伊藤之雄氏の著作を最初に読んだのは「伊藤博文 近代日本を創った男」だった。それ以後、山県有朋、西園寺公望、元老に関する著作を読んできた。そのあと、講談社の「日本の歴史22、政党政治と天皇」を横に置いて、先に、こちらを読んだ。昭和天皇に対する認識を新たにした。実は、「昭和天皇」については、先に古川隆久氏の著書を読んでから、こちらをとりあげたので、昭和天皇論が簡単ではないことは理解している。伊藤之雄氏の古川氏に対する批判も明確だ。
伊藤博文と明治天皇の関係については、先に読んできたので、その元老と天皇のある意味、いい関係が成立していたと思うが、それが、西園寺公望が最後の元老となり、直接天皇とやりとりする相手が昭和天皇の時代には不安定となる。昭和時代は、天皇が望まないのに、満州やシナへの進出で、天皇が恐れていた英米との軋轢が高まる。国連を飛び出た松岡などへの批判は昭和天皇はするどいものだった。靖国神社に天皇が行かなくなったのは、松岡などが合祀されたからだと考えられている。昭和天皇は本来国際協調派だった。これは古谷氏の本で強調されていた。
満州事変以後、さらに、真珠湾攻撃以後、昭和天皇とやりとりした政府側の対応した相手は、次々と変わる。信頼が醸成される間もない。戦後の内奏になると、官僚が次々と交代しながら報告に来たのだろうが、昭和天皇と内奏した相手との「コミュニケーション」はあまり成立していないように私には見える。勿論、2・26事件のようなことへの経験から、天皇が直接の意見表明や関与を控えるようになったこととも関係していると思う。コミュニケーションが不足したまま、軍部とは特に乖離がひどくなったように見えてしかたない。
私はずいぶん前に読んだエリザベス女王と英国首相との話を思い出していた。女王が首相に切り出すタイミングとテクニックの上手さをなるほどと思った記憶がある。平成の天皇は、ますます政府側とのやりとりは抑制されたように見える。次期天皇はイギリス留学も経験されており、より賢明に対応されるものと予想している。
いづれにしても、伊藤氏の一連の著作は、今回も資料に基づく信頼できる分析や記述が多いと感じるし、安心して読んでいる。退職前の私の専門は異なるので、こういった著作を読むのは楽ではないが、確実に、よく知らなかった歴史の主要な人物を巡る情報を少しづつだが理解してきている。怪しげな歴史小説類や浅薄なジャーナリストの駄弁などに飽き飽きしている方なら、こういうレベルの本に挑戦すると老後も脳は活性化するように思う。
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昭和天皇伝 Kindle版
第15回(2011年)司馬遼太郎賞受賞作。
日本の命運を若くして背負わざるをえなかった君主はいかに歩んだのか。昭和天皇の苦悩と試行錯誤、そして円熟の日々――。我々は後年の円熟味を増した姿で昭和天皇についてイメージし語ってしまいがちだが、昭和天皇が即位したのは25歳。世間では天皇の神聖さが説かれていても、右翼や保守派の重臣たちは天皇をかなり手厳しく見ていた。本書は側近や実力者たちが残した膨大な日記など、一級の史料を丁寧に掘り起こし、生真面目で気負いのある若かりし頃から晩年にいたるまでの多面的な昭和天皇の姿を描く。「昭和」という時代を理解するために必読の評伝!
日本の命運を若くして背負わざるをえなかった君主はいかに歩んだのか。昭和天皇の苦悩と試行錯誤、そして円熟の日々――。我々は後年の円熟味を増した姿で昭和天皇についてイメージし語ってしまいがちだが、昭和天皇が即位したのは25歳。世間では天皇の神聖さが説かれていても、右翼や保守派の重臣たちは天皇をかなり手厳しく見ていた。本書は側近や実力者たちが残した膨大な日記など、一級の史料を丁寧に掘り起こし、生真面目で気負いのある若かりし頃から晩年にいたるまでの多面的な昭和天皇の姿を描く。「昭和」という時代を理解するために必読の評伝!
