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独裁者と小さな孫 [DVD]

4.4 5つ星のうち4.4 18個の評価

仕様
価格
新品 中古品
DVD 1枚組
¥950
DVD 通常版
¥1,590
フォーマット ドルビー, ワイドスクリーン, 色
コントリビュータ ミシャ・ゴミアシュヴィリ, モフセン・マフマルバフ, ズラ・ベガリシュヴィリ, ダチ・オルウェラシュヴィリ, ラ・スキタシュヴィリ, グジャ・ブルデュリ
稼働時間 1 時間 59 分

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商品の説明

★イントロダクション★
巨匠マフマルバフの最高傑作!
世界が心を震わせた衝撃の結末、感動の誕生!
巨匠モフセン・マフマルバフ監督がまた一つ傑作を生んだ。遊牧民族の少女の恋をファンタジックに描いた『ギャベ』、
自身の牢獄体験をユーモアに描いた『パンと植木鉢』、盲目の少年の姿をみずみずしく描いた『サイレンス』、摩訶不思議な幻想譚『キシュ島の物語』、
国際社会から見捨てられた人々を描いた『カンダハール』など、多数の傑作を生みだし数々の権威ある賞を受賞してきた天才モフセン・マフマルバフ監督の渾身の最新作。
クーデターにより権力を奪われた独裁者と孫の逃避行を通して、自らの圧政により貧困と暴力に苦しんでいる人々の現状を浮き彫りに、
独裁政権への批判をしながらも、同時に圧政に声をあげなかった国民や兵士などへの批判も込めている。
暴力と憎しみの連鎖を目の当たりにし、自らの犯してきた罪の深さを思い知り人間性を取り戻していく独裁者を描き切る。
本作は、アカデミー賞受賞作『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』と並び、ヴェネツィア国際映画祭オープニング作品(オリゾンティ部門)に選出された話題作。
シカゴ国際映画祭最優秀作品賞受賞、東京フィルメックス観客賞受賞、ベイルート国際映画祭観客賞受賞など世界中の映画祭でセンセーションを巻き起こした。

老いた独裁者は幼い孫と逃亡の旅へ出る
絶望か希望か。待ち受ける運命とは
独裁政権に支配される国。ある日、クーデターが起こり、老いた独裁者は幼い孫と共に逃亡を余儀なくされる。
彼は多くの罪なき国民を政権維持のために処刑してきた冷酷な男だった。変装で素性を隠しながら、独裁者と孫は海を目指す。
二人が逃亡の旅で目の当たりにする驚きの光景とは・・・。絶望か希望か。自らの過去の罪に追われる独裁者と孫の衝撃的な結末とはー。

登録情報

  • アスペクト比 ‏ : ‎ 1.78:1
  • メーカーにより製造中止になりました ‏ : ‎ いいえ
  • 製品サイズ ‏ : ‎ 30 x 10 x 20 cm; 120 g
  • EAN ‏ : ‎ 4988021145190
  • 監督 ‏ : ‎ モフセン・マフマルバフ
  • メディア形式 ‏ : ‎ ドルビー, ワイドスクリーン, 色
  • 時間 ‏ : ‎ 1 時間 59 分
  • 発売日 ‏ : ‎ 2016/6/22
  • 出演 ‏ : ‎ ミシャ・ゴミアシュヴィリ, ダチ・オルウェラシュヴィリ, ラ・スキタシュヴィリ, グジャ・ブルデュリ, ズラ・ベガリシュヴィリ
  • 字幕: ‏ : ‎ 日本語
  • 販売元 ‏ : ‎ バップ
  • ASIN ‏ : ‎ B01EHFF4OA
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 18個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4.4つ
5つのうち4.4つ
18グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2018年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
架空の国のおとぎ話のような設定にしながら、支配階級の傲慢さと抑圧される側の怒りを対置しストーリーが展開されます。逃げ回る中で国民に自分たちがどう思われていたのか、気付きうろたえる元大統領。しかし名乗り出ることもできないまま最後の場面に向かいます。気を持たせる終わり方ですが、かえって余韻が心に残りました。独裁者はどこの国にも、どの社会にも現れます。また、自分が独裁的な立場に立つこともあります。身の回りの社会に照らしてみると深い映画です。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年1月9日に日本でレビュー済み
とある国で革命が起こり、冷酷非情な大統領と小さな孫・ダチが
懸賞金をかけられて追われる身となる。

