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「私」という夢から覚めて、わたしを生きる―非二元・悟りと癒やしをめぐるストーリー(SIBAA BOOKS) (シバブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2016/6/23
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- 本の長さ296ページ
- 言語日本語
- 出版社青山ライフ出版
- 発売日2016/6/23
- 寸法18.8 x 12.8 x 1.5 cm
- ISBN-104434220314
- ISBN-13978-4434220319
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商品の説明
出版社からのコメント
著者について
登録情報
- 出版社 : 青山ライフ出版 (2016/6/23)
- 発売日 : 2016/6/23
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 296ページ
- ISBN-10 : 4434220314
- ISBN-13 : 978-4434220319
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 1.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 189,110位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について

スペースまほろば代表 スピリチュアルセラピスト 1965年福岡県生まれ。
実家が商家であったという理由だけで経済学部に進学するも、入学時からフロイト、ユングをはじめとして心理学、哲学の本ばかりを読みあさる。大学院1年のとき身体をこわしたことをきっかけに最初の覚醒体験が起こり、人生観が変わる。そのときの苦悩の体験から「癒しと目覚め」ということが自分のライフワークになることを直感。
大学院修了後、一般企業で経理マンとして5年間勤める。1996年に退職後、人間の癒しとスピリチュアルな成長を目的とした「スペースまほろば」の活動を開始。現在は、個人セッション、グループセッション、スカイプセッションなどを通して、スピリチュアルな目覚めをベースにした、苦しみからの解放、覚醒・悟りへの道をサポートしている。
スペースまほろばのホームページ
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/shinsaku/
ブログ「心の癒しと意識の目覚めのために」
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/
「中野真作の癒しと目覚めのお話会」スケジュール
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/shinsaku/workshop/index.html
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
この視点に目からウロコでした。
覚醒や非二元に出会ってから、それまで取り組んできた癒しや浄化はすべて
自分のストーリーだったと気づき、全部やめていました。
そして、「すべては幻想」「私はいない」のだからと、
身体の中で叫びを上げる痛みも無視し、感じないように抑圧していたのです。
なぜ今までこんなに苦しかったのか、この本を読んでよくわかりました。
「すべての否定性は愛を求める叫びです」・・ああ、そうだった・・・その通りでした。
「ほとんどの人は自分のありのままの姿を認め、許すことができていません。
するとスピリチュアルな存在としての、大いなる存在としての自分にも
気づくことができないのです」
「抑圧している怒りや悲しみに意識を向けていくことは、
目覚めのプロセスの中ではとても大切なステップなのです」
「目覚めそのものは瞬間に起こりますが、それを小さな自分の心と身体に
統合していくにはある程度の時間が必要です」
・・・読んでいるうちに、やがて読んでいるという感覚も失せて、
影になっていたところへ光が射し込んでくるようでした。
まさに読むセラピー、読む目覚め、です。
目覚めと癒しは、車の両輪のようなもので、どちらか一方だけでは
やがて行き詰まってしまうのだと、よくわかりました。
そして一瞬で世界が変わるわけではなく、
時間が流れるこのストーリーの世界の中でもちゃんと進んでいくプロセスがある
(それもストーリーと知りつつ)、ということも大きな発見でした。
最後のほうはもう圧巻です・・・!
人生の中で何度も読み返したい、味わい深い本です。
中野さんの覚醒セッションを受けています。
この本からもにじみ出ているように、
中野さんはとても平穏で、平和な、菩薩のような方です。
本にも載っている、インナーボディのワークは、
続けると本当に、自分をとりまく世界のフレッシュな、きらめきを感じますよ。
男性ファッション誌にも寄稿を依頼されるなど、
時代が中野さんを必要としている、
みんなが癒やしや覚醒を必要としているのではと感じます。
さらなるご活躍を、お祈りしています(^^)
この本は、中野さんの得てきた叡智が
ギュギュッと詰まりすぎていて、
一冊にまとめるのは本当にもったいない!?
