毎月鍼とマッサージ治療して下さる私の主治医は、目が見えません。治療のたびに、楽しくためになる感動のお話に知的好奇心が満たされ、どの人にもあたたかくお人柄に、疲れた心も身体もあっという間に整います💕
その先生が尊敬する盲聾の東大の教授がいると伺いました。
各国の盲聾の方々が集まった地で大津波に遭います。障がいをもつ方々が生き残り、数千人の健康な人が一瞬で命が奪われる経験から、「自殺は生きたかった人への冒涜になる」と悟り、自分の生きる意味が理解できたと。
福島先生のように素晴らしい才能をお持ちで 努力を重ねてきた方でも 自信を失うことを知り、自分の環境に感謝することができました。
あらゆるものや人に感謝することで視野が広がり、見えないものが見えて来る体験ができるとともに、福島先生の飾らないお人柄に触れ、励まされました✨
是非皆様もご一読あれ💕
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ぼくの命は言葉とともにある (9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと) 単行本 – 2015/5/30
福島智
(著)
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3歳で右目を、9歳で左目を失明、14歳で右耳を、18歳で左耳を失聴し、
光と音の世界を喪失した福島智氏。氏は当時のことをこう綴っている。
「私はいきなり自分が地球上から引きはがされ、この空間に投げ込まれたように感じた。
自分一人が空間のすべてを覆い尽くしてしまうような、狭くて暗く静かな『世界』。
ここはどこだろう。(中略)私は限定のない暗黒の中で呻吟していた」
著者はまず他者とのコミュニケーションをいかに復活させ、
言葉=情報を再び得ることができるようになったかを語る。
だがそれはプロローグにすぎず、自ら生きる意味を問い、幸せの在処を探し求める。
その深く鋭い思索の足跡は、両親や友、師との交流に始まり、フランクルや芥川龍之介、
北方謙三といった人物たちの著書や谷川俊太郎、吉野弘の詩、
はたまた落語にまで及んでいく。
苦悩の末に著者が見出した生きる意味、幸福の形は読む者にもまた
深い思索をもたらしてくれるであろう。
人間と人間が本当に繋がり合うとはどういうことか、仲間との信頼関係を築くためには
何が大事かといったことが説得力を持って迫ってくる。
光と音の世界を喪失した福島智氏。氏は当時のことをこう綴っている。
「私はいきなり自分が地球上から引きはがされ、この空間に投げ込まれたように感じた。
自分一人が空間のすべてを覆い尽くしてしまうような、狭くて暗く静かな『世界』。
ここはどこだろう。(中略)私は限定のない暗黒の中で呻吟していた」
著者はまず他者とのコミュニケーションをいかに復活させ、
言葉=情報を再び得ることができるようになったかを語る。
だがそれはプロローグにすぎず、自ら生きる意味を問い、幸せの在処を探し求める。
その深く鋭い思索の足跡は、両親や友、師との交流に始まり、フランクルや芥川龍之介、
北方謙三といった人物たちの著書や谷川俊太郎、吉野弘の詩、
はたまた落語にまで及んでいく。
苦悩の末に著者が見出した生きる意味、幸福の形は読む者にもまた
深い思索をもたらしてくれるであろう。
人間と人間が本当に繋がり合うとはどういうことか、仲間との信頼関係を築くためには
何が大事かといったことが説得力を持って迫ってくる。
- 本の長さ267ページ
- 言語日本語
- 出版社致知出版社
- 発売日2015/5/30
- 寸法13.8 x 2 x 19.5 cm
- ISBN-104800910722
- ISBN-13978-4800910721
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商品の説明
著者について
福島智(ふくしま・さとし)
1962年兵庫県生まれ。3歳で右目を、9歳で左目を失明。18歳で失聴し、全盲ろうとなる。
58年東京都立大学(現・首都大学東京)に合格し、盲ろう者として初の大学進学。
金沢大学助教授などを経て、2008年より東京大学教授。
盲ろう者として常勤の大学教員になったのは世界初。
社会福祉法人全国盲ろう者協会理事、世界盲ろう者連盟アジア地域代表などを務める。
著書に『生きるって人とつながることだ! 』(素朴社)『盲ろう者として生きて』(明石書店)などがある。
