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「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか (ちくま新書) Kindle版
安保関連法を成立させ、原発再稼働を進める自公政権。十万人以上を官邸前へ国会へ集めても勝てなかったデモ。若者を巻き込んだ楽しくかっこいい社会運動を礼賛し歓迎したメディアと知識人たちは、論点を巧みにすり替えていなかったか。丸山眞男、柄谷行人、小熊英二、高橋源一郎、SEALDsらの言説から、リベラル勢力を劣化させる病巣を徹底摘出。これは勝ちたいリベラルのための真にラディカルな論争書だ。
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2016/2/10
- ファイルサイズ637 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
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登録情報
- ASIN : B01CK26VVW
- 出版社 : 筑摩書房 (2016/2/10)
- 発売日 : 2016/2/10
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 637 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 214ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 322,779位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,801位ちくま新書
- - 10,707位社会学概論
- - 11,029位社会学 (Kindleストア)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年3月13日に日本でレビュー済み
脱原発デモ、安保関連法案反対デモを題材に、なぜ彼らは負けるのか、を分析しています。つまりは「本当にやる気あるのか?」ということが言いたいんですね。PDCAができてない、と。まあ、そんなに勝ち負けにこだわらず、デモはデモでいいんじゃないかと思いますけど。254ページ10行目~18行目の意見にはまったく同感です。
2016年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は、リベラルを擁護し叱咤している。
だが、今日というより有史以来反戦・脱原発などが国家のスローガンとして成立するのであろうか。
それは、著者の云う「セカイ系」(脳内観念世界)の事であろう。私は、この言葉に反応してこの本を購入したのであるが。
それは、特別攻撃隊と相似である。
だが、死を賭していないため真面な人は相手にしない。
著者は、リベラルの欠陥・劣化が良く見えていて「中二病」、「能力なきリベラルが憲法論へ逃避する」というのもある。
だが、リアリティが乏しい脳内観念世界に逃避している人たちに対して、その外部を取り巻いている生活者のリアリティで批判しても届くまい。
著者は、過渡期の人であろう。
戦後70年が経過した。
通常、綺麗事で飯を食える職場は少ない。孤立主義的であれば尚更である。いずれも相手にされない。
棲息可能なのは、「反権力」という既得権を持つマスメディアか、親分・子分の関係の大学(文系)教授くらいの狭い範囲のものである。
敗戦の痛手は、深かった。だが、月日は、傷を洗い流す。
残ったのは、反射的に反応し劣化したリベラルの正体であった。
それは、国会でも、マスコミでも、デモに於いても悪態ばかりが目立つ老いたような人たちであった。
この本でも避けられているキーワードがある。
「敗北」はあるが、「敗者」がない。
日本社会の中で敗者復活戦を生き残るのは難しい。チャンスもそうそう巡って来ない。
