考え方、問題の捉え方が、当たり前ですが、共感できます。
私は福祉施設の所長をしていますが、施設や福祉のあり方に疑問があり、結果、LLPとして別組織を立ち上げてしまいました。
今の混沌とした時代に、活動を開始する者にとってのエールを感じます。

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がんばれ仏教! (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2004/6/24
上田 紀行
(著)
- ISBN-104140910046
- ISBN-13978-4140910047
- 出版社NHK出版
- 発売日2004/6/24
- 言語日本語
- 本の長さ318ページ
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
経理の公開、NPOの主催など、いま志のある僧たちが、いろいろな活力ある仏教の実践を行っている。仏教にいま何を期待すればいいのか、お寺が変われば社会はどう変わるのか、仏教の行方を展望する。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2004/6/24)
- 発売日 : 2004/6/24
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 318ページ
- ISBN-10 : 4140910046
- ISBN-13 : 978-4140910047
- Amazon 売れ筋ランキング: - 137,063位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2005年5月20日に日本でレビュー済み
この本で初めて、スリランカの農村開発運動サルボダヤ運動を知りました。もう既に50年近く続けられ、今もなおスリランカ国内外に広く波及している、素晴らしい活動がコンパクトに紹介されています。
先日、縁あってサルボダヤ運動の創始者アリヤラトネ氏の講演を聞きましたが、このサルボダヤ運動で培った利他行の精神は、2004年末の津波被害の後も、大変な効力を発揮しました。
地方分権を進める日本にあって、もっともっと注目されていいと思います。この運動を紹介するだけで、十分に意味のある一冊です。
そのほか、やはり高橋卓司さんなど話が載っているのが、大きな魅力となっています。
先日、縁あってサルボダヤ運動の創始者アリヤラトネ氏の講演を聞きましたが、このサルボダヤ運動で培った利他行の精神は、2004年末の津波被害の後も、大変な効力を発揮しました。
地方分権を進める日本にあって、もっともっと注目されていいと思います。この運動を紹介するだけで、十分に意味のある一冊です。
そのほか、やはり高橋卓司さんなど話が載っているのが、大きな魅力となっています。
2004年7月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
基本的には日本のお坊さんたちにはっぱをかけることが目的の本である。著者が、「仏教」は「現代」でも力を発揮することができる、という考えにいたった経緯から語り始められ、生き生きとしているお寺や僧侶の活動が紹介されたあと、さあ、仏教はよみがえるぞ!という調子で結末に向かう。
著者本人もまた、僧侶ではないにせよ、これからの日本仏教を盛り上げていくための討論会などを主催している。だからなのか、本書はとても運動的で啓発的な書物である。だが本書は、日本仏教界のリアルな現状把握のための参考文献としても有益であり、お寺のイベント的な催しについても知ることができる。
これを読んで「がんばる」気になる坊さん方がどれだけ出てくるかは微妙だが、とりあえずの未来への可能性は、ここに示されている。
著者本人もまた、僧侶ではないにせよ、これからの日本仏教を盛り上げていくための討論会などを主催している。だからなのか、本書はとても運動的で啓発的な書物である。だが本書は、日本仏教界のリアルな現状把握のための参考文献としても有益であり、お寺のイベント的な催しについても知ることができる。
これを読んで「がんばる」気になる坊さん方がどれだけ出てくるかは微妙だが、とりあえずの未来への可能性は、ここに示されている。
2004年7月4日に日本でレビュー済み
著者の「覚醒のネットワーク」(’89年)はバブルの時代にあって、消費社会の中をさまよいたくないと考えた人々のために、あるとても斬新な視座を
提供した。この本1冊だけでも上田氏の名は長く記憶されるべきだと思う。
さて、久しぶりの書き下ろしは、それぞれ独自の活動を続ける僧侶数名との出会いをストレートに描き、ひいてはそれが著者と仏教との深い出会いとなるプロセスを誠実な筆致で記したものである。
内容は決して単純な仏教礼賛ではなく、宗門や形骸化した日本仏教への痛烈な
批判を含んでいる。しかし書く方の人となりであろうか、そこには怒りや絶望よりも大きな、なにかを信頼する強い力がみなぎっているので、読んで実に
励まされる気がする。
