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幸福と平和への助言 単行本 – 2003/3/20
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「私たちの本当の敵は、無知、憎しみ、欲望、嫉妬、傲慢という心の毒です・・・」
溢れるユーモアときに厳しくも暖かい親身な言葉。「若者に」「老人に」「政治家に」「身体障害者とその介護者に」「幸せな人に」「不幸な人に」「無関心な人に」など50のケースに応じた、深い智慧の処方箋。
◇2003年2月刊行・現在(2009年8月)第4刷◇
溢れるユーモアときに厳しくも暖かい親身な言葉。「若者に」「老人に」「政治家に」「身体障害者とその介護者に」「幸せな人に」「不幸な人に」「無関心な人に」など50のケースに応じた、深い智慧の処方箋。
◇2003年2月刊行・現在(2009年8月)第4刷◇
- 本の長さ204ページ
- 言語日本語
- 出版社トランスビュー
- 発売日2003/3/20
- ISBN-104901510126
- ISBN-13978-4901510127
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商品の説明
著者からのコメント
ダライラマ、五百九十六歳の智慧 今枝由郎 ――PR誌「トランスビューNo05」より
一般にダライラマを紹介する場合、 肩書きとしては十四世ダライラマ猊下、 個人名としてはテンジン・ギャムツォ (「仏の教えを守る大海」 の意) となる。 略歴を記せば、 一九三五年、 アムド (現在の中国の青海省) 生まれ、 一九五九年、 インド亡命、 一九八九年、 ノーベル平和賞受賞、 チベットの政治・宗教両面の指導者、 今年二〇〇三年で満六十八歳といったところになる。 これだけを見れば、 他の現存の政治家、 宗教家とそれほどは変わらない。
しかし、 これでは彼の本質的な次元が欠落してしまう。 それは彼が 「十四世の化身」 であるということである。 これは、 チベット仏教の解釈では、 彼の現在の生涯は、 人間世界における十四回目であり、 これ以前に十三回の生涯を経験しているということである。
歴史的に最初のダライラマは、 一三九一年に生まれたゲンドゥン・ドゥプである。 それゆえ、 化身としてのダライラマの誕生は一三九一年としなければならず、 現在に至るまで十三回の生まれ変わりの中断時期、 それぞれ一年か二年を除いて、 一人の人格が続いている。 この中断期間が合計十六年あるから、 それを差し引くと、 化身としてのダライラマは今年で五百九十六歳で、 ずいぶんな高齢である。 「亀の甲より年の劫こう」 と言われるが、 その意味では現在のダライラマは、 過去の十三の生涯を総和しているから、 実に人生経験が豊富である。
大半はチベット人であるが、 四世のときにはモンゴルの王子であった。
五世は、 モンゴル人、 満州人を相手に、 政治家としても卓越した手腕を発揮し、 チベット仏教の最盛期を実現した。
全ダライラマの中で、 最も特異なのは六世である。 彼は、 他のダライラマが全員、 チベット高原やモンゴル平原生まれなのに、 唯一人ヒマラヤ山脈の南に生まれた。
その南の熱い血のせいであろうか、 彼はチベット仏教の厳格な戒律生活になじめず、 それを捨てて放蕩生活を送った。 高くそびえるポタラ宮殿を夜な夜な脱け出し、 ラサの街を彷徨した。 そして、 後世チベット人に愛唱されることになる多くの恋愛歌を遺した。 そのいくつかを紹介すると、
人恋いそめしはじめより 夜な夜な床に寝つかれず
日に日に心物思い 休むいとまの露もなし
我が喇嘛ら ま僧の御前おんまえに 教えを乞いに進みしも
深き御み法のりにあらずして 娘を想う心のみ
チベット仏教を代表するダライラマが、 こんな詩を遺したのか、 と驚かれるかも知れないけれども、 これは確かにチベット人が最も愛する六世ダライラマの詩 (少なくとも彼のものとされる) である。
近代に入ると、 十三世ダライラマは、 ロシア、 イギリス、 中国を相手にチベットの独立を守るために外交交渉に活躍した。
いってみれば、 六百年近くも人生の辛苦を嘗なめてきた十四世ダライラマであればこそ、 政治家にも、 囚人にも、 自殺したい人にも、 恋愛の虜とりこになった人にも適切な助言を与えられるのであろう。 五十篇余の全篇に、 彼の深い叡智だけでなく、 ユーモアが感じられて、 本書は珠玉の助言集である。
(いまえだ よしろう/フランス国立科学研究センター・チベット歴史文献学)
