
(著)
大学4年生の小笠原は、マンドリンサークルに所属している。未来になんて興味がなく、就職活動よりも人間関係よりも趣味のマンドリンに命をかけている。そして、とても好きな人がいる。いつまでも流れていく時間を描いた青春文学
- 本の長さ154ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2008/6/26
- ISBN-104062147874
- ISBN-13978-4062147873
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2008/6/26)
- 発売日 : 2008/6/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 154ページ
- ISBN-10 : 4062147874
- ISBN-13 : 978-4062147873
- Amazon 売れ筋ランキング: - 822,975位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 19,201位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。
Twitter → @naocolayamazaki
山崎ナオコーラ(やまざき なおこーら)
作家。
性別非公表。
好きなコーラはダイエットコーラ。
寛容な社会で読書生活を続けたい。
近著に、
デビュー20周年記念 火星の山を登るか降りるか ゆるSF長編『あきらめる』
現代社会の中で源氏物語を楽しみたい『ミライの源氏物語』
性別で体をくくる時代は変わっていくかもしれない小説集『肉体のジェンダーを笑うな』
「時短」「考えない」の逆の革命を起こすエッセイ 『むしろ、考える家事』
容姿差別に立ち向かう社会派エッセイ 『ブスの自信の持ち方』
無職礼賛小説 『趣味で腹いっぱい』
時給マイナス千円、新感覚の経済小説 『リボンの男』
がんと共に生きる、病院小説 『美しい距離』
結婚エッセイ 『かわいい夫』
育児エッセイ 『母ではなくて、親になる』 などがあります。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年6月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2013年8月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
即物的な日常を生きる精神の在りようとして、「長い終わり」は純粋さと同型だ。「長い終わり」という純粋さは、決して終わらない。それは、自らの純粋性それ自体をも否定しうるほどの徹底さによって、逆説的に「長い終わり」を終わらせる機制を自らの内に欠いているからだ。それが終わるとすれば、その純粋さが否定によって押し出した外部からの圧力によって終焉を迎えるしかない。その時、純粋さを生きてきたその人間の美的感性そのものが消滅する。
ところで、「長い終わり」という純粋さが、その実、外部に対して自らの「弱さ」が精神に取らせる防衛的構えでないと、証明することはできるだろうか。できないだろう。この問いは、純粋さの内に於いては決定不可能な命題であり、それを決定する機制も自らの内に欠いているのであるからして。
純粋さの強張った脆さが、淡々とした筆致の中に描き出されている。
「人間も[水と]同じようなもので、この街に溢れる男女は、それぞれの肌が区別され、各々歩き回っているが、ひとりの指先がどこまでなのか実は曖昧であり、この人形[ひとがた]はいっときの仮の姿でしかなく、誰かと触り合えばすぐに境目が溶けてしまい、自分というものを意識するのが難しくなるのではないか・・・。自分の体がどこまで伸びるのかが分からない」
「セックスって、いつが終わりなのか、分からない。小笠原が田中のことを好きな間は、日々を越えて続いていく行為なのだろうか。まだ終わっていない、と小笠原は感じる」
「男の生理感覚に偏って成立しているセックス文化は、おかしい。射精でなんか、セックスは終わらない」
ところで、「長い終わり」という純粋さが、その実、外部に対して自らの「弱さ」が精神に取らせる防衛的構えでないと、証明することはできるだろうか。できないだろう。この問いは、純粋さの内に於いては決定不可能な命題であり、それを決定する機制も自らの内に欠いているのであるからして。
純粋さの強張った脆さが、淡々とした筆致の中に描き出されている。
