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精神疾患とパーソナリティ (ちくま学芸文庫 フ 12-1) 文庫 – 1997/12/1

4.0 5つ星のうち4.0 7個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 筑摩書房 (1997/12/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1997/12/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 262ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4480083944
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480083944
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 7個の評価

著者について

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ミッシェル・フーコー
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上位レビュー、対象国: 日本

2017年3月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ミシェル・フーコーの著作物は「狂気の歴史」や「言葉と物」などを読んでいるがそれほど印象にはない。最近、精神疾患に関心を持っていて、フーコーにもこうした精神疾患に関する著作物があると知り読んだ本である。

本書はフーコーの処女作であるとのこと。そして本書の第二部を書き直して「精神疾患と心理学」というタイトルで出版したとのこと。ただ、フーコーは本書を否認して「狂気の歴史」を処女作と言い続けていたこと。これら些細なこと以上に、精神疾患の分析を始めとしたフーコー哲学の取り組みとその内容、更にその後の哲学的展開の概略が本書には書かれているためである。フーコーが「精神疾患と心理学」を処女作と認めなかったのは、本書の箇条書きにして柔らかに抒情性を含んだ文章そのものが彼の気に入らなかったのだろう。それほどフーコーの文章は硬くて長くて取り留めがなかった記憶がある。フーコーは良くは分からないが、情感の混じった文章を嫌い、硬質で一見論理性を保った外側だけの論理的な文章に固執しているのかもしれない。即ち、心の内部をさらけ出すのを嫌っているのである。

本書の構成は「序」、第一部「病の心理的学な次元」に三章、第二部「病の条件」に二章と結論がある。「序」では精神病理は、病理学的な思弁にあるのではない、人間自身の思索のうちにしか存在しないと明言している。即ち、後述するように精神疾患はこの世界に実存する人間そのものが世界との関係で引き起こされるものなのである。まず、フーコーは病理学について述べる。精神の病理学は抽象的なかつ人為的な「メタ病理学」から解放され、個人の心的な生において精神的な病が取りうる具体的な形態を探求し、その因果関係の全体を再構成すべきだと主張する。こうして、フロイトなどを取り上げ批判など行いながら、個人史の重要性を示して心的な防衛のメカニズムや不安の意味、葛藤などについての因果関係を述べている。なお、不安は実存のアプリオリとしている。

第四章「病と実存」の章がもっともなじみが湧いて来る内容が記述されている。精神疾患は常に病の意識を伴って、特に自己との関係が二重に展開される、例えば覚醒と夢幻とに、正常と病理学的なものと、特殊と普遍なものなど、二つの対立する関係を争うのである。時間はもはや未来に投じられることも流れることもない。事物の配置は内的な統一性が欠けている。こうして、他者は社会的な意味の元に現れずに、もはや誰もいなくなった宇宙において異邦人となる。主体はもはや自分を屍体として動かない機械として感じるだけである。これが病的な実存の特徴なのである。

第二部「病の条件」では、病とは平均からのずれの統計学的な潜在性であり、人間の本質の文化人類学的な潜在性であり、この病に逸脱という意味を与え、病人を排除される者とした文化と、病のうちに自ら認めることを拒絶しながら自己を表現する社会そのものにフーコーの思考は向かうのである。キリスト教における悪魔に取り付かれた人の人間宇宙からの追放、近代の「百科事典」における能力の喪失した者という見方などについて述べている。そして精神疾患において患者のパーソナリティの混乱や構造の剥奪は、疎外の経験を通じて患者を異邦人にして、人間的なものを奪い去っていると述べるに至る。こうして精神疾患と実存との関係についてフーコーは追求する。社会的関係との矛盾のうちに起源があるとする。更に道徳的な観点、排除と処罰の関係に結び付けて、歴史をたどりながら、収容施設としての「一般施療院」などの監禁について述べている。この施療院は「狂気の歴史」の素案とも言える内容である。