次は、非二元、覚醒の「教科書」のような、
シンプルな内容の本も読みたいです(^^)
それは良いのですが、Q &Aを読んで気になることがありました。
その中で、何人かの人は悟り(解脱)ではなく、鬱(生命力の低下)に向かっているのでは?
丁寧な指導が必要なのではないでしょうか。
現象を客観的に観る(思い込みを避ける)ことが重要だと思います。
『ベールを脱ぐ実在』より
あなたが、自分が本当にやって来た根源の中で生きているとしたら、その根源に自我はありません。あなたが別の源を作り出しているとしたら、あなたが実際には本当でないと知っている源を作り出しているとしたら、その源は幻想です。あなたが幻想の為に生きている時は、自分自身とその幻想を守るために、そこから自我が生まれてきます。その自我は、意識としてのあなたによって支えられるただの幻想であって、それ自身のために働いているにすぎません。
幻想を支えている意識は、実際にはそれが本当でないと知っているにもかかわらず、本当であってほしいと思っている何かを信じることを選んでいる意識です。
意識は、それがただの知覚であっても、何かを信じ、それを本当にすることができます。「これが私の『真実』だ、これが私の実在だ、これが私が生きている目的だ」と。そして、その夢を守るために、そこから自我が生まれて存在するようになるのです。その自我は、その夢を通じて、その幻想を通じて生きている意識です。意識が嘘を信じるのをやめれば、自我はなくなってしまいます。
あなたが本当だと知っているものと、あなたが本当であってほしいと思っているものとの間に分裂があると、あなたは幻想の中に生きていることになり、あなたの意識は分裂した状態の中で存在することになります。意識の最も外側の部分が最も深い部分から切り離され、引き離されているのです。
意識の中のどこかに、本当であってほしと思っているものを持つという強い要求が何かあると、意識はそれ自身を切り離したままにしています。それは、本当であってほしいと思っているものが本当なのだと証明しようとします。それは、それ自身の真実を表している人生を送ろうとします。しかし、その分離した状態の意識の中で、永遠に続く痛みが存在するようになるのです。
完全な平和、本当の喜び、偽りのない愛をもたらす唯一のものは、その分離した意識がしがみついているものをただ手放し、全体に戻った時ーー最も深い部分として存在する時ーーに実現する。その時に、分離のない意識の一体性が存在するのです。
批判や評価(比較や決め付けも含む)や思考からくる判断は、個人の分離感を強めることになるだけですが、物事を分析して正しく観る(理性や直感を使う)ことは必要だと思います。すべてを無条件に受け入れることが一体性を意味しているとは思いません。瞑想をすることによって、静寂の中からやっている言葉に耳を傾けることも大切だと感じています。
「在る」は純粋意識で、そこには思考はありません。それは、静寂の中にある自己を認識している意識です。それは、例えれば白い布のようなものです。その上に思考という様々な色が塗られて行きます。それらすべての色が取り除かれれば、白い布が現れます。それが本当の自分だと思います。ただ純粋な意識があるだけだと思います。
追加(5月22日)
この世が夢(幻想)の世界であるならば、努力することも生きる目的(目標)も必要なくなり、ただ生きているだけになります。それを人は望んでいるのでしょうか。それが「あるがままに生きる」という意味ではないと思いますが、言葉(概念)だけが、先行しているように思えます。
ここに、非二元を説くアジャシャンティの『自由への道』の内容を少し載せておきます。参考になると思います。
解放や悟りは、自分で本当に実感するまで理解できません。
スピリチュアルな教えの目的は、あなたの答えに対して疑問を投げかけることです。あなたの認識を歪めている思い込みや信念に。
ありとあらゆる幻想を取り除くこと。幻想に執着することなく、抵抗を手放すことです。
自己をその本質的な中心へと解体していくと、自己に関して「私は在る」ということだけです。