1962年兵庫県生まれ。3歳で右目を、9歳で左目を失明。18歳で失聴し、全盲ろうとなる。
58年東京都立大学(現・首都大学東京)に合格し、盲ろう者として初の大学進学。
金沢大学助教授などを経て、2008年より東京大学教授。
盲ろう者として常勤の大学教員になったのは世界初。
社会福祉法人全国盲ろう者協会理事、世界盲ろう者連盟アジア地域代表などを務める。
著書に『生きるって人とつながることだ! 』(素朴社)『盲ろう者として生きて』(明石書店)などがある。
登録情報
- 出版社 : 致知出版社 (2015/5/30)
- 発売日 : 2015/5/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 267ページ
- ISBN-10 : 4800910722
- ISBN-13 : 978-4800910721
- 寸法 : 13.8 x 2 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 125,926位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年10月19日に日本でレビュー済み
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とても励まされました。小さなことで愚痴を言うのが恥ずかしくなりました。
2016年5月6日に日本でレビュー済み
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福島の言葉は、五感を総動員した美しい旋律である。おこがましい言い方であるが、彼は失うことで、より多くを得たのではないのだろうか。
彼は、人との出会いの中で、思いがけず深いレベルでの魂の出会いを経験している(小松左京、北方謙)。それは、彼が生きる上での中核としている、コミュニケーションをことのほか大事にしていることがかなえさせた世界だと、評者には、受けとめられた。
彼は、人との出会いの中で、思いがけず深いレベルでの魂の出会いを経験している(小松左京、北方謙)。それは、彼が生きる上での中核としている、コミュニケーションをことのほか大事にしていることがかなえさせた世界だと、評者には、受けとめられた。
2020年7月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年、東京大学教授・福島智先生の著書です。
著者は、3歳で右目失明、9歳で左目失明、
14歳で右耳が聞こえなくなり、18歳で左耳が聞こえなくなる。
限りなく続く暗黒と静寂の世界は、自分1人が宇宙空間を漂っているような感覚だ。
孤独と絶望に苦悩し、自分の存在すら見失っていくなか、
ある友人は指先で、「しさくは きみの ために ある」と著者の掌に書いた。
母は指点字を生み出し、先輩は直接話法で指点字を打った。
これらのコミュニケーションにより、
著者は周囲とのつながりを取り戻し、自分の存在を取り戻す。
そして様々な本を読みながら、「コミュニケーション」や「存在」について思索を広げていく。
非常に読みやすい文章でありながら、中身は濃密で、しっかりと考えさせてくれる。
読後、自分の中で何かが変わる、周囲の見え方が変わる、というタイプの本だ。
第1章~第5章では、著者の経験・読書経験、その時に感じたこと・考えたことを中心に、
最後の第6章では、第1章~第5章を踏まえながら、幸福についての更なる思索が書かれてある。
ちなみに、出てくる作家・学者らは、V・E・フランクル、芥川龍之介、神谷美恵子、
トルストイ、ドストエフスキー、マルティン・ブーバー、谷川俊太郎、吉野弘、小松左京、北方謙三、
パスカル、デカルト、バートランド・ラッセル、エーリッヒ・フロムなど、実に多彩だ。
私自身、盲ろうについて真剣に考えたことがなく、盲ろう者にも会ったことがない。
その分、著者の経験を読むのは鮮烈だ。
特に、みんなと同じ空間にいても、著者の意識は「宇宙空間」に置いてけぼり、
という下りは突き刺さる。
心に壁を築いて周囲をシャットアウト、ということはあるが、
それでも、同じ場所・同じ物音を共有しているものである。
だが、著者の意識は、完全に異次元を彷徨っている。
コミュニケーションが繋ぎ止めてくれた、というのは決して大袈裟ではなく真実だろう。
映画風に言えば、