だが、辛抱していると他が脱落する。生活するとは、修行である。
だが、今日というより有史以来反戦・脱原発などが国家のスローガンとして成立するのであろうか。
それは、著者の云う「セカイ系」(脳内観念世界)の事であろう。私は、この言葉に反応してこの本を購入したのであるが。
それは、特別攻撃隊と相似である。
だが、死を賭していないため真面な人は相手にしない。
著者は、リベラルの欠陥・劣化が良く見えていて「中二病」、「能力なきリベラルが憲法論へ逃避する」というのもある。
だが、リアリティが乏しい脳内観念世界に逃避している人たちに対して、その外部を取り巻いている生活者のリアリティで批判しても届くまい。
著者は、過渡期の人であろう。
戦後70年が経過した。
通常、綺麗事で飯を食える職場は少ない。孤立主義的であれば尚更である。いずれも相手にされない。
棲息可能なのは、「反権力」という既得権を持つマスメディアか、親分・子分の関係の大学(文系)教授くらいの狭い範囲のものである。
敗戦の痛手は、深かった。だが、月日は、傷を洗い流す。
残ったのは、反射的に反応し劣化したリベラルの正体であった。
それは、国会でも、マスコミでも、デモに於いても悪態ばかりが目立つ老いたような人たちであった。
この本でも避けられているキーワードがある。
「敗北」はあるが、「敗者」がない。
日本社会の中で敗者復活戦を生き残るのは難しい。チャンスもそうそう巡って来ない。
だが、辛抱していると他が脱落する。生活するとは、修行である。
2016年8月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
左派勢力がファンタジーの世界(何処かお隣の国に発想が似ている)に生きていると言うのは非常に共感できましたが、筆者の立ち位置が良く分からない事と内容で共感できない部分もあって、読み終わっても何だかスッキリしない感じです。
少なくともリベラルの人たちがしているデモ等は自己満足の域を出ておらず、一体何がしたいのか良くわかりませんが、世間に迷惑をかけない程度に表現の自由を謳歌して下さいと言った所でしょうか・・・。
少なくともリベラルの人たちがしているデモ等は自己満足の域を出ておらず、一体何がしたいのか良くわかりませんが、世間に迷惑をかけない程度に表現の自由を謳歌して下さいと言った所でしょうか・・・。
2016年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
そもそも、思想や行動を完全に検証することなど、スカウターがあっても無理なわけだし、
本書の中で浅羽氏が、「リベラル」と自称している者たちに提案している代替案は、
現実には実現不可能なものばかりなので、この辺りは本気にしないほうがいい。
おそらくは、浅羽氏も本気では言っていない。
ところが、少なくともこの世にただ一人だけ真に受けたヴァカがいた。
・
「お話を伺ってもっとも感じたのは、反安保関連法や脱原発を訴えて頑張っている人たちに、
たとえあなたがいわれるような問題があったとしても、何も行動していないあなたのような人にいわれたくない。
これですね」 (「エピローグ」より)
・
この、本書の中の聞き手は、実は本の中で一切どこの誰かとは明示されていないのだが、
浅羽氏の妄想の産物でない限りは、おそらくは筑摩書房の編集者なのだろう。
このヴァカが真に受けて、浅羽氏の代替案のみならず、そもそも浅羽氏の思想自体が嫌いなようで、
必要以上に噛み付こうとしているさまが実に面白い。
本書の真の価値は、ここにこそある。
とにかく、この聞き役もといヴァカは、本人にとって都合の悪いことを言われたときには、
浅羽氏を面罵したり小馬鹿にしたりするのだが、その回数がハンパではないから、逆に面白すぎる。
それが265ページまで延々と続くのだから、読み手としては楽しいやら呆れるやら。
・
「(前略) 脱原発以降のデモを担った人々は、チュニジアのジャスミン革命に始まる『アラブの春』を、
3・11東日本大震災と福島第一原発事故の直前だったということもあり、かなり意識していたようですね。