「人間も[水と]同じようなもので、この街に溢れる男女は、それぞれの肌が区別され、各々歩き回っているが、ひとりの指先がどこまでなのか実は曖昧であり、この人形[ひとがた]はいっときの仮の姿でしかなく、誰かと触り合えばすぐに境目が溶けてしまい、自分というものを意識するのが難しくなるのではないか・・・。自分の体がどこまで伸びるのかが分からない」
「セックスって、いつが終わりなのか、分からない。小笠原が田中のことを好きな間は、日々を越えて続いていく行為なのだろうか。まだ終わっていない、と小笠原は感じる」
「男の生理感覚に偏って成立しているセックス文化は、おかしい。射精でなんか、セックスは終わらない」
2023年5月24日に日本でレビュー済み
大学四年生の小笠原(女性)と田中(男性でこの楽団の指揮者)が、マンドリン・サークルでの活動と同時に微妙な恋愛もする。
就職活動にも出遅れている二人だが、焦りはしない。
小笠原は、サークル活動と言えども、真剣にとりくむ。とりたてて優秀な部ではないのに、今しかできない事という思いから真剣になる。同学年の他の連中は、サークル活動以外のことに愉しみの重点を置いたり、就職活動に力を入れる。
小笠原は田中のことが好きで、しかし、田中にはつき合っている女性部員が居る、と知っている。が、それでも、小笠原は、自分が田中が好きな気持ちを田中に隠さない。
部活動が終わってから、一緒に中華料理を食べに行き、そのまま田中の家に行くことになって、自然に事に及ぶが、上手くいかない。
主人公の小笠原は、それを、自分が生娘だからなのかも知れない、と思うのだが。
小笠原から見ると、田中は、男同士の友達づきあいは下手だが、女性部員の会話にはすっと入っていって、特定の彼女も居るから、モテる男に見えるようだ。
でも、実は、田中も、この時、女性経験が未だないのである。
つき合っていた女性に振られて、「小笠原のことが好きになったみたい」と電話してくる田中。
ほうほう、よくある男性特有のずるいやり方。ところが、小笠原の反応が遅いので、その間に、田中は別の女性と深い仲になってしまう。
そんな事があって(他にも、四年生の幹部だけがまとまった別格の待遇で別行動(幹部会議)などをしている、それによっての疎外感からも)、全体練習で指揮されるとき以外は極力、田中とは視線を合わさず会話もしなくしていた小笠原だったが、それでも、相手が自分のことを思ってくれていなくても、田中に指揮されるとき目が合うと嬉しいという感情。
また、小笠原の方から、田中を誘ってお互いに気まずさを払拭して、成りゆきで、今度は小笠原のアパートに行く。
事に及ぶと、今度はスムーズに終わるんです。
という事は、田中は、小笠原の知らない処で経験をしてきたのですね。
主人公が小笠原なので、書いてる山崎ナオコーラさん自身も、こういう事は分かって敢えて書いているのか、小笠原目線の範囲でしか分かっていない類似した体験を元にしたのか、はっきり分かりませんが。
女性同士の意地の張り合いとか、楽器の上達が早い後輩には優しく、遅い後輩には厳しくしてしまう、とかの内面の気持ちの理由などのディテールが充分に書き込まれていたので、読み甲斐があり、情景の輪郭が浮かびました。
ああ、モラトリアムな立場が許された、ほのぼのとした時間の流れの緩やかな大学生活。こういう時季を僕も持ちたかった、と思いました。
小笠原と田中が、同格の主人公になっていますが、自己の内面心理をそのまま表した文があるのは小笠原だけ。それなら、「小笠原」としなくても「私」でも、「アタシ」でもいいような気はしますが。それは、問題にすることでもないか。
マンドリン・オーケストラというものが有るなんて知りませんでした。
長い終わりとは、クラシックの曲などで、「これで終わりますよ」という曲調の変化した部分から本当に曲が終わるまでが長い場合のことを言っているようです。
田中との友人関係も含めた付き合いの終わり、大学生活の終わり、の事にもかけていらっしゃるのかも知れません。
装丁の、木造の古いアパートらしき写真。お風呂場から、大学か高校の学舎が見えているところが、何とも気分がゆったりします。
就職活動にも出遅れている二人だが、焦りはしない。
小笠原は、サークル活動と言えども、真剣にとりくむ。とりたてて優秀な部ではないのに、今しかできない事という思いから真剣になる。同学年の他の連中は、サークル活動以外のことに愉しみの重点を置いたり、就職活動に力を入れる。
小笠原は田中のことが好きで、しかし、田中にはつき合っている女性部員が居る、と知っている。が、それでも、小笠原は、自分が田中が好きな気持ちを田中に隠さない。
部活動が終わってから、一緒に中華料理を食べに行き、そのまま田中の家に行くことになって、自然に事に及ぶが、上手くいかない。
主人公の小笠原は、それを、自分が生娘だからなのかも知れない、と思うのだが。
小笠原から見ると、田中は、男同士の友達づきあいは下手だが、女性部員の会話にはすっと入っていって、特定の彼女も居るから、モテる男に見えるようだ。
