豊臣秀吉の正室である北政所というと、戦国時代の女性としては最も著名な人物の一人であるが、その生涯については不明な点が多く、その
知名度のわりには評伝もほとんどないという状況なので、本書の価値は決して小さくないと言える。著者の田端泰子氏は日本中世史及び女性
史の研究者なので北政所の評伝作家としてはまさにうってつけと言えよう。
北政所は生れた年、本名も諸説あり確定していない。田端氏は本名を「ね」(丁寧語の「お」を付けて「おね」)、天文11(1542)年生まれ
という説を採用している。彼女がいつ木下藤吉郎(後の秀吉)と結婚したかも明らかではないが、永禄4(1561)年ごろではないかと見られ
ている(11p)。おねは文字通り「糟糠の妻」として秀吉を支え、夫の立身出世に貢献した。「おね」は単に主婦だったというだけでなく、
秀吉の留守中は事実上の城主代行者として居城を預かり家臣・領民の指揮監督も行うなどその役割は多岐にわたっていた。秀吉・「おね」夫
妻は子宝に恵まれなかったので多くの養子を持ったがそれらの養育も「おね」の役目であり、人質の処遇も彼女に任されていた(98p~)。
秀吉が天下人となると、「おね」の役割はさらに増え、皇室や公家衆との交際も彼女の仕事となっていった。秀吉が淀殿を側室とし鶴松・秀
頼を儲けても「おね」の正室としての地位が揺らぐことはなかった。文禄元(1592)年、秀吉が彼女に1万石余という大名並みの個人的所領
を与えたことに田端氏は着目する(154p~)。この所領はその後も増加し続け最終的には1万7千石近くにまでなっており、いかに「おね」が
重んじられていたかがよく分かる。
秀吉死後「おね」は剃髪して高台院と号し京都に移住して秀吉の菩提を弔うことに専念するようになる。関ヶ原合戦後天下の主導権は徳川家康
へと移っていき、大坂の陣によって豊臣家は滅亡する。豊臣家存続のため尽力した「おね」であったが及ばなかった。彼女は伊達政宗宛の
書状において「大坂のことは、なんとも申し上げる言葉もありません」と書いているが、田端氏はこの短い言葉に万感の思いがこもっている
と指摘している(238p~)。
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北政所おね:大坂の事は、ことの葉もなし (ミネルヴァ日本評伝選) 単行本 – 2007/8/10
田端泰子
(著)
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北政所おね(1542年から1624年)豊臣秀吉の正室。夫没後は高台院と称する。
秀吉の出世と天下統一を支えた北政所おね。夫留守中の公務や、養子女や家臣の養育など、
正室として果たした幅広い役割の全貌と、秀吉との婚姻から大坂城落城までの一部始終を見つめた生涯を明らかにする。
[目次]
はじめに
序 章 「北政所」の生涯と役割とは
第一章 藤吉郎との婚姻
1 北政所の実名
2 おねの実家
3 木下藤吉郎との婚姻
第二章 城主の妻
1 奉行衆から大名へ出世した秀吉
2 秀吉の江北支配とおね
3 おねの役割
4 主君への挨拶
5 信長の家臣観
6 信長の直臣観
第三章 領国主の妻として
1 姫路城に本拠を移した秀吉
2 秀吉の播磨支配
3 信長「馬揃え」の意義
第四章 「天下人」秀吉の妻への道
1 信長の後継者争い
2 柴田勝家の最期
3 「天下」を獲る
4 「関白」「北政所」となった秀吉とおね
5 戦国期の武士の女性
第五章 「てんか」秀吉の妻
1 秀吉の九州平定
2 九州の役の頃のおねの役割
3 島津氏の人質
4 九州の陣の意義
5 「天下」秀吉の役割、おねの役割
6 関白の東征――北条氏討伐
7 「関白」秀吉の働き
8 おねと淀殿
9 小田原城と石垣山城
第六章 「太閤」秀吉とおね
1 国内統一の完成
2 朝鮮出兵の準備・実行と名護屋への移動
3 秀吉の造らせた名護屋城