スピリチュアルな教えは、相対的に見る道徳的、教訓的な基準を超えて現実に根差し、無私無欲の愛と慈悲が、自然に流れ出ます。
スピリチュアルな探求とは、自分が何を望んでいるのかを見出すまで内面を見つけることです。人生はあなたが最も価値を置いていることに沿って展開していくからです。
スピリチュアリティに求められるのは、リアリティを実感するのを邪魔する幻想を見つけ出して手放す意欲を持ち、今の瞬間に最大限に従事することです。
自分の権限を決して放棄しないこと。自分の人生に完全に責任を持ち、決してそれを他の誰かに明け渡して放棄しないことです。
信念は様々な形の原理主義につながり、目覚めや目覚めを超越したところへ向かう道を開く探求を妨害します。
欠点や幻想すべてを含め、自分をありのままに見る勇気を持つことが必要です。
誠実でいるには、自己批判を手放さなければなりません。批判的だと、ときに誠実でいるふりさえします。自分自身に正直でいられる力と意志は、自己欺瞞やごまかしに対抗する最強の防御であり、自分の本当の志と同調できるのです。
自分の人生の面倒をみるとは、自分の人生のどのような側面でも、それを避けるためにスピリチュアルを利用しないことです。スピリチュアルを利用する人は、大抵リアリティに目覚めたらすべての課題が消えてなくなるだろうという望みを持っています。目覚めの体験によって自動的に人生の困難な側面のすべてが解消されるという思い込みは間違っています。スピリチュアリティを自分自身や日常生活の困難な側面を避けるために利用するのは、スピリチュアルな悟りへと目覚めていくのを大きく妨げます。
あなたの存在は生命の中核です。
自分が知っていることや信じていることにしがみつくことで、自分や他人に苦痛や苦悩をもたらす現実を正当化し続けるのです。
真理が姿を現すのは、存在の次元の中です。人生の日常において、静寂な瞬間に、真理は突然姿を現し始めます。
人はエゴ中心で分離し、存在を否定する世界に生きています。存在が本当の支配力と主権を持つように調整し復活させることで、スピリチュアルに目覚めることを可能とします。
偽りの自己は、身意識の存在から発達していきます。偽りの自己は、普遍の存在というアイデンティティを実感する上での最大の障壁です。それは、本質的にマインドの中で起こる心理的なプロセスです。
自己という感覚は意識に充満し、マインドは心理的なプロセスであるものを、自分の自己と呼ばれる実際の分離した存在であると誤解する。
偽りの自己に夢中になり、幻想の本質やそれを超えて存在するものを想像しなくなる。本当の自分だと確信していた自己は、マインドの中にある抽象概念としてしか存在しない幻想である。
偽りの自己の中核にあるのは、何かが欠けているという空虚感である。それは、自分自身の神性に背を向けるという根源的な転落から生じるものである。
無限なるものを実感することだけが、神、真理、意義を求めるマインドのたゆみない探求に終止符を打てるのです。
マインドが想像した判断、信念、見解という世界の中に迷い込み、白昼夢に陥っています。
人生はあなたが自分に言い聞かせているストーリーに沿うものでもなければ、あなたの人生の解釈に従うものでもありません。あるがままが今の現実なのです。
真理は存在する唯一のものです。絶対的な真理は信念ではありません。真理は思考では触れることができず、マインドでは想像もつきません。それは普遍の存在のハートの中にだけ見出すことがきます。
瞑想とは、出来る限り深くすべてのものをただありのままに認める技術です。自分の体験をコントロールして操ろうとする行為を手放す必要があります。瞑想は根本的には存在の姿勢であり、存在の中で存在として静止していることです。
「真の瞑想」には方向性も目標もありません。それは全く言葉もなく委ねること、純粋な沈黙の祈りです。無理なく静寂でいること、根源的な存在として居続けることです。
「真の瞑想」で強調するのは気づきの状態でいることです。何かの対象物に気づいている状態ではなく、意識の存在そのものとして静止している状態です。