でも、実は、田中も、この時、女性経験が未だないのである。
つき合っていた女性に振られて、「小笠原のことが好きになったみたい」と電話してくる田中。
ほうほう、よくある男性特有のずるいやり方。ところが、小笠原の反応が遅いので、その間に、田中は別の女性と深い仲になってしまう。
そんな事があって(他にも、四年生の幹部だけがまとまった別格の待遇で別行動(幹部会議)などをしている、それによっての疎外感からも)、全体練習で指揮されるとき以外は極力、田中とは視線を合わさず会話もしなくしていた小笠原だったが、それでも、相手が自分のことを思ってくれていなくても、田中に指揮されるとき目が合うと嬉しいという感情。
また、小笠原の方から、田中を誘ってお互いに気まずさを払拭して、成りゆきで、今度は小笠原のアパートに行く。
事に及ぶと、今度はスムーズに終わるんです。
という事は、田中は、小笠原の知らない処で経験をしてきたのですね。
主人公が小笠原なので、書いてる山崎ナオコーラさん自身も、こういう事は分かって敢えて書いているのか、小笠原目線の範囲でしか分かっていない類似した体験を元にしたのか、はっきり分かりませんが。
女性同士の意地の張り合いとか、楽器の上達が早い後輩には優しく、遅い後輩には厳しくしてしまう、とかの内面の気持ちの理由などのディテールが充分に書き込まれていたので、読み甲斐があり、情景の輪郭が浮かびました。
ああ、モラトリアムな立場が許された、ほのぼのとした時間の流れの緩やかな大学生活。こういう時季を僕も持ちたかった、と思いました。
小笠原と田中が、同格の主人公になっていますが、自己の内面心理をそのまま表した文があるのは小笠原だけ。それなら、「小笠原」としなくても「私」でも、「アタシ」でもいいような気はしますが。それは、問題にすることでもないか。
マンドリン・オーケストラというものが有るなんて知りませんでした。
長い終わりとは、クラシックの曲などで、「これで終わりますよ」という曲調の変化した部分から本当に曲が終わるまでが長い場合のことを言っているようです。
田中との友人関係も含めた付き合いの終わり、大学生活の終わり、の事にもかけていらっしゃるのかも知れません。
装丁の、木造の古いアパートらしき写真。お風呂場から、大学か高校の学舎が見えているところが、何とも気分がゆったりします。
2015年10月16日に日本でレビュー済み
好きな作品です。
『ニキの屈辱』と本作が、著者の傑作だと考えています。
私も大学生ですが、何事も終わってからが長いと感じることが多いです。
就職活動もやめてしまったサークルも。
終わった瞬間ではなく、だらだらだらだらまだ続いているかのような感覚が続きます。
キャンパスにはもう誰一人知り合いに会いません。友達は皆優秀なので、卒論だけ出しに来る程度で、せっせと授業に通っているのは自分ぐらい。
1年生たちと大教室で独り授業を受け、食堂で孤食し、広場でサークル活動をやいやいしているのをベンチに座ってボーッと眺めながら売店の揚げパンを頬張る毎日です。
大学生活は友達と作るもので、ただ授業に通うだけではもはや大学生活と呼べないと思っています。私の大学生活は終わったに等しいのに、全然終わった気になれず、卒業後も時々土日は食堂でご飯を食べ、図書館に入り浸りそうです。
皆はさっぱりした顔つきをしていますが、私は大学生活がまた続きそうな予感しかしません。
ラスト、小笠原がラーメン屋で悲観しますが、あの気持ちはわかります。
私も、周りがスーツを脱ぎ、電車でも就活生を見なくなった時期の帰り、入った中華料理屋で落ち込みました。春、スーツ姿の皆で就活頑張ろう会をそこでしたことが思い起こされ、まだスーツを着ているのは自分だけだと独りしみじみしみいっていました。
小笠原は、かつての作者なのかもしれません。
林真理子氏の『葡萄が目にしみる』が高校時代を描いた傑作なら、本作は大学時代を象徴するそれです。一読の価値ありです。
『ニキの屈辱』と本作が、著者の傑作だと考えています。
私も大学生ですが、何事も終わってからが長いと感じることが多いです。
就職活動もやめてしまったサークルも。
終わった瞬間ではなく、だらだらだらだらまだ続いているかのような感覚が続きます。
キャンパスにはもう誰一人知り合いに会いません。友達は皆優秀なので、卒論だけ出しに来る程度で、せっせと授業に通っているのは自分ぐらい。
1年生たちと大教室で独り授業を受け、食堂で孤食し、広場でサークル活動をやいやいしているのをベンチに座ってボーッと眺めながら売店の揚げパンを頬張る毎日です。
大学生活は友達と作るもので、ただ授業に通うだけではもはや大学生活と呼べないと思っています。私の大学生活は終わったに等しいのに、全然終わった気になれず、卒業後も時々土日は食堂でご飯を食べ、図書館に入り浸りそうです。