一般にダライラマを紹介する場合、 肩書きとしては十四世ダライラマ猊下、 個人名としてはテンジン・ギャムツォ (「仏の教えを守る大海」 の意) となる。 略歴を記せば、 一九三五年、 アムド (現在の中国の青海省) 生まれ、 一九五九年、 インド亡命、 一九八九年、 ノーベル平和賞受賞、 チベットの政治・宗教両面の指導者、 今年二〇〇三年で満六十八歳といったところになる。 これだけを見れば、 他の現存の政治家、 宗教家とそれほどは変わらない。
しかし、 これでは彼の本質的な次元が欠落してしまう。 それは彼が 「十四世の化身」 であるということである。 これは、 チベット仏教の解釈では、 彼の現在の生涯は、 人間世界における十四回目であり、 これ以前に十三回の生涯を経験しているということである。
歴史的に最初のダライラマは、 一三九一年に生まれたゲンドゥン・ドゥプである。 それゆえ、 化身としてのダライラマの誕生は一三九一年としなければならず、 現在に至るまで十三回の生まれ変わりの中断時期、 それぞれ一年か二年を除いて、 一人の人格が続いている。 この中断期間が合計十六年あるから、 それを差し引くと、 化身としてのダライラマは今年で五百九十六歳で、 ずいぶんな高齢である。 「亀の甲より年の劫こう」 と言われるが、 その意味では現在のダライラマは、 過去の十三の生涯を総和しているから、 実に人生経験が豊富である。
大半はチベット人であるが、 四世のときにはモンゴルの王子であった。
五世は、 モンゴル人、 満州人を相手に、 政治家としても卓越した手腕を発揮し、 チベット仏教の最盛期を実現した。
全ダライラマの中で、 最も特異なのは六世である。 彼は、 他のダライラマが全員、 チベット高原やモンゴル平原生まれなのに、 唯一人ヒマラヤ山脈の南に生まれた。
その南の熱い血のせいであろうか、 彼はチベット仏教の厳格な戒律生活になじめず、 それを捨てて放蕩生活を送った。 高くそびえるポタラ宮殿を夜な夜な脱け出し、 ラサの街を彷徨した。 そして、 後世チベット人に愛唱されることになる多くの恋愛歌を遺した。 そのいくつかを紹介すると、
人恋いそめしはじめより 夜な夜な床に寝つかれず
日に日に心物思い 休むいとまの露もなし
我が喇嘛ら ま僧の御前おんまえに 教えを乞いに進みしも
深き御み法のりにあらずして 娘を想う心のみ
チベット仏教を代表するダライラマが、 こんな詩を遺したのか、 と驚かれるかも知れないけれども、 これは確かにチベット人が最も愛する六世ダライラマの詩 (少なくとも彼のものとされる) である。
近代に入ると、 十三世ダライラマは、 ロシア、 イギリス、 中国を相手にチベットの独立を守るために外交交渉に活躍した。
いってみれば、 六百年近くも人生の辛苦を嘗なめてきた十四世ダライラマであればこそ、 政治家にも、 囚人にも、 自殺したい人にも、 恋愛の虜とりこになった人にも適切な助言を与えられるのであろう。 五十篇余の全篇に、 彼の深い叡智だけでなく、 ユーモアが感じられて、 本書は珠玉の助言集である。
(いまえだ よしろう/フランス国立科学研究センター・チベット歴史文献学)
内容(「MARC」データベースより)
「個人の幸福が、世界平和へと繋がる…」。溢れるユーモア、ときに平手打ちのような、厳しくも暖かい親身な言葉。年齢、職業、境遇、性質など50のケースに応じたダライラマの深い智慧の言葉。
抜粋
他人を苦しめる人に‐『幸福と平和への助言』より ダライラマ
ときとして私たちは、 人が苦しむとは知らずに、 無知から人を苦しめます。 たとえば、 動物も喜びと苦しみを感じると意識することはまれです。 私たちは、 自分が経験しなければ、 仲間の苦しみを本当に理解することはできません。 当然のことに、 苦しむのは彼らであって、 私たちではありません。 「打たれたり、 侮辱されたりすると、 こう苦しみ、 ああ苦しむ」 と言ったところで、 彼らが感じることがわかるわけではありません。
なかには、 他人に犯す害をまったく気にしない人がいます。 彼らは、 大切なのは、 自分が害をこうむらないことだと考えます。 またしても、 無自覚の問題です。 人を苦しめれば苦しめるほど、 自分自身の苦しみの種をまくことになります。 加えて、 社会に害を及ぼしますから、 二重に自分を害します。
もし人に悪いことをしたら、 後悔しましょう。 あやまちを認めましょう。 でももうこれで普通の生活はできないと、 自分を非難することがないように。 しかし自分のしたことは忘れないようにしましょう。 意気消沈したり、 打ちのめされたりしないように。 無関心でいること、 つまり忘れることはないように。 しかし自分を許しましょう。 「過去にあやまちを犯しましたが、 もうしません。 私は人間です、 自分のあやまちから自分を解き放つことができます」。 希望を失うことは、 自分を許さないことです。
