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キリスト教思想への招待 単行本 – 2004/3/10
田川建三
(著)
キリスト教思想には余り知られていないすぐれた遺産、貴重な考え方がある。歴史を遡り聖書を繙いて、よく見える地点へと誘う。
全四章からなる書下し評論。表題は順に「人間は被造物」「やっぱり隣人愛」「彼らは何から救われたのか」「終れない終末論」。これらはキリスト教の教義の四大項目に対応している(創造論、教会論、救済論、終末論)。といって内容は教義の解説ではありえない。素材を自由に選び、ユーモアを交え、楽しく鋭い論評が加えられている。
全四章からなる書下し評論。表題は順に「人間は被造物」「やっぱり隣人愛」「彼らは何から救われたのか」「終れない終末論」。これらはキリスト教の教義の四大項目に対応している(創造論、教会論、救済論、終末論)。といって内容は教義の解説ではありえない。素材を自由に選び、ユーモアを交え、楽しく鋭い論評が加えられている。
- 本の長さ336ページ
- 言語日本語
- 出版社勁草書房
- 発売日2004/3/10
- ISBN-10432615375X
- ISBN-13978-4326153756
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
キリスト教思想には余り知られていないすぐれた遺産、貴重な考え方がある。歴史を遡り聖書を繙いて、よく見える地点へと誘う。書き下し評論。
登録情報
- 出版社 : 勁草書房 (2004/3/10)
- 発売日 : 2004/3/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 336ページ
- ISBN-10 : 432615375X
- ISBN-13 : 978-4326153756
- Amazon 売れ筋ランキング: - 269,706位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 152位神学 (本)
- - 396位キリスト教入門
- - 557位キリスト教一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月12日に日本でレビュー済み
書き方に勢いがあるので、最後まで興味を持って読むことができた。さて、読み終えてすぐ、どんなことが書かれていたかを思い出そうとしても、宗教にも聖書にも新参者の私にはうまくいかない。それで、ブックレビューを見ると、最初に「ぱすとーる」氏の「キリストの最良思想は万人平等、万人救済」が出ていた。これだ! 私も、田川氏の本を読み終えて頭に残っているのは、それだった。つまり、「キリスト教が全世界に広がったのは、その思想が、ユダヤ人救済ではなく、万人救済を謳っているから」。ここで、話は逸れるが、一点だけ私の個人的感想を述べたい。第二章一の箇所についてである。四世紀のローマ皇帝ユリアノスは、伝統的なギリシア宗教、ギリシア精神を復活させようとしたが、それでもキリスト教の長所に「他者に対する人間愛」があると考えていた。そこで、全国に救護院を設置し、「よそ者」や困っている人を助けるように通達を出した。当時の町には、「よそ者」や困っている人が大勢いたようである(126頁にはその有様が詳しく書かれている)。私は、この箇所(第二章一)を読んで驚いた。カフカの長編小説『城』を思い出したのだ。それは、主人公Kがある晩遅く、城を中心に持つ村に到着するという場面から始まる。自称〈測量師〉のKは、その村に定住しようとさんざん努力するのだが、その試みがうまくいかない。その村には「よそ者」や困っている人を助ける習慣が育っていないのである。田川氏の言葉を借りれば、その村にはキリスト教精神が根付いていなかったということになろう。私は、126頁前後の記述は、小説『城』の背景説明としてどんぴしゃりだと思った。それなら、小説『城』とは、よそ者がある土地に定住しようとするが、その土地に「他者に対する人間愛」が育っていないので、あちこちさまよい続けるしかない、という話であるとも受け取れよう。では話を元に戻そう。やはり第二章の、原始キリスト教の共産主義の話(第二章二 使徒行伝四・三二ー三五)とか、日雇労働者の賃金の話(第二章三 マタイ二〇・一ー一五)とか、とても興味深かった。ともに現在につながる話であると思った。