第六章の「葛藤の心理学」では、精神病理のメカニズムについて詳述している点が興味深い。精神疾患の病とは一つの防衛の形態であり、人間が自ら作り上げた実存の条件に、病人が自らを人間として見出せなくなったために生じる精神の錯乱なのである。こうした観点から文化との宗教との社会との関係性を論じている。最後になるが、こうした「精神疾患とパーソナリティー」という本をフーコーが記述していたとはある種の驚きがある。この精神疾患の探求を始めとして、フーコーの著作物が「狂気の歴史」や「監獄の誕生」などから「性の歴史」にたどり着こうとした原点がよく分かるのである。そういう意味で良い本である。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年8月23日に日本でレビュー済み
精神疾患という病が以前に精神分裂症といい、今、統合失調症といいますが、精神疾患患者にその統合失調症と精神科医が診断するのが多かったと考えますが、ダブルバインドとかダブルスタンダードという言語があり、ダブルバインドが二重拘束でダブルスタンダードが二重基準ですが、その意味やその状況やその判例もありますが、この著作者のフランス人のフーコーが戦前のナチスが何が問題かの意見があり、あまりナチスと関係がないひともナチスと名乗り、強盗、強姦をしたとの意見があり、パーソナリティーが人格や個性という意味ですが、アイデンティティが自己同一性ですが、多重人格や二重人格という言語とその意味やその状況やその人格障害が起こした事件や事故の判例もあり、今、パーソナリティー障害という以前に聞かなかった精神疾患もありますが、パブロフの犬の条件反射がソ連の精神科医が産んだものですが、またシニフィエとかシニフィアンとか言いますが、その単語の文字を目にして読んでも、その単語の実物のモノの映像が頭に思い浮かばないひともいるらしく、また精神疾患が他に躁鬱病やてんかんや発達障害やミュンヒハウゼン症候群という精神疾患もありますが、アルコール依存症やセックス依存症の場合も親類が代理して精神病院に強制入院させられてしまう場合もありますが…
2014年12月24日に日本でレビュー済み
フーコーの最初の著作。しかし本人は、後で別な名前で書き直したことから、この本を最初の著作とは認めていなかったという。
精神の病を、身体の病理学と同様に扱うことは無意味だと、強烈に批判している。
狂ったから精神が錯乱するのではなく、精神が錯乱しているから、狂っていると思われるのだ、という言葉が印象的だ。
狂気が社会の中でどのように扱われるかは、時代や場所に大きく依存する、ということを指摘。
後年の狂気の研究、西洋における知の批判の基本的なフーコーの思想は、すでにこの本で提示されている。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年6月18日に日本でレビュー済み
精神の病を身体の病と同様に扱い、
精神の病を身体の病と同様に治療していた
当時のフランス心理学界に疑問を投げかけ

更に、
「日常的公共的な世界から外れた人間が精神的患者であるとされているが
そもそも共同の世界は健全なのか?
正常と異常のボーダーラインはどのように決まるのか?」
といった『狂気の歴史』のテーマへと繋がっていきます。

中山元さんの解説がとても美しく、
不思議な第6章の意図の読み解きもなされており、
本文の道筋を失ったら迷わず読むことをお薦めします。
20人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年7月21日に日本でレビュー済み
 本書についてフーコー自身述べていることだが、彼は本書を「若気の至り」であるという。
確かにある面、思いのままに突っ走って書き上げた感がしないでもない。だが、後の『狂気の歴史』『言葉と物』『監獄の誕生』のような過去の膨大なテクストを読み解く、つまり「知の考古学」を実践することの萌芽が既に見受けられる。ただ本書ではそれがまだまだ甘い。
 しかし、それでも本書の存在意義はきわめて高い。なぜならフーコー自身「狂気」と出会い、戯れ、狂気と正気の間でアーティスティックな人々とともに身をすり減らすような苦痛/正気の領域を審判する快楽を感じているのが、とてつもなく感じられるからである。
 フーコー入門にまずはこの本を読んでみるのも決して回り道ではない。
20人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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