大統領はクーデーターを制圧して権力を取り戻すために、
ダチは幼なじみのマリアと別れたくなくて国に残り逃亡
しそこねたからである。ダチは5歳の男の子で、かつては
大統領も持ち合わせていたはずの大統領の純粋さを表す
存在で、国に残る動機の違いからして大統領の独裁者ぶりを
表している。

大統領は、さすが一国を支配する人物であるだけに、
とても頭がよく機転が効いて、小さな孫をすら利用して、
厳戒な警備をすり抜けて協力者のいる海岸を目指す。

その大統領が、長い逃亡の過程で、暴力の連鎖や、
ともに行動することになった政治犯の思想を知るなど、
かつての自分の支配国の現実を目の当たりにして
人間性を取り戻していく。

この映画はコーカサス山脈の麓にあるジョージアで
撮影されている。色彩のない荒涼とした風景にときおり
現れる色彩は、豪華な宮殿でマリアとダチが社交ダンスの
レッスンをしているシーン、ダチの変装用の赤いスカーフだけ。

そんな背景の中、大統領にも孫にもほとんどセリフがなく、
2人の感情の動きは目の動きからしか読めない静かな映画である。
主要な登場人物にも名前はない。それだけに、現に各国で起きている
革命や暴力の連鎖の普遍性が強調されて、想像力が沸いて、迫力がある。

話題のラストーシーンは、現実の革命でこんなことが起きたら、
もう革命や戦争なんて起きないでしょう、でも、人間としてこうあれたら理想、
と思わせるような、いちばん考えさせられる見事な終わり方。

傑作です。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年11月12日に日本でレビュー済み
2015年公開。 監督はモフセン・マフマルバフというイランの人。

ある国の独裁者がクーデターによって追われる身となり、孫を連れて逃げる
逃走劇。

前半は退屈だったが、後半の独裁者のおじいさんが逃げる先々で、どれだけ
国民が貧しくて自分を恨んでいるのかを目の当たりにしていく展開は結構
楽しめた。

孫を演じる子供がものすごく可愛いのだが、無垢さを強調したセリフがちょっと
あざとすぎると思う。 全体的にわかりやすくというあ説教臭さが強い作品でも
ある。

「復讐の連鎖は良くない」というメッセージはとてもいいと思うけれど、もう少し
見せ場がほしかったです。
2016年9月11日に日本でレビュー済み
昔、G・チュフライ監督作の「君たちのことは忘れない」を見て、今ではほとんど内容忘れてるのだが、うろ覚えストーリーで唯一記憶から消えないシーンが、いくさばへ息子を戻したくない母親が彼を捜しにきた兵士の捜索から見つかりそうになる、その場面で、見ている観客としての自分はそのスリル(ちょっと違うか)に胃痛になりそうで目を背けたものだったが、この「独裁者と小さな孫」にはそんな胃痛シーンがいくつもあって、はっきり言って見たあととても疲弊した。思い出すだに過呼吸になりそう。それほどサスペンスフルな雰囲気がないのは、多分演出過多でなく、あまりに淡々と話が進むせいだろう。(因みに「君たち~」は再見したい作品自分内3本指に常に入っている。どこかソフト化してくれんものか)
この逃亡ロードムービーに関して言いたいことは多々あれど、政治的観点からは意見を述べるべきではないと思った、ので、情緒的な面だけでこのメモを進める。

ジョージア、ではピンとこないけど、元グルジアがこの映画の舞台なのか、いまいち胡乱なのだが、ところどころ挿入される聞いたことが絶対ない(と思われる)旋律が、表現不能なぐらい渋い。ロマ音楽?というのともまた違う、絶対に日本に住んでいたら触れ合うことがなかった音だと思った。映画「アリゾナドリーム」のサントラなんかもちょっと思い出したんだけど(エミール・クストリッツァは旧ユーゴの方ですね)それ以上にとっても「民族的」。いや、民族の定義がもうあやふやだけど、基本日本人の中には存在しないような音階な気がして、そしてとても美しいと思った。この挿入歌の歌詞やらシンガーを知りたいものだけど、言語の壁が高すぎる、、、
これがまた唐突にばっさり切れたりして場面転換するもんだから、こうこちらの度肝の猶予がそりゃあない。斬新すぎないかこの潔い演出。いや演出というか、カッティングルームの妙なんだろうけど、監督からは贅肉と思われたその部分を、自分はもっと見てみたいと思った。その編集魂には敬服だけども。