できたら害を及ぼした相手に会いに行きましょう。 彼らに真摯に言いましょう。 「私はあなたに悪意を抱きました。 あなたにたくさん迷惑をかけました。 許して下さい」。 もし相手があなたの後悔を評価し、 恨みが消えるなら、 これは仏教で言う 「修復懺悔」 ではないでしょうか。 しかし宗教概念を用いる必要はありません。 苦しめた相手に手を差し延べ、 間違いを認め、 真摯な後悔を述べ、 恨みを鎮めればいいことです。 もちろんそれが可能であるためには、 両方とも心が大きく開いていなければなりません。
また故意に悪事を働く人がいます。 社会の唯一可能な反応は、 力によるものです。 ヒトラーとかポルポトに対しては何ができるでしょう。
害を為そうという欲望は、 生まれながらのものではないと思います。 生まれたときからあるものではなく、 後から出てくるものです。 精神的創造物の領域です。 ヒトラーは、 ユダヤ人は排除しなければならないと考えるようになりました。 一般に、 敵などの相手のイメージはすべて空想に由来します。
こうした誤っている人の態度を変えさせるには、 まず彼らの深い人間性に訴えなくてはなりません。 そして、 少しでもそれをイデオロギーから分離する方法を見つけなくてはなりません。 そのときはじめて、 彼をさとすチャンスが生まれます。 それがだめなら、 力しかありません。 しかしどんな力でもいいというのではありません。 もし人がひどい犯罪を犯しても、 たえず人間らしく扱わねばなりません。 その人がいつか変わってほしいと思うなら、 それが唯一の方法です。
怒りと憎しみに心が満たされていても、 愛だけが人を変える究極の方法です。 変わることなく、 飽きることなく、 この愛を継続的に示しなさい。 あなたは彼の心を打つでしょう。 長い時間がかかります。 個人的には、 私はできません。 最初は親切であろうと努めますが、 すぐに飽きて、 言うでしょう。 「残念だけど、 仕方がない!」 (大笑)。 非常な忍耐がいります。 しかしあなたの意図が完全に純粋で、 愛と思いやりが変わらなければ、 成功するでしょう。
(ダライラマ/今枝由郎[訳])
ときとして私たちは、 人が苦しむとは知らずに、 無知から人を苦しめます。 たとえば、 動物も喜びと苦しみを感じると意識することはまれです。 私たちは、 自分が経験しなければ、 仲間の苦しみを本当に理解することはできません。 当然のことに、 苦しむのは彼らであって、 私たちではありません。 「打たれたり、 侮辱されたりすると、 こう苦しみ、 ああ苦しむ」 と言ったところで、 彼らが感じることがわかるわけではありません。
なかには、 他人に犯す害をまったく気にしない人がいます。 彼らは、 大切なのは、 自分が害をこうむらないことだと考えます。 またしても、 無自覚の問題です。 人を苦しめれば苦しめるほど、 自分自身の苦しみの種をまくことになります。 加えて、 社会に害を及ぼしますから、 二重に自分を害します。
もし人に悪いことをしたら、 後悔しましょう。 あやまちを認めましょう。 でももうこれで普通の生活はできないと、 自分を非難することがないように。 しかし自分のしたことは忘れないようにしましょう。 意気消沈したり、 打ちのめされたりしないように。 無関心でいること、 つまり忘れることはないように。 しかし自分を許しましょう。 「過去にあやまちを犯しましたが、 もうしません。 私は人間です、 自分のあやまちから自分を解き放つことができます」。 希望を失うことは、 自分を許さないことです。
できたら害を及ぼした相手に会いに行きましょう。 彼らに真摯に言いましょう。 「私はあなたに悪意を抱きました。 あなたにたくさん迷惑をかけました。 許して下さい」。 もし相手があなたの後悔を評価し、 恨みが消えるなら、 これは仏教で言う 「修復懺悔」 ではないでしょうか。 しかし宗教概念を用いる必要はありません。 苦しめた相手に手を差し延べ、 間違いを認め、 真摯な後悔を述べ、 恨みを鎮めればいいことです。 もちろんそれが可能であるためには、 両方とも心が大きく開いていなければなりません。
また故意に悪事を働く人がいます。 社会の唯一可能な反応は、 力によるものです。 ヒトラーとかポルポトに対しては何ができるでしょう。
害を為そうという欲望は、 生まれながらのものではないと思います。 生まれたときからあるものではなく、 後から出てくるものです。 精神的創造物の領域です。 ヒトラーは、 ユダヤ人は排除しなければならないと考えるようになりました。 一般に、 敵などの相手のイメージはすべて空想に由来します。