2023年8月3日に日本でレビュー済み
田川建三さんは聖書やキリスト教学者やキリスト教会の問題点をはっきりと指摘するが、良い点は良い点として認めている。
本書をネットの古本屋で買って、20年ぶりに読み返した。届いた本は99%、ぼくが以前に古本屋に売ったものだ。黄色いラインの引き方にぼくの特徴が現れている。
キリスト教会は差別をしてきたし、キリスト教徒、神学者にも差別思想はいろいろ見られるが、はんたいに、良質な平等思想も見られる。
第一章「人間は被造物」においては、聖書の世界創造記事から人間の平等を読みとれることを指摘している。「神が天地万物を創造した、と信じようと思えば、神がすべての人間を創造したということも信じねばならぬ。とすれば、視野はいやでも広がる。自分の民族のことだけ考えている視野からでは、天地万物全人類の信仰は生まれ難い。すべての人間が同様に神によって造られたのであるならば、民族絶対主義なんぞ、けしとんでしまう」(p.7)。
第二章「やっぱり隣人愛」では、始まって数百年のキリスト教では、「よそ者が寄宿できる場所、宿」「必要としている人に必要な事柄」(p.165)を提供していたことが述べられている。
第三章「彼らは何から救われたのか」では、「無料で、神の恵みによって、キリスト・イエスにおける贖いを通して」というローマ書のパウロの表現に代表される考え方も、キリスト教が人気を勝ち得た一因だと言う。「彼岸的救済を何ほどか真剣に考えた者は、嫌でも、他力本願に行き着く」(p.220)。
第四章「終われない終末論」では、ヨハネの黙示録では、どんな民族の人だろうと、そして、(ルカやパウロとは違って)信仰の有無に関係なく、救われる、とくに被抑圧者が救われる話が語られている、と田川さんは指摘している。
こう考えると、田川さんは、やはり、民族、信仰で人を差別しない思想がキリスト教の良い点だと考えているのではなかろうか。むろん、キリスト教には、差別思想も含まれているのだが。
本書をネットの古本屋で買って、20年ぶりに読み返した。届いた本は99%、ぼくが以前に古本屋に売ったものだ。黄色いラインの引き方にぼくの特徴が現れている。
キリスト教会は差別をしてきたし、キリスト教徒、神学者にも差別思想はいろいろ見られるが、はんたいに、良質な平等思想も見られる。
第一章「人間は被造物」においては、聖書の世界創造記事から人間の平等を読みとれることを指摘している。「神が天地万物を創造した、と信じようと思えば、神がすべての人間を創造したということも信じねばならぬ。とすれば、視野はいやでも広がる。自分の民族のことだけ考えている視野からでは、天地万物全人類の信仰は生まれ難い。すべての人間が同様に神によって造られたのであるならば、民族絶対主義なんぞ、けしとんでしまう」(p.7)。
第二章「やっぱり隣人愛」では、始まって数百年のキリスト教では、「よそ者が寄宿できる場所、宿」「必要としている人に必要な事柄」(p.165)を提供していたことが述べられている。
第三章「彼らは何から救われたのか」では、「無料で、神の恵みによって、キリスト・イエスにおける贖いを通して」というローマ書のパウロの表現に代表される考え方も、キリスト教が人気を勝ち得た一因だと言う。「彼岸的救済を何ほどか真剣に考えた者は、嫌でも、他力本願に行き着く」(p.220)。
第四章「終われない終末論」では、ヨハネの黙示録では、どんな民族の人だろうと、そして、(ルカやパウロとは違って)信仰の有無に関係なく、救われる、とくに被抑圧者が救われる話が語られている、と田川さんは指摘している。
こう考えると、田川さんは、やはり、民族、信仰で人を差別しない思想がキリスト教の良い点だと考えているのではなかろうか。むろん、キリスト教には、差別思想も含まれているのだが。
2014年10月15日に日本でレビュー済み
「キリスト教思想への招待」と思いきや「キリスト教思想の正体」と云ったような書物。全体的に保守的、護教的な教会信者への批判、
信仰を台無しにするような内容も見られるため信者からの様々な反発もあるかと思われますが、
現実的な理解という意味では同意、共感できる部分も多く興味深く読ませて戴きました。
なお、著者が紹介されているミヌキウス・フェリクスのオクタヴィウスやアラトスの現象論など是非読みたいですね。
翻訳して頂けると嬉しいです。
信仰を台無しにするような内容も見られるため信者からの様々な反発もあるかと思われますが、