皆はさっぱりした顔つきをしていますが、私は大学生活がまた続きそうな予感しかしません。
ラスト、小笠原がラーメン屋で悲観しますが、あの気持ちはわかります。
私も、周りがスーツを脱ぎ、電車でも就活生を見なくなった時期の帰り、入った中華料理屋で落ち込みました。春、スーツ姿の皆で就活頑張ろう会をそこでしたことが思い起こされ、まだスーツを着ているのは自分だけだと独りしみじみしみいっていました。
小笠原は、かつての作者なのかもしれません。
林真理子氏の『葡萄が目にしみる』が高校時代を描いた傑作なら、本作は大学時代を象徴するそれです。一読の価値ありです。
2014年4月27日に日本でレビュー済み
最初の方の文章は明るく、読みやすかった。
中盤にさしかかるにつれ、重たくなってくる。
まず、主人公の小笠原という人間はイライラしてしまうほどに子供だ。
サークルにひどく固執しているのも、稚拙を通り越してなんだかこわい。
同輩の田中は作中で自分のことを性格が悪いと言っているが、本当に悪い。
友達に手を出し、好きだというようなことを言っておきながら、やっぱり勘違いだったという、最低な男。
まだ、それだけだったらただのチャラ男で済ませられるのだが、此奴も子供である。
人の気持ちが分からない。
自分さえよければいいタイプ。
このふたりの登場人物に対して、とても不快な感情を持った。
言葉にできぬモヤモヤ感が残った。
反面、すごくリアルなものも感じた。
このモヤモヤはだからこそであろう。
大学生活といえば、キラキラとしたものを思い浮かべるが、実際はこのようなこともよくあるのだろう。
大学生だからといって、みんな大人とは限らないし、煩わしい人間関係から解放されるわけでもない。
残念なのは、この小説の中で主人公の成長を全くもってみられないことだ。
たしかに、リアルな若者はこうかもしれないが、私は、読者としてこのようなものを求めてはいない。
筆者が何を言いたいのかわからないのだ。
一体何を伝えたいのか。
または、この作品を読んで、読者にどんな感情を持たせられるのか。
私はこれを読んでモヤモヤとした不快感しか残らなかった。
しかし、筆者狙っていたのがこの不快感であったのなら、彼女は天才だと思う。
中盤にさしかかるにつれ、重たくなってくる。
まず、主人公の小笠原という人間はイライラしてしまうほどに子供だ。
サークルにひどく固執しているのも、稚拙を通り越してなんだかこわい。
同輩の田中は作中で自分のことを性格が悪いと言っているが、本当に悪い。
友達に手を出し、好きだというようなことを言っておきながら、やっぱり勘違いだったという、最低な男。
まだ、それだけだったらただのチャラ男で済ませられるのだが、此奴も子供である。
人の気持ちが分からない。
自分さえよければいいタイプ。
このふたりの登場人物に対して、とても不快な感情を持った。
言葉にできぬモヤモヤ感が残った。
反面、すごくリアルなものも感じた。
このモヤモヤはだからこそであろう。
大学生活といえば、キラキラとしたものを思い浮かべるが、実際はこのようなこともよくあるのだろう。
大学生だからといって、みんな大人とは限らないし、煩わしい人間関係から解放されるわけでもない。
残念なのは、この小説の中で主人公の成長を全くもってみられないことだ。
たしかに、リアルな若者はこうかもしれないが、私は、読者としてこのようなものを求めてはいない。
筆者が何を言いたいのかわからないのだ。
一体何を伝えたいのか。
または、この作品を読んで、読者にどんな感情を持たせられるのか。
私はこれを読んでモヤモヤとした不快感しか残らなかった。
しかし、筆者狙っていたのがこの不快感であったのなら、彼女は天才だと思う。
2018年5月28日に日本でレビュー済み
胸がざわざわ、モヤモヤする。小笠原の性格も、田中の態度も嫌な感じ。でも雰囲気や世界観が好き。
2009年3月20日に日本でレビュー済み
主人公が23才だと思えないくらい頭が悪く、読んでいて腹が立ってしまう。
わたしも小笠原と同じように大学からマンドリンを始め、おそらく彼女と同じメーカーのマンドリンを使っており、作中に出てくる曲も全て分かりますが、
マンドリン音楽を全く知らない人が読んだらただの内輪ネタなんじゃないでしょうか。プレ2とか。
小説としても、マンドリンを題材とした作品としても、かなりがっかりしました。
わたしも小笠原と同じように大学からマンドリンを始め、おそらく彼女と同じメーカーのマンドリンを使っており、作中に出てくる曲も全て分かりますが、
マンドリン音楽を全く知らない人が読んだらただの内輪ネタなんじゃないでしょうか。プレ2とか。
小説としても、マンドリンを題材とした作品としても、かなりがっかりしました。