最後まで読めば、意識や実在について至極穏当で常識的なことが書かれていることがわかるのですが、懐疑論や錯覚論法を論破する形で議論が進み、かつ、言葉の使い方(定義)が独特なので、その辺りを面白いと思える人にはお薦めです。以下内容について少しコメントです。
■物理(知覚)像と意識(に現れる)像の違い
著者の言葉遣いだと、知覚は世界を意識の内に取り込んだ表象ではない、ということですが、わかりやすいのは次の例だと思います。
街で友達のAさんの後ろ姿を見つけ近づいて「Aさん、おはよう」と声をかける。その人が振り向くと知らない人だったので驚いた、というケース。この時私の中では何が起こっているか。
まず私は、後ろ姿の物理(知覚)像を基に、その人はAさんだと同定し、その人の親しさや振り向いた時の反応(こっちを見る顔つきや発する言葉)を予想する。ところが、振り向いたその人はAさんではない(知らない人だ)から、その人にまとわせていた親しい感じや顔つき・声などはリセットされる。
つまり、物理(知覚)像としては、振り向く前と後は連続しているが、意識の中では、振り向く前と後では別人。
■私と他者を隔てる絶対の壁は存在しない
はい。もし絶対の壁があったらこの世界は成立しないです。
例えば、パパが一歳のBくんに、「そこのボール持ってきて」と言って、Bくんがボールをパパに渡す。たったそれだけのことの中にも、パパとBくんには、持ち運びできるボールがそこに存在している、という共通の信憑が成立しています。もし、パパとBくんの間に絶対の認識の壁があって、そこに何かがある(存在)ということについて共通の信憑がなかったら、幼児にこの世界は成立し得ないです。
久永公紀『意思決定のトリック』・『宮沢賢治の問題群』
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心という難問 空間・身体・意味 単行本 – 2016/5/27
野矢 茂樹
(著)
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私が見たり聞いたりしているこれは、本当に世界そのものなのだろうか。かつては誰も見通すことができなかった、知覚し感覚するという経験を解き明かす、思考のドキュメント。著者は、こうして、ついに世界と心ある他者に出会えた!
哲学には、いくつか、根本的な大問題があります。たとえば、他我問題。他者は本当に存在するのだろうか。すべては、私の脳に映し出された像にすぎないのではないか。そんなことはない、といいたいところですが、歴史的に、さまざまに論じられながら、解決したとは言えません。すべては、あなたの脳の中に映じていることだ、という主張に対して、結局、有力な反論はだせないのです。
あるいは、あなたは、他人の痛みを感じることができるでしょうか。他人が腹痛を訴えているとして、その痛みが本当にあるのか、あなたにはついにわからないのではないか。これまた、哲学史上の有名な難問です。
目の前にリンゴがある。あなたがそれを知覚しているから、あると言える。哲学史上有名なジョージ・バークリの名言によれば、「存在するとは知覚されることである」。とすれば、リンゴのある部屋から誰もいなくなれば、リンゴは存在しなくなる。
そんバカな、といっても、論理的に反論するのは、きわめて難しい。
このような哲学の難問にたいして、著者は、まっこうから、いや、リンゴはあるんだ 、という哲学的立場を確立しようとします。
素朴実在論という立場です。
古来重ねられてきた哲学的議論をふまえつつ、さまざまな反論にさらされてきた「素朴実在論」を、周到かつ明解な
議論でうちたてる、著者渾身の代表作です。
好評を博した快著『哲学な日々』の理論編ともいえる力作。
哲学には、いくつか、根本的な大問題があります。たとえば、他我問題。他者は本当に存在するのだろうか。すべては、私の脳に映し出された像にすぎないのではないか。そんなことはない、といいたいところですが、歴史的に、さまざまに論じられながら、解決したとは言えません。すべては、あなたの脳の中に映じていることだ、という主張に対して、結局、有力な反論はだせないのです。
あるいは、あなたは、他人の痛みを感じることができるでしょうか。他人が腹痛を訴えているとして、その痛みが本当にあるのか、あなたにはついにわからないのではないか。これまた、哲学史上の有名な難問です。
目の前にリンゴがある。あなたがそれを知覚しているから、あると言える。哲学史上有名なジョージ・バークリの名言によれば、「存在するとは知覚されることである」。とすれば、リンゴのある部屋から誰もいなくなれば、リンゴは存在しなくなる。
そんバカな、といっても、論理的に反論するのは、きわめて難しい。
このような哲学の難問にたいして、著者は、まっこうから、いや、リンゴはあるんだ 、という哲学的立場を確立しようとします。
素朴実在論という立場です。
古来重ねられてきた哲学的議論をふまえつつ、さまざまな反論にさらされてきた「素朴実在論」を、周到かつ明解な
議論でうちたてる、著者渾身の代表作です。
好評を博した快著『哲学な日々』の理論編ともいえる力作。