冒頭で書いた、観客にはわかっているからくり、の最たるものである、逃亡途上に出会う市井民たちが、独裁者である当の彼にだれも気づかない、という不思議があって、というか、その独裁者の肖像をいっぱしの家はどこでも飾るという決まりだかもあったはずなのに、それでも気づかなくて、もうそれが「独裁者」の心情としてどうなのかっていう。要は、独裁者(にちょっと見えない人格者ぽい風貌の俳優ミシャ・ゴミアシュヴィリ氏)が時間を経るにつれそういう事実をどんどん目の当たりにされて、盲目だった目が色々見開かれる過程の心情をちょっと擬似っぽく慮るともうたまらないよね。人並みの知能があればもうたまんない、胸苦しいぐらい普通は恥ずかしい。これはちょっと今の独裁体制をとっている諸国でのメディア統制状況がわからないからなんとも言えないけども、独裁者は常に裸の王様である、っていう泣き笑いの結果が必ずあるもので。
ゆえにラストの身バレしたシーンの恐怖はもう「色をなくす」って感じ。独裁者の無力に従うしかない「無表情」(怯えもまぁ加味)がわかりやすすぎて、これ演技じゃないんだろうなぁ、なんて思って見ていた。群集に、やれ殺せ、いやただ殺すなまずは孫を吊るしてそれを見せつけてからだ、やれ鬼だ悪魔だ人間じゃない、と、そんな言われようだもの、もはやひとごととでも思って受容れるしかないような、そう見えるほどにも「無」しか、独裁者の様子にはなかった。
この場面で一番人間的だったのは、彼の孫かもしれない。あの坊やはひたすら「泣いている」。あの涙を恐怖のみと捉えるのも可能だけども、他に自分は「なぜひとが同じひとにこのような暴力をおこなえるのか」という哀しみと疑問のメッセージとも受け取りたい。
これは政治犯の言う「復讐の連鎖では何も解決しないのだ」にも繋がるのだけども、ではどうすればいいのか。政治がまず正常化することはもちろん大前提であるけども、ひとの心情はそうはいかないから、余計に難しい。
これこそホロコースト後のユダヤ人や世界大戦を経た人類はとっくにわかっていそうなものだけども、それをいまだに克服できずにいる、この現代の、もはや病なのかもしれない。
だからいまだにひとは「なぜ殺すの?」というこどもたちの疑問に納得できる答えができない。
ただ、憎しみを癒すのは、もちろん目には目を、ではなくて、時間以外に今のところないのが現状だ。憎しみを持ち続けるのは非常に骨がいる。疲れる。そしてうんざりするものだ。愛すべき対象を強引に奪われた喪失はもちろん埋めようがないけれども、己は残念ながら「存在」し続ける、生きていかねばならぬ。この「営み」との和解を、人間がどういう風に学べばいいのか、この映画はそのとても良いテキストにもなっていると思う。

しかし、圧政下で暮らしたことのない自分が、いったいどれほどこの作品に寄り添えたのかは正直胸をはれないとは思う。2016年9月現在で最も見て欲しいひとたちが実はすぐそばにはいるものの、そうしたメッセージも送れないのが現状だ。もどかしい。
それからこの道中を、独裁者はその都度彼の孫に「これはゲームだ」となだめすがめつする。実際この坊やの従順度と現状把握はすごい。そして涙がもう演技の範疇を超える。この子役さんはもうこの作品タイトル以上に主演級だと思う。色々な恐怖の場面を見たくないけど見えざるをえないその瞳に宿る悲哀や寂寥が、その年なら見る必要もなかったろうに、という観客の否応ない同情というか哀切というか、もっと言うならこどもをそのような苦境に陥れてしまった同じ大人としての自責の念まで喚起させ、惹きつけられずにいない。
ここで思い出したのが、昔国語の教科書に載ってた「べろだしチョンマ」という、私的にトラウマレベルの恐さの一作があって、このラストシーンが「火垂るの墓」も彷彿とする幼い兄妹の痛ましいやりとり。確か父が政治犯みたいなことになって連帯責任で一家が処刑になる時、恐がる妹を兄がヘン顔作り続けた、という場面だったけど、映画はこのラストを迎えはしない代わりに、何度もこの場面があって、やっぱり観客としてのこちらのメンタルがかなりやられるのだった。
それと双璧なのが、大恋愛末結婚した愛する恋人の待つ家に向かう若い政治犯のみの、大画面に映されていく「絶望の過程」。この俳優さんはこのシーンだけで映画史に残ったと思う。そして、彼を間接的に、手をくだすこともないという直接手をくださない以上の残酷さで殺した、彼の愛した元恋人の嘆きを、カメラは非情なほどまっすぐ映す。そこに「しかしこれも、間違いなのではなかった」というキャプションが見てとれるからすごい。そもそも彼はまず、そこまで愛した女性を残していかなくてはならない行動を、犯すべきではなかった。残すぐらいなら、彼女も共に同じ行動をし、いっしょに牢獄生活を送れさえすれば良かったのだ。でなければ、彼女と完全に切れてから…こういうタラレバが無駄なのは重々承知で言いたくなるのは、あまりに迅速に彼が自身の消滅を決断し、実行していく過程までも、このカメラが静かに映していたせい。この殉死シーンは、この映画で数多い胃痛ポイントでおそらく最たるもの、止められそうなのにできなかった人間の無力感をとても良く表現できていて本当に秀逸だ。言っていいのか少し疑問だけど、「名場面」だと思う。