こうした誤っている人の態度を変えさせるには、 まず彼らの深い人間性に訴えなくてはなりません。 そして、 少しでもそれをイデオロギーから分離する方法を見つけなくてはなりません。 そのときはじめて、 彼をさとすチャンスが生まれます。 それがだめなら、 力しかありません。 しかしどんな力でもいいというのではありません。 もし人がひどい犯罪を犯しても、 たえず人間らしく扱わねばなりません。 その人がいつか変わってほしいと思うなら、 それが唯一の方法です。
怒りと憎しみに心が満たされていても、 愛だけが人を変える究極の方法です。 変わることなく、 飽きることなく、 この愛を継続的に示しなさい。 あなたは彼の心を打つでしょう。 長い時間がかかります。 個人的には、 私はできません。 最初は親切であろうと努めますが、 すぐに飽きて、 言うでしょう。 「残念だけど、 仕方がない!」 (大笑)。 非常な忍耐がいります。 しかしあなたの意図が完全に純粋で、 愛と思いやりが変わらなければ、 成功するでしょう。
(ダライラマ/今枝由郎[訳])
著者について
1935年生まれ。二歳のときダライラマ14世と認められる。中国のチベット侵略により、1959年に亡命、インド・ダラムサラに亡命政権を樹立する。1989年、国際的な活動によりノーベル平和賞受賞。著書に『ダライ・ラマ 愛と非暴力』『ダライ・ラマ 生き方の探求』(春秋社)等
1947年生まれ。1974年よりフランス国立科学研究所の研究者として敦煌出土チベット文献の研究に従事、現在は同研究所主任研究員。またブータンの国立図書館の建設に尽力し、1981~90年までブータン国立図書館顧問。1995年にはカリフォルニア州立大学バークレー校の客員教授を務める。日本語の著書に『ブータン』(大東出版社)、訳書に『囚われのチベットの少女』(トランスビュー)など。
1947年生まれ。1974年よりフランス国立科学研究所の研究者として敦煌出土チベット文献の研究に従事、現在は同研究所主任研究員。またブータンの国立図書館の建設に尽力し、1981~90年までブータン国立図書館顧問。1995年にはカリフォルニア州立大学バークレー校の客員教授を務める。日本語の著書に『ブータン』(大東出版社)、訳書に『囚われのチベットの少女』(トランスビュー)など。
登録情報
- 出版社 : トランスビュー (2003/3/20)
- 発売日 : 2003/3/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 204ページ
- ISBN-10 : 4901510126
- ISBN-13 : 978-4901510127
- Amazon 売れ筋ランキング: - 863,818位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2013年3月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
程度が「良い」の本でしたが、非常に良いレベルぐらい綺麗なものでした。
2006年1月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
わたしは敬虔な仏教徒でも何でもないが、ダライラマさまの本がすごく好きだ。
平易なことばとやさしいまなざしで、仏教の教えに基づき、かつ時代の流れに即したはっとするほど深い真実がつづられていて、何度読み返しても新しい発見がある。
この本も、その例外ではない。
「若者に」「男女に」「同性愛者に」「政治家に」「教師に」「不安な人に」「自殺したい人に」「無宗教の人に」などなど、さまざまな年齢、職業、精神状態、宗教を持つ人に向けたメッセージを集めたもので、誰でもひとつは必ず当てはまる項目がある。
わたし自身、自分に当てはまる部分をコピーして切り抜き、手帳に入れて持ち歩くほど感銘を受けた。
ダライラマさまは、仏教を信じることを他者に強要せず、あくまで「信教の自由」という立場に立っている。
そればかりか、キリストやイスラムや、ほかの宗教を信じる人びとに深い敬意をはらい、積極的に交流しようとしている。
別のDVDを通してお姿も拝見したけれど、「この方は、たまたま人間のかたちを持ってこの世界に来てくださっただけで、本当に仏さまなのだなあ」と妙に納得したのを覚えている。
繰り返すようだけれど、わたしは目に見えないちからや死後の世界の存在を信じるが、敬虔な仏教徒ではない。
それでも、ダライラマさまの本を読むと、いま目の前にある問題なんかごくささいなことだなあと思え、本当に目指すべき方向が具体的にわかり、胸のつかえがおりてすーっと気分がよくなる。ふしぎだなあ!