強いて注文をつけるとすれば、次のようなことである。著者にしても本書に登場する僧侶にしても、一般的な水準からすれば、どう考えても「よくできた方」である。ごくふつうの個人は、自己省察を長く続けると、こじんまりとして無難な形で社会になんとか適応する途をとりやすい。しかし、現在の日本社会を見た場合、緊急の問題となるのは、個人がいかにして自分よりもずっと力の強い相手に対して抵抗することができるか、という点にあると思う。ならば著者には「怒りの表明のスタイル」という視点から、もう少しだけ書いてほしかったと感じる。
提供した。この本1冊だけでも上田氏の名は長く記憶されるべきだと思う。
さて、久しぶりの書き下ろしは、それぞれ独自の活動を続ける僧侶数名との出会いをストレートに描き、ひいてはそれが著者と仏教との深い出会いとなるプロセスを誠実な筆致で記したものである。
内容は決して単純な仏教礼賛ではなく、宗門や形骸化した日本仏教への痛烈な
批判を含んでいる。しかし書く方の人となりであろうか、そこには怒りや絶望よりも大きな、なにかを信頼する強い力がみなぎっているので、読んで実に
励まされる気がする。
強いて注文をつけるとすれば、次のようなことである。著者にしても本書に登場する僧侶にしても、一般的な水準からすれば、どう考えても「よくできた方」である。ごくふつうの個人は、自己省察を長く続けると、こじんまりとして無難な形で社会になんとか適応する途をとりやすい。しかし、現在の日本社会を見た場合、緊急の問題となるのは、個人がいかにして自分よりもずっと力の強い相手に対して抵抗することができるか、という点にあると思う。ならば著者には「怒りの表明のスタイル」という視点から、もう少しだけ書いてほしかったと感じる。
2005年7月25日に日本でレビュー済み
現在の日本のお寺そのものに疑問を感じたり、批判的な気持ちでいる人はこれを読むと快哉を叫びたくなるかもしれない。また、日本仏教の現状に肯定的な人、問題を感じていない人は、新たな視野が展開するかもしれない。いずれにしろお寺の新しい動きがわかるのは私には新鮮だった。お寺が各種イベントの開催やサルボダヤ運動等を通じて外に向かって出て行くのも、大乗仏教らしいエネルギーのように思われる。また、お寺の跡継ぎ僧侶の立場に触れているのも公平な感がある。ただ、派手なイベントこそないが、日々のおつとめを恙なく行うことに努力し、かつ檀家相手の煩雑な業務に汗を流すお寺も多いはずだ。こういうお寺は、実は日本仏教の問題点に正面からぶつかっているのかもしれないという思いがある。そこで、筆者には、幾つかのお寺の非凡な取り組みに対する熱と某禅宗の総本山に対する憤懣を少し冷ましたうえで、葬式仏教たるありきたりのお寺について、もう少し深めた考えを展開してもらいたかった。
2004年8月11日に日本でレビュー済み
一般読者にとっては痛快かもしれないが、自堕落な僧侶にとっては落ち込んでしまいそうだ。行動力のある魅力的な僧侶は少ない。だからこそ紹介された6人の僧侶の活動は光を放っている。
こうした「縁起に生きる」真の仏弟子との出会いによって、著者は沈滞する日本の仏教に応援メッセージを送っている。仏教も見捨てたもんじゃないと思われる人も多いだろう。
むしろ私は、職業として檀家まいりに明け暮れる坊さんに親近感を覚えるのだが。
こうした「縁起に生きる」真の仏弟子との出会いによって、著者は沈滞する日本の仏教に応援メッセージを送っている。仏教も見捨てたもんじゃないと思われる人も多いだろう。
むしろ私は、職業として檀家まいりに明け暮れる坊さんに親近感を覚えるのだが。
2004年9月5日に日本でレビュー済み
司馬遼太郎をはじめ、葬式仏教化したを憂いたいた人は多い。我々庶民も同様でしょう。私のはこの5年で5人の家族を見送りました。その体験をふまえての意見ですが、あの形式化したお経と説話になんの意味があるのでしょう。これも一つの利権ビジネスと思えます。多くが妻帯し、生活手段としての宗教。それは否定しません。しかし、いまを生きていません。上田さんはいま40半ばの文化人類学者、20年、30年もすると「もういいです」という人がたくさん出てくるという危惧、全く同感です。仏教本来の精神からいうと、もっと時代と生きて欲しい。あまりにも形骸化しています。私の実家のある地方では、勝手に家に上がり、勝手にお経を上げ、お金だけ請求する人も少なくないでしょう植田さんの本を読むと、現状に危機感を感じ、同時の活動している人の例を知り希望を持ちました。しかし、大半はそうではないでしょう。純金のメガネを掛けた大僧正なそ、なぜか「土建や」さんのように見えてしまいます。僧侶の社会的存在理由とは?自殺者が4万をこし、子供が切れ、訳のわからぬ犯罪が増えている中、僧侶もそこに大きな役割があるはずです。私はいま仏教のみならず、道教、古代神道なその総体としての「宗教にに関心を持っています。檀家と寺のあり方含め、考えなくてはいけない段階にきていると感じます。都市型の霊園ではとくに問題でしょう。これだけ世界が混乱し、人々が希望を失っているいま、仏教は本来の、新しい形に確立に注力し、我々もpそれに参加しなければ、葬儀社となんら変わりはない。第一、戒名に金をとるなんて仕組みは昔はなかった。仏教徒になるとき、戒名はいただけるもののはずです。上田氏の本が わかい僧侶のみなさんと一体となり、なにももかもお科金、金という今の仏教のありようを変えていただきたい。そんな仏教なら帰依したいとおもいまます。