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2014/3/10
- ファイルサイズ7172 KB
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登録情報
- ASIN : B00IZRV48C
- 出版社 : 文藝春秋 (2014/3/10)
- 発売日 : 2014/3/10
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 7172 KB
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- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 568ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 257,957位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 2,301位日本史 (Kindleストア)
- - 5,703位日本史一般の本
- - 6,494位ノンフィクション (Kindleストア)
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2019年3月22日に日本でレビュー済み
レポート
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15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2019年11月1日に日本でレビュー済み
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しっかりした歴史認証により人間昭和天皇を浮き彫りにしている。
2013年7月28日に日本でレビュー済み
この本は、「あとがき」にもあるように、井上清/著の『天皇の戦争責任』にある、「昭和天皇は日本唯一最高の統治権者であり、主体的に判断し、決意して戦争を発動し指揮した、とする「明快」な論理に、強い違和感を覚えたこと」P559から、天皇と戦争とのかかわりに関心を持ち、中曽根前首相のいう、昭和天皇は「最高の天皇」の評価に対して、ハーバード・ビックスの天皇批判の、「軍事指導者であり、国家の主権者であった役割を意図的にぼかし」(中略)「他人をどれほど犠牲にしようと、みずからの地位を守ろうとした点において、昭和天皇は現代の君主のなかでももっとも率直ならざる人物のひとり」P19に、多くの参考文献を基に、昭和天皇の実像および戦争責任について考察した力作といえると思います。参考文献は、昭和天皇擁護本から批判本を用いているだけに好感が持て、また著者は客観的視点において論じている思われます。
読んでいて気になったのが、「右翼」という文字が多く、途中からメモしただけでも、P188「右翼系の海軍青年将校」「右翼団体の政教社関係」「右翼団体」、P189「右翼の橋本徹馬」、P191「右翼」「右翼の青年に狙撃」、P192「右翼の中」「右翼へのコントロール」、P212「陸軍ともつながりの深い右翼の大物」、P212「右翼や陸軍内に反感」、P207,208,217,224,227,238,240,242,247,255,258,261,362,445,485に「右翼」がある。戦前の天皇が、右翼と親密な関係があったとする本もあるだけに驚きました。
P154-155で著者は、雨の中の馬鹿げた行事を書き、「過度の精神主義と痩せ我慢の窮屈な相互連鎖」といい、「このような連鎖があっても昭和天皇の時代の政治は安定」せず、「軍部や右翼の間に天皇の威信は確立しなかった」といい、また、日本軍自作自演の張作霖爆殺事件からの、田中首相辞任(田中首相の問責)は、「昭和天皇への非難となった」P156という。
米国開戦まで、昭和天皇が軍部や右翼のクーデターにビクビクし、君主として自信を無くす「威信のない天皇」P221,222,262の姿が書かれています。
著者はいう。
日米開戦の不安を昭和天皇がはっきりと意識しているのが確認される最も早い時期は、「一九四0年七月二九日」P291であり、昭和一六年一月一六日、高松宮中佐(天皇の弟)に、異動人事の内示があった時、高松宮が「戦争がはじまるから、と云うわけか」といい、四月に異動したという、「このように、天皇は、高松宮など弟たちが実戦に参加したり、戦場を訪問して死傷したりしないように配慮してきた。高松宮の異動から、天皇が四月以降に日米開戦の可能性があるという危機感を持ち出したと推定できる」P295ともいう。
P296-297では、当時の昭和天皇は「南部仏印進駐を承認」しておきながら、戦後の『昭和天皇独白録』では「南部仏印進駐に反対した」と論じ、「進駐は止めるように言はせたが、東条は承知しなかった」、「結局私は軍部の意見しか聞く事が出来なかった」というのである。
天皇はなぜ「平和論者」の東久邇宮ではなく、「戦争論者」の東条に組閣の命をくだしたのだろうか。それは、東条が天皇の意向に従って行動し、また陸軍を統制する力もある、と信頼していたからであるP304とし、「また天皇は、東久邇宮を首相にすると、開戦の場合に皇族が「政治の責任者」になるので良くない」P305、と『昭和天皇独白録』で回想しているといい、「天皇は、この戦争に日本が負ける可能性を考慮し、その場合も天皇制の存続にできる限り影響しないようにと考えたのである」P305という。
つまり、昭和天皇は、早くから日米開戦の可能性を熟知し、身内を安全なところへ移動させ、また敗戦した場合のことも考慮し、手を打っていたと著者は指摘するのであるが。
私はその為に、無理やり東条は首相をやらされ、日米開戦し、その戦争責任をすべて背負わされたのだろうか?、と思ったのだが、これは強引な解釈だろうか?