- 本の長さ394ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2016/5/27
- 寸法14.1 x 3 x 19.4 cm
- ISBN-104062200783
- ISBN-13978-4062200783
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商品の説明
著者について
野矢 茂樹
1954年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。現在、東京大学教授。専攻は、哲学。おもな著書に、『論理学』(東大出版会)、『心と他者』(勁草書房→中公文庫)、『哲学・航海日誌』(春秋社→中公文庫)、『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』(哲学書房→ちくま学芸文庫)、『哲学の謎』『無限論の教室』(講談社現代新書)、『論理トレーニング』(産業図書)、『語りえぬものを語る』(講談社)、『大森荘藏』(講談社学術文庫)など多数。近刊のエッセイ『哲学な日々』(講談社)も好評を博している、日本の代表する人気哲学者。
1954年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。現在、東京大学教授。専攻は、哲学。おもな著書に、『論理学』(東大出版会)、『心と他者』(勁草書房→中公文庫)、『哲学・航海日誌』(春秋社→中公文庫)、『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』(哲学書房→ちくま学芸文庫)、『哲学の謎』『無限論の教室』(講談社現代新書)、『論理トレーニング』(産業図書)、『語りえぬものを語る』(講談社)、『大森荘藏』(講談社学術文庫)など多数。近刊のエッセイ『哲学な日々』(講談社)も好評を博している、日本の代表する人気哲学者。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2016/5/27)
- 発売日 : 2016/5/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 394ページ
- ISBN-10 : 4062200783
- ISBN-13 : 978-4062200783
- 寸法 : 14.1 x 3 x 19.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 410,485位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 945位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 2,964位哲学 (本)
- - 3,669位思想
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2024年2月20日に日本でレビュー済み
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2021年8月19日に日本でレビュー済み
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普段漠然と考えるテーマを掘り下げて記述されています。
まだ思いもつかなかったテーマを着想して読者へ提示してその考え方を記述されています。
哲学者ですから思考実験を得意とするのですが、思考の柔軟性を養うのに適している。また自分自身の考え方を拡張するのに適している。
まだ思いもつかなかったテーマを着想して読者へ提示してその考え方を記述されています。
哲学者ですから思考実験を得意とするのですが、思考の柔軟性を養うのに適している。また自分自身の考え方を拡張するのに適している。
2021年12月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
課題設定とアプローチが、線形力学のシステムの枠内にとどまっており、あらたな展開が全くない20世紀の古典としか言いようがない書。自己組織化あるいは創発を行為と認知が一体となって作動するモードのシステムとして課題設定しないと、行き止まりになって新たな展開はない。残念な書
2023年10月24日に日本でレビュー済み
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なんてことだ。
我々は驚嘆する他ない。
この眺望論の完成形に。
そして相貌論の前進に。
今後の野矢茂樹の哲学は、一体どんな相貌を、私の前に立ち現すのだろう。
楽しみでならない。
我々は驚嘆する他ない。
この眺望論の完成形に。
そして相貌論の前進に。
今後の野矢茂樹の哲学は、一体どんな相貌を、私の前に立ち現すのだろう。
楽しみでならない。
2018年8月16日に日本でレビュー済み
