サラの鍵 [DVD]
フォーマット | ドルビー, 色, 字幕付き, 吹き替え |
コントリビュータ | エイダン・クイン, メリュジーヌ・マヤンス, ジル・パケ=ブレネール, クリスティン・スコット・トーマス |
言語 | フランス語 |
稼働時間 | 1 時間 51 分 |
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商品の説明
東京国際映画祭最優秀監督賞/観客賞 W受賞
過去の悲しみと痛みを、未来の光に変える感動作
1942年、パリでユダヤ人が“ヴェルディヴ(冬季競輪場)”に収容された悲劇を描いた本作。
数々の試練と戦い続けた少女サラの足跡を追って、真実を突き止めようとする現代女性のジュリア。
すべてが明かされたとき、サラの痛切な悲しみを全身で受け止めたジュリアが、ついに見出したひとすじの光とは―。
感動がクチコミとなってロングランヒットを記録した話題作!
原作は、全世界で300万部突破のベストセラー。
ハリウッドからもオファーが殺到した映画化権を獲得したのは37歳の若手新鋭監督ジル・パケ=ブレネール。
綿密なリサーチに基づいた緊迫の映像でユダヤ人迫害の真実に迫りながらも、今を生きる私たちの物語として描き切り、誰も観たことのない唯一無二の作品を作り上げた。
【STORY】
夫と娘とパリで暮らすアメリカ人女性記者ジュリアは、45歳で待望の妊娠をはたす。
が、夫から受けたのは思いもよらぬ反対だった。
そんな人生の岐路に立った彼女は、ある取材で衝撃的な事実に出会う。
夫の祖父母から譲り受けたアパートのかつての住人は、1942年パリのユダヤ人迫害事件で、アウシュビッツに送られたユダヤ人家族だったのだ。
さらにその一家の長女、10歳のサラが収容所から逃亡したことを知る。
一斉検挙の朝、サラは弟を納戸に隠して鍵をかけた。
すぐに戻れると信じて―。
果たしてサラは弟を助けることができたのか?
二人は今も生きているのか?
カラー / 片面2層 / 本編111分+特典映像 / 16:9LB(スコープサイズ) / 2010年度作品 / フランス
音声= ①フランス語ドルビーデジタル5.1chサラウンド ②日本語吹替ドルビーデジタル2.0chステレオ
字幕:①日本語字幕 ②日本語吹替用字幕
特典映像:メイキング、予告編集、キャスト&スタッフ プロフィール(静止画)、プロダクションノート(静止画)
登録情報
- 言語 : フランス語
- 製品サイズ : 19.1 x 13.6 x 1.6 cm; 90.72 g
- EAN : 4988104071804
- 監督 : ジル・パケ=ブレネール
- メディア形式 : ドルビー, 色, 字幕付き, 吹き替え
- 時間 : 1 時間 51 分
- 発売日 : 2012/6/22
- 出演 : クリスティン・スコット・トーマス, メリュジーヌ・マヤンス, エイダン・クイン
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : 東宝
- ASIN : B007MFDXSW
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 3,203位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 220位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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占領者として強いたナチスに非があるといえばそこまでかもしれないが、
フランスど真ん中のパリにおいても、
ユダヤ人にダビデの星をつけて強制収容所行の列車に乗せる愚行が行われた、
というショッキングな話が前提になっている。
ナチスから弟をかばうつもりで、
とあるところにカギをかけて閉じ込めたサラというユダヤ人の少女が居たと。
ところがその幼い弟を連れに戻る予定が、
家族全員ひっとらえられて、
そのまま地獄の強制収容所に送られてしまい、両親は敢え無く死亡。
弟は閉じ込められたままになってしまった。
幼いながらの責任感があって、
逃亡してまで弟の待つアパートに戻ろうとするサラの行動を回想形式で追いつつ、
現在そのアパートをリフォームして住むことになった、
主人公のジュリアの時間を遡る営為が交錯する。サラはどうなったのか?
日本人が「強いられたのなら仕方ない」という風に諸行無常風に考えてしまうところを
(悪く言えば、客観性を装いつつ、自分のインモラルも他人事にしてしまうことがある)、
自由・平等・博愛を地で行く(はずの)パリジャンまたはパリジェンヌで
かつ、ジャーナリストという属性がある人としては、
「自分のアパートで起こった悲劇がナチス絡みだった」と知った時どう振舞うか?
ということが一貫して追求されている。
(現実のフランスでは差別も格差も温存されている、
とは留学生だった知人の弁だが、
それは現代政治の問題であるのでひとまず横に措いて。)
サラの人生を辿る過程で、
真実を知りたくない人(結構キーパーソン)との摩擦も生じたりして、
個人史を国史と重ねつつ歴史を辿ることの難しさも描かれている。
概ね、皆さん協力的に描かれているけど。
原作本が300万部売れたというのもわかる気はする。
国を跨いで調査を進めていくうちに、ついに「真相」にたどり着く。
ネタバレは回避しつつ。
ただ、残された者たちにとってはパズルが解けて「真相」が明らかになった、
ほっとしたといったことであっても、
サラ本人としてはトラウマで悲壮だったろうし、
ジュリアの探求(究)はグレーゾーンも含むなあと。
サラ自身は辿ってほしかったのか、
知られずに済ませたかったのか…。
最後のシーンで「象徴的な子供」が全部持って行ったけども。
(注…ネタバレの誤解回避のため、念のためいうが、サラの子ではないです。)
より良く「生き直して」ほしいとでもいおうか…。
日本人にも馴染みのある着想というか…。
人間としての愛に辿り着く。
戦争という名の悪は幼い子供を
心の底から痛めつけ、希望も
何もかも奪って立ち直れ無い程、痛めつけ其処からは何も
生み出さない。戦争という名の
悪。
満足しました
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Part of the challenge and fascination of the movie lies in the constant shifting time-scale, from 1940's Paris to 60 years later, where Scott-Thomas's character, with moral decisions of her own to face, gets drawn into an investigation from the past, the events of which impinge directly on her life in present day, as her husband's family flat was 'acquired' after the expulsion of the Jews. The sense of rugs being pulled from under feet, the insecurity of the present, and how the past and the present are tied to each other - and yet strange to each other, is intensified by the two-languages of the movie - partly in English, partly in French, so there is always the sense of Scott-Thomas trying to straddle the divides of language and culture, to communicate across time and space.
The DVD extras, in the form of a 'making of the film' documentary was, for the most part, equally interesting. Several of the actors and extras had histories of their own - either personal, or family survivors of the Shoah - including the director. One particularly chilling moment was with a conversation with a group of extras, most young, but with one elderly woman. The young women are laughing, as the old woman says IF she had ever married she would have had a grand-daughter like one of the young girls. They laugh,saying were you never married, never? And the woman says 'no - who could I marry, I couldn't marry a Christian, and there were no Jews left' The actors playing the parents of the central young girl (Melusine Mayance, an extraordinary performance) also brought their own personal sensibilities into their perfcrmances, as people who had been affected by later European 'ethnic cleansings' and the extreme effects of divisive nationalism.
The level of performances, whether from established actors, unknowns or extras, is high. There is a sense that most people involved felt they were doing something more important than just making another film. Though 'Sarah's story' is a fiction, it is representative of many real, horrific stories, belonging to people whose own stories died with them, or with those who survived, and whose descendants may still carry deep scars