交信不能となって漂流していた宇宙船が、地上との交信を取り戻したような感覚ではないだろうか。
まるでSFの世界だ。
著者は、主観を大事にしながら、客観的なものの見方をする。
自分が経験したこと、その時その時の実感・主観を大事にしながらも、
その時の自分を一度突き放し、遠目に客観的に思考していく。
読書で出会った内容についても、自分の実体験と照らし合わせながら思考していく。
過去の自分と現在の自分、本と自分、といった思考の幽体離脱ができていて理性的だ。
また、著者は、盲ろうを受け入れ、盲ろう者という他と”異なる”起点から、
「コミュニケーション」「存在」「いきる」「幸福」といった、
(障害の有無に関わらない)皆に”共通する”テーマを思索している。
もちろん、思索の面でも、障害者以外の者と共通する部分はある。
だが、そこに、
盲ろうである著者の経験や思索が加わることで、より鮮明に見えてくるものがあるだろう。
暗くなるほど、星が輝くように。
なお、”共通する”思索と”異なる”思索が、地続きになっている点にも留意したい。
出版当初は、「盲ろうの世界って、どんな感じかなあ」と軽い気持ちで手に取ったのだが、
今では、何かに迷ったり行き詰まったりしたときの、いい相談役となっている。
著者は、”あとがき”の中で、
本書は、未知のアトラクションを言葉で体験する
『言葉によるヘレン・ケラー・ワンダーランド』のようなもの、という旨を書いている。
是非、気楽に手に取って、不思議の国(ワンダーランド)を体験してもらいたい。
コロナで不自由を感じたり、関係が疎になりがちな中、本書を読むのには”いい時機”だと思う。
また、本書は、多様性を考える上でのいい土台、となってくれるだろう。
著者は、3歳で右目失明、9歳で左目失明、
14歳で右耳が聞こえなくなり、18歳で左耳が聞こえなくなる。
限りなく続く暗黒と静寂の世界は、自分1人が宇宙空間を漂っているような感覚だ。
孤独と絶望に苦悩し、自分の存在すら見失っていくなか、
ある友人は指先で、「しさくは きみの ために ある」と著者の掌に書いた。
母は指点字を生み出し、先輩は直接話法で指点字を打った。
これらのコミュニケーションにより、
著者は周囲とのつながりを取り戻し、自分の存在を取り戻す。
そして様々な本を読みながら、「コミュニケーション」や「存在」について思索を広げていく。
非常に読みやすい文章でありながら、中身は濃密で、しっかりと考えさせてくれる。
読後、自分の中で何かが変わる、周囲の見え方が変わる、というタイプの本だ。
第1章~第5章では、著者の経験・読書経験、その時に感じたこと・考えたことを中心に、
最後の第6章では、第1章~第5章を踏まえながら、幸福についての更なる思索が書かれてある。
ちなみに、出てくる作家・学者らは、V・E・フランクル、芥川龍之介、神谷美恵子、
トルストイ、ドストエフスキー、マルティン・ブーバー、谷川俊太郎、吉野弘、小松左京、北方謙三、
パスカル、デカルト、バートランド・ラッセル、エーリッヒ・フロムなど、実に多彩だ。
私自身、盲ろうについて真剣に考えたことがなく、盲ろう者にも会ったことがない。
その分、著者の経験を読むのは鮮烈だ。
特に、みんなと同じ空間にいても、著者の意識は「宇宙空間」に置いてけぼり、
という下りは突き刺さる。
心に壁を築いて周囲をシャットアウト、ということはあるが、
それでも、同じ場所・同じ物音を共有しているものである。
だが、著者の意識は、完全に異次元を彷徨っている。
コミュニケーションが繋ぎ止めてくれた、というのは決して大袈裟ではなく真実だろう。
映画風に言えば、
交信不能となって漂流していた宇宙船が、地上との交信を取り戻したような感覚ではないだろうか。
まるでSFの世界だ。
著者は、主観を大事にしながら、客観的なものの見方をする。
自分が経験したこと、その時その時の実感・主観を大事にしながらも、
その時の自分を一度突き放し、遠目に客観的に思考していく。
読書で出会った内容についても、自分の実体験と照らし合わせながら思考していく。
過去の自分と現在の自分、本と自分、といった思考の幽体離脱ができていて理性的だ。
また、著者は、盲ろうを受け入れ、盲ろう者という他と”異なる”起点から、
「コミュニケーション」「存在」「いきる」「幸福」といった、
(障害の有無に関わらない)皆に”共通する”テーマを思索している。
もちろん、思索の面でも、障害者以外の者と共通する部分はある。
だが、そこに、