4 おねへの所領給与
5 文禄年間の国内情勢と秀次事件
6 慶長年間の秀吉とその死
7 「醍醐の花見」から見えるもの
第七章 関ヶ原合戦と「北政所」
1 後家となった「北政所」
2 関ヶ原合戦時の大名の妻
3 小早川秀秋とおね
第八章 関ヶ原合戦後のおね
1 戦後の諸変化
2 慶長年間の諸大名家との交流
3 豊国社臨時祭礼・祭礼図屛風とおね
4 北政所と公家衆
5 醍醐寺座主義演と豊臣家
6 高台寺の創建
7 大坂冬・夏の陣とその後のおね
終 章 豊臣政権の「かかさま」として
参考文献
おわりに
北政所おね略年譜
人名・事項索引
秀吉の出世と天下統一を支えた北政所おね。夫留守中の公務や、養子女や家臣の養育など、
正室として果たした幅広い役割の全貌と、秀吉との婚姻から大坂城落城までの一部始終を見つめた生涯を明らかにする。
[目次]
はじめに
序 章 「北政所」の生涯と役割とは
第一章 藤吉郎との婚姻
1 北政所の実名
2 おねの実家
3 木下藤吉郎との婚姻
第二章 城主の妻
1 奉行衆から大名へ出世した秀吉
2 秀吉の江北支配とおね
3 おねの役割
4 主君への挨拶
5 信長の家臣観
6 信長の直臣観
第三章 領国主の妻として
1 姫路城に本拠を移した秀吉
2 秀吉の播磨支配
3 信長「馬揃え」の意義
第四章 「天下人」秀吉の妻への道
1 信長の後継者争い
2 柴田勝家の最期
3 「天下」を獲る
4 「関白」「北政所」となった秀吉とおね
5 戦国期の武士の女性
第五章 「てんか」秀吉の妻
1 秀吉の九州平定
2 九州の役の頃のおねの役割
3 島津氏の人質
4 九州の陣の意義
5 「天下」秀吉の役割、おねの役割
6 関白の東征――北条氏討伐
7 「関白」秀吉の働き
8 おねと淀殿
9 小田原城と石垣山城
第六章 「太閤」秀吉とおね
1 国内統一の完成
2 朝鮮出兵の準備・実行と名護屋への移動
3 秀吉の造らせた名護屋城
4 おねへの所領給与
5 文禄年間の国内情勢と秀次事件
6 慶長年間の秀吉とその死
7 「醍醐の花見」から見えるもの
第七章 関ヶ原合戦と「北政所」
1 後家となった「北政所」
2 関ヶ原合戦時の大名の妻
3 小早川秀秋とおね
第八章 関ヶ原合戦後のおね
1 戦後の諸変化
2 慶長年間の諸大名家との交流
3 豊国社臨時祭礼・祭礼図屛風とおね
4 北政所と公家衆
5 醍醐寺座主義演と豊臣家
6 高台寺の創建
7 大坂冬・夏の陣とその後のおね
終 章 豊臣政権の「かかさま」として
参考文献
おわりに
北政所おね略年譜
人名・事項索引
- 本の長さ298ページ
- 言語日本語
- 出版社ミネルヴァ書房
- 発売日2007/8/10
- ISBN-10462304954X
- ISBN-13978-4623049547
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商品の説明
著者について
《著者紹介》*本情報は2019年7月時点のものです
田端泰子(たばた・やすこ)
1941年 神戸市生まれ。
京都大学大学院文学研究科修了。
京都大学文学博士。
京都橘大学学長を経て、
現 在 京都橘大学名誉教授・客員教授。
田端泰子(たばた・やすこ)
1941年 神戸市生まれ。
京都大学大学院文学研究科修了。
京都大学文学博士。
京都橘大学学長を経て、
現 在 京都橘大学名誉教授・客員教授。
登録情報
- 出版社 : ミネルヴァ書房 (2007/8/10)
- 発売日 : 2007/8/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 298ページ
- ISBN-10 : 462304954X
- ISBN-13 : 978-4623049547
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