先にレビューした三浦俊彦著
可能世界の哲学―「存在」と「自己」を考える (NHKブックス)
との関連で読みました。
実際に両氏の間で交流もあるようです。
お二方とも独我論と輪廻転生との間の矛盾をどう解決するか、といった問いについて考え続けておられる学者です。
これについては、シャンカラや仏教など東洋の神秘思想において既に解決済みなのではないかと思うのですが、両氏とも「あえて」その部分を外して考察する道を選ばれたようです(その理由として、これらの書物が書かれた当時の時代背景が大いに関係していると思われます)。
ただし、渡辺氏の本著作では、氏がシャンカラの不二一元論を非常に重視していることもちらっと示唆されています。
現在では、量子力学や遺伝子研究などの科学的進展によって、これまでとは少し異なった科学的アプローチも可能になってきているのではないかと思われますので、今後そのような最新の科学的成果に基づいて輪廻や独我論について語る著作がどんどん出てくることを期待します。

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輪廻転生を考える: 死生学のかなたへ (講談社現代新書 1303) 新書 – 1996/5/1
渡辺 恒夫
(著)
私はどこから来てどこへ行く。前世は何? 死後は? 自己が自己である理由を考える。
輪廻転生観の歴史――情報化文明の中で、現在の少年少女は、まだ年端もいかぬうち、宇宙的な視野の広がりに直面する。それが、「なぜ20世紀末の今というときに、ここ地球星の日本という島に生きているのか」という問いを生む。また、みんな同じような家に住み同じような服を着て同じような教育を受ける、という現代の超過密化した管理社会が、「自分は本当はいったい誰なのだろう」という、出自を求める問い、アイデンティティの問いとなる。輪廻転生観は、まさに、これら、《今》と《ここ》の問い、「私は誰か」の問いに答えるべく、忘却の淵から呼び戻されたのだ。前近代の迷妄と思われていたものが、ポストモダンの死生観の有力候補としてよみがえりつつあるのだ。――本書より
輪廻転生観の歴史――情報化文明の中で、現在の少年少女は、まだ年端もいかぬうち、宇宙的な視野の広がりに直面する。それが、「なぜ20世紀末の今というときに、ここ地球星の日本という島に生きているのか」という問いを生む。また、みんな同じような家に住み同じような服を着て同じような教育を受ける、という現代の超過密化した管理社会が、「自分は本当はいったい誰なのだろう」という、出自を求める問い、アイデンティティの問いとなる。輪廻転生観は、まさに、これら、《今》と《ここ》の問い、「私は誰か」の問いに答えるべく、忘却の淵から呼び戻されたのだ。前近代の迷妄と思われていたものが、ポストモダンの死生観の有力候補としてよみがえりつつあるのだ。――本書より
- 本の長さ203ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1996/5/1
- ISBN-104061493035
- ISBN-13978-4061493032
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商品の説明
著者について
1946年生まれ。京都大学文学部で哲学を、同大学院文学研究科で心理学を専攻。現在、東邦大学教授。専門は人格心理学・生理心理学・科学基礎論・文明論。著書に『迷宮のエロスと文明』―新曜社、『トランス・ジェンダーの文化』―勁草書房、『最新マインドサイエンス』(編)―八千代出版―などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1996/5/1)
- 発売日 : 1996/5/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 203ページ
- ISBN-10 : 4061493035
- ISBN-13 : 978-4061493032
- Amazon 売れ筋ランキング: - 250,110位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年5月24日に日本でレビュー済み