(中略) この時期のデモを主導した首都圏反原発連合の野間易通氏は、
『抗議行動がツイッターをはじめとしたSNSで広がっていること、
マスメディアがこれを黙殺していることも、多くの人にチュニジアの革命や〔アラブの春〕を連想させたはずだ』、
『アラブ諸国の民衆革命や前年秋のニューヨークでのウォール・ストリート占拠運動と、この官邸前抗議は目的も性格も異なる。
それでも民衆が直接動いて政治を動かそうとしているという点では、
それらの動きは官邸前参加者にもずいぶんと意識されていたのではないか』と記してますが」
・・・浅羽氏を批判するときに、自分の言葉ではなく、他の誰かの言葉を使うのがこの編集者の特徴なのだが、
当の浅羽氏は、
「私はそれら(記事)を読んであまりいい気持ちがしなかった。
ジャスミン革命ほか『アラブの春』で殺された犠牲者の遺族や負傷者・逮捕者らのまえで、
政治的自由を謳歌してきた日本人が、『モデルは中東で起きた革命です』なんて言えますかね。
恥を知ってほしい。
産経新聞の阿比留瑠比記者が、2015年9月3日付のコラムで
『弾圧も粛清も絶対にされない環境でデモをすることが、そんなにもてはやすべきことなのか』と揶揄してました。
記者の結論は、選挙制度で政治を変えられる日本なんだからデモなんかもてはやすなというごく普通のものでした」
・・・と、ばっさり一刀両断。
その後、9ページもだんまりを決め込むヴァカ。
・
挙句、
「まあいずれにしろ、(昨今のデモの参加者というものは)参加のハードルをできるだけ低くしたから、
ようやく集まった人々だったということに変わりはありません。
(中略)いま風のデモの、気楽に参加できて明るく楽しくかっこいい、徹底して非暴力を貫き、逮捕されたりは絶対しない、
要するに『敷居の低さ』をはしゃいで報道していた朝日新聞ほかのリベラル系メディアは、
自分たちの陣営がいかに脆弱かをあけっぴろげにしたのです。ごていねいにも。
ですから私は、以下のような記事を読むと苦笑するほかない。
『デモに参加するに要するエネルギーは大変なもの。
とすれば、参加者一人の背後には、同じ想いの人が100人はいると考えるべきです。
10万人のデモの後ろには1000万人がいるんです (毎日新聞・2011年11月4日付夕刊、柄谷行人の発言)』
だとか、(中略)
『高校生や俳優、元裁判官ら勇を鼓し、
しがらみを排して声をあげた人の何と多かったことか (朝日新聞・2015年9月21日付朝刊、特別編集委員の山中季広の論説)』
こうした発言を読むと、です。
(中略)たしかに、デモに参加しない原発反対者は多くいるでしょうが、
これだけ敷居が低くなっても来ないということは、反対を訴えたい熱意のほどもまあその程度でしかない、
いわば希薄な人々だともいえてしまうのですよ」
・・・とまで言われる始末。
まぁ、柄谷行人の元気玉理論はそもそも実証できませんし、頭悪すぎですからうっちゃっておいて、
聞き手の編集者もといヴァカは、この浅羽氏の発言がよほど気に入らなかったと見え、
「しかし、従来のままの敷居の高いデモだったら」、「しかし、現在の日本は軍事独裁体制ではなく」、
と1ページに二度も執拗に食い下がります。
・
因みに、上記の抜粋部分はまだ本書の序盤、50ページ前後の話でしかないのだが、
こんな、何か批判ネタを出す→浅羽氏に論破される→何か批判ネタを出す→浅羽氏に論破される・・・
これを繰り返しているうちに、この聞き手ヴァカは少しづつやる気を失くしていったのだろう。
本来なら最も浅羽氏を攻撃できるハズの、140ページ目からの「バーチャル」な話のあたりで完全に役割を放棄。
何を言われても、
「あー、そっち系の話はもういいですから」 「わかりました。怖いからそのくらいでいいです」
「名誉毀損ものですよ」 「そうですかね」 「お爺さん、また昭和の話ですか」
・・・と、やる気ゼロ。
浅羽氏への攻撃材料なら、山ほど揃っていたのに。
浅羽氏の言説に対して、
「それ、25年前から説いてませんか」と聞くぐらいだから、話は聞いているのだろうが、
何か死んでも認めたくないものでもあるのだろうか、あとは最後までやる気ゼロ。
