本書は、平成27年9月に成立した安全法制に反対し、改正法が憲法違反、立憲主義に違反すると主張した人々の言論の誤謬と矛盾とを明らかにした書である。著者の指摘は、極めて明確で筋が通っている。完全に同意できる。
憲法9条であるが、1946年( 昭和21年)6月の憲法案の国会審議において吉田首相は、「9 条2 項が一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄している」と答弁している。すなわち、吉田は、憲法は、国家の正当防衛権による自衛の戦争まで、放棄していると説明している。これに対して、自衛権の放棄を規定した憲法9条の案に徹底して反対したのが、共産党であった。他国征服を目的とする戦争は放棄しても、侵略された国が自由を護るための自衛戦争は放棄すべきでないというのが当時の共産党の主張であった。当時の共産党の主張はまともであった。
ところが、その4 年後の1950年、朝鮮戦争が勃発すると、マッカーサーは、憲法9 条は自衛権まで否定しているとは絶対に解釈できないとした。吉田首相も、自衛権の発動としての戦争は、合憲であると、180 度、憲法解釈を変更した。このとき、社会党は、勝手に憲法を解釈して、憲法を破壊することは、立憲政治を否定するものであると主張していた。今回の安保法制の審議で聞いた議論である。
すなわち、1950年に、既に、大きな且つ基本的な解釈改憲が行われたのである。
次に、1957年4 月の国会審議において、岸首相は、急迫不正の侵害を防止する必要最小限の戦力に至らない自衛力を有する自衛隊は合憲であると、自衛隊が合憲であるとする解釈改憲を行っている。また、1960年には、集団的自衛権についても、憲法がその一切の行使を禁止しているわけではなく、他国に自国の基地を貸して自国の防衛力と共同して自国を守ることは憲法の認めることであると、集団的自衛権の行使を認めている。すなわち、当時、既に、集団的自衛権の行使を認めることについて、解釈改憲しており、今回の安保法制の改正において初めて解釈改憲したのではない。
また、1991年の国連平和維持活動への協力、人道的な国際救助活動への協力、国際的な選挙監視活動への協力を含むPKO 法案の審議に関して、今回の安保法制への反対論と同様な反対論が展開された。人道救助支援でも選挙監視でも目的はなんであれ、たとえ、平和目的であっても、武装した自衛隊を海外に送ることは、憲法違反であるという反対論である。このような自衛隊の派遣は憲法の平和主義を根底的に蹂躙するものであって、立憲主義を破壊するとの主張であった。今回の安保法制反対論で聞いた話である。
以上の歴史を考えるとき、今回の安保法制反対論は、論旨が破綻していることは、明々白々である。集団的自衛権の一部行使の容認は、今回、初めて解釈改憲した訳でなく、1960年、安保条約改正の時に既に行われている。さらに、根本的解釈改憲は、現行法は自衛権すら認めていないとする憲法制定時の解釈が、朝鮮戦争が勃発した1950年には、あっさりと、憲法9 条は自衛権、自衛戦争まで放棄していないと基本的で且つ最も大きな解釈改憲を行っているのである。
今回の安保法制が憲法違反であるというのであれば、現行の自衛隊法、自衛隊の存在自体、現行PKO 関連法の総てが、憲法違反であると主張しなければ、筋が通らない。今回の法制が違憲と主張する憲法学者は、内心、そのように思っていても、 何故か、現行自衛隊法、自衛隊、現行PKO関連法が違憲とは言わない。自衛隊が日本及び世界の平和に大きく貢献していることを理解している国民から呆れられることを知っているからであろう。
かつて、社会党は自衛隊は違憲であると主張していたが、平成7 年に村山が首相になると自衛隊は合憲、自衛戦争も合憲、安保条約も日本を守るためには必要であり合憲と主張した。結局は、その程度の違憲論である。
今回の安保法制は条文を詳細に読んで理解しているが、現行法に比べて、それほど大きく踏み出している訳ではない。今回の改正法が合理的に合憲であると解釈できるにもかかわらず頑なに反対するのは、日本の安全と生存について、真剣に考えていないのではないかと思われる。
「戦力を持たず戦争を放棄している国を、一体、どこの国が攻めてくるのか」とは、本当にそう思っているのか、呆れた無責任な反対論者の主張である。そのような自衛力を持たない国家がかつて侵略されたことは、歴史を見れば明らかである。
本書により、安保法制の合憲性についての歴史が分かる。本書は、極めて明快に書かれている。
多くの人が読まれることを奨める。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥1,600¥1,600 税込
ポイント: 80pt
(5%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon 販売者: IGCショップ
新品:
¥1,600¥1,600 税込
ポイント: 80pt
(5%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon
販売者: IGCショップ
中古品: ¥268
中古品:
¥268