この『輪廻転生を考える』は絶版の新書ですが、令和日本のオタクに是非再評価されてほしい一冊です。まず、著者の渡辺恒夫氏は「遍在転生観」の持ち主で、氏の遍在転生観は一部のオタクの間で高評価されているゲーム『素晴らしき日々~不連続存在~』の結末に影響を与えました。そして現時点でのオタクの間では異世界転生ブームが発生しており、今「転生」がアツい!令和のオタクは、ぜひこの本を読んでみるべきです。
序章は「浮上し、圧殺される若者たちの問い」です。現代ではアイデンティティの確立が難しくなり、「私とは誰か」という問題が若者を惹き付け、輪廻転生観がブームになってきているというお話でした。
第一章は「輪廻転生観の歴史」です。「哲学はギリシャのタレスに始まる」というよくある説に渡辺氏は反論し、タレスよりも一世紀程前にインドで活躍したヤージナヴァルキャの解脱論を紹介します。自我が転生する「輪廻転生観」と自我が存在しない「無我説」の対立を調停するアーラヤ識についても書いてありました。そして第一章は「私はあらゆる時、あらゆる場所に遍在する」という梵我一元論に到達します。
第二章は「前世の記憶の『経験科学』」です。生まれ変わりやESPみたいな、怪しげなオカルトが紹介されていました。マルクス・ガブリエルの『私は脳ではない』に先立って、意識を脳に還元する科学者たちが批判されていました。
第三章は「独我論対遍在転生観」です。この章がこの本の真骨頂だと思います。独我論とは、「宇宙には私の意識しかなく、他人は意識無きデク人形だ」という、究極孤独の世界観です。渡辺氏の遍在転生観は、「唯一の私が転生を重ねることによってあらゆる自己意識的生命体に転移している」という考え方です。遍在転生観だと「全ての他人は過去の私か未来の私だ」ということになり、他人を機械人形だと考える独我論の虚無を超克できます。
第四章は「『私はだれ?』の哲学」です。唯物論、心身二元論、近年の科学的性教育が論破されていました。また、独我論が実は「独我転生観」の一種で、さらに独我転生観もまた「穴だらけ遍在転生観」の一種だというお話でした。
終章は「華麗なる死生学の誕生」です。この章はかなり早足な印象があり、ファインマンやボームの学説がやや唐突に導入されていました。
序章は「浮上し、圧殺される若者たちの問い」です。現代ではアイデンティティの確立が難しくなり、「私とは誰か」という問題が若者を惹き付け、輪廻転生観がブームになってきているというお話でした。
第一章は「輪廻転生観の歴史」です。「哲学はギリシャのタレスに始まる」というよくある説に渡辺氏は反論し、タレスよりも一世紀程前にインドで活躍したヤージナヴァルキャの解脱論を紹介します。自我が転生する「輪廻転生観」と自我が存在しない「無我説」の対立を調停するアーラヤ識についても書いてありました。そして第一章は「私はあらゆる時、あらゆる場所に遍在する」という梵我一元論に到達します。
第二章は「前世の記憶の『経験科学』」です。生まれ変わりやESPみたいな、怪しげなオカルトが紹介されていました。マルクス・ガブリエルの『私は脳ではない』に先立って、意識を脳に還元する科学者たちが批判されていました。
第三章は「独我論対遍在転生観」です。この章がこの本の真骨頂だと思います。独我論とは、「宇宙には私の意識しかなく、他人は意識無きデク人形だ」という、究極孤独の世界観です。渡辺氏の遍在転生観は、「唯一の私が転生を重ねることによってあらゆる自己意識的生命体に転移している」という考え方です。遍在転生観だと「全ての他人は過去の私か未来の私だ」ということになり、他人を機械人形だと考える独我論の虚無を超克できます。
第四章は「『私はだれ?』の哲学」です。唯物論、心身二元論、近年の科学的性教育が論破されていました。また、独我論が実は「独我転生観」の一種で、さらに独我転生観もまた「穴だらけ遍在転生観」の一種だというお話でした。
終章は「華麗なる死生学の誕生」です。この章はかなり早足な印象があり、ファインマンやボームの学説がやや唐突に導入されていました。
2012年2月13日に日本でレビュー済み
読みやすく面白く、一気に読んでしまいました。
途中なんとなく強引な所もあったような気がします。
しかし、結論は私にとってはとても斬新でびっくらこきました。
この本を読んで、輪廻転生や哲学に興味を持ちました。
途中なんとなく強引な所もあったような気がします。
しかし、結論は私にとってはとても斬新でびっくらこきました。
この本を読んで、輪廻転生や哲学に興味を持ちました。