しかし「東久邇宮は、太平洋戦争の全責任を東条に負わせ、天皇に責任を及ぼさないため、最後まで東条が最大の権力を持っているのが良い、と考えていた」P340ともあるのだが。
この本でも、戦後の昭和天皇は「国体護持」に紛争している様が書かれている。
・『昭和天皇独白録』より、朝香宮が「講和は賛成だが、「国体護持」ができなければ戦争は継続するのか」と、質問すると天皇は「勿論だ」と答えたP381という。
・「天皇は宮中革命の姿勢をGHQや連合国に見せることで、自らの地位を確保し、大幅な憲法改正を避け、政治体制の改革を少なくして、立憲君主制を守ろうと必死であった」P411
・「天皇は立憲君主としての権限を残そうと必死であり」P422
昭和天皇の戦後の政治関与については、この本も参考文献にしている、豊下楢彦/著『 昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫) 』が詳しい。
著者は東京裁判について、
「広田(絞首刑)、木戸(終身禁固)、東郷(禁固二十年)への判決が正しいとすると、天皇も戦争責任を問われるのが当然であり、しっかりとした基準のない判決であった」P446という。
そして、昭和天皇の退位論において、
「道義的責任を負いながらも天皇が在位し続けたことで、日本人の責任観念を明確にする好機を失い、責任観念が曖昧になり続けるという負の遺産を、日本にもたらした」といい、「そのため、天皇の死後、(中略)日本人の精神の土台が蝕まれ始めたように思われる」P477というのであるが。
著者がいうように、この本は著者における「昭和天皇研究の集大成」P562となっている。ただ、今回は「触れるのを避けた」P561という、「天皇とその権力」を避けては、その実像に迫ることはできないと思うのだが……、
読んでいて気になったのが、「右翼」という文字が多く、途中からメモしただけでも、P188「右翼系の海軍青年将校」「右翼団体の政教社関係」「右翼団体」、P189「右翼の橋本徹馬」、P191「右翼」「右翼の青年に狙撃」、P192「右翼の中」「右翼へのコントロール」、P212「陸軍ともつながりの深い右翼の大物」、P212「右翼や陸軍内に反感」、P207,208,217,224,227,238,240,242,247,255,258,261,362,445,485に「右翼」がある。戦前の天皇が、右翼と親密な関係があったとする本もあるだけに驚きました。
P154-155で著者は、雨の中の馬鹿げた行事を書き、「過度の精神主義と痩せ我慢の窮屈な相互連鎖」といい、「このような連鎖があっても昭和天皇の時代の政治は安定」せず、「軍部や右翼の間に天皇の威信は確立しなかった」といい、また、日本軍自作自演の張作霖爆殺事件からの、田中首相辞任(田中首相の問責)は、「昭和天皇への非難となった」P156という。
米国開戦まで、昭和天皇が軍部や右翼のクーデターにビクビクし、君主として自信を無くす「威信のない天皇」P221,222,262の姿が書かれています。
著者はいう。
日米開戦の不安を昭和天皇がはっきりと意識しているのが確認される最も早い時期は、「一九四0年七月二九日」P291であり、昭和一六年一月一六日、高松宮中佐(天皇の弟)に、異動人事の内示があった時、高松宮が「戦争がはじまるから、と云うわけか」といい、四月に異動したという、「このように、天皇は、高松宮など弟たちが実戦に参加したり、戦場を訪問して死傷したりしないように配慮してきた。高松宮の異動から、天皇が四月以降に日米開戦の可能性があるという危機感を持ち出したと推定できる」P295ともいう。
P296-297では、当時の昭和天皇は「南部仏印進駐を承認」しておきながら、戦後の『昭和天皇独白録』では「南部仏印進駐に反対した」と論じ、「進駐は止めるように言はせたが、東条は承知しなかった」、「結局私は軍部の意見しか聞く事が出来なかった」というのである。
天皇はなぜ「平和論者」の東久邇宮ではなく、「戦争論者」の東条に組閣の命をくだしたのだろうか。それは、東条が天皇の意向に従って行動し、また陸軍を統制する力もある、と信頼していたからであるP304とし、「また天皇は、東久邇宮を首相にすると、開戦の場合に皇族が「政治の責任者」になるので良くない」P305、と『昭和天皇独白録』で回想しているといい、「天皇は、この戦争に日本が負ける可能性を考慮し、その場合も天皇制の存続にできる限り影響しないようにと考えたのである」P305という。
つまり、昭和天皇は、早くから日米開戦の可能性を熟知し、身内を安全なところへ移動させ、また敗戦した場合のことも考慮し、手を打っていたと著者は指摘するのであるが。
私はその為に、無理やり東条は首相をやらされ、日米開戦し、その戦争責任をすべて背負わされたのだろうか?、と思ったのだが、これは強引な解釈だろうか?
しかし「東久邇宮は、太平洋戦争の全責任を東条に負わせ、天皇に責任を及ぼさないため、最後まで東条が最大の権力を持っているのが良い、と考えていた」P340ともあるのだが。
この本でも、戦後の昭和天皇は「国体護持」に紛争している様が書かれている。
・『昭和天皇独白録』より、朝香宮が「講和は賛成だが、「国体護持」ができなければ戦争は継続するのか」と、質問すると天皇は「勿論だ」と答えたP381という。
・「天皇は宮中革命の姿勢をGHQや連合国に見せることで、自らの地位を確保し、大幅な憲法改正を避け、政治体制の改革を少なくして、立憲君主制を守ろうと必死であった」P411
・「天皇は立憲君主としての権限を残そうと必死であり」P422
昭和天皇の戦後の政治関与については、この本も参考文献にしている、豊下楢彦/著『 昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫) 』が詳しい。
著者は東京裁判について、
「広田(絞首刑)、木戸(終身禁固)、東郷(禁固二十年)への判決が正しいとすると、天皇も戦争責任を問われるのが当然であり、しっかりとした基準のない判決であった」P446という。
そして、昭和天皇の退位論において、
「道義的責任を負いながらも天皇が在位し続けたことで、日本人の責任観念を明確にする好機を失い、責任観念が曖昧になり続けるという負の遺産を、日本にもたらした」といい、「そのため、天皇の死後、(中略)日本人の精神の土台が蝕まれ始めたように思われる」P477というのであるが。
著者がいうように、この本は著者における「昭和天皇研究の集大成」P562となっている。ただ、今回は「触れるのを避けた」P561という、「天皇とその権力」を避けては、その実像に迫ることはできないと思うのだが……、
2020年6月30日に日本でレビュー済み
元老(中公新書)で初めて著者を知り、元老を中心とした日本近代史の通観がたいへんおもしろかったので、次に本書を手にしました。
理想の立憲君主たらんとする昭和天皇を成長期から丁寧に描き(平和主義者的な面が強めですが)、激動する時代に翻弄されつつも真摯に立ち向かう姿が、文庫一冊で十二分伝わってくる良書です。
近代日本の発展に元老の果たした役割(調整機能等)を鑑みると、老齢の西園寺ひとりが元老という若き天皇の不運、ひいては日本の不幸を嘆息せずにはおられません。そのような状況に至ったのは、原敬暗殺、515など軍民によるテロが大きく関わっているのですが。(またそれを後押しする時代の「空気」も)
ただ、本書は戦争に係る局面での昭和天皇の葛藤を中心に書かれており(それが面白いところですが)、局面を越えた全体的な展望については見えてこないところがあります。例えば天皇が中国での戦争拡大には消極的だったのはよく伝わるのですが、世界恐慌後ブロック経済化が進む中、ナショナリズムが吹き荒ぶ中国に対しどのような方針を持っておられたのかはわかりませんでした。
(本書が「伝」となっていることへの私見ですが、文庫一冊では必然的に載せられる量に限りがあるため、昭和天皇の独白録等を中心に最大公約数的な評伝となるよう著者が心がけられたからではないでしょうか)
理想の立憲君主たらんとする昭和天皇を成長期から丁寧に描き(平和主義者的な面が強めですが)、激動する時代に翻弄されつつも真摯に立ち向かう姿が、文庫一冊で十二分伝わってくる良書です。
近代日本の発展に元老の果たした役割(調整機能等)を鑑みると、老齢の西園寺ひとりが元老という若き天皇の不運、ひいては日本の不幸を嘆息せずにはおられません。そのような状況に至ったのは、原敬暗殺、515など軍民によるテロが大きく関わっているのですが。(またそれを後押しする時代の「空気」も)
ただ、本書は戦争に係る局面での昭和天皇の葛藤を中心に書かれており(それが面白いところですが)、局面を越えた全体的な展望については見えてこないところがあります。例えば天皇が中国での戦争拡大には消極的だったのはよく伝わるのですが、世界恐慌後ブロック経済化が進む中、ナショナリズムが吹き荒ぶ中国に対しどのような方針を持っておられたのかはわかりませんでした。
(本書が「伝」となっていることへの私見ですが、文庫一冊では必然的に載せられる量に限りがあるため、昭和天皇の独白録等を中心に最大公約数的な評伝となるよう著者が心がけられたからではないでしょうか)
2017年5月12日に日本でレビュー済み
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私は昭和15年生まれで太平洋戦争の中での生活体験者です。昔からこの負ける戦争の指示をしたのは誰かなと考えてきました。天皇が戦争責任者かなとも思ってこの本を読み終え、そうではないと確信するようになりました。それは美濃部達吉の「天皇機関説」を昭和天皇は支持し、太平洋戦争に至るまでに、自分が内閣の決定を覆して指示命令を出した二つの事件に関して後悔しているからです。張作霖爆殺事件と2.26事件です。
したがって、太平洋戦争に挑む決定を東条内閣(特に陸軍の軍閥)がした時に、天皇は内心は反対であったが天皇機関説を守り通し反対しなかったのです。「天皇は、立憲国の君主として、政府と統帥部の一致した意見を認めねばならぬ。もし認めなければ東条首相兼陸相は辞職し、大きなクーデターが起こり、かえってめちゃくちゃな戦争論が支配的になるだろうと思い、反対しなかったのです。」(寺崎英成他編『昭和天皇独自禄』75~76頁)
但し、歴史に「たら・れば」は通用しませんが、私は戦争に終止符を打つのは、「天皇機関説」を無視した過去の二つの事件のように、天皇陛下にやって頂けたら日本の被害は最小限に防げたのではないかと思います。昭和20年2月に近衛文麿元首相は「敗戦は遺憾ながらもはや必至」と昭和天皇に戦争終結を提案するが、天皇は「陸海軍が沖縄決戦に乗り気だから、今戦いを止めるのは適当でない」と答えておられます。
ここでやめておれば、東京大空襲や沖縄決戦は防げたであろうし、広島や長崎への原爆投下の可能性も少なかったと思います。
天皇陛下は日独伊の三国軍事同盟にも反対でしたが「天皇機関説」を重視し敢えて反対しませんでした。しかし、この同盟推進に関わった松岡洋右と白鳥敏夫に対してはとりわけ憤りを覚えております。靖国神社への参拝は最初の8年間だけでそれ以後は取りやめておられますが、彼等が合祀されているのも原因のひとつです。
戦後は「戦争への道義的責任」を感じながら日本全国へ行幸され国民を慰め励まされておられます。昭和天皇に退位を進める方々もおりましたが、「戦争への道義的責任」に対するお詫びをされるのがご自分の任務と思われ、崩御されるまで象徴天皇として任務を果たされました。
したがって、太平洋戦争に挑む決定を東条内閣(特に陸軍の軍閥)がした時に、天皇は内心は反対であったが天皇機関説を守り通し反対しなかったのです。「天皇は、立憲国の君主として、政府と統帥部の一致した意見を認めねばならぬ。もし認めなければ東条首相兼陸相は辞職し、大きなクーデターが起こり、かえってめちゃくちゃな戦争論が支配的になるだろうと思い、反対しなかったのです。」(寺崎英成他編『昭和天皇独自禄』75~76頁)
但し、歴史に「たら・れば」は通用しませんが、私は戦争に終止符を打つのは、「天皇機関説」を無視した過去の二つの事件のように、天皇陛下にやって頂けたら日本の被害は最小限に防げたのではないかと思います。昭和20年2月に近衛文麿元首相は「敗戦は遺憾ながらもはや必至」と昭和天皇に戦争終結を提案するが、天皇は「陸海軍が沖縄決戦に乗り気だから、今戦いを止めるのは適当でない」と答えておられます。