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
平和の敵 偽りの立憲主義 単行本(ソフトカバー) – 2015/10/30
岩田 温
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,600","priceAmount":1600.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,600","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"Atv7FycpZ5W6XmHkd9WW%2FOUY9RNJDlFDHxsdO6LjMyorZwzSvQk996NJ83gXtNQvP6%2FhSJCgfOMxhk34IEYbVX9iQu8WzMRR8b%2FOcD%2BehGxHL2PPyh3vQYRVtZZWk4S74NzkCPPLgni3luxswrJI6eE2jfLN44qle4dvNmPT5WryLYZ5i%2BH%2BWQ%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥268","priceAmount":268.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"268","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"Atv7FycpZ5W6XmHkd9WW%2FOUY9RNJDlFDRr6pf2Ury2vOCuSwcGhfMQ7BYvowVPJ7ENRHXHXOvarG4btul15J%2BxecE4cnraU%2FgvKSKByQX%2FCg54RaROlkYJhQcqntg%2BCGAA%2FblBwBmOWJDKe6HN4Ksa8UWU%2FlU6mYLjcPRzLUQFmWxk6elkoF1Q%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
安倍内閣の安保法案をめぐって多くの憲法学者は突然「立憲主義を破壊する」と非難の声をあげた。
だが、冷静に考えてみれば、日本国憲法では、「交戦権」を否定し、「戦力」の不保持を明記している。
したがって、日本国憲法において立憲主義を貫徹しようとすれば、自衛隊は違憲だと主張せざるを得ない。
だが、彼らは立憲主義に反するから「自衛隊を廃止せよ」とは主張しない。
「集団的自衛権」の問題に限って、「立憲主義が破壊される」と叫んでいるのだ。
自衛隊を違憲と主張すれば、多くの国民は、彼らの議論がおかしなことに気づく。
だから、彼らは「集団的自衛権」の問題に限って、立憲主義を破壊すると説くのだ。
彼らの説く立憲主義とは、本来の立憲主義ではない。
日本の平和を守ろうと安全保障体制を構築しようとする人に対し、「戦争法案」とレッテルを貼り、冷静な議論を拒否する。
どちらが本当に平和を希求しているのか。「平和の敵」、それは現実を見つめようとしない楽観論であり、「偽りの立憲主義」だ。
だが、冷静に考えてみれば、日本国憲法では、「交戦権」を否定し、「戦力」の不保持を明記している。
したがって、日本国憲法において立憲主義を貫徹しようとすれば、自衛隊は違憲だと主張せざるを得ない。
だが、彼らは立憲主義に反するから「自衛隊を廃止せよ」とは主張しない。
「集団的自衛権」の問題に限って、「立憲主義が破壊される」と叫んでいるのだ。
自衛隊を違憲と主張すれば、多くの国民は、彼らの議論がおかしなことに気づく。
だから、彼らは「集団的自衛権」の問題に限って、立憲主義を破壊すると説くのだ。
彼らの説く立憲主義とは、本来の立憲主義ではない。
日本の平和を守ろうと安全保障体制を構築しようとする人に対し、「戦争法案」とレッテルを貼り、冷静な議論を拒否する。
どちらが本当に平和を希求しているのか。「平和の敵」、それは現実を見つめようとしない楽観論であり、「偽りの立憲主義」だ。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社並木書房
- 発売日2015/10/30
- ISBN-104890633340
- ISBN-13978-4890633340
よく一緒に購入されている商品

対象商品: 平和の敵 偽りの立憲主義
¥1,600¥1,600
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り1点 ご注文はお早めに
¥1,650¥1,650
最短で4月4日 木曜日のお届け予定です
残り3点(入荷予定あり)
¥1,650¥1,650
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り1点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
出版社からのコメント
朝まで生テレビ、ラジオ出演、コラム連載多数、各メディアで保守派論客として注目を浴びる
気鋭の政治学者・岩田温氏の問題作!