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野矢先生の本は10冊程度は読ませていただきました。どれも面白く読めました。しかし、この本に関しては疑問が残りました。 込入った議論は私にはできませんので、あくまで素人の素朴な疑問と受け止めてください。 野矢先生は、「眺望論」をうち立てて、素朴実在論を擁護しました。 そこまではよいのですが、しかし、ただ擁護したというだけでは、そのことをもって そのまま錯覚論法(懐疑)を打倒したということにはならないのではないかと思えるのです。 つまり、この議論は直接対決ではない、間接的なしかたで相手を追いつめる論法かと思います。 それで、私としては直接 錯覚論法の矛盾を指摘するような鋭い論法を思わず期待してしまったのですが、「言うは易く行うは難し」でそれは読者のわがままな思い込みなのかもしれません。 素人のくせにいろいろ言いましたが、哲学を目の当たりにやってみせる野矢先生の姿勢はいつもながら敬意を払いたいと思います。 まだ読んでいない人には一読して損はない著書だと思います。
2016年7月21日に日本でレビュー済み
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従来の伝統的な哲学書は、主に言葉の意味を論じており、さらに疑えることはすべて疑うことはよいとしても、せっかく疑いから生み出した結論がやはり疑い得る、というものであった。この原因は哲学の本質にかかわる問題で、たとえば「存在、実在」を論じにしても、思索の道具は言葉につきる点にあるだろう。そのため、得られた結論といっても、他の言葉で置き換えられたものに過ぎないのである。
この反省として現象学が登場したが、今度は言葉の意味の共有性が軽視されて、言葉の恣意性が強調される事態となった。
この本ではこのような従来の哲学の問題点が改められて、私たちが意味を共有できる平易な言葉を用いて、「独我論」といわれている従来の哲学の問題を論じている。この点は大いに評価したい。
「世界は自分の意識の中の出来事にすぎない」との疑いを「独我論」というが、本書では「疑いを完全に否定できないとの理由で独我論を認めるのはおかしい。他者は自分と同じ意識や知覚をもった存在であると考えた方がはるかに理に適っており、公共的な世界も成り立つ」との主張を展開している。この点においてもほとんど疑いに終始していた従来の哲学路線を卒業しており、大いに評価したい。
私は科学を重視するものだが、科学理論は①理論の対象をよく観察して②数学的推理や共有できる言葉のみで対象を記述したものといえる。さらにその理論は③他の科学者たちによる十分な吟味を経て科学理論として認められている。本書は哲学書の形をとっているが、このような科学理論としても十分通用するものと考える。科学的思考と独我論は相いれない関係にあることはいうまでもない。
本書では「科学」という言葉が使用されていないが、意味を共有できる公共的な言葉や理論とは科学的であることを説明してほしかった。
もう一つ異論を唱えさせていただく。それは今注目を集めているロボットの将来についてである。
本書では将来どこまでも人間に近いロボットができる可能性があると説明している。しかし、私は次の2つの越えがたいハードルがあるゆえに、ロボットを人間に近づけることはできない考えている。
その第一は人のもつ感覚の問題である。
痛い、美味しいなどの感覚そのもの(クオリアといわれている)は生体内部の知覚現象であり、これを生体外部に取り出すことはできない。生体内部の感覚を測定して取り出そうとすると、その過程で感覚は測定値に変換されてしまう。
ロボットの場合、センサーを備えてセンサーからの信号を、痛い、気持ちいい、美味しい、などと教え込むことはできるが、元をただせば電気信号であり感覚そのものではない。そのため、人がしているような、食事をしながら新たな味を発見的に語ったり、感覚から自発的な興味を起こすことはできないだろう。
もう一つのハードルは人のもつ絶えず満足感を求める志向性の問題である。
人の心に満足感、不満感が芽生え、志向性といわれている自発的思考が始まる理由を探ってみると、それはヒトの誕生とともに始まる身体感覚(快感、不快感、空腹感、痛みなど)に由来するとの考え方が妥当だろう。それゆえに身体感覚のないロボットは満足感を求める自発的思考ができないし、自発的思考の結果である自意識も生まれないだろう。
この2つのハードルによりロボットは人になり得ない。ロボットはいつまでも満足感を求める自発的思考とは無縁のゾンビにとどまるだろう。
このようなロボットは良い目的に使われる限りは良いのだが、悪い目的に使われると危険である。ロボットは自己意識をもたないため、与えられたプログラムに無批判に従って行動するからである。将来はロボットが悪者に乗っ取られないように、今から十分の対策を考えてゆく必要があるだろう。
このような点から本書の評価は3とさせていただいた。
この反省として現象学が登場したが、今度は言葉の意味の共有性が軽視されて、言葉の恣意性が強調される事態となった。
この本ではこのような従来の哲学の問題点が改められて、私たちが意味を共有できる平易な言葉を用いて、「独我論」といわれている従来の哲学の問題を論じている。この点は大いに評価したい。