・
「お聞きしていると、あなたはリベラル派ではないし、多くの争点でリベラルと反対の立場を採るようです。
それではなぜ、本書では基本的に、リベラルがどうすれば勝てるかという方向で議論を展開しているのですか」
こんなこと、エピローグの、あと6ページで本が終わってしまうところで聞くことかよ。
ここに至るまでの260ページまでに、概略はわかると思うのだが。ほんと、やる気ゼロだな。
・
先述したように、本書で浅羽氏が展開する代替案のほとんどは、危険極まりないので無視して良し。
どこの誰かとも明示されていない、おそらくは筑摩書房の編集者が浅羽氏に玉砕して散っていくうちに、
やる気を失くしてゆくさまを楽しむ本。
爆笑必至。これは保証できる。よって絶対にオススメの作品。
あと、ここ数年のイデオロギー的な出来事のほとんどが紹介されているので、
一つのまとめ本としても優秀。
このレビューが参考になれば幸いです。 (*^ω^*)
本書の中で浅羽氏が、「リベラル」と自称している者たちに提案している代替案は、
現実には実現不可能なものばかりなので、この辺りは本気にしないほうがいい。
おそらくは、浅羽氏も本気では言っていない。
ところが、少なくともこの世にただ一人だけ真に受けたヴァカがいた。
・
「お話を伺ってもっとも感じたのは、反安保関連法や脱原発を訴えて頑張っている人たちに、
たとえあなたがいわれるような問題があったとしても、何も行動していないあなたのような人にいわれたくない。
これですね」 (「エピローグ」より)
・
この、本書の中の聞き手は、実は本の中で一切どこの誰かとは明示されていないのだが、
浅羽氏の妄想の産物でない限りは、おそらくは筑摩書房の編集者なのだろう。
このヴァカが真に受けて、浅羽氏の代替案のみならず、そもそも浅羽氏の思想自体が嫌いなようで、
必要以上に噛み付こうとしているさまが実に面白い。
本書の真の価値は、ここにこそある。
とにかく、この聞き役もといヴァカは、本人にとって都合の悪いことを言われたときには、
浅羽氏を面罵したり小馬鹿にしたりするのだが、その回数がハンパではないから、逆に面白すぎる。
それが265ページまで延々と続くのだから、読み手としては楽しいやら呆れるやら。
・
「(前略) 脱原発以降のデモを担った人々は、チュニジアのジャスミン革命に始まる『アラブの春』を、
3・11東日本大震災と福島第一原発事故の直前だったということもあり、かなり意識していたようですね。
(中略) この時期のデモを主導した首都圏反原発連合の野間易通氏は、
『抗議行動がツイッターをはじめとしたSNSで広がっていること、
マスメディアがこれを黙殺していることも、多くの人にチュニジアの革命や〔アラブの春〕を連想させたはずだ』、
『アラブ諸国の民衆革命や前年秋のニューヨークでのウォール・ストリート占拠運動と、この官邸前抗議は目的も性格も異なる。
それでも民衆が直接動いて政治を動かそうとしているという点では、
それらの動きは官邸前参加者にもずいぶんと意識されていたのではないか』と記してますが」
・・・浅羽氏を批判するときに、自分の言葉ではなく、他の誰かの言葉を使うのがこの編集者の特徴なのだが、
当の浅羽氏は、
「私はそれら(記事)を読んであまりいい気持ちがしなかった。
ジャスミン革命ほか『アラブの春』で殺された犠牲者の遺族や負傷者・逮捕者らのまえで、
政治的自由を謳歌してきた日本人が、『モデルは中東で起きた革命です』なんて言えますかね。
恥を知ってほしい。
産経新聞の阿比留瑠比記者が、2015年9月3日付のコラムで
『弾圧も粛清も絶対にされない環境でデモをすることが、そんなにもてはやすべきことなのか』と揶揄してました。
記者の結論は、選挙制度で政治を変えられる日本なんだからデモなんかもてはやすなというごく普通のものでした」
・・・と、ばっさり一刀両断。
その後、9ページもだんまりを決め込むヴァカ。
・
挙句、
「まあいずれにしろ、(昨今のデモの参加者というものは)参加のハードルをできるだけ低くしたから、
ようやく集まった人々だったということに変わりはありません。