真の平和の敵は誰なのか?この本を読めばすぐにわかる。
自らの正義に陶酔する人、マイクを持った声だけは大きい人、暴走するリベラルたちにこそ本書を読み砕いていただきたい。
気鋭の政治学者・岩田温氏の問題作!
真の平和の敵は誰なのか?この本を読めばすぐにわかる。
自らの正義に陶酔する人、マイクを持った声だけは大きい人、暴走するリベラルたちにこそ本書を読み砕いていただきたい。
著者について
岩田温(いわた・あつし)
1983年生まれ。政治学者。 早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院修了。拓殖大学客員研究員。専攻は政治哲学。
テレビ・ラジオに出演、雑誌にコラムを寄稿するなど精力的に活動。
著書に『政治とはなにか』(総和社)、『逆説の政治哲学 正義が人を殺すとき』(ベストセラーズ)、『人種差別から読み解く大東亜戦争』(彩図社)などがある。
1983年生まれ。政治学者。 早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院修了。拓殖大学客員研究員。専攻は政治哲学。
テレビ・ラジオに出演、雑誌にコラムを寄稿するなど精力的に活動。
著書に『政治とはなにか』(総和社)、『逆説の政治哲学 正義が人を殺すとき』(ベストセラーズ)、『人種差別から読み解く大東亜戦争』(彩図社)などがある。
登録情報
- 出版社 : 並木書房 (2015/10/30)
- 発売日 : 2015/10/30
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 256ページ
- ISBN-10 : 4890633340
- ISBN-13 : 978-4890633340
- Amazon 売れ筋ランキング: - 577,983位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 85位日米安全保障
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2015年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年11月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
政治学者の岩田温氏が平成27年9月19日に成立した、安保法制ー平和安全法制整備法、国際平和支援法の2法について、多くの(殆どの)憲法学者が「違憲」であると批判(誹謗中傷も含めて)していることを欺瞞であると告発している。その欺瞞の立証手順は以下だ。
第1章 暴走するリベラルたち
○法案(当時)に反対する何人かの学者、ジャーナリスト、活動家、政治家の言動、行為、行動が常軌を逸した異常な行動であること、また民主政治の根幹である選挙を否定してデモや革命を奨励していることを事例を上げて説明している。
第2章 憲法9条がありながら、なぜ自衛隊が存在できるのか?
○著者が自衛隊と憲法解釈における合憲違憲の判断は明確に違憲であると論証している。ではなぜそれでも自衛隊は今日存在し活動しているのか?著者は明確に「国民の支持」だと指摘している。
第3章 近代立憲主義とは何か?
○本書で告発しいる憲法学者の欺瞞を立証するために「近代立憲主義」について検証を試みている。憲法学では近代民主国家は主に経済的自由を擁護するために憲法を制定する、と説明しているが、著者はバーリンの消極的自由と積極的自由の概念を引用してい説明している。
第4章 偽りの立憲主義
○本章から本書のテーマである憲法学者への告発の立証過程に入る。個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障体制を説明したあと、集団安全保障体制では国を守れない、と政治学者の立場から現在の国際情勢における我が国の安全保障環境の結論を述べ、過去の憲法解釈を認めない憲法学者の不誠実、偽りの立憲主義者、と憲法学者の欺瞞を立証する。
第5章 集団的自衛権の行使は是か非か?