「世界は自分の意識の中の出来事にすぎない」との疑いを「独我論」というが、本書では「疑いを完全に否定できないとの理由で独我論を認めるのはおかしい。他者は自分と同じ意識や知覚をもった存在であると考えた方がはるかに理に適っており、公共的な世界も成り立つ」との主張を展開している。この点においてもほとんど疑いに終始していた従来の哲学路線を卒業しており、大いに評価したい。
私は科学を重視するものだが、科学理論は①理論の対象をよく観察して②数学的推理や共有できる言葉のみで対象を記述したものといえる。さらにその理論は③他の科学者たちによる十分な吟味を経て科学理論として認められている。本書は哲学書の形をとっているが、このような科学理論としても十分通用するものと考える。科学的思考と独我論は相いれない関係にあることはいうまでもない。
本書では「科学」という言葉が使用されていないが、意味を共有できる公共的な言葉や理論とは科学的であることを説明してほしかった。
もう一つ異論を唱えさせていただく。それは今注目を集めているロボットの将来についてである。
本書では将来どこまでも人間に近いロボットができる可能性があると説明している。しかし、私は次の2つの越えがたいハードルがあるゆえに、ロボットを人間に近づけることはできない考えている。
その第一は人のもつ感覚の問題である。
痛い、美味しいなどの感覚そのもの(クオリアといわれている)は生体内部の知覚現象であり、これを生体外部に取り出すことはできない。生体内部の感覚を測定して取り出そうとすると、その過程で感覚は測定値に変換されてしまう。
ロボットの場合、センサーを備えてセンサーからの信号を、痛い、気持ちいい、美味しい、などと教え込むことはできるが、元をただせば電気信号であり感覚そのものではない。そのため、人がしているような、食事をしながら新たな味を発見的に語ったり、感覚から自発的な興味を起こすことはできないだろう。
もう一つのハードルは人のもつ絶えず満足感を求める志向性の問題である。
人の心に満足感、不満感が芽生え、志向性といわれている自発的思考が始まる理由を探ってみると、それはヒトの誕生とともに始まる身体感覚(快感、不快感、空腹感、痛みなど)に由来するとの考え方が妥当だろう。それゆえに身体感覚のないロボットは満足感を求める自発的思考ができないし、自発的思考の結果である自意識も生まれないだろう。
この2つのハードルによりロボットは人になり得ない。ロボットはいつまでも満足感を求める自発的思考とは無縁のゾンビにとどまるだろう。
このようなロボットは良い目的に使われる限りは良いのだが、悪い目的に使われると危険である。ロボットは自己意識をもたないため、与えられたプログラムに無批判に従って行動するからである。将来はロボットが悪者に乗っ取られないように、今から十分の対策を考えてゆく必要があるだろう。
このような点から本書の評価は3とさせていただいた。
2016年7月21日に日本でレビュー済み
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本人は否定するかも知れないが、大森荘蔵の正統な後継者として、だれをおいてもまず野矢茂樹の名前を挙げないわけにはいかない。彼が扱うテーマといい、引用を最小限にとどめた奇をてらわない明瞭な語り口といい、大森DNAをこれほど濃密に継承している哲学者はほかにいないのではないか(ちなみにデビュー作『心と他者』の文庫版には大森荘蔵によるメモが添えられている)。
そんな彼がデビュー当初から一貫して追求しているテーマの一つが「心」である。心とは何か。だれもが分かっているようで、いざ説明しようとすると何も分かっていないことに気づく。そもそも心などというものは存在するのだろうか。このテーマは心身問題や主観客観問題とも接続する。いずれも認識論の主要テーマであり、大森荘蔵や廣松渉が格闘し続けた難問であった。
本書は三部構成になっている。『問題』と題された第一部では、知覚・感覚・他者を巡る哲学問題が提示され、第二部『理論』では、それらの問題を解消するツールとしての理論が開示され、第三部『解答』において第一部の問題がひもとかれてゆく(個人的には9-2-6で論じられている感情論がとても興味深かった)。
認識の場面において野矢は素朴実在論を採用する。私たちはあるがままの世界をあるがままに認識しているのであり、決して実物によく似た知覚イメージを認識しているのではない。ところがそのような素朴実在論に対しては錯覚論法が立ちはだかる(かといって主客二元論や意識一元論にも致命的な欠陥がある)。野矢は素朴実在論を擁護するために「眺望論」と「相貌論」という武器を手に錯覚論法に立ち向かう。その最終到達地点に「心の在りか」が姿をあらわす構成になっている。
一つだけ疑問に思ったのは「ロボットもまた物語を生きることができる」というくだりであった。知覚し感覚するロボットが製作され、人間とともに生活できるようになれば、ロボットも人間と同じように物語を生きることができると野矢は言う。だが物語を生きるためには、受動的な知覚・感覚のみならず、能動的な行為すなわち自由意志が必要ではないだろうか。期待が裏切られたり後悔したりすることによって、物語は形成されるのではないだろうか。もっとも人間にそもそも自由意志が存在するのかどうか、受動性と能動性に区別などあるのかどうかという大問題が残ってはいるけれども。