平易なことばとやさしいまなざしで、仏教の教えに基づき、かつ時代の流れに即したはっとするほど深い真実がつづられていて、何度読み返しても新しい発見がある。
この本も、その例外ではない。
「若者に」「男女に」「同性愛者に」「政治家に」「教師に」「不安な人に」「自殺したい人に」「無宗教の人に」などなど、さまざまな年齢、職業、精神状態、宗教を持つ人に向けたメッセージを集めたもので、誰でもひとつは必ず当てはまる項目がある。
わたし自身、自分に当てはまる部分をコピーして切り抜き、手帳に入れて持ち歩くほど感銘を受けた。
ダライラマさまは、仏教を信じることを他者に強要せず、あくまで「信教の自由」という立場に立っている。
そればかりか、キリストやイスラムや、ほかの宗教を信じる人びとに深い敬意をはらい、積極的に交流しようとしている。
別のDVDを通してお姿も拝見したけれど、「この方は、たまたま人間のかたちを持ってこの世界に来てくださっただけで、本当に仏さまなのだなあ」と妙に納得したのを覚えている。
繰り返すようだけれど、わたしは目に見えないちからや死後の世界の存在を信じるが、敬虔な仏教徒ではない。
それでも、ダライラマさまの本を読むと、いま目の前にある問題なんかごくささいなことだなあと思え、本当に目指すべき方向が具体的にわかり、胸のつかえがおりてすーっと気分がよくなる。ふしぎだなあ!
2004年9月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
色々な宗教の事件が目立ってしまって、今の私達は「宗教」という言葉を聞いただけで警戒してしまうことが多いと思います。なので私はこの本を警戒しながら読みました。
内容に関して何点かは「自分とは違うな。」ということもありましたが、多くの点で納得できました。ダライラマさんは本当に世界の平和を謙虚に願っているんだろうなと思いました。何よりも彼の語り方が「自分の家族に話をしている」という感じなのが良かったです。
宗教の本に関して感想を書くのは難しいのですが、私はこの本は良かったと思います。
内容に関して何点かは「自分とは違うな。」ということもありましたが、多くの点で納得できました。ダライラマさんは本当に世界の平和を謙虚に願っているんだろうなと思いました。何よりも彼の語り方が「自分の家族に話をしている」という感じなのが良かったです。
宗教の本に関して感想を書くのは難しいのですが、私はこの本は良かったと思います。
2017年1月12日に日本でレビュー済み
仏教に特別興味がなくても、人生のハウツー本として気楽に読め、読むと穏やかな気分になれます。説教くさくもなく、ダライ・ラマのユーモアある温かい人柄が忍ばれます。
若者へ、老人へなど、項目がたくさんあるので興味あるところだけ拾い読みができます。
若者へ、老人へなど、項目がたくさんあるので興味あるところだけ拾い読みができます。
2004年10月31日に日本でレビュー済み
無宗教で、むしろ狂信的な宗教物は嫌いな私ですが、この本はとてもおすすめです。
もちろんダライラマは仏教徒ですが、仏教を押しつけるようなことはありません。率直に自分の考えを述べ、他者への愛にあふれています。
「幸せとは、物質的なものではなく、心の持ちようである。まずは自分を愛し、そして自分を愛するのと同じように他者を愛する」
わかりやすい言葉で書かれているだけあって、心にすっと染みいるように読めました。
1度だけではなく、なにかあったら繰り返し読んでいきたいと思っております。
もちろんダライラマは仏教徒ですが、仏教を押しつけるようなことはありません。率直に自分の考えを述べ、他者への愛にあふれています。
「幸せとは、物質的なものではなく、心の持ちようである。まずは自分を愛し、そして自分を愛するのと同じように他者を愛する」
わかりやすい言葉で書かれているだけあって、心にすっと染みいるように読めました。
1度だけではなく、なにかあったら繰り返し読んでいきたいと思っております。