まず集団的自衛権が権利であって義務ではない、と説明する。過去19世紀、ヨーロッパを未曾有の戦争に巻き込んだ三国協商、日本と英米戦争にドイツが巻き込まれた日独伊三国同盟など参戦条項を持つ条約では、同盟国への攻撃に対しに参戦義務があった。よって戦争に「巻き込まれた」のだが、集団的自衛権は権利であり、行使するしないは自国政府の判断になる。敗戦後の東西冷戦下、米軍依存の安全保障体制によって安全を確保してきた我が国は冷戦終結とともに前提を失うことになる。その中で機能するはずだった集団安全保障体制は常任理事国の拒否権によって機能不全に陥った。よって集団安全保障体制では安全が保障できないのであれば集団的自衛権という権利を行使できるとして(するしないの最終判断は国民の意志による)、変化する安全保障環境に対応する以外にない、と結論する。
第6章 PKOの新たな一歩
冷戦終結後の安全保障環境の変化に対応できなかった湾岸戦争時の後藤田官房長官(海部総理)と自民党幹事長小沢一郎の言動を検証して、日本が「普通の国」になるターニングポイントがあったことが語られる。小沢のリアリティーと後藤田のモラトリアムが対立し、結局後藤田のモラトリアムが勝利する。日本の猶予は25年引き伸ばされたことになる。
補遺 虚偽と暴力にまみれた憲法制定過程
憲法の制定過程(個人的には確定過程と呼びたい)の事実は国立国会図書館サイトの日本国憲法の誕生でも検索できるのでかなり周知だが、アトミック・エナジーの下りは知らなかった。また甲斐弦氏の「GHQの検閲官」という書籍も同様だ。制定(確定)過程のみならず制定後もアカデミックな批判を許さない環境で憲法が改正されず存在できたのは、その後ひたすら憲法を「合理的」に解釈し続けた憲法学者の欺瞞の努力の結果だろう。
筆者補足
本書によって有罪が立証された憲法学者諸氏だが、私も少し補足的に彼らの罪状を認否したい。日本国憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあるが、この「諸国民の公正と信義」とはマッカーサー3条件にある「今や世界を動かしつつある崇高な理念」で具体的には連合国、今の国連のことだ。そして「安全と生存を保持」とは国連集団安全保障体制のことで、具体的には国連軍の事になると考えらる。つまり日本国民は自衛のための戦力と交戦権(交戦国に与えられる諸権利)を放棄する代わりに国連軍が国連加盟諸国で組織される国連軍によって保障されることを契約したと考えられる。よって日本国憲法は国連の一構成国として、日本国の主権によって組織される自衛戦力は保持せず、国連の指揮命令下で活動する国連軍に安全保障を委ねたことになる。
よって国連の要請によって、その指揮下で組織される常備軍には日本国人が参加することはなにも問題はないことになる。これは明治維新時、各藩が兵隊を拠出して帝国軍を組織したことやある意味、連邦国家各州が連邦軍に兵隊を拠出することと同じだ。同時に国連決議平和維持軍も国連を指揮統制を受けるならば、日本人及び日本の法人、日本の政府組織が参加しても問題はないはずだ。しかしこれまでの定説は、国連憲章43条に基づく国連軍への参加は、国連軍が武力行使を任務としているので許されない(芦部憲法5版)、また国連憲章には根拠が無いが国連決議に基づく平和維持活動を任務としうる平和維持軍への参加を認めることは難しいとしている。
日本国憲法は日本の占領をスムーズに行うため日本国軍の戦力の不保持と交戦権の否認をうたっている。しかしその前提が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」であるならば、日本国憲法は国連憲章43条を根拠とする国連軍への参加を要請しているとは言えないだろうか。憲章には規定はないが決議に基づく平和維持軍への参加は日本国憲法の要請するところではないだろうか。日本国の主権として武力行使を行うのではなく国連の指揮統制下においてなら、たとえ自衛隊が日本国憲法が禁じている自衛戦戦力だとしても、日本国の主権及び日本人の安全のために武力行使をするのではなく、国連の指揮統制下で武力行使することは、日本国憲法がむしろ積極的に要請していると言えないだろうか。PKO、PKFが違憲と断じた憲法学者は日本国憲法の要請を否定する欺瞞を冒したと言える。
第1章 暴走するリベラルたち
○法案(当時)に反対する何人かの学者、ジャーナリスト、活動家、政治家の言動、行為、行動が常軌を逸した異常な行動であること、また民主政治の根幹である選挙を否定してデモや革命を奨励していることを事例を上げて説明している。
第2章 憲法9条がありながら、なぜ自衛隊が存在できるのか?