現実的な理解という意味では同意、共感できる部分も多く興味深く読ませて戴きました。
なお、著者が紹介されているミヌキウス・フェリクスのオクタヴィウスやアラトスの現象論など是非読みたいですね。
翻訳して頂けると嬉しいです。
2006年2月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
よいものはよい、悪いものは悪い、間違っているものは間違っている・・・歯に衣着せぬ物言い=「田川節?」は健在です。
「この人、ラッパがお好きである。」等々、笑いを誘いながらも、「現代」キリスト教思想の本質について再考を迫る記述が、てんこ盛りです。
(バルト神学に対する悪罵(笑)をいまさらと評する方もおられるようですが、日本での支配力・呪縛は未だに大きいので、著者に拍手をおくりたいと思います)。
「第四章 終れない終末論」では、「ヨハネの黙示録」を「ローマ帝国による大迫害下にあった信徒に宛てた励ましの書」とする、現在の「(穏健派)業界」の「常識」を、史実(ドミティアヌス帝による弾圧は局地的・一時的)やユダヤ(教)黙示文学の伝統を踏まえた「読み」を論拠に、著者はあっさりとくつがえしてみせます。「ローマ帝国の(貨幣経済)支配の実態を知るには、これほど分かりやすい表現はないし、これに比する古代文献は残っていない」のだと。
時折暴走する文体は、「ヨハネの黙示録」の記者と「怒り」を共有しているからでしょうか。
また「後書き」も必読です。著者の熱い思いを知るためにも。
「この人、ラッパがお好きである。」等々、笑いを誘いながらも、「現代」キリスト教思想の本質について再考を迫る記述が、てんこ盛りです。
(バルト神学に対する悪罵(笑)をいまさらと評する方もおられるようですが、日本での支配力・呪縛は未だに大きいので、著者に拍手をおくりたいと思います)。
「第四章 終れない終末論」では、「ヨハネの黙示録」を「ローマ帝国による大迫害下にあった信徒に宛てた励ましの書」とする、現在の「(穏健派)業界」の「常識」を、史実(ドミティアヌス帝による弾圧は局地的・一時的)やユダヤ(教)黙示文学の伝統を踏まえた「読み」を論拠に、著者はあっさりとくつがえしてみせます。「ローマ帝国の(貨幣経済)支配の実態を知るには、これほど分かりやすい表現はないし、これに比する古代文献は残っていない」のだと。
時折暴走する文体は、「ヨハネの黙示録」の記者と「怒り」を共有しているからでしょうか。
また「後書き」も必読です。著者の熱い思いを知るためにも。
2005年1月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は著者の不正義への怒りを心強く思うし,それを表現する言葉の的確で豪放磊落なことを快く思いました。とくにヨハネの黙示録を説明して「文章の細かい帳尻など合わせている暇は無い,そんなことなら最近のマンガの方がよほどしっかりしている,黙示文学の伝統を守るより著者には語りたい怒りの方が強かった」(記憶で書いているのでかなりいいかげんですが)などと書くうちに著者自身も怒りのあまり文章が疾走して文脈がいきなりジャンプしたりするのを読むと,素敵な詩を読んでいるかのようでしたね。著者はアーチストだと思う(なんという表現!)。
是非長生きして多くの人々から嫌われつつ(笑),書き進めている本をきちんと出版して欲しいものです。
是非長生きして多くの人々から嫌われつつ(笑),書き進めている本をきちんと出版して欲しいものです。
2015年5月18日に日本でレビュー済み
田川さんには、嗤われるかもしれませんが、わが読書経験において、深い感動を呼び起こされた日本のクリスチャンは、内村鑑三と田川建三だけです。両者において共通するのは、その傑出した人間認識です。本書を薄っぺらな観点からー通俗的高校参考書レベルの資本主義論(笑)-で批判している人は、人間の生活苦や精神苦に対する想像力も思索力も恐ろしく欠落しています。拝観料を稼ぐことを目的化しているのに、あたかも人類を救うために神社仏閣教会を運営しているかのような顔をしている連中の堕落に触れ、怒りに震えたこともないのでしょう。本書は、この世の不合理に気も狂わんばかりになりながら、どう生きればよいのかわからずに迷える弱き人々のために書かれているのです。現在の生活に何の疑問も抱かず、見えない裏側の世界に鈍感な人々には、恐らく本書は、下品な言葉を偉そうに並べ立てたものとしか受け取れないことでしょう。縁なき衆生です。