盲ろうである著者の経験や思索が加わることで、より鮮明に見えてくるものがあるだろう。
暗くなるほど、星が輝くように。
なお、”共通する”思索と”異なる”思索が、地続きになっている点にも留意したい。
出版当初は、「盲ろうの世界って、どんな感じかなあ」と軽い気持ちで手に取ったのだが、
今では、何かに迷ったり行き詰まったりしたときの、いい相談役となっている。
著者は、”あとがき”の中で、
本書は、未知のアトラクションを言葉で体験する
『言葉によるヘレン・ケラー・ワンダーランド』のようなもの、という旨を書いている。
是非、気楽に手に取って、不思議の国(ワンダーランド)を体験してもらいたい。
コロナで不自由を感じたり、関係が疎になりがちな中、本書を読むのには”いい時機”だと思う。
また、本書は、多様性を考える上でのいい土台、となってくれるだろう。
2019年4月4日に日本でレビュー済み
右目、左目、耳までもの能力が奪われていった著者の子供時代。
それは想像を絶するものがある。
それでも、著者は自分が直面している極限の状態を考えたという。
いや、それしかやることがなかったからだとも。
自分の力で生きているわけではない。
人間の理解の及ばない何者かが命の種をもたらし、今ここに生きている。
今、ここに私が生きているとしたら、この苦悩、つまり、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなったというこの苦悩に満ちた状況にも何かしらの意味があるのではないか。
そのように考えたという。
日々、難しいことに直面しようとも、この著者であっても、そのように考えるのであるのだから、自分の心が折れている場合ではない。
そのように本書を読んで思った。
それは想像を絶するものがある。
それでも、著者は自分が直面している極限の状態を考えたという。
いや、それしかやることがなかったからだとも。
自分の力で生きているわけではない。
人間の理解の及ばない何者かが命の種をもたらし、今ここに生きている。
今、ここに私が生きているとしたら、この苦悩、つまり、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなったというこの苦悩に満ちた状況にも何かしらの意味があるのではないか。
そのように考えたという。
日々、難しいことに直面しようとも、この著者であっても、そのように考えるのであるのだから、自分の心が折れている場合ではない。
そのように本書を読んで思った。
2021年9月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
妊娠中、時間が出来、ずっと読みたかったので、じっくり読みました。感動しました。これは、中高生は全員読んだ方が良いです。私の子供にも、中高生くらいになったら、読んでほしいので、大切に保管しておきます。
2020年9月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
3歳で右目、9歳で左目を失明し、14歳で右耳、18際で左耳の聴力を失った著者。
こんなふうに、徐々に見えなくなり、酢固持ずつ聞こえなくなっていく恐怖と不安はどれほどのものなのか、想像もできない。
全盲ろうの状態になった著者が失意のどん底にあるとき、友人が手のひらに指で「しさく は きみの ために ある」と書いてくれたという。
よくぞ、こんな言葉が出てくるものだと思う。
この言葉がどれだけ著者を救ったか、それを読むだけでも価値がある。多くの人に読んでほしい本。
こんなふうに、徐々に見えなくなり、酢固持ずつ聞こえなくなっていく恐怖と不安はどれほどのものなのか、想像もできない。
全盲ろうの状態になった著者が失意のどん底にあるとき、友人が手のひらに指で「しさく は きみの ために ある」と書いてくれたという。
よくぞ、こんな言葉が出てくるものだと思う。
この言葉がどれだけ著者を救ったか、それを読むだけでも価値がある。多くの人に読んでほしい本。
2015年7月16日に日本でレビュー済み
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人格がいかに相対的なものによって露呈され、形成されるか改めて気づかされます。心が言葉を成し、コミュニケーションによって育まれて行く。当たり前なことが、自身粗末に扱われてきたこと、扱ってきたことを考えさせられました。