○著者が自衛隊と憲法解釈における合憲違憲の判断は明確に違憲であると論証している。ではなぜそれでも自衛隊は今日存在し活動しているのか?著者は明確に「国民の支持」だと指摘している。
第3章 近代立憲主義とは何か?
○本書で告発しいる憲法学者の欺瞞を立証するために「近代立憲主義」について検証を試みている。憲法学では近代民主国家は主に経済的自由を擁護するために憲法を制定する、と説明しているが、著者はバーリンの消極的自由と積極的自由の概念を引用してい説明している。
第4章 偽りの立憲主義
○本章から本書のテーマである憲法学者への告発の立証過程に入る。個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障体制を説明したあと、集団安全保障体制では国を守れない、と政治学者の立場から現在の国際情勢における我が国の安全保障環境の結論を述べ、過去の憲法解釈を認めない憲法学者の不誠実、偽りの立憲主義者、と憲法学者の欺瞞を立証する。
第5章 集団的自衛権の行使は是か非か?
まず集団的自衛権が権利であって義務ではない、と説明する。過去19世紀、ヨーロッパを未曾有の戦争に巻き込んだ三国協商、日本と英米戦争にドイツが巻き込まれた日独伊三国同盟など参戦条項を持つ条約では、同盟国への攻撃に対しに参戦義務があった。よって戦争に「巻き込まれた」のだが、集団的自衛権は権利であり、行使するしないは自国政府の判断になる。敗戦後の東西冷戦下、米軍依存の安全保障体制によって安全を確保してきた我が国は冷戦終結とともに前提を失うことになる。その中で機能するはずだった集団安全保障体制は常任理事国の拒否権によって機能不全に陥った。よって集団安全保障体制では安全が保障できないのであれば集団的自衛権という権利を行使できるとして(するしないの最終判断は国民の意志による)、変化する安全保障環境に対応する以外にない、と結論する。
第6章 PKOの新たな一歩
冷戦終結後の安全保障環境の変化に対応できなかった湾岸戦争時の後藤田官房長官(海部総理)と自民党幹事長小沢一郎の言動を検証して、日本が「普通の国」になるターニングポイントがあったことが語られる。小沢のリアリティーと後藤田のモラトリアムが対立し、結局後藤田のモラトリアムが勝利する。日本の猶予は25年引き伸ばされたことになる。
補遺 虚偽と暴力にまみれた憲法制定過程
憲法の制定過程(個人的には確定過程と呼びたい)の事実は国立国会図書館サイトの日本国憲法の誕生でも検索できるのでかなり周知だが、アトミック・エナジーの下りは知らなかった。また甲斐弦氏の「GHQの検閲官」という書籍も同様だ。制定(確定)過程のみならず制定後もアカデミックな批判を許さない環境で憲法が改正されず存在できたのは、その後ひたすら憲法を「合理的」に解釈し続けた憲法学者の欺瞞の努力の結果だろう。
筆者補足
本書によって有罪が立証された憲法学者諸氏だが、私も少し補足的に彼らの罪状を認否したい。日本国憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあるが、この「諸国民の公正と信義」とはマッカーサー3条件にある「今や世界を動かしつつある崇高な理念」で具体的には連合国、今の国連のことだ。そして「安全と生存を保持」とは国連集団安全保障体制のことで、具体的には国連軍の事になると考えらる。つまり日本国民は自衛のための戦力と交戦権(交戦国に与えられる諸権利)を放棄する代わりに国連軍が国連加盟諸国で組織される国連軍によって保障されることを契約したと考えられる。よって日本国憲法は国連の一構成国として、日本国の主権によって組織される自衛戦力は保持せず、国連の指揮命令下で活動する国連軍に安全保障を委ねたことになる。