2011年10月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
田川健三さんについては改めて言うことはないでしょう。
今回、この本を読み始めて非常に腹が立つ。何にって、あまりに文章がだらしなく冗長だから。
ヨーロッパやアフリカで生活したことがとにかく自慢したいのだろう。ご自分が日本人であることを否定するようなことが沢山書かれている。
それでいて狭量な世界観をもとに(彼に言わせればそれが本来の聖書解釈なんだってさ)現代の政治批判に及ぶ。かつてICUを解雇されたトラウマからいまだに開放されていない気の毒な聖書学者という感じがした。
聖書解釈についてはまあ、いつもどおり彼に言わせれば俺にかなうものがいたら出てこいよといわんばかりであるが、そういう彼自身が、聖書解釈は無数にあることを認めておきながら、自分の解釈を独特の毒舌で押し付ける。まさにそれは彼が嫌っている「アメリカ式」と同じだろう。
読むに値しないとは言わないが、この程度のものならいくらでも他にある。
今回、この本を読み始めて非常に腹が立つ。何にって、あまりに文章がだらしなく冗長だから。
ヨーロッパやアフリカで生活したことがとにかく自慢したいのだろう。ご自分が日本人であることを否定するようなことが沢山書かれている。
それでいて狭量な世界観をもとに(彼に言わせればそれが本来の聖書解釈なんだってさ)現代の政治批判に及ぶ。かつてICUを解雇されたトラウマからいまだに開放されていない気の毒な聖書学者という感じがした。
聖書解釈についてはまあ、いつもどおり彼に言わせれば俺にかなうものがいたら出てこいよといわんばかりであるが、そういう彼自身が、聖書解釈は無数にあることを認めておきながら、自分の解釈を独特の毒舌で押し付ける。まさにそれは彼が嫌っている「アメリカ式」と同じだろう。
読むに値しないとは言わないが、この程度のものならいくらでも他にある。
2007年11月5日に日本でレビュー済み
1章では,聖書を通じて何かを学ぶ・考えるとはどういう営みなのかを,創造説をテーマに,穏やかにも「自然への謙虚な畏敬を」と主張するなかで説く。2章では,隣人愛を主題に,その思想を背景として,信者・教会が行いそして今日までつづくヨーロッパの良い伝統である「誰もが寝て食える」社会をめざすこと,を薦める。
ここまでで聖書や田川節にも慣れてきたので,いよいよ本題。3章は,イエスは何から救済したのかについて,ズバリそれは宗教からの救済だ,得体の知れない魔力もクソも全部イエスがチャラにした,そして畳み掛けるように4章で,本当の悪は,魔力じゃなくて帝国支配だ,資本主義だ,国家による暴力だ,こんな悪は無くなってしまえとの悲痛な怨念が新約聖書の終末論であることに,ヨハネ黙示録の読解からたどり着く。
マルクスが資本主義を分析してその現在を徹底批判したように,田川は聖書を分析して現在を徹底批判する。そして聖書も自体もまた,イエスを分析してその現在を徹底批判する書なんだろう。これらいずれも今現在にそのまま通じ,結局強大な権力の下で多くの人間が飢え血を流し理不尽に死んでいく,このしくみを怒っている。明日をポジティブに生きるために,とか,ましてや,イラク・アフガン侵攻を義とするために,など決してあらないのが聖書。自分の信念と主義主張から出発する研究だからこそ,ここまで熱く面白く,たどり着ける主張だ。
読みやすい。
ここまでで聖書や田川節にも慣れてきたので,いよいよ本題。3章は,イエスは何から救済したのかについて,ズバリそれは宗教からの救済だ,得体の知れない魔力もクソも全部イエスがチャラにした,そして畳み掛けるように4章で,本当の悪は,魔力じゃなくて帝国支配だ,資本主義だ,国家による暴力だ,こんな悪は無くなってしまえとの悲痛な怨念が新約聖書の終末論であることに,ヨハネ黙示録の読解からたどり着く。
マルクスが資本主義を分析してその現在を徹底批判したように,田川は聖書を分析して現在を徹底批判する。そして聖書も自体もまた,イエスを分析してその現在を徹底批判する書なんだろう。これらいずれも今現在にそのまま通じ,結局強大な権力の下で多くの人間が飢え血を流し理不尽に死んでいく,このしくみを怒っている。明日をポジティブに生きるために,とか,ましてや,イラク・アフガン侵攻を義とするために,など決してあらないのが聖書。自分の信念と主義主張から出発する研究だからこそ,ここまで熱く面白く,たどり着ける主張だ。
読みやすい。