(中略)いま風のデモの、気楽に参加できて明るく楽しくかっこいい、徹底して非暴力を貫き、逮捕されたりは絶対しない、
要するに『敷居の低さ』をはしゃいで報道していた朝日新聞ほかのリベラル系メディアは、
自分たちの陣営がいかに脆弱かをあけっぴろげにしたのです。ごていねいにも。
ですから私は、以下のような記事を読むと苦笑するほかない。
『デモに参加するに要するエネルギーは大変なもの。
とすれば、参加者一人の背後には、同じ想いの人が100人はいると考えるべきです。
10万人のデモの後ろには1000万人がいるんです (毎日新聞・2011年11月4日付夕刊、柄谷行人の発言)』
だとか、(中略)
『高校生や俳優、元裁判官ら勇を鼓し、
しがらみを排して声をあげた人の何と多かったことか (朝日新聞・2015年9月21日付朝刊、特別編集委員の山中季広の論説)』
こうした発言を読むと、です。
(中略)たしかに、デモに参加しない原発反対者は多くいるでしょうが、
これだけ敷居が低くなっても来ないということは、反対を訴えたい熱意のほどもまあその程度でしかない、
いわば希薄な人々だともいえてしまうのですよ」
・・・とまで言われる始末。
まぁ、柄谷行人の元気玉理論はそもそも実証できませんし、頭悪すぎですからうっちゃっておいて、
聞き手の編集者もといヴァカは、この浅羽氏の発言がよほど気に入らなかったと見え、
「しかし、従来のままの敷居の高いデモだったら」、「しかし、現在の日本は軍事独裁体制ではなく」、
と1ページに二度も執拗に食い下がります。
・
因みに、上記の抜粋部分はまだ本書の序盤、50ページ前後の話でしかないのだが、
こんな、何か批判ネタを出す→浅羽氏に論破される→何か批判ネタを出す→浅羽氏に論破される・・・
これを繰り返しているうちに、この聞き手ヴァカは少しづつやる気を失くしていったのだろう。
本来なら最も浅羽氏を攻撃できるハズの、140ページ目からの「バーチャル」な話のあたりで完全に役割を放棄。
何を言われても、
「あー、そっち系の話はもういいですから」 「わかりました。怖いからそのくらいでいいです」
「名誉毀損ものですよ」 「そうですかね」 「お爺さん、また昭和の話ですか」
・・・と、やる気ゼロ。
浅羽氏への攻撃材料なら、山ほど揃っていたのに。
浅羽氏の言説に対して、
「それ、25年前から説いてませんか」と聞くぐらいだから、話は聞いているのだろうが、
何か死んでも認めたくないものでもあるのだろうか、あとは最後までやる気ゼロ。
・
「お聞きしていると、あなたはリベラル派ではないし、多くの争点でリベラルと反対の立場を採るようです。
それではなぜ、本書では基本的に、リベラルがどうすれば勝てるかという方向で議論を展開しているのですか」
こんなこと、エピローグの、あと6ページで本が終わってしまうところで聞くことかよ。
ここに至るまでの260ページまでに、概略はわかると思うのだが。ほんと、やる気ゼロだな。
・
先述したように、本書で浅羽氏が展開する代替案のほとんどは、危険極まりないので無視して良し。
どこの誰かとも明示されていない、おそらくは筑摩書房の編集者が浅羽氏に玉砕して散っていくうちに、
やる気を失くしてゆくさまを楽しむ本。
爆笑必至。これは保証できる。よって絶対にオススメの作品。
あと、ここ数年のイデオロギー的な出来事のほとんどが紹介されているので、
一つのまとめ本としても優秀。
このレビューが参考になれば幸いです。 (*^ω^*)
2016年3月28日に日本でレビュー済み
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リベラルがどうして負けるのか、そしてどうしたら勝てるかという内容。左翼だが、かなりまともな知識人。左翼の割りには「リアルな世界」をわかっている点、感情に走らないで現実を見据える点は、尊敬に値する。
面白い点は、シールズについて「むしろ世代を感じさせない古さが目立つ。いま地道に実力を培っておいた者が、数十年後、いまとは比べ物にならない聞きが訪れた日、蓄えに蓄えた戦闘値を持って登板する勇者となれるのではないか」という批判。