今更ながら、これは映画館で見たかったよなぁと思わされつつ、ニキータ・ミハルコフとかダルデンヌ兄弟ものとかの作るこういった世界ってやっぱり好きだなぁと、改めて思った次第。
まったく関係ないけど、この出演者さんたちはやっぱりジョージアのひとたちなのだろうと憶測しといて、名前末尾が(ア)シュヴィリというのがお国柄なのですね、ということを今回初めて知って目からウロコでした。
まったくエンタメ要素はないけど、自分の中で最上級の素養になる作品って一生ものだと思う。エラいダンディな監督さんが、もっと容易に(できたら本国で)作品を作れるような、そんな未来をうっすら期待するけど、とりあえずこの監督作品を今後過去作含め追いかけたい。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年7月17日に日本でレビュー済み
“ライフ・イズ・ビューティフル”1999、“蝶の舌”2001、
などの傑作で知られるモフセン・マフマルバフ監督。

イラン出身で、ヨーロッパで亡命生活を続ける
監督だからこそ創れた、“独裁者”と
その無垢(罪が無いという意味ではない)な
“孫”の逃亡の旅の物語。

人間の持つ、権力への固執や身勝手さ無慈悲さ、
暴力性、その政治的立場の危うさ、
対してシンプルな身内への愛情を
リアルかつ寓話性を秘めて描いています。

マフマルバフ監督自身も
“アラブの春”を背景に、今も多くの国で続く独裁と
暴力の連鎖へのアンチテーゼとしてこの作品を創ったと
語っています。

映画として決して派手ではありませんが
とても面白く、品格があり、完成度の高い、
観るべき価値のある作品です。オススメ。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年3月21日に日本でレビュー済み
独裁者が幼い孫と逃亡する中、自分の身勝手さを省みる映画を期待していたけど、そんな寓話的な映画ではなく、風刺的な映画です。最後も浜辺で拘束されながらフラフラと回って終わり、(?o?)←これ状態で終わります。
2016年11月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
失脚した老独裁者が孫と逃避行という、この組むあわせが何とも不思議な空気を醸し出し蒸す。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年8月13日に日本でレビュー済み
舞台となるのは今の時代のどこかの国。
独裁政治の破たんからクーデターが起き、大統領一家は亡命を図ろうとする。
しかし大統領は国に残ろうとしその孫も残ることに。
そして結果的に革命政府軍に追われる大統領とその孫。
この映画は逃げゆく先々で大統領が体現する暴君によって荒れ果てた民衆の姿とけだものと化した兵士達を通して罪の大きさと向かい合う旅の物語だ。
その日の食べる金さえない理髪店家族、逃げゆく先で遭遇する強奪する兵士達、花嫁を強姦する兵士、お金を全くもらえないのに商売を続けている娼婦、全てはこの大統領の冒してきた政治の末路の姿だった。
こうは書いてきたがこの映画とても観客に見せる術を心得ている。
もうその映像と時折挿入される音楽の妙、そして踊りと、これでもかって文学でも絵画でもない、映画ならではの表現方法を駆使する。
そしてこちらの魂を揺さぶらんかくらいの衝撃を与えてくれるのだ。
ラストは書かないが強烈な監督のメッセージがぶち込まれる。
どこかでだれかが攻撃、殺戮、虐待などを冷静になって止めないと人間とはなんとも愚かな生き物で憎しみの連鎖は永遠に終わらないと。
2014年のグルジア、フランス、イギリス、ドイツの合作。
監督はイラン出身のモフセン・マフマルバフと言う人。
この監督の映画初めて観ましたがとんでもない才能を持った人だと思いました。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート