プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥2,000以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥1,540¥1,540 税込
ポイント: 47pt
(3%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
新品:
¥1,540¥1,540 税込
ポイント: 47pt
(3%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥325
中古品:
¥325

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
豊臣大坂城 (新潮選書) 単行本(ソフトカバー) – 2015/4/24
笠谷 和比古
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,540","priceAmount":1540.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,540","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"U60wBH0jumrGhLYncI5AF209x0cE%2BwdxEi%2F9S4D7XC%2F2A60a%2Fzr5%2FtMIXnGh4EyZp2ljAKM9IVWdXefLHijUeQlGOkNofB18Rdt%2FjNRBnHsWqKsjHswRZ0PotUzgCAf059yWWDEJldc%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥325","priceAmount":325.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"325","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"U60wBH0jumrGhLYncI5AF209x0cE%2BwdxQqid7G8MfawLnp%2FoP7IP4TSMA0nhsRvAAylSrrRxAxw18uevtLntXuWugmHJ8D4loVdR0%2BCISvDUJqhhxmckuz%2Bsy6U0pNkJVscreyRXlBhpYuooYZYYfcp6YS3aLO6Pm2D7fFkhmTPVQszYXlkoJA%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
大坂の陣から四百年。天下の名城はどのように作られ、いかに落城したか。豊臣秀吉は四度の工事を経て、自らの根城を惣構えで固めた難攻不落の巨城へと変貌させた。秀頼統治下の大坂は「パクス・オーザカーナ」ともいうべき繁栄を謳歌するが、徳川豊臣二重公儀体制のバランスが崩れた時、両軍は激突、城は灰燼に帰した。その城内の様子や真田丸などの堅固な防御を、考古学的発見と歴史的文献を駆使して再現する。
- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2015/4/24
- ISBN-104106037661
- ISBN-13978-4106037665
よく一緒に購入されている商品

対象商品: 豊臣大坂城 (新潮選書)
¥1,540¥1,540
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り1点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2015/4/24)
- 発売日 : 2015/4/24
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 320ページ
- ISBN-10 : 4106037661
- ISBN-13 : 978-4106037665
- Amazon 売れ筋ランキング: - 592,367位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 80,444位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2015年11月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
豊臣大坂城の歴史だけではなく、豊臣政権と徳川政権の並立などをわかりやすく解説しています。問題の三の丸の構造では小規模構造説をとっています。
2015年4月25日に日本でレビュー済み
大坂城は豊臣秀吉によって築かれた城であることは誰でも知っている。しかし我々が現在目にする大坂(大阪)城は夏の陣による落城後に徳川幕府によっ
て修築された「徳川大坂城」であり、秀吉の築いた「豊臣大坂城」は地下に埋もれていた。1980年代から始まった大規模な発掘調査によってこれまで知られ
ることの無かった「豊臣大坂城」の実像が明らかとなり、それによってこれまでの歴史の常識が覆される事態がいくつも生じた。本書はその発掘調査の結
果、文献史学的見地からの見直しなどによって明らかとなった新事実を詳述した重厚な著作である。
歴史の教科書では大坂城は1583年に築かれた、と教えているのだが実際大坂城は4期にわたる工事を行い、16年の歳月をかけて完成させた城であった。
秀吉は城攻めの名人として有名であり、それだけに我が子秀頼のために難攻不落の城を残しておこう、と手間隙をかけて改築に改築を重ねたのである。
その結果「豊臣大坂城」は一番外側の三の丸まで入れて”周囲三里”とも言われる古今無双の巨大城塞として完成した。1600年の関ヶ原の合戦で勝利した
徳川家康は江戸に幕府を開き、これによって豊臣家は大坂一帯を治めるだけの一大名に転落した、というのがこれまでの歴史の常識であった。しかし、発
掘調査の結果や文献の見直しから浮かびあがってきた豊臣家の実像はこれまでの常識とは違ったものであった。秀頼は依然として天下の主の資格を維持
しており、将来の関白任官も視野に入っていた。城下町大坂は江戸を遥かに凌ぐ繁栄を見せ、「パクス・オーザカーナ」とも言うべき平和で安定した統治を
実現した。一方徳川幕府は老いた家康個人のカリスマ性によってその存在が担保されているという不安定な政権であった。徳川の天下を磐石のものとする
ためには豊臣家を是が非でも滅ぼさなければならなかった。家康は権謀術数の限りを尽して秀頼を追い込み、ついに総仕上げとして大坂攻めを実行する。
「方広寺鐘銘事件」での豊臣家側の対応のまずさも家康の決意に影響を与えた面もあり、単純に家康=悪玉と決め付けてしまうのは誤りではあるが。
難攻不落の大坂城も南側に弱点があった。そこで大坂方の知将真田幸村(信繁)は「真田丸」という出丸を築き弱点を補った。「真田丸」の正確な位置は今
も不明だが発掘調査によって大体の場所は特定できてきている(現在の天王寺区上本町4丁目あたり)という。大坂方の奮戦も空しく、夏の陣において大坂
城はついに落城、豊臣家は滅亡した。戦後徳川幕府は「豊臣大坂城」を完全に地下に埋めてしまい、その上に改めて「徳川大坂城」を築きあげた。勝利と
権威を誇示し、同時に豊臣家の記憶を地上から永遠に消し去ってしまおうという家康の凄まじい執念の産物といえよう。
来年のNHK大河ドラマは真田幸村と「真田丸」がテーマである。ドラマを楽しむ上での参考資料として多いに活用できる一冊である。また、福田千鶴氏の著作
豊臣秀頼 (歴史文化ライブラリー) もこの本と併読されることをお薦めしたい。
て修築された「徳川大坂城」であり、秀吉の築いた「豊臣大坂城」は地下に埋もれていた。1980年代から始まった大規模な発掘調査によってこれまで知られ
ることの無かった「豊臣大坂城」の実像が明らかとなり、それによってこれまでの歴史の常識が覆される事態がいくつも生じた。本書はその発掘調査の結
果、文献史学的見地からの見直しなどによって明らかとなった新事実を詳述した重厚な著作である。
歴史の教科書では大坂城は1583年に築かれた、と教えているのだが実際大坂城は4期にわたる工事を行い、16年の歳月をかけて完成させた城であった。
秀吉は城攻めの名人として有名であり、それだけに我が子秀頼のために難攻不落の城を残しておこう、と手間隙をかけて改築に改築を重ねたのである。
その結果「豊臣大坂城」は一番外側の三の丸まで入れて”周囲三里”とも言われる古今無双の巨大城塞として完成した。1600年の関ヶ原の合戦で勝利した
徳川家康は江戸に幕府を開き、これによって豊臣家は大坂一帯を治めるだけの一大名に転落した、というのがこれまでの歴史の常識であった。しかし、発
掘調査の結果や文献の見直しから浮かびあがってきた豊臣家の実像はこれまでの常識とは違ったものであった。秀頼は依然として天下の主の資格を維持
しており、将来の関白任官も視野に入っていた。城下町大坂は江戸を遥かに凌ぐ繁栄を見せ、「パクス・オーザカーナ」とも言うべき平和で安定した統治を
実現した。一方徳川幕府は老いた家康個人のカリスマ性によってその存在が担保されているという不安定な政権であった。徳川の天下を磐石のものとする
ためには豊臣家を是が非でも滅ぼさなければならなかった。家康は権謀術数の限りを尽して秀頼を追い込み、ついに総仕上げとして大坂攻めを実行する。
「方広寺鐘銘事件」での豊臣家側の対応のまずさも家康の決意に影響を与えた面もあり、単純に家康=悪玉と決め付けてしまうのは誤りではあるが。
難攻不落の大坂城も南側に弱点があった。そこで大坂方の知将真田幸村(信繁)は「真田丸」という出丸を築き弱点を補った。「真田丸」の正確な位置は今
も不明だが発掘調査によって大体の場所は特定できてきている(現在の天王寺区上本町4丁目あたり)という。大坂方の奮戦も空しく、夏の陣において大坂
城はついに落城、豊臣家は滅亡した。戦後徳川幕府は「豊臣大坂城」を完全に地下に埋めてしまい、その上に改めて「徳川大坂城」を築きあげた。勝利と
権威を誇示し、同時に豊臣家の記憶を地上から永遠に消し去ってしまおうという家康の凄まじい執念の産物といえよう。
来年のNHK大河ドラマは真田幸村と「真田丸」がテーマである。ドラマを楽しむ上での参考資料として多いに活用できる一冊である。また、福田千鶴氏の著作
豊臣秀頼 (歴史文化ライブラリー) もこの本と併読されることをお薦めしたい。
2015年4月27日に日本でレビュー済み
関ヶ原から夏の陣での大阪城落城に至るまで、この分野の権威による最新の発掘調査結果と重要資料の紹介、評価が凝縮されている。豊臣大阪城について知るべきことが網羅されたお買い得な一冊。
私も「方広寺鐘銘事件は家康の言いがかりではない。そのことは撰文した清韓長老自身が『国家安康、君臣豊楽はかくし題として書き入れた』と弁明文書ではっきり述べている」とあつこちでくりかえし書いてきたが、著者によるといまだに間違った「言いがかり論」が幅をきかせているらしい。家康悪玉論は明治政府におもねって前政権を貶めるという、当時としては咎められない風潮の産物だが、それから1世紀半も経っているのだからいいかげん止めてもいいだろう。
また家康が関が原で勝利し、征夷大将軍に就任して以後も徳川政権の支配は西国には及んでおらず、東西二重政権が続いたことをさまざまな事実から証拠立てた指摘も重要。
けっきょく、家康は武力衝突を避けて穏便に豊臣家を棚上げしようとしたが、豊臣方に政治的展望がなかったためジリ貧になったあげく暴発してしまったということのようだ。ただし、この点についてはフィクションだが、山岡荘八の『徳川家康』の解釈が非常に的確だ(ただし家康を贔屓の引き倒しにしている嫌いはある)。
あとがきによると、本書は新潮社の編集者、庄司一郎氏が企画したもので、いったんお蔵になりかけたが、長年の苦心のすえついにまとめあげたものという。
日本史ファンには文句なしにお勧めできる。
私も「方広寺鐘銘事件は家康の言いがかりではない。そのことは撰文した清韓長老自身が『国家安康、君臣豊楽はかくし題として書き入れた』と弁明文書ではっきり述べている」とあつこちでくりかえし書いてきたが、著者によるといまだに間違った「言いがかり論」が幅をきかせているらしい。家康悪玉論は明治政府におもねって前政権を貶めるという、当時としては咎められない風潮の産物だが、それから1世紀半も経っているのだからいいかげん止めてもいいだろう。
また家康が関が原で勝利し、征夷大将軍に就任して以後も徳川政権の支配は西国には及んでおらず、東西二重政権が続いたことをさまざまな事実から証拠立てた指摘も重要。
けっきょく、家康は武力衝突を避けて穏便に豊臣家を棚上げしようとしたが、豊臣方に政治的展望がなかったためジリ貧になったあげく暴発してしまったということのようだ。ただし、この点についてはフィクションだが、山岡荘八の『徳川家康』の解釈が非常に的確だ(ただし家康を贔屓の引き倒しにしている嫌いはある)。
あとがきによると、本書は新潮社の編集者、庄司一郎氏が企画したもので、いったんお蔵になりかけたが、長年の苦心のすえついにまとめあげたものという。
日本史ファンには文句なしにお勧めできる。