ここでやめておれば、東京大空襲や沖縄決戦は防げたであろうし、広島や長崎への原爆投下の可能性も少なかったと思います。
天皇陛下は日独伊の三国軍事同盟にも反対でしたが「天皇機関説」を重視し敢えて反対しませんでした。しかし、この同盟推進に関わった松岡洋右と白鳥敏夫に対してはとりわけ憤りを覚えております。靖国神社への参拝は最初の8年間だけでそれ以後は取りやめておられますが、彼等が合祀されているのも原因のひとつです。
戦後は「戦争への道義的責任」を感じながら日本全国へ行幸され国民を慰め励まされておられます。昭和天皇に退位を進める方々もおりましたが、「戦争への道義的責任」に対するお詫びをされるのがご自分の任務と思われ、崩御されるまで象徴天皇として任務を果たされました。
2014年5月28日に日本でレビュー済み
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おそらく天皇論の中では秀逸です。
まず、加藤陽子、古川さんの中央公論の本。ハーバードピックスのウソ本は、、最低読んでおくと面白さは倍増します。
名指しで、古川と、加藤の本の論点の欠陥がわかります。焦点をぼかすことなく、批判しています。その前提に、天皇の役割
を明治天皇の時代を十分検証し、統帥と政府が分裂して時に、仲裁するのが天皇の役割であることを、証明してから、昭和の、天皇の決裁について議論を進めています。
昭和天皇の権威が確立していないときに、天皇が指示することへの軍部の不満などの記述は、若い人は、そんなことはない、天皇の権威は
もっとあるはず、思うのではないでしょうか?でも松本政調の昭和史発掘の226事件の記述、資料を見れは、伊藤さんと同様のことを指摘しています。
ある意味で、左の松本清張と伊藤さんがおんなじ見解を持っていることが面白かったです。ピックスの引用の大半は吉田裕で、これは学問以前の、でたらめもよくわかります。伊藤さんはだからと言って天皇には戦争責任があると指摘しているのは私と同見解です。政治的には無答責ですが、道義的、には問われるということですが、それは理屈で、あの上帝で自分であれば一方的に軍部に押し切られたと思います、
やはり昭和天皇は偉い人なんや、と思いました。それが、続くかどうか?そこが天皇制の問題なんでしょう。
まず、加藤陽子、古川さんの中央公論の本。ハーバードピックスのウソ本は、、最低読んでおくと面白さは倍増します。
名指しで、古川と、加藤の本の論点の欠陥がわかります。焦点をぼかすことなく、批判しています。その前提に、天皇の役割
を明治天皇の時代を十分検証し、統帥と政府が分裂して時に、仲裁するのが天皇の役割であることを、証明してから、昭和の、天皇の決裁について議論を進めています。
昭和天皇の権威が確立していないときに、天皇が指示することへの軍部の不満などの記述は、若い人は、そんなことはない、天皇の権威は
もっとあるはず、思うのではないでしょうか?でも松本政調の昭和史発掘の226事件の記述、資料を見れは、伊藤さんと同様のことを指摘しています。
ある意味で、左の松本清張と伊藤さんがおんなじ見解を持っていることが面白かったです。ピックスの引用の大半は吉田裕で、これは学問以前の、でたらめもよくわかります。伊藤さんはだからと言って天皇には戦争責任があると指摘しているのは私と同見解です。政治的には無答責ですが、道義的、には問われるということですが、それは理屈で、あの上帝で自分であれば一方的に軍部に押し切られたと思います、
やはり昭和天皇は偉い人なんや、と思いました。それが、続くかどうか?そこが天皇制の問題なんでしょう。
2015年8月31日に日本でレビュー済み
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昭和天皇の当時の資料からとても分かりやすく書かれており、為になりました。