左翼だが、尊敬できる知識人。ご自分もで認めていらっしゃるが、斜に構えるところがあると。その通りだが、頭がいいなと思う。
左翼リベラルといわれる人が、この人を参謀にしたらすごいが、多分、無理。
面白い点は、シールズについて「むしろ世代を感じさせない古さが目立つ。いま地道に実力を培っておいた者が、数十年後、いまとは比べ物にならない聞きが訪れた日、蓄えに蓄えた戦闘値を持って登板する勇者となれるのではないか」という批判。
左翼だが、尊敬できる知識人。ご自分もで認めていらっしゃるが、斜に構えるところがあると。その通りだが、頭がいいなと思う。
左翼リベラルといわれる人が、この人を参謀にしたらすごいが、多分、無理。
2016年10月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
浅羽さんの仰ることに賛同します。
私は高橋源一郎のことを結構気にしていて、どう批判したものか考えてきました。金井美恵子みたいに一刀両断なやり方も見事だと思うし、「まだ民主主義信じてるのかよ」みたいな揶揄もアリだと思いながらも、もう少し明確な批判の仕方はないものかと、考えていたワケです。その点、かなり見通しができて感謝です。
ただ、高橋の思想的な弱さ(あるいは金井流に言えば「カマトト」性)と、その小説世界との関連性については、もうひと考えしたいと思います。
私は高橋の文学理論については、よく出来ているけれど、どこか嘘臭いものを感じていて、その文学理論で高橋の小説が読めすぎてしまうのも居心地悪く感じています。
ま、これはこの本についての話とは関係ありませんね。
ところで、どなたかが浅羽さんの対話相手である編集者が絶妙のツッコミを入れているみたいなことをレビューで書いていたけど、そうかな~、です。この編集者、ハッキリ言ってバ〇ですよ。と言うより、そういう役を振られているというか……
例えばp245。「その花田清輝って何者ですか?」って質問も間抜けだけど、それに浅羽さんが「『中二病でも恋がしたい!』や『響け!ユーフォニアム』などのアニメ脚本家・花田十輝のお祖父さんで名づけ親ですよ」と答えると、「なーんだ、そっち系の人ですか……」って、バ〇でしょう? その後、何のフォローも無いんです。これ、明らかに故意ですよね。
それなのにp262では、浅羽さんの発言に対して「それ、二五年まえから説いてませんか」と返していて、浅羽さんとの対談ということでニワカ勉強した可能性もあるけど、でもそれだけ勉強してるなら花田清輝くらい知ってろよっ! です。
これ、作ってます。
私は高橋源一郎のことを結構気にしていて、どう批判したものか考えてきました。金井美恵子みたいに一刀両断なやり方も見事だと思うし、「まだ民主主義信じてるのかよ」みたいな揶揄もアリだと思いながらも、もう少し明確な批判の仕方はないものかと、考えていたワケです。その点、かなり見通しができて感謝です。
ただ、高橋の思想的な弱さ(あるいは金井流に言えば「カマトト」性)と、その小説世界との関連性については、もうひと考えしたいと思います。
私は高橋の文学理論については、よく出来ているけれど、どこか嘘臭いものを感じていて、その文学理論で高橋の小説が読めすぎてしまうのも居心地悪く感じています。
ま、これはこの本についての話とは関係ありませんね。
ところで、どなたかが浅羽さんの対話相手である編集者が絶妙のツッコミを入れているみたいなことをレビューで書いていたけど、そうかな~、です。この編集者、ハッキリ言ってバ〇ですよ。と言うより、そういう役を振られているというか……
例えばp245。「その花田清輝って何者ですか?」って質問も間抜けだけど、それに浅羽さんが「『中二病でも恋がしたい!』や『響け!ユーフォニアム』などのアニメ脚本家・花田十輝のお祖父さんで名づけ親ですよ」と答えると、「なーんだ、そっち系の人ですか……」って、バ〇でしょう? その後、何のフォローも無いんです。これ、明らかに故意ですよね。