哲学者はともすれば極論に走りたがる傾向があるのに対し、野矢は極めて慎重に、石橋を叩いて渡るかのように議論を組み立ててゆく。自分の体験に忠実に、常に地に足をつけた哲学を展開し、決して読者を置いてきぼりにしない。過激さの少ない語り口に物足りなさを感じる読者もいるかも知れないが、大森哲学を継承した野矢哲学の真摯な態度は大きな魅力であると思う。
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のようにナンバリングされた目次を見れば分かるとおり、いつもは徒然なるままに断片的な思想を展開する野矢が、本書ではかなり体系的かつ緻密に論理を組み立てている。ある意味で野矢哲学の集大成と言ってもよいのではないか。草食系と言われる哲学者が気合を入れて書き上げた渾身の一冊である。
そんな彼がデビュー当初から一貫して追求しているテーマの一つが「心」である。心とは何か。だれもが分かっているようで、いざ説明しようとすると何も分かっていないことに気づく。そもそも心などというものは存在するのだろうか。このテーマは心身問題や主観客観問題とも接続する。いずれも認識論の主要テーマであり、大森荘蔵や廣松渉が格闘し続けた難問であった。
本書は三部構成になっている。『問題』と題された第一部では、知覚・感覚・他者を巡る哲学問題が提示され、第二部『理論』では、それらの問題を解消するツールとしての理論が開示され、第三部『解答』において第一部の問題がひもとかれてゆく(個人的には9-2-6で論じられている感情論がとても興味深かった)。
認識の場面において野矢は素朴実在論を採用する。私たちはあるがままの世界をあるがままに認識しているのであり、決して実物によく似た知覚イメージを認識しているのではない。ところがそのような素朴実在論に対しては錯覚論法が立ちはだかる(かといって主客二元論や意識一元論にも致命的な欠陥がある)。野矢は素朴実在論を擁護するために「眺望論」と「相貌論」という武器を手に錯覚論法に立ち向かう。その最終到達地点に「心の在りか」が姿をあらわす構成になっている。
一つだけ疑問に思ったのは「ロボットもまた物語を生きることができる」というくだりであった。知覚し感覚するロボットが製作され、人間とともに生活できるようになれば、ロボットも人間と同じように物語を生きることができると野矢は言う。だが物語を生きるためには、受動的な知覚・感覚のみならず、能動的な行為すなわち自由意志が必要ではないだろうか。期待が裏切られたり後悔したりすることによって、物語は形成されるのではないだろうか。もっとも人間にそもそも自由意志が存在するのかどうか、受動性と能動性に区別などあるのかどうかという大問題が残ってはいるけれども。
哲学者はともすれば極論に走りたがる傾向があるのに対し、野矢は極めて慎重に、石橋を叩いて渡るかのように議論を組み立ててゆく。自分の体験に忠実に、常に地に足をつけた哲学を展開し、決して読者を置いてきぼりにしない。過激さの少ない語り口に物足りなさを感じる読者もいるかも知れないが、大森哲学を継承した野矢哲学の真摯な態度は大きな魅力であると思う。
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のようにナンバリングされた目次を見れば分かるとおり、いつもは徒然なるままに断片的な思想を展開する野矢が、本書ではかなり体系的かつ緻密に論理を組み立てている。ある意味で野矢哲学の集大成と言ってもよいのではないか。草食系と言われる哲学者が気合を入れて書き上げた渾身の一冊である。
2019年2月8日に日本でレビュー済み
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私は哲学の専門家ではないし、きわめて不勉強な一読者にすぎないので、以下の感想に誤解や曲解、ひとりよがりな感慨などが含まれているかもしれないことを、あらかじめお詫びしておく。本書は、これまでウィトゲンシュタインを始めとする多くの哲学者を悩ませてきた「自分」と「他者」の区別、そして両者の間のコミュニケーションの問題に対して、一つの解答を与えようとしたものである。そして、「眺望」「相貌」という概念を使うことによって、この問題に大きな前進をもたらしたと言ってよい内容の書物が完成した。私は当初、まるで推理小説を読むかのように知的興奮を覚えながら本書を読み進め、そして最後の一節にたどり着いたとき、何か救われたような気持になって、目がうるんでくるのを禁じ得なかった。この書物は、無論哲学の研究書として優れたものであるのだろうが、それ以上にこれまでの著者の研究の集大成として、人間に対する著者の限りなく優しいまなざし、人生に対する慈しみの気持ちが行間に溢れている。いわば、哲学書の形をとった人生のバイブルのような書なのである。おそらく私はこの書物を、今後の人生においてことあるごとに読み返し、そのたびに希望と生きる意欲を与えられることだろう。野矢先生、本当に素晴らしい本を世に出してくださって、有り難うございます。