オープンに受け入れる姿勢、目標や期待を持たない姿勢でいることで、沈黙と静寂の存在が、あなたの自然な状態として姿を現しやすくなります。
瞑想の究極の形は、瞑想している自分が完全に消えて行く時です。
沈黙と静寂から生まれる直感的な英知に触れることができる。
探求は完全に魂の領域に属するものです。そこは静寂のもとに生まれる存在の次元であり、それ自身のために真理を求める光の次元です。
真のスピリチュアルな体験を最も巧みに遮っているのはスピリチュアルな観念なのです。
真理は一瞬たりとも欠損することはありません。
マインドの偽りの観念を曝け出して追い払うと、存在の静寂の中で静かに止まっていられます。
直観的な明瞭さと意識の根底にある、静寂の中の英知を利用する。
探求とは、直観的な英知が湧き上がってくる空間をマインドの中に広げる手段として、あらゆる思い込み、信念、そして解釈に疑問を投げかける術です。
黙考とは、気づきの沈黙と静寂の中で忍耐強く、言葉やフレーズを抱き続ける術です。沈考には分析的な思考や論理の限界で逆行することなく超越する力があり、英知と真理まで意識を広げます。
内なる変革を起こすには、意識の古い構造を継続的に空(から)にしていき、生きた流動する知力を誕生させる必要があります。この知力がマインドを、人間の意識全体の中に根付いている古い構造から解き放ちます。
自分の本質に目覚めたからといって、人生に対する認識方法、行動パターン、反応の仕方が継続して変革していくとは限りません。目覚めは深い内なる変革に向かう内面の扉を開いてくれますが、その変革が起こることを保証するものでは決してありません。真理に対する真剣で迷いのない意志が何よりも重要であり、不可欠です。
私達の可能性は既知のものに影響されたり、限定されたりしなくなった時初めて開花できるものです。マインドの領域を超え、人間の条件付けされた意識の限界を超越したところに、神聖と呼べるものがあります。その神聖なものから、非分離の生きた存在の表現が開花し、新しい流れるような意識が生まれるのです。
分離していない意識から認識すると、人生のあらゆる表現の中に神聖なものが見出されます。沈黙と直観的な気づきの内なる道筋に導かれるがままに、あらゆる道の終わりを越えて、無心になって、継続して神聖なるものへと向かうのです。
未知の領域に進んで一人で立っていかなければなりません。聖なるもの、分離していない完全なるものが意識の中で生まれ、自己表現を始めるのです。
あらゆるものが空虚で空っぽになり、無限の空間よりもっと空っぽになります。
生まれる以前の不死のものが生命へ目覚め、あなたの目を開くのです。その存在は、光を放ち、充足感に満ちています。
真理はあなたの中にあり、他のどこにもありません。
死とはただの次の体験です。それは意識が持つ次の体験です。
目覚めることは、死ぬことです。それが目覚めることの本質です。目覚めが起こった時、あらゆるものが消え、まったくの空白になりました。
肉体的死の瞬間、肉体的経験が抜け落ちます。物理的肉体が抜け落ちる時、人格構造もまた抜け落ちます。
死が非常に近い人たちの一部は、あたかも肉体が完全にスピリットに、内なる存在に対して透明になったかのようになります。透明になった唯一の理由は、その人がもはや肉体に執着していないからです。
一人でも多くの人が真理を求め、努力を惜しまず、真理へ向かって進んで行くことを願っています。
反発や抵抗を抱いたりしますが、
そういう自我さえも全てOKなんだよと、あたたかく包み込んでくれる本です。
読んでいるうちに自我が受け入れられていき、癒されていきました。
非二元の世界をただ語るのではなく、今の自分にでできること、今ここで迷ったり、
穴に落ちて抜け出せなくなっていることなどに対して、
そうそう、それでいいんだった、と何度も思い出させてもらえたり、
気づかせてもらえたりしました。
ありのままを受け入れることって結構大変に感じるけれど、
昨今のスピリチュアルと呼ばれる、夢の中を心地よく過ごす方法で
真の癒しを感じられないことに気づいた方にはお薦めの書だと思います。