それなのにp262では、浅羽さんの発言に対して「それ、二五年まえから説いてませんか」と返していて、浅羽さんとの対談ということでニワカ勉強した可能性もあるけど、でもそれだけ勉強してるなら花田清輝くらい知ってろよっ! です。
これ、作ってます。
2016年4月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
浅羽氏は読者対象を明確にした本を書かせると、極めて優れたもの(特に入門書や啓発書といえるようなもの)を作られますが、
本書や「天皇 反戦 日本」のように、読者層が見えない(あるいは、浅羽氏のファン向け?)に書くと、筆が散漫になり、かつ冷笑的になり、ちょっと深く読もうという気がしなくなるような本になります。
本書も、内容自体は優れていると思うので、「左翼・市民派を対象にした叱咤激励本」にするか、「市民派に否定的な人向けに、左翼批判のツボを伝授する本」にターゲットを絞ると分かりやすい本になると思うし、冷笑に伴うイヤミも少なくなると思う。
本書や「天皇 反戦 日本」のように、読者層が見えない(あるいは、浅羽氏のファン向け?)に書くと、筆が散漫になり、かつ冷笑的になり、ちょっと深く読もうという気がしなくなるような本になります。
本書も、内容自体は優れていると思うので、「左翼・市民派を対象にした叱咤激励本」にするか、「市民派に否定的な人向けに、左翼批判のツボを伝授する本」にターゲットを絞ると分かりやすい本になると思うし、冷笑に伴うイヤミも少なくなると思う。
2016年3月28日に日本でレビュー済み
言わんとすることは分からないでもないですが、
現実としては原発は既に何基も廃炉にされていて、
裁判でも稼働差し止めの判決が何回も出ています。
これで「脱原発」が敗北したとするには無理がある。
また「反戦」と安保法を絡めて議論されていますが、
逆説的に「安保法=戦争」と認めてしまった時点で、
議論する上では「反反戦」側の負けでありましょう。
何故なら安倍総理は建前上は「平和」を謳っていたのだから。
基本的に何を以って「敗北・勝利」を定義付けるのかは知りませんが、
「安倍総理が勝利=リベラルの敗北」とするとしても、
日本の植民地支配や侵略を認めた安倍談話を閣議決定したり、
かつての従軍慰安婦に10億円の税金を投入したり、
沖縄の基地問題で知事へ全面降伏してみたり、
最低賃金1000円や同一労働同一賃金の政策を掲げるなど、
安倍総理がリベラル的な政策を打ち出してる現実を無視してる。
つまり表面的には「リベラルが敗北」しているように見えても、
実質的には「リベラルが勝利」していると解釈することもできます。
むしろ、安倍政権では「保守こそが何度も完敗」している政策や現実がある。
少なくともリベラルが敗北していたとしても、保守が勝利しているわけではありません。
うーん、小賢しいネトウヨ中学生が頑張って書きました、以上の域を出ていないかな。
現実としては原発は既に何基も廃炉にされていて、
裁判でも稼働差し止めの判決が何回も出ています。
これで「脱原発」が敗北したとするには無理がある。
また「反戦」と安保法を絡めて議論されていますが、
逆説的に「安保法=戦争」と認めてしまった時点で、
議論する上では「反反戦」側の負けでありましょう。
何故なら安倍総理は建前上は「平和」を謳っていたのだから。
基本的に何を以って「敗北・勝利」を定義付けるのかは知りませんが、
「安倍総理が勝利=リベラルの敗北」とするとしても、
日本の植民地支配や侵略を認めた安倍談話を閣議決定したり、
かつての従軍慰安婦に10億円の税金を投入したり、
沖縄の基地問題で知事へ全面降伏してみたり、
最低賃金1000円や同一労働同一賃金の政策を掲げるなど、
安倍総理がリベラル的な政策を打ち出してる現実を無視してる。
つまり表面的には「リベラルが敗北」しているように見えても、
実質的には「リベラルが勝利」していると解釈することもできます。
むしろ、安倍政権では「保守こそが何度も完敗」している政策や現実がある。
少なくともリベラルが敗北していたとしても、保守が勝利しているわけではありません。
うーん、小賢しいネトウヨ中学生が頑張って書きました、以上の域を出ていないかな。