よって国連の要請によって、その指揮下で組織される常備軍には日本国人が参加することはなにも問題はないことになる。これは明治維新時、各藩が兵隊を拠出して帝国軍を組織したことやある意味、連邦国家各州が連邦軍に兵隊を拠出することと同じだ。同時に国連決議平和維持軍も国連を指揮統制を受けるならば、日本人及び日本の法人、日本の政府組織が参加しても問題はないはずだ。しかしこれまでの定説は、国連憲章43条に基づく国連軍への参加は、国連軍が武力行使を任務としているので許されない(芦部憲法5版)、また国連憲章には根拠が無いが国連決議に基づく平和維持活動を任務としうる平和維持軍への参加を認めることは難しいとしている。
日本国憲法は日本の占領をスムーズに行うため日本国軍の戦力の不保持と交戦権の否認をうたっている。しかしその前提が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」であるならば、日本国憲法は国連憲章43条を根拠とする国連軍への参加を要請しているとは言えないだろうか。憲章には規定はないが決議に基づく平和維持軍への参加は日本国憲法の要請するところではないだろうか。日本国の主権として武力行使を行うのではなく国連の指揮統制下においてなら、たとえ自衛隊が日本国憲法が禁じている自衛戦戦力だとしても、日本国の主権及び日本人の安全のために武力行使をするのではなく、国連の指揮統制下で武力行使することは、日本国憲法がむしろ積極的に要請していると言えないだろうか。PKO、PKFが違憲と断じた憲法学者は日本国憲法の要請を否定する欺瞞を冒したと言える。
2015年11月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とかく難しくなりがちな「保守」側(筆者は単純に「保守」と分類されるのは嫌がるかもしれない)の言論だが、本書では安全保障に関してテレビやネットで論じられた事象を例示しながら丁寧に分かりやすく反論をしている。
言葉遣いだけでなく、行間にまで心を配り、肩を張らずに「これなら読めるかな?」と感じられるようにとの筆者や編集者の配慮ではないかと思えた。実際に、小学生の息子も何ページか目を通して、その部分について彼なりに理解をしている様子です。
ただせっかくの内容も、タイトルが難しそうなイメージを漂わせてしまっていて、それが多くの人が手に取る機会を逸してしまっているかもと思えるので、敢えて星は一つ減らしました。
本書は平易に語りかけるだけでなく、深めるべきところはしっかり掘り下げてあるので、初心者でなくても知的に楽しめる。個人的に興味深く読んだのはアイザイア・バーリンの二つの対極にある自由に関する定義の記述。権利や自由が膨張・肥大化すると他人のそれを侵す性質があるが、その点が哲学者の視点から解説されており、非常に参考になった。
言葉遣いだけでなく、行間にまで心を配り、肩を張らずに「これなら読めるかな?」と感じられるようにとの筆者や編集者の配慮ではないかと思えた。実際に、小学生の息子も何ページか目を通して、その部分について彼なりに理解をしている様子です。
ただせっかくの内容も、タイトルが難しそうなイメージを漂わせてしまっていて、それが多くの人が手に取る機会を逸してしまっているかもと思えるので、敢えて星は一つ減らしました。
本書は平易に語りかけるだけでなく、深めるべきところはしっかり掘り下げてあるので、初心者でなくても知的に楽しめる。個人的に興味深く読んだのはアイザイア・バーリンの二つの対極にある自由に関する定義の記述。権利や自由が膨張・肥大化すると他人のそれを侵す性質があるが、その点が哲学者の視点から解説されており、非常に参考になった。
2020年8月4日に日本でレビュー済み
著者は若手保守論客として活躍中の一人だが、文章に荒削りな面が目立つ。改憲の必要性は首肯できるが、概念設定や論理構成が中途半端であり、安全保障政策・法制について掘り下げた内容にはなっていない。限定的な集団的自衛権行使を過大に評価しようとするなど、地に足がついた議論たりえていない。安倍政権支持こそ保守と思い込んでいる